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第12話 恐怖の記憶と

「……何あれ」


「予告だけやたら頑張って低予算で儲けようとしたやつだな」


「主演さんだけものすごい頑張ってたけどねぇ」


「監督の名前覚えたから。もう一切見ないから」


 珍しく、というか初めて見る夏織のご立腹モード。

 無理もない。先週にあれが見たいこれが見たいって話をしてからずっと楽しみにしていた映画が、起承転結はめちゃくちゃなうえ、伏線も回収しなければそもそも原作を改悪しまくっていたのだから。


 顔をしかめてふくれっ面なところもこれはこれで見ていたい気もするのだが、さすがにお怒りを鎮めなければならないか。

 ただ、少し前だったら、夏織はおそらく「あんまりおもしろくなかったね」と苦笑いをみせていた程度に留まっただろう。それが素直に愚痴を吐いているということは、少なくとも前よりは信頼してくれていて、距離もそれだけ縮まったといえる。


「……って、ごめんね。感じ悪かったかな」


「いいや。好きなだけどーぞ」


「あはは。佑ってよく聞いてくれるから、つい話しちゃう」


「口下手なだけなのにね」


「聞き上手でもあると思うよ?」


 我ながら頭の回転が遅いもので、愚痴なんかに対しては適当な相槌くらいしか打てない。それが果たして聞き上手なのかはわからないが、セナの意見としては否定的なようで、「そうかなー……」と喉につっかえている様子。


「俺の口と耳がどうこうはおいといて、どうする? もう一本見るか、他のとこ行くか」


「この前は私が行きたいとこ行ったし、今日は佑にお任せしたいかな」


「お任せ……って言われても、俺も特に無いんだけど」


「どこでもいいよ」


「じゃあ――」


 室内のどこかという選択肢も十分にあったものの、夏織の言葉に甘えて、今回は俺の意思を本位に選ばせてもらうことにした。


 十月の最終日。夜の冷え込みが強くなり、快晴の昼間は程良く暖かいこの時期の風物詩といえば、紅葉だろう。

 十五時現在、ほんのり赤みを帯び始める日に照らされる赤黄色の葉は、冬が近づいてもなお熱い恋心を映し出すよう。

 なんてことを口に出したら、季節外れの脳内お花畑認定されてしまいそうだ。


 紅葉が見たいというのもあるが、話をする為が公園という場を選んだ最大の理由。

 緊張とは違う、心臓が縮んで締まるような感覚が、ひんやりと冷たい風も、黒い服に熱を帯びさせる日差しも打ち消して。


 入り口の車止めとして設置された鉄棒の隙間をすり抜けて入った夏織は、鮮やかに彩られた道の遠く先までを見ようとしているのだろう、爪先立ちをしながら感嘆の息を漏らす。


「きれーい……!」


「この公園、春は桜が綺麗でさ。俺のお気に入り」


「紅葉ってこんなに綺麗なんだね。知らなかった」


「えー、もったいない。自然って見れば見るほど楽しいのに」


「そうなんだ。来年はいっぱい見に行きたいな」


「春は桜。夏が海。秋は紅葉。冬は雪。俺はどれも好きだけど、来年はひまわり畑とか行ってみようか」


「うん。佑と一緒に見たい」


 暖色に包まれた夏織の笑顔は、夏の太陽を思わせる眩しさで、俺の凍り付きそうな心を明るく照らしてくれる。

 なんでもないようなことで笑い合える限り、永遠に夏織を好きでい続けられる。そんな確証の無い確信に捕らわれそうだ。


「あんまり惚気られると肩身狭いんですけどー」


 セナのはやし立てるような不満の声に、夏織と向き合って笑い合う。

 口に当てられた手に隠されてはいるが、桃色の唇の隙間からほんの少しだけ、綺麗に揃った白い歯が覗いた。


「夏織、話したいことがある」


 意を決した今の俺は、きっと鬱々たる面持ちなんかじゃない。

 太陽の光を浴びた月が暗いはずなどないのだから。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 生まれつきそうだったのかはわからない。

 俺の両手には、感覚と呼べるものが無い。痛みも温度も感触も、何も感じないのだ。

 手といっても腕から指までというわけではなく、手首より先だけ。だから、日常生活においては、器具や機械を使えば大きな支障は無かった。


 なら、日常生活が問題なければ人生も同じなのかといわれれば、それは俺の人生をもって否定しなければならない。


 感覚が無いということは、力の加減がわからないということ。


 小学六年の時。きっかけは本当に大したものではなくて、俺が手に装着していた機械を、クラスメイトの一人がおもしろがって触ってきたというだけの、興味本位な年齢相応の行動。

