act.97_闇に浮かび上がるもの
「ウーはこうも言っていた」
「はぁ」
「さいきん、夕食の塩味が足りないのではないかと」
「はぁ」
「思えば炊事を担当していた女性が亡くなってから、キャラバンには元気がないように見受けられる。それは塩分不足のせいではないかとな」
「かもしれませんね」
いつものアイラインが帰ってきたようで、俺はようやく気持ちが落ち着いてくる。このおっさんのあたまの中って、本当にどうなってるんだろうな。数分ごとに人格が入れ替わってるんじゃなかろうか。まぁ、そのおかげで俺も、いやな追求を受け続けずに済むわけだが。
俺たちは街道の周囲に目を光らせながら、2人して腕を組んで立っている。
暗い不穏な空模様と、荒廃した世界が広がっているから、端から見たらなかなかかっこいい構図かも知れない。しかし、実際には何ともマヌケだ。顔に傷のあるツーブロックのおっさんであるが、中身はすっからかんだからな。ウーがどう言ったこう言ったとかばっかしじゃんよ。
「知っているか? ライフストリーム教会では、死者の魂は生命の根幹をなす泉へと還ってゆくと考えているのだ。そこで現世での記憶を洗い流して、また魂も他の多くのものと混ざり合いやがて永い時間の末に、またこの世で生を受けるのだ。そうやって命はかの世とこの世とを行き来する。それが生命の流れ、ライフストリームなのだよ」
「聞いたことがあります。案外そういうものなのかも知れませんね」
俺は女神とテニスちゃんのことを思い浮かべるが、ここではないも言わない。たしかにそのような「あの世」があるにはあるが、俺はそこで、床面の傷を見つけた。それは紛れもない事実だ。
それについてどう解釈したらいいのかはわからないが、教会が真摯に人生のすべての時間を使って、何世代も語り伝える価値があるのかと言えば、甚だ疑問だ。
「……で、あるからして、あの炊事婦の魂も、やがてはこのホシに帰り、また炊事婦として楽しく過ごすのかも知れぬな」
「はぁ」
ビルギッタが炊事婦として人生を満喫していたかどうか疑問だが、この際、こいつの感慨を邪魔するのは止しておこう。面倒くさいからな。
「だが、不死者はその流れから逸脱した存在である」
「……ですね。死んでも甦るんですから。ウーが言ってましたか?」
また電流に撃たれたみたいに、アイラインの話に重みが加わってくる。ほんとに、ほんとうに疲れるわ……。
ちいさいバトンを抱えて荒波に挑戦しているみたいな気分になる。アイラインの精神の、重みと軽さを繰り返す、理解しがたい荒波だ。
「うむ。ウーもそう言っている……。ウ、ヴン……、だが考えてもみよ、彼奴らが本当に死なない存在だったとして、なにか目的を持って生きたとしたら、果たして我々は、彼奴らの意思のままに変わらないでいられるだろうか?
我々は有限の存在だ。命は激しく燃え、短く消えていく。その間に見聞きしたことは、文字で残すこともできるが、永い永い、人の歴史を正確に見渡すことはできない。過去の過ちについて、なにがそれを招いたか、どうすれば避けられたか、それはちょっとした言葉選びかも知れないし、生活の中のほんの些細なことの積み重ねだったかも知れない。それを文字で正確に言い伝えることは難しいのだ」
アイラインは息を継いで、俺を見る。
「不死者はそれができる。いや、それ以上のことだ。彼らは同一の個体なのだからな。そうして星霜の年月を経て、強くなる。唯一の存在へと鍛え上げられていく。己らの意思を、ヒトの間に蔓延らせてゆく。それが邪悪な存在であると、私でもわかる」
うむ……。前にも聞いた話だが、俺は思わず頷いてしまう。
「少年が不死者の眷属であるのか、ちがうのか、いまの私にはわからない。だが、ヨアンナ殿の言う通り、それらとは別の存在であって欲しいという気持ちに偽りもない。少年の言う、なんて言った? 文化人類学とかいう剣術が、我々の思想に協力してくれるものであって欲しいと、私は思っているのだよ」
そうだった、こいつの中では文化人類学は剣術の流派だったな。すっかり忘れていた。しかしまぁ、いまさら訂正する必要もなかろう。何の実害もないし。
いまさら一つの事実を教え込んだところで、アイラインが賢くなるわけでもないしな!
