第9話 月夜に咲いた
「美咲、終わったみたい」
「どこにいる?」
「今体育館にいるって送った。すぐ行くって」
「じゃ、外出るか」
劇やらコントやら演奏やら一発芸やら、有志の勇姿によって盛り上がる体育館内で時間を潰し、今の時刻は十六時。一般公開は残り一時間で、そこから一時間は後夜祭だ。
現時点で行った場所は、お化け屋敷と出し物の休憩時間中に行った模擬店数か所。残り一時間あれば回りたい所は十分回り切れる。
「問題はどこ行くかだな」
「私は喫茶店行ってみたい」
「メイド執事喫茶でいいなら。夏織は?」
「メイドさんかぁ……そういえば、たまに看板持って歩いてるね。興味あるかも」
そう言う夏織の目の前を狙ったかのようなタイミングで歩く、給仕服を模した装いの女子一人。ついでに後ろについて歩く執事らしき男子。看板もチラシも持たされて移動中のようで、見るからに尻に敷かれている。
サディスティックメイド、大変結構。
「意外と普通」
「だね。もっとスカート短かったりするのかと思ってた」
セナが述べた感想に、夏織が自分の想像を補足しつつ同意する。
確かに、一般にメイド喫茶と言われて思い浮かべるメイド服は、膝上より股下から計った方が早いミニスカートとか、程々に露出した半袖。対して、今見えているデザインは随分と違う。スカートは膝小僧が半分隠れ、袖は七分丈あるくらいで露出は多くない。
「うちの会長は正統派よしって人だから、多分そういうのは許可しなかったんだろ」
「でもすごくかわいいね。凝ってるし」
「俺もそう思う。そこらのコスプレよりクオリティ高いな」
袖口はゆったりめでフリルがあしらってあり、全体的に過度ではないひらひらがポイント高め。セクシー要素を取り払った分、キュート要素に全振りしている。
露出は手首より先と顔くらいなもので、これなら会長も納得せざるを得なかっただろう。
「ね、見て見て!」
メイド女子を観察していると、セナが何かを見せたいらしくはつらつとした声を発した。まあ、何をしているかを予想するのは大して難しいことではないが。
デイジーを覗き込むと、数秒前の会話とデイジーの機能を考えればわかる通り、コピーしたメイド服を着用しているセナの姿。
誰に向けてというわけでもないが、正直に言おう。かわいいの暴力である。
「似合うな。かわいい」
「え、あ、ありがと……」
「何その反応」
「だって、聞く前に言うから……」
「私も見たーい」
なんてことなしに伝えた褒め言葉に戸惑いを見せるセナを、隣で瞳を輝かせる夏織に手渡す。画面越しの世界に目を通した夏織からは賛辞が次々と飛び出し、スピーカーからは反応に困り切った「あ、え、あ」とちまちま母音だけが聞こえてくる。
「夏織、写真撮っといてくれない?」
「もう撮ったよー」
「ナイス。照れてるセナは珍しいからな」
「私にもあとで送ってね」
「りょーかい」
「もうやめてぇ……」
さすがのセナといえど、夏織には敵わないようだ。かくいう俺も、夏織と口喧嘩でもした日には心がずたぼろにされそうでおっかない。
味方につけば実に楽しいことこの上ないのだが。
夏織から返ってきたデイジーをもう一度覗き込むと、当然ながらセナは元の服に戻っていた。
写真が保存されているフォルダには、夏織の機転で連射したのだろう同じような画像が十数枚と、動画が一つ。
まったく、期待以上の仕事振りだ。
「なになに?」
「わ、びっくりした。いつの間に……」
セナに意識を取られているうちに来たのか、ちょうどすれすれで死角に入っている美咲の存在に、夏織の声で初めて気がついた。
振り返って姿を視界に入れると、咄嗟に顔から離した俺の手元を前屈みに見つめている。
「二人だけで盛り上がってるし、気づいてくれないから除け者みたいで寂しかった」
「いつ来たんだ?」
「今来ました」
「おい」
「寂しかったのはほんとだもーん」
顔を背け、開き直りながらぶーたれる美咲。いわく「手振ったのに」だそうで、真偽はこの際おいておき、とりあえずは夏織と息を合わせて謝っておいた。
「つか、なんでジャージ」
「だって汗かいたんだもん」
さぞかし動きやすくなったろう美咲には合わせず、あくまでもゆったりした歩調の夏織に合わせて目的地へ。といっても、体育館直近の階段を上って三十歩という距離。
