プロローグ
プロローグという名の説明回です。
《苦悩の梨》という拷問器具がある。
口、膣、肛門といった人体の穴に挿入し、本体部分を拡張させることで相手の体を内部から破壊するもの。一般の認識としてはこんなところだろう。
俺はこの器具について、どこかでとある話を読んだ、あるいは聞いたことがある。いわく、元は舌を噛ませないように、薬を飲ませるためになどの目的から口を開かせるだけの道具であったが、人の残虐性によって今に語られる残忍な用途を得たのだ、と。
一つの説か、創作物の中の創作かはともかく、俺が着目した点は元の用途ではなく人の性についてだ。人間の醜い部分を鋭く指摘していて、まさしく、今の俺の状況と酷似している。
《Virtual・Sense》、通称VSと呼ばれる技術は、発表と同時に世界中の話題を瞬く間に掻っ攫った。呼んで字の如く、訳すれば仮想感覚というものだ。
本来存在しないものに触れたような感覚を再現するこの技術に、二千十年台から着々と進化を続けていたAR、つまり拡張現実を加えることで、人々の生活に革新がもたらされた。
眼鏡とゴーグルの間を取ったような形状に作られ、ブリッジに付けられた超解像度カメラで捉えた風景を、眼鏡でいうレンズに当たる部分のディスプレイに表示するARデバイスと、こめかみに装着することで電気信号を読み取ったり骨導音として音声を伝えるVSデバイスにより、あたかも目の前に架空の存在が実在しているかのような錯覚を与える。
視るだけ、というのは過去の話。今は触れることもできてしまう時代だ。もちろん、あのキャラクターにも。
そんな飢えた人々の願望を叶える技術は、プログラマーや企業の力で目覚ましい進歩を遂げ、VSの発表からおよそ二年後である今、一つの製品として完成した。
サポートAIシステムとでも言おうか、人工知能を搭載したプログラムをデバイスに組み込むことで、擬似人格を得たキャラクター、あるいは仮想の人物が俺たちの前に現れたのだ。もちろん触ることもできるし、家事や勉強、仕事のサポートもしてくれる。
一つ難を挙げるとすれば、デバイスを通した視界に対象が映っていなければ、声以外は認識できないこと。もっとも、現在進行形で視覚外からでも効果を与えられるよう開発が進んでいるため、些細な問題でしかない。
開発者たちは、このデバイスを《Dramatic Graffiti》、頭文字を取ってDGからデイジーと名付けた。デイジーはキク科の花で、和名は雛菊。花言葉は「平和」「希望」。命名者がいかにロマンチストか見て取れる、素晴らしいネーミングだ。
元はデバイスのみを指す名称だったが、今はAIキャラクターのことも同じく呼ばれている。
デバイスを起動している限りは常にそばにいて、持ち主を健気に手助けしてくれる存在。それが人々の欲を刺激しないはずもなく、景気が回復しつつある日本だけでも発売と同時に億単位の金が動いた。
著しい学力の向上が認められ、勉強にも使えるという点から大金をはたいてデイジーを取り入れた学校もあれば、モチベーションの向上や仕事の効率化という点から社内共有で設置いている企業もある。その恩恵は、一個人である俺には到底計り知れない。
だがしかし、良いことづくめで済むほどこの世界は甘くないし、それを許さないクズが一定数存在するのは事実だ。
開発時点から懸念されていたのは、一つが少子化の加速、もう一つがウイルスやハッキングの類。
前者に関しては存外影響が少なく、別段離婚が増えたとか、カップルが減ったという話はあまり聞かない。
後者は元凶を除いて誰も望まない大当たり。念に念を入れて強固に構えらえたセキュリティは程なくあっさりと穴を突かれ、ほんの小さな地獄を生み出した。感覚があるということは当然痛みもあって、それを利用したのだ。
そうなればあとは簡単な話。そのツールを手に入れた奴らは、非道な行いをこれでもかと堪能しつくした。
俺はその被害者の一人、いくらかの内のただの一人。
開発者は全力で対処しているらしいが、これによる犯罪が少数ながら訴えられているにもかかわらず、政府はだんまりを貫き通した。証拠が残りにくく確認が取れないというのもあり、また経済効果を無視できない部分もあるのだろう。
全くもって笑えない。いつの世も、人間の残虐性が革新的な技術を汚してきた。たった一人のくだらない暴虐的心理のために、どれだけの善良な人々が尻拭いをしなければならないのか。
トラクターに轢かれてミンチにでもなっていろ。