「期待に添えるといいのですが」
俺は曖昧に返事をして、会話の打ち切りを迫る。アイラインは両手を広げてみせて、いずれまた話そうと伝えてくる。
……
……
食後の恒例となった、ウーとの訓練は厳しさを増した。
ウーはもはや二刀流をぶつけてくる。ウィタのオーラこそ纏っていないが、その剣戟に遠慮はない。あ、まぁ、遠慮ははじめっからなかったけど。なんていうか、わりと本気? だ。
汚れた地面に身体を触れることを厭わずに、でんぐり返ししたり、片手でジャンプしたり、四つん這いで駆けたりしながら襲ってくる。
高身長のウーがそんなんで好戦的に襲ってくるから、俺も同じく口の中をジョリジョリと砂だらけにしながら、もんどりうって避けまくる。
最近はもう攻撃するのをあきらめてひたすら躱すことに集中している。
いや、攻撃するのを止めたわけじゃないんだけど、はっきり言ってそのチャンスがぜんぜんないし、隙を探す動作がもう、命取りみたいになってしまう。ウーの動きになれてきて、どうやら明日辺りは一刀いれられるかな、ってときに、奴はギヤーを一段上げてくる。本当に絶妙なタイミングだ。
それだけ俺の剣術の程度が把握されてしまっているということだな……。
その日もそんな感じで訓練を受けていた。
ウーの漸撃が鼻先をかすめながら通り過ぎ、俺は後ろへジャンプした身体を、武器を持たない方の手で着地させる。
その軸手? を2撃目が地を這うような弧を描いて、切り払いに延びてくる。
腕を思い切り屈伸させて、もう少し後退し、素早く身構える。
ウーの連続攻撃が早すぎるから、空中で避け続けるのは危険だ。なるべく地面を捉えて躱し続けたい。
手に持ったロングソードを軽々と1回転させながら、ウーは距離を詰めてくる。ほんとうに何気なく歩いてくるんだが、絶妙に攻撃しやすく、避けにくい位置取りをする。俺は常に軸足をどちらにもっていくか、神経を使わなければならない。
突き。
白刃が突風のように迫り、脇の辺りを通過していく。
凪ぎ。
上半身を反らせて、どうにかジャンプせずに避けきる。
打ち込み。
もう1本の剣が打ち下ろされて、見えにくい頭上から迫ってくる。
俺はその漸撃をショートソードの腹で逸らせる。
チュイン!
ぐ、くぅ……!
火花を散らせながら、重い漸撃をどうにか逸らせることに成功する。打ち下ろされる力が地面にまで伝わり、ハンマーでたたき込まれたみたいな衝撃が全身を貫いていく。
が、危ないのはこの瞬間だ!
