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押入れ

作者: ジュゴンmEX

自分の家にある押入れをモデルにしたので、正直今、押入れを開くのが怖い。

 最近、引っ越してきたばかりの家に大きな押入れがある。奥行きが広く、カラーボックスを押し込んでも人が一人入れるくらいのスペースがある。

 

 とある昼下がり、私は不意に憂鬱になり、この世から消えてなくなりたい衝動に襲われた。その衝動から逃れるために、私は押入れを開け、カラーボックスからコミック本を取り出した。コミックは面白かったけれど、私の不安を払拭するほどのものではなかった。

 

 コミックをカラーボックスに戻すとき、私は身をかがめて押入れの中に少し入っていった。カラーボックスが奥の方に入っていたためである。押入れの暗さと密閉感が心地よいと感じた。


 そのとき、私は江戸川乱歩の「人間椅子」という小説のことを思い出した。貧しい椅子職人が自作の椅子の中で潜伏生活を送っているという話である。椅子の中に入った時のことを男は次のように表現している。


「丁度、隠れ蓑でも着た様に、この人間世界から、消滅してしまう」


 ちょっとした暗くて狭いところに入ったくらいで人間世界から消滅だなんて大げさだなと思っていた。だが、実際に暗くて狭い場所に入ってみると、その感覚もわかるものだった。その瞬間、この地球上に私の存在を目視できる人物が誰一人いなくなってしまうわけだから。


 私はカラーボックスにコミック本を戻すと、そのまま、押入れの内側から扉を閉めた。扉の隙間からほんの少しだけ、光が漏れていた。しかし、その程度の光など役に立たないほどの暗闇。そこにあるはずのカラーボックスの存在すら感知できない。おそらく、棺桶の中とはこのような感じなのだろう。淡い死の恐怖。ここは私の小さな自殺願望を満たすのに十分だった。


 視界が奪われ、風の音や家族が階段を上り下りする音、話し声がいつもより強調して聞こえた。私は押し入れの外の様子について想像してみた。私の部屋は二つの窓から光が差し込み、昼間なら電気を点けなくてもよいほど明るい。机は教科書で散らかり、飲みかけの緑茶が置いてある。そして、ぴしゃりとしめられた押入れ。家族はこれを見て、私はここにいないのだと思い込むだろう。まさか、押入れに隠れているなんて思わないだろう。


 階段を上ってくる音がした。部屋の扉を開けたら驚かせてやろうと思った。ところが、部屋の扉が開けられることはなく、足音は階段を下って行った。


 そろそろ出ようかなと押入れの底に手をついたとき、何かが手に触れた。本ではない。この感触には覚えがなくてぞっとした。だが、好奇心のためにペタペタと触った。ごつごつしていて、乾燥していて、窪みがあったり、丸みがあったり。


 結局、よくわからずに扉を開けた。太陽の光が眩しかった。押入れを再びのぞき込むと、そこにはカラーボックスが並べられていて、本もきれいに収められていた。未知の物体があった個所に、手を置いたりしてみたが、さらりとした木の床があるばかりだった。


 それからも私は、小さな自殺願望を満たすために、たびたび押入れの中に入った。すると、毎回、未知の物体を暗闇の中で触る。そして、明るいところではたちまち消えてしまう。私は正体不明のこの物体が気味悪くて、だんだん押入れに入らなくなった。



 

 夏休みのある日のことだった。私はホラー好きの友人に連れられて、とある博物館に向かった。そこでは人骨をテーマにした企画展が開催されていた。

 

 時代ごとや出土地ごとにさまざまな人骨が並んでおり、全部見終わった後には気持ち悪くなって吐きそうだった。博物館を巡った直後、館内のレストランでもりもりとスパゲティを食べる友人を前にして、私は紅茶を飲み切ることすらままならなかった。


 博物館の中でも特に強烈だったのは、実際に人骨を触る体験をできてしまったことである。レプリカだったと信じたいけれど、しかし、私はその感触に覚えがあった。



 押入れの中で私が触ったのは、ひょっとすると人骨だったのではないかと博物館から帰ってから考えた。それも頭の方。窪みには眼球がはまっていたに違いない。


 私は気味が悪くなって、今すぐこの家から引っ越そうと両親に訴えた。ところが、そんな金はないと一蹴された。両親によると、この家は築20年ほどであり、その間に人が死んだことは一度もないという。つまり、事故物件でも何でもないとのことである。


 私は図書館に向かい、今建っている家がある土地の歴史について調べた。家自体には何もなくても、土地には何かあるかもしれないと考えたためである。ここに家が建てられたのは戦争が終わって10年ほどたったときのことであり、それまではずっと水田だった。


 その後、建てられた家で何か悲惨な事件があったのかどうかを調べた。図書館員の方に協力してもらい、過去の新聞を漁ってみたものの、それらしい記事は見当たらなかった。



 私は近頃では押入れを開けることが全くできなくなった。正直、自分の部屋で寝ることすら恐ろしい。もし、暗闇の中で、ゴトリと音がして、それが押入れの中から聞こえてきたとして、今まで見えなかったそれがはっきりと私の目の前に現れたとしたら、私は正気を保っていられる自信がなかった。


 私はこの家や土地には何もなかったという確証が欲しい。あの時、触れたあれが気のせいだったと思いたいのだ。疑惑が晴れたとき、私はようやくぐっすり眠ることが出来るのだろう。不安な夜は続く。


 そのとき、窓ガラスが割られる音がした。私は不安になって、ついベッドから体を起こした。見ると、窓に巨大な蜘蛛のような影が映っている。その人物は自分であけた穴から手を入れ、器用に窓の鍵を外した。ガラガラと窓を開けた瞬間、男は私と目が合った。私は恐怖のために動けなかった。そして、男の真っ黒な手によって絞殺されるのをじっと見ていた。



 男は私を殺すと、端した金を奪って窓から逃亡した。私はあの不気味な押入れの中に閉じ込められた。私は死んでしまい、動けないから、もう頭蓋骨を触ることもない。つまり、あれが実在したのか否か、確認する方法すらもはやないのである。


 夜が終わり、押入れの引き戸の隙間から朝日が漏れる。しかし、この扉が開けられることは決してなかった。


 物音から、家族が正常に生活をしていることはわかる。話し声が聞こえる。階段を上る音が聞こえる。けれども、誰もこの部屋の押入れを開けようとはしない。




 再び扉が開いたのは、それからだいぶ時がたってからのことだった。もう私は、自分が何という名前で、どんな顔をしていて、どんな人生を送ってきたのかもわからない。ただ一つ、わかることと言えば、この押入れがとても居心地が良いということくらいだ。

 扉を開けたのは大学生くらいの女の子だった。表情の暗い、いかにも陰気そうな子である。その子は私に気づかずに押し入れのカラーボックスからコミック本を取り出し、読みふけった。その後、コミック本を元に戻して、自らも押入れの中に入った。

 

 暗闇。ここではお互いに目視することができない。人間世界からの消滅。


 そのとき、女の子の手が私の頭に触れた。そうすることで、私たちはお互いの存在をようやく認識することが出来た。


乱歩はいいぞ。人間椅子は神谷浩史が朗読していた。お勢登場も怖くておもしろい。

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