あらかじめ接客に出ている人全員に写真撮影の許可を申請し、着席と同時にカメラを構える。
「佑はメイドって好き?」
席についてすぐ発せられた美咲の開口一番がこれ。
夏織はやたら絵で飾られた色鮮やかなメニューに目を通しているが、ちらりちらりと時折視線を感じる。
「まあ、メイドさんは大半の男子にとって憧れだしな。俺も例外じゃないとだけ」
「へー」
「美咲は執事とか好きなのか?」
「いやー、家庭的な男の人はイイと思うんだけどね。執事って言われると違うかもしんない」
腕を組み背もたれに体重を預け、喉に力を入れて否定する美咲。束の間近くにいた執事系男子を見るも、やはり違うと言いたげに一人首を横に振る。
「夏織は?」
「私も美咲と同じかな。セナは?」
「そういう趣味は無いなー。そこの冴えない人が着てるとこなら見てみたいけど」
くすくすと悪魔の笑い混じりに俺へ火の粉を振りかけるセナの意見に、女子二人は同意見であることを視線と「あー」で非常にわかりやすく示す。
俺はどう反応すれば良いのだろう。セナはともかく、夏織と美咲のメイド姿を見たいとか返すのはよろしくないだろうし。
というか、冴えないはさすがに失礼だろ。最近は多少改善されたはずだ。
「でもさ、髪とかちょちょいっていじれば意外と似合うんじゃない?」
「確かに……」
「俺の執事に関する談義はもういいから。ほんとに」
「じゃあ似合わないってことで。はい、何か頼もー」
これはこれで不本意な結論ではあるが、致し方なし。
既に夏織の手から離れたメニューに美咲が素早く目を走らせ、五秒と経たずに対角に座る俺の目の前へ、ご丁寧に向きを合わせて置かれた。
最初から頼む物を決めておくタイプなのかと、美咲の生態に関して一つの理解を得た。と思いきや、ラインアップを見れば必然、長々悩む程の数は無い。
美咲には敵わずとも早々にメニューと閉じ、左手でテーブルの端へ戻す。同時に右手を挙げ、「すみません」と近くのメイドさんを呼ぶ。
「いらっしゃいませー。注文はお決まりですか?」
「コーヒー」「オムライス一つー」
「私はパフェで」
「パフェとオムライスとコーヒーですね。少々お待ちくださいなー」
息ぴったりというべきか否か、美咲と声を被せてしまい、夏織からのおもしろおかしそうな視線が刺さる。
しれっと仕事をこなしていたが、この賑わう中で同時に発せられた注文内容を聞き取ったさっきの人も凄いな。
「夜ご飯大丈夫なの?」
「それがさー、実はお昼食べてないんだよね」
「やっぱり忙しかったんだ」
「まあねー。パンケーキはバカ売れするし、委員の仕事で走り回るし。お腹の虫さんがうるさいのなんのって」
「おつかれさま」
「ありがとー。で、二人は楽しめた?」
「そうそう、それがね――」
元々が歳の垣根も感じず対等に話すような関係の夏織と美咲は、やはり相当に仲が良いらしく、滅多な事では会話が途切れることは無い。
後から加わったうえに積極性に欠ける俺が入り込むのは難があるが、だからといって疎外感は感じない。ひたすら楽しそうに話すものだから、むしろ聞いているだけの方が楽しい場面すらあるものだ。
例えばさっきのお化け屋敷の一件、俺が話せば「こんなことがあって~」だけで終わる自信がある。それが二人の場合、五分そこらの出来事だけで何十分も話し続ける。
全くもって、羨ましい限り。
願わくは、二人の笑みに満たされた光景が永くあってほしい。
そんなことを考えながら耳と目だけで今の時間を楽しんでいるうち、盆の上に大中小の器を乗せたメイドさんがテーブルの前に立ち、迷う事無くそれぞれを置いた。
飲食店のホール事情は知らないが、誰が何を頼んだのか覚えていることといい、もしかして経験者なのではないかと思う。
「では、おいしくなるおまじないをしましょう! おいしくなあれ、おいしくなあれ、もえもえきゅん」
補足。そっち系の経験者だった。恥じらいをまるで見せない威風堂々たる振る舞いに、心底尊敬する。
「ご一緒に、せーの」
「おいしくなあれ、おいしくなあれ、もえもえきゅん」「お、おいしくなぁれ……?」「おいしくなーれ! おいしくなーれ! もえもえきゅんー」
「もえもえ……って何?」