ウーは腰を屈めて地際に身を這わせる。
腰蓑をはためかせながら、かまいたちのような回し蹴りが衝撃を耐えた俺の脚を襲ってくる。
重心を……、俺はぎりぎりのところで、その脚に手を突いて飛び退った。
2回転して静止し、剣を構える。
追撃は来ない。
ウーは驚きを隠せないでいる。連続技が止まり、静けさが耳をつく。
「避けてばっかりじゃ勝てない、とかって助言はないんですかね?」
「……イワナイ。カナエガ、ソノヨウナ存在テアレハ、ソレモマタ、ウンメイトイウモノ。ワタシカ強制スルヒツヨウハナイ」
ウーがスプリットタンで舌なめずりをする。こころなしかちょっと滑舌がよくなった気がする。
その滑舌で俺が避けきったことを驚きつつ、舐めた口ぶりには反応しないではいられないらしい。
「カナエハ信仰トイウモノハナイカ、フシキナチカラヲ秘メテイル。ケンヲアワセルタヒニ驚カサレル……」
「僕って実力的にはどのくらいですかね?」
俺は気になっていたことを訊いてみる。
「ヨアンナ師でも百傑百柱に載っていないから、そこまでだと自惚れるわけではありませんが、王都ではそこそこの冒険者と戦っても、引けをとりませんでした。これから危険な旅を続けるにあたって、その兆行さんとかと、それなりに戦えたり?」
「カナエカ兆行ト?」
ウーは眉間からすっと力を抜いてあきれた表情を浮かべる。まさか? って感じで、俺がそんなように考えつくことすら意外だったみたいだ。
その表情でだいたいのところはわかってしまう。
「ソレハ自惚レスキルトイウモノタ。カナエノチカラハ、ソウ、王都テイエハ中堅ノ冒険者クライテアロウナ。タカ……」
目の鋭さを増して、ウーは射貫くように俺を見る。周囲はすっかり暗くなっていて、そこかしこで焚かれたたき火以外には、かすんだ星明かりしか残っていない。月のない晩だった。
その闇に浮かぶようにして、ウーの細く締まった平滑な肌、黄緑の鱗が光る。
ほとんど人間といっていい外見なのだが、ふとした瞬間に竜族という、まるで見覚えのない存在であったことに気付かされる。
地際に焚かれた火から照らされて、ウーの顔に影が揺れる。両手に持ったロングソードは、闇に溶け込むかのように隠れている。
音もなく刃先を振るい、再び突撃してくる構えになる。
「カナエニハ我々ウィタ騎士カ禁忌トスルチカラカアル。ソレハ異質ナモノタ。見ルタケテ敵意カワク。不死者テナイノニ不死者ノワサヲツカウ、ソノ存在ハ、ワレワレノ本質ニカカワッテイル」
「まぁ、そうですよね。なりふり構わず滅ぼそうとしてきた相手なんだから……」
「タカ、最近……」
ウーは引き締まった長い首を傾けて、思案げなポーズをとってみせる。剣の1本を俺のほうに真っ直ぐ向けて、どうしてくれようかと戸惑っている格好だ。
「カナエヲ見テイルト、思ワナイテハナイ。教義ハ、ヤヤ修正カ必要ナノテハナイカト。オマエカラハ邪悪ナモノヲアマリ感シナイノタ。ムシロ、スコシ……ヒカレル……」
ん? なんて言った? いま?
「え?」って感じで俺が近づこうとしたとき、ウーの姿勢が劇的に変化する。
ほとんど機械的に腰を落として、次の瞬間にはこちらへ向かって弾丸のように駆けている。意表を突かれて曖昧な受けになりつつも、どうにかその攻撃を受けられるかな、どうかなーって、直感した次には、それが俺に向けられたものではないことに気がつく。
瞬間、俺は背筋に悪寒を感じて振り向く。
いつのまにか何かに近づかれている!
ギギギっと筋肉を軋ませて後ろを見る。
ゆらぐ炎の光に照らされたのは、巨大な灰色の鎌。ムチのようなその先には三角の無機質な頭部、虫の複眼。
あ、これ、避けられない奴だ……
理解した瞬間に、俺は腹の辺りに衝撃を受けて意識をぶれさせる。
カットイーターの刃物のような鎌が、すれすれのところを凪いでいったのがわかる。鋭く裂かれる空気の流れを産毛に感じる。
着地もなにもないタッチダウンに、紫の土煙が舞い上がる。口の中に入ったそれをはき出しながら、素早く立ち上がって、さっきまでいた場所を見る。俺の背後からウーが姿を現して、近づいてきていたそいつらを牽制する。
体当たりで救ってくれた礼を素早くいうと、にやりと笑って答える。
闇の中から浮かび上がってきたのは「オウ夏だぜっ」って言うアレだ。カマキリ。アホみたいにでかく、濁った灰色。闇の中で鎌を怒らせて、何頭か俺たちを囲っている。
キシキシいわせて羽を広げている姿に思わず鳥肌が立つ。キモすぎだろ……。
「カットイーターってやつですか」
「ウム。5、6頭、包囲サレテイルナ」
ウーはどこかうれしそうだ。
to be continued !! ★★ →