 親から「貴重な物だから大事にしろ」と再三教えられていた俺は、自己防衛の為にクラスメイトの手を掴んだ。そうしたら、そいつは悲鳴を上げて、変な方向に曲がった指を押さえてのたうち回った。掴み方が絶妙に悪かったようで、指が骨折していたらしい。

 俺が教師に事情聴取という名の説教を受けている間に病院へ運ばれていったと聞いた。


 当然、元より孤立気味だった俺は、翌日から居場所を完全に失った。唯一座ることができた自分の席すら、いつの間にかゴミ箱置き場となった。教室のちょうど中心辺りだったから、さぞかし便利と同時に臭かっただろう。その臭いすら俺のせいにされたのだから、救いようの無い話だ。


 それから、俺は他人との手を使った接触にトラウマを抱えて生きてきた。

 他の部分で触れる分には何も無いが、手だけはどうしたって触れられない。

 

 変化が訪れたのは、中学三年の秋。

 家を空けることが多くなった両親が揃って手に抱えていたのは、眼鏡のようなゴーグルのような、とりあえず顔に掛けることだけはわかる形状の機械。

 いわく、仮想の感覚を与える最新技術の塊だと。


 仕組みを端的に説明すれば、イメージした感触を、脳から観測した電気信号を増幅させることで、あたかも本物のように錯覚させるというもの。

 イメージを基に感覚を与えるということは、機械が作り出した電気信号を送れば、相当する感覚を直接与えることもできる。手を動かす感覚なんて知らなくても、機械から与えられた情報を脳が勘違いして、自分の意思に関係なく勝手に動くわけだ。


 そのコントロールを担うのは、この機械に搭載されているAI。

 所詮はプログラムされた紛い物でありながら、人間さながら、むしろ俺より人間らしく話し動く仮想のパートナーを、俺は《セナ》と名付けた。


 初めはなんとも言えない気持ち悪さがあったが、およそ一年と少しのリハビリに徐々に慣れながら、手を動かすという生物として当たり前の感覚を覚えていった。

 今では、機械的な補助が無くてもある程度は動かすことができる。タイピングとかみたく、細かい、あるいは複雑な動きはできないが、物を適切な握力で掴むとか、日常を送る分には問ない程度に。

 セナの補助を込みにすれば、健常者と遜色無なく動かすことも可能だ。


 だからといって、他人に触れることは未だできない。

 セナはあくまでAIであって、感覚なんてものを作るには途方もない時間と金が掛かるのだから、痛い痛くないの判断はできようもない。俺の想像がセナの擬似的な感覚になるのだから、例え俺がリンゴを握り潰す握力でセナの手を握っていても、俺がそれを握手程度のものと思い込めば、セナは心地良い力加減としか感じない。

 自分で自分の体の一部を触って、「これくらいだと痛いんだな、痛くないんだな」って試してみたりもした。でも、トラウマというのは自分一人でどうこうできる易いものじゃない。


 今現在、この世界で唯一自ら触れることができるのは、セナ一人だけだ。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ひたすらに手を見つめたまま、一切の嘘偽り無く話した。

 視界の隅に映る夏織は、俺の真似をするように、手を握ったり開いたりしていた。


「……そういうことだったんだ。今までなんでかなって思ってたこと、ほとんど納得できた」


「不快な思いさせてたならごめん」


「不快……そうだね。でも、それは私自身のせいだから」


 なんで。

 言っている意味がわからなくて、そう聞き返そうと顔を夏織の方へ向けると、夏織の顔は地面を向いていた。

 垂れた髪が表情を隠していて、頭の中の疑問は増える一方な俺のことなど見えていない夏織は、まるで地獄に向かって懺悔をするように言う。


「月曜日に佑に送ってもらった時ね、一回断られたあと、私勝手に手繋いだの。佑は心の準備ができてないって言ったけど、繋いじゃえばなんとかなるって思って。佑の事情なんて考えもしなかった。ごめんなさい」