「俺に訊くな」
台詞から身振り手振りに至るまでノリノリな美咲と、戸惑って美咲の真似をするように合わせる夏織。
一方のセナは状況を理解できていないらしく、俺はといえば男一人でご唱和する勇気は無く、美咲から「佑もやりなよー」と苦言を呈された。
まさか、模擬店でここまでやるとは。
「ごゆっくりー」
袖と裾をふりふりと揺らしながら次の卓へ向かうメイドさん。後ろ姿からも感じるどことない魅力は、はたして天性のものか努力故か。
他意は無くぼんやりと見つめていると、美咲がスマホを取り出し、二回、三回と位置をずらしながらシャッター音を鳴らした。レンズが映しているだろうものはオムライスで、赤いどろどろとした液体で何かが描かれている。
「猫? 凝ってるな」
「すごいよね! 食べるのもったいなーい。あ、猫といえばさ、二人は猫派? 犬派?」
カチャカチャとスプーンを動かし、もったいなさなど微塵も感じない手つきで猫の頬を切り取りながら、「私は猫派ー」ととてもそうは思えない一人問答をする美咲。
卵に包まれたライスもまた、文化祭で出す物としては上々な出来とみえる。
「私は犬派かなぁ」
「俺はどっちも。犬見てると犬いいなー、猫見てると猫いいなーって感じ」
「佑だけに優柔不断って?」
「黙れ」
言いたいことだけ言って俺の睨みなどまるで意に介さず、美咲はへこんだ細い腹を満たしている。
おいしそうに食べているのは大いに結構なのだが、そのオムライスに残りのコーヒーをぶちまけてやりたい衝動に駆られてしまう。作った人に申し訳ないので実行することはありえないが。
そういえば、犬好きはサド、猫好きはマゾなんて話があるが、実のところはどうなのだろう。的を射ているようには思えるし、夏織に関しては当てはまっているといえそうだ。美咲は正直わからないし、俺なんてノーマルならともかく、下手をすれば両刀という特殊癖。
「あっ」
「お?」
「どした」
「猫のクッキー入ってた」
見るからに手作りな猫型クッキーをスプーンで持ち上げる夏織。
二年F組の本気度が凄まじすぎて、もはや感服の他なし。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その後は二十分程の時間を美咲に連れ回され、体育館で行われている出し物の大取である吹奏楽部、軽音楽部、合唱部による三部コラボを観覧した後、一般公開の終了を知らせるアナウンスを聞いた。
ここからは関係者のみの後夜祭。屋外ステージで青春の産声が響き渡る。
「夏織とはここで解散かぁ」
「なんだかあっという間だったね。もう少しいたかったな」
普段なら感じない名残惜しさを抱く別れに、夏織とセナは残念そうに声を落とす。
薄暗いなか、祭りを堪能した老若男女がとめどなく校門の外へ流れ出ていく。美咲はといえば、何かを企むように人の流れを凝視している。
「解散は解散でも、まだ文化祭は終わってない! ってわけで、これ」
夏織がまとう寂し気な雰囲気を真っ向から吹き飛ばさんばかりに、美咲は紙袋を提げた左手と、握り締めた右拳を強く差し出した。空へ向けて開かれた夏織の手に落とされたのは、銀色の鍵。左手に提げられた紙袋の中身は、おそらく服だ。
「これは?」
渡すだけ渡して説明も無しでは、当然意図など理解できるようはずがない。両手に持った二つの物を観察しながら問いかける夏織に対し、美咲はただ黙って校舎を斜め上向きに指した。
夏織はやはり首を傾げるが、その方向にある場所と美咲が渡した二つを考慮した結果、おおよそ何が言いたいかは想像できる。
「なんで鍵持ってんだよ。立ち入り禁止だろ」
「グラウンド全体の写真が撮りたいって言って借りたのですよ。嘘じゃないしね」
「いっそ清々しいまでの職権乱用だな」
「でしょー? 普段の行いがいいからね」
褒めるべきではない行為を自画自賛して、やたら誇らしそうに胸を張る美咲。
まあ、いざというときに責任転嫁しやすくて都合は良い。
「ね、その鍵どこの?」
「セナは知らなくていいの。私と一緒に後夜祭行くんだから」
「……あー、はいはい。なるほどねぇ」
つまるところは、場を整えてくれたということ。
物分かりの良いセナも美咲の一言で話を理解したようで、夏織の目は俺と美咲の顔を行ったり来たり。
