酷く、
半崎美子 "明日へ向かう人" (MV Full Ver.) "The One that Heads to Tomorrow"
を 聴きながら
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酷くいっぱいいっぱいになりながら、ただただ目先のことに逃げるように、前を向こうとしているようにごまかして、前も後ろも見ていない。
想像することや、共感することは、印象を弄くったに過ぎない、と思えてしまうことがある。若しくは、違う一面に早々に気づけたか、否か、その程度の差異に過ぎず、結局は、それは、言葉遊びに過ぎぬ印象操作なのだと思えてしまうことがある。自を抜け出るものではなくその身をそれに変えることが出来てもそのものにはなることが出来ない言葉遊びは、言葉自体が概念に過ぎぬもの
ポジティブやネガティブが、感覚で解らない。
自信というものが、感覚で解らない。
世界は、そんなものばかりだ。……否、私の周りの世界は、そんなものばかりだ。そんなもの?わからないことしかないにもかかわらず、わかるふりをするばかりの、わかると
そんなものに何の意味がある そんなものに何の価値がある
世界には、答えなど用意されていない 他人があたえた答えを浅くただ音だけ唇にのせて、舌をならしてしたたらずに音楽のようにたのしげに倣うだけ
ならば、音楽でよいじゃないか
世界にはそれ以下しかないのだから
なにかをつくりあげる方は、
美しいと思う
けれど、つくるということを私は、物にあてていない
つくるということは形のないものであって
結局はかたどろうとするものであって
いつまでも形に出来ない
感動のような心のうごきに似てる
明日死んでも後悔は無いが
死に方は選びたくて
結局は、ただそれを唇にのせただけ
世界には、そんなものしかないのか
渡し舟をあやつる船頭のようにただ行先がみえていればよいのに
世界には、そんなものしかないのか
私も含めて、ただただ、唇にのせる 無ばかり 無ばかり のせよう
それはただの音にすぎないのだから
なんの深い考えもないただそのとき一瞬の感情とただくちはしにのせる無 の それ
だれかに無理だといってほしい、否 いうだろうということを 確認するだけの それ
世界がただの音だけであるのなら
世界がただの無だけであるのなら
やはり、言葉は要らないのだろう
幼いころのあたしが裂けそうな音だけの声をあげる
なにもつたえられない言葉などすててしまえばよい それは要らないものだ