「え――っと、怪我は?」


「ううん。嫌な言い方になっちゃうかもしれないけど、佑は握り返してこなかったから」


「そっか、よかった。元は俺が話してなかったからなんだし、夏織は気にしなくていい」


 そういえばやたら腕が動かしにくかったこととか、夏織がやけに嬉しそうな顔をしていたこととか、なるほど納得。

 一応フォローを入れたつもりではあるのだが、それでも夏織は頑なに頭を上げようとはしない。

 ならば――


「別にそんな重い話ってつもりじゃないからさ、あんまり気負われるとむしろ俺も辛いって」


「……佑がそう言うなら」


 さっきの夏織よろしく、情に訴えかけることで拒否させにくくする心理的交渉法。

 渋々そうながらようやく目線を合わせてくれた夏織に、今度は前向きな話をしようと思う。


「俺だって夏織に触れられないのは嫌だし、これからリハビリしようと思ってる。でさ、もしよかったら協力してくれないかなって」


「……うん、喜んで! って言いたいけど、私でいいの?」


「夏織じゃないと、多分できない。触れたいって思える相手じゃないとどうしようもないし」


「わかった。佑の為ならなんでもするから」


 時間は必要だろうが、いずれは必ず。

 夏織の気持ちに報いるべく決心を固める俺の胸元で、「よかったね」と、ここまで静聴を決め込んでいたセナからのエールが聞こえた。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 二度目にして容易に予想できたこの集会場所。

 放課後、美咲と共に駅で夏織を少し待ったのち合流し、住人の意思を聞く気など毛頭ない二人の女子に前を歩かれ、ずるずると俺の家へ引きずり込まれてしまった。


 目的は言うまでもなく俺のリハビリなのだが、夏織はともかく、美咲に至っては「あ、今日私も行くから」と駅で別れの挨拶を俺が発した直後に伝えられた。

 力になりたいとかなんとかって建前のようで本心な美咲の善意を断ることもできず、今に至る。

 傍から見れば、俺の人生に暗幕を三重くらいに被せられそうな、それはそれはまずい状況。


「触るが怖いんなら、こっちから触ってやればいいんじゃないでしょーか!」


 明らかに的外れな理論を述べながら迫りくる美咲の腕。

 先日のパーティーのように、右隣に夏織、左隣に九十度向きが変わって美咲という配置で逃げ道が無く、助けを求めて夏織の方を向くも、手をきっちり綺麗に揃えて静かに座っている。

 一応弁解はして許してもらったと思うのだが、美咲にだけ先に打ち明けていたことへの仕返しだろうか……。


 せめて手には触れさせまいと背に回すと、美咲は肩を掴んできた。

 と、その時、


「美咲、ちょっと黙らない?」


 およそ提案系とは思えない威圧感で、どちらかといえば「黙れない?」の方がしっくりくる声色。それはそれである種の人格否定的な旨になるが、どちらにせよ、美咲が引っ込むか沈むかの小さな差だろう。

 借りてきた猫みたく拳を握って膝の上に置く美咲は、丁寧に口まできゅっと閉じている。


「やっぱり、ちょっとずつ慣らしていくのが大事だと思う。まずは指先からとか、腕の辺りから少しずつ近づけるのがいいんじゃないかな」


「私も同意見。力加減は十分できてるんだから、あとは気持ちの問題だしね」


「あ、ああ……そうだよな」


 縮こまった美咲のことは気にも留めない二人に気圧されるも、美咲よりは至極まっとうな意見を肯定すると、それに応じて夏織が鞄の中に手を入れた。

 取り出したのはデイジーで、起動音を確認してから装着する。


「まずはどんな具合なのかちゃんと確認したいから、接続してもいい?」


「わかった」


 どんな、というのはセナのことを指しているようだ。

 正直言って、なぜセナにだけは触れても平気なのかは俺自身も理解できていない。初めこそたかがAIと思っていたが、付き合っていくにつれ一人の人間として見るようになったから、触れられない方が自然なのではないか。


 とりあえずは自分のデイジーを操作し、夏織のものと接続する。

 夏織にもセナが見えていることを動作から確認すると、セナが無言で手を差し出してきて、同じく無言で握り返した。


「セナは大丈夫なんだよね、ほとんど人と変わらないのに。なんでだろ……」


「考えられるとすれば、手の動かし方を教えてくれたのがセナだから安心できるとか」


「あ、それはあるかも」


「私にはわからないけど、二人がそう言うならそうなのかなぁ」


「となると、やっぱ慣れか」


「慣れだね」


 結論。慣れろ。

 初めから出ていた答えである。


「あと美咲、もう喋っていいよ」


 以降一音も発さなかったどころか物音一つ立てず、もはや空気と化していた美咲に夏織が許可を出すと、左の方から声混じりの大きく息を吐く音が聞こえた。

 死人に口なしになりそうなところまで徹底しなくてもいいだろうに。

 