教えろ教えろと念を込める視線を無視して、「じゃっ!」と短く別れを告げた美咲は、俺が渡したデイジーを抱えてグラウンドへ走っていった。
「えっと、私はどうすれば」
「とりあえず、それに着替えて」
「これ……制服?」
紙袋に突っ込まれた夏織の手が掴み上げたのは、見慣れに見慣れた我が校の制服のブレザー。ほぼ間違いなく美咲の物。
これから行おうとしていることを未だ把握できていない夏織がブレザーを紙袋に戻したことを確認し、「行くか」と一言だけ、生徒が出払った昇降口へ向かう。
「んー、ちょっと大きい……」
一回り大きな体躯の美咲の制服を着こなせず、掌が半分隠しながら不満を呟く夏織。
多少なり違和感はあるものの、ふと見た程度では変装とは見抜けないはず。
「もし夏織もこの高校だったら、こんな感じなんだろうな」
「なんか不思議な気分。佑と同じ制服着て歩くなんて」
「同じく」
むずむずするというか、落ち着かないというか……。いや、同じようなものか。とにかく、他校の夏織と同じ制服を着て同じ学校内を歩くとか、そんな事があるとは思いもよらず、むず痒くて仕方がない。
実際、夏織がこの高校に通っていたとしたら、まず知り合ったりなどはしなかっただろう。同じ高校だったらなんて理想は結果論でしかなくて、複雑な心境だ。
少数ながら教室から後夜祭を楽しむ人、そもそも興味が無くてうろうろしている人、見回りをしている教師と数度すれ違いはしたものの、ばれる事は無かった。
そろそろ夏織も見当がついた頃だろうか。「どこ行くの?」とは訊いてこないまま、三階に備わる階段をさっさと上る。夏織から受け取った鍵で開いた【立ち入り禁止】と書かれた紙が貼り付けられた扉の先は、緑のフェンスに囲まれた、屋根の無い最上階。
「屋上かぁ。穴場だね」
「普通は入れないからな。美咲ってほんと、教師陣にも好かれてんだな」
「ねっ。あとでお礼言わないと」
三日月のような半月のような、半端な月が浮かぶ日没の空は、俺の心を映し出しているようで。
『イイノ、好きだー! 付き合ってくれー!』
これで静寂に包まれていたなら風情もあったものを、下で進行している告白大会という名の見世物ときたら、マルもバツも関係なしにどんちゃん騒ぎ。
機械を介して全校に届くお断りの一言に至っては、すっかり耳に馴染んだ声だし。
「美咲ってば、告白されてる」
フェンスに寄って青春の渦を見下ろす夏織は、くすっと小さく笑う。
穏やかな風にさらわれる髪と、見慣れているのに見慣れない制服を着た横姿は、他に見る物が無い視線の行き場としては十分すぎた。
触れようと思いさえすれば、容易に触れることができる距離。
髪を撫でたら、肩を抱いたら、手を繋いだら、どんな感覚が伝わってくるのだろう。
きっと、俺にはわかりようも無いことだが。
「……佑とセナ、すごく仲いいよね」
「まあな」
「セナって、まるでほんとの人みたい。AIとは思えない」
「あいつは特別っていうか、特殊だからな」
「特殊?」
「市販のより性能が高いってとこ」
「じゃあ、佑のデイジーは普通のじゃないの?」
「そういうこと。詳しくは言えないけど、悪い意味じゃないから」
そりゃあ、気にもなるはずだ。他のデイジーを見たことはないが、セナは確実に他とは違う。
だからこそ、家族のように、親友のように思って接することができる。
何千何万というデイジーがある中で、唯一無二の存在。それはもう、機械と言っていいのかすらわからない。
「セナのこと、好き?」
「まあ、親友みたいなもんだし、そういう意味では」
「そっか」
月を肩に乗せ、夏織は静かに俺の方へ向き直った。
眩しく照らされているグラウンドとのコントラストでいっそう暗く映る風景の中に、その顔だけははっきりと見える。
それくらいに、夏織の眼は俺の眼を捉えて離さない。
「好きです。付き合ってください」
突拍子も無く、突如投げかけられた告白の言葉。予想も覚悟もしていたからか、驚くようなことにはならず、思いの外心臓が飛び上がったりもしない。
ただ一言、思うままの答えを伝えた。
潤んだ瞳。綻ぶ顔。揺れる髪。初めて接触した体。
そのどれにも触れることができない手は、ただ黄昏に浮かぶ。