 三回、四回深呼吸をして息を整える美咲。ようやく禁声が解かれ、何かを考えていたのだろうか、五回目の深呼吸をするのかと開いた口から、そのまま話し始めた。


「私、思いました」


「何を」


「佑のトラウマって、そんなに悲観するものなのかなって」


 この集まりを否定するような、俺の苦悩を否定するような美咲の一言。腹が立ったりはしないが、その意味がわからない。

 夏織とセナも同じようで、三人で顔を見合わせて首を傾げると、夏織が「どうして?」と聞き返す。


「だってさ、他人に触れないってことは、逆に言えばむやみに傷つけちゃうことが無いってことじゃん。そもそもの原因が『クラスメイトに怪我をさせちゃったから』ってことはだよ? そのトラウマは佑の優しさあってこそなんじゃないのかな」


「それは前向きに捉えすぎなんじゃないか」


「……ううん。言われてみれば、確かにそうだよね」


 いつにも増して真面目に述べる美咲の説に、夏織が深く頷いて同意する。

 前半は俺本人としてもそう思うことはできるが、後半はいくらなんでも自分では判断できない。一体どう反応すればいいのやら。


「美咲が珍しくいいこと言った」


「珍しくいいこと言ったね」


「珍しくいいこと言った……のか?」


「みんなひどい」


 美咲が話し終えてすぐ、僅かな間の静寂が部屋を包んだが、そのあとに染まった空気は至って明るいものだった。

 さすがと言うべきか、美咲には人を励ます才能もあるらしく、場を覆う重い空気があっさり消え失せていく。


「うん、やっぱり無理に急いで克服しなくてもいいと思うな。ゆっくり慣れていこ?」


「ま、そうだな。焦ってどうこうなるものでもないし」


 三人も、おそらく俺も、表情はずっと柔らかくなった。

 心なしか、手を伸ばす勇気も湧いてきたような気がする。


 俺の右肩と夏織の左肩の距離は、僅か拳一つ分。その隙間を埋めるように差し出された、華奢で、白くて、細い掌。

 暗い色の制服との対比でいっそう弱々しく見える手は、昨日までは些か心許なく思えたのに、今は雲のように優しく包み込んでくれるような気がして。


 気がつけば、ほんの少し指を曲げれば触れるくらいにまで、手を重ねようとしていた。

 ただ、感覚なんてなくてもわかる。この手は、震える以外の一切の動作をできずにいる。手だけじゃない。肩から先全てだ。


 フラッシュバック……とは少し違う。俺の脳裏に鮮明に浮かび上がったのは、確かに心の奥深くにまで刻まれた苦痛に歪む顔。だが、それはとあるクラスメイトなんかじゃない。目の前で微笑んでくれる夏織の数秒後にある、最悪の未来。


 腕だけがとち狂ったんじゃないかと思う程に強く震え、その振動が肩を伝って心臓まで届く。

 鼓動が強く大きく早くなるにつれ、自分の手だった手は、かつてのリハビリの時以上に自分の手じゃないように思えて――


 心底、恐ろしく見えた。


 数秒前は、そう見えたはずだった。


 今の俺の目に映る手は、そうじゃなかった。

 俺の手は見えない。見えるのは、紛れもなく夏織のそれだ。


「優しい手」


 夏織は、俺の手に語りかけるように言う。


「人を傷つける痛みを知ってるんだよね。だから、こんなに苦しんでるんだよね」

 

 夏織は、俺の心に語りかけるように言う。


「ねえ、佑。この手はきっと、誰よりも人に優しく触れられる手だよ」


 俺の手を包む夏織の両手は、零れそうな何かをすくい上げるように、夏織の頬に触れた。

 そして、重なっていた一つの手が離れ、夏織の頬に触れた俺の掌。


 感覚が無いから、どう動かせばいいのかわからない。

 わからないのに、手は自然と頬を撫でた。


 夏織はただ、くすぐったそうに笑う。

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