act.95_暗い影
ヤルミルは素早く姿勢を立て直して矢をつがえる。
オオグチの暴れている周囲は相変わらず土煙でよく見えない。まして片目を失明したばかりのヤルミルには辛いものがあるだろう。
標的を探しているうちに、ラウノもどうにか体勢を整えて、近くで構える、が、矢筒をどこかに飛ばされたらしく、慌てて周囲を見回す。
熟練の傭兵とはいえ、慣れていない武器はたいへんだな……。
舞っていた粒子が拡散して、オオグチの巨体が見えてくる。そしてやつの周囲で牽制する傭兵たちと、二人の騎士。
アイラインもウーもまるで日常の狩りであるかのように気負ったところがない。窪地に沈んだオオグチを眺め下ろしながら、周囲の人間に被害が及んでないか見回す余裕がある。
たぶん、オオグチが身動きのしづらい窪地に落ち込んだのもあいつらの誘導なんだろう。
と、のそり、ってかんじでアイラインが前進する。もうほんとうに散歩みたいな挙動だ。だが、絶妙なタイミングかもしれない。オオグチはヤルミルとラウノのほうへ意識を向けている。目や触覚がどこにあるのかよくわからんが、脚を振り回す様子で、そっちに意識が向いているのがわかる。
まぁなんていうか、所詮は生き物? だから、同時に二つの方向へ意識を向けることはできないんだな。
オオグチの感覚器は全方向に向いてるのかも知れないが、意識そのものは一つ。まさにそれが逸れているわずかな時間に、アイラインはするすると前進していく。
いや、加速して、一気に走りだし、やつのからだから沸き立つ水色のオーラが沸騰する!
油圧シリンダーみたいに、硬く、強力な構えで、得物のロングソードを突く。
まるで刃物に道を譲るかのようにオオグチの剛毛が切断され、舞い散る。2メートルはあろう刃が鍔元まで深々と埋まり、アイラインはさらに渾身の力でそれを振り上げる。
ドビュッ
鋭い音を放ちながら、黒い針、オオグチの毛が跳ね上げられ、ロングソードが弧を描きながら空気を斬る。
俺は呆気にとられつつその景色から目が離せない。
まるで豆腐を切ったみたいに易々とオオグチを切断した。オオグチは自分が斬られたこともあまりわかってないんじゃないか?
急激に身体のバランスが崩れて、後肢をばたつかせる。そうしながらも神経が切られたらしい右半身の支えを失って、身体をよろめかせる。
あまりにもあっさりと身体を切断されたから、吹き飛んだとか突き上げられたとかじゃなくて、いきなりバランスを崩したのだ。
アイラインのやつは、今度は地面に深い足跡をつくりながらやや後方へ飛び退く。
攻撃を受けたことを悟ったオオグチが、残った脚ををさらにばたつかせる。もうほとんど混乱の極みといった感じだ。
皆が見守るだけになった空間で、今度はウーが歩み出る。
両手にロングソードというなんとも無茶な武装で、これもまた平然と近づいていく。
1本の黒い脚がムチのように撓りながらウーを襲う。
ガァンッ!
右手に持った一本でそれを切り落とす。振り落とされた脚は、衝撃で回転しながら地面の上を激しく転がっていく。
ウーは一瞬踏ん張って停止したが、めり込んだ脚を伸ばして、前進を続ける。
ガァンッ!
次は左の一本で脚を打ち落とし、またあらぬ方向へ吹き飛ばす。
なんていうか、アホみたいな切れ味とパワーだ。物理法則は宇宙共通のルールじゃなかったの? っていいたくなる。
オオグチの脚はまさに鉄柱ってかんじの物体だった。すさまじい速度で振り下ろされるその脚を、片手のロングソードではじき飛ばす? ないわー、ははは。
質量と加速力を考えれば、人間の身体ではじき飛ばすなんて不可能でしょ? 高校生くらいでわかるはずのことだ。
だがやんぬるかな、目の前でそれが起こっている。人類の科学敗北。ニュートンも平謝り。
理不尽だよな。魔法世界は。感覚がおかしくなるわ。
ウィタのオーラがあれを可能にしているのか? 俺にもできるのかな。
……
……
ウーが脚を3本斬り飛ばしたところで、オオグチは動きを止めた。
そりゃそうだ、片側3本で合計6本なんだから、半身の神経が断たれたら残り3本なんだから。むしろそこまでよく暴れた。
最後はアイラインに半ば切断された胴体から、生体のエネルギーが全部でちゃった感じだ。闇雲に振ってた脚も切断。もうなにもできないわな。
見守っていた傭兵たちがおずおずとオオグチに近づく。剣先でつついたりして、死んでいるのを確かめる。
そいつらの後ろから、オッスとカトーも姿を見せる。どうやらもう1頭も片付けたようだ。たぶん名主みたいなでかさのこいつをウィタ騎士が引き受けたから、いくらか余裕が生まれたんだろう。
オッスもカトーも土埃の汚れくらいで、これといった怪我はなさそうだ。
「死んでるぞー」
ラウノが確かめて、オオグチの側から声をあげる。ウーはそれを聞いて刃物にこびりついた体液を土でぬぐい始める。
不運続きのキャラバンだったが、この3頭のオオグチの襲撃には、死者も重傷者も出さなかった。
だが、短い言葉でふたりのウィタ騎士に礼を言ったカトーの表情は暗い。
わからないでもない。
怪物を倒したとはいえ、なんの利益もないもんな。荷駄も傭兵もダメージを受けただけで、いいことなどひとつもない。
これでゲームの敵みたいに、倒したら金貨の何枚かとか、高性能な武器でも落としてくれたらいいんだが。
とかなんとか考えて、俺は、前にオオグチを倒したときに、やつの犬歯を抜き取る作業をさせられたのを思い出す。
ひょとしてだが、今回もあれをやらなければならないのだろうか。
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結果からいうとそうはならなかった。
襲撃の影響からなんとかキャラバンを建て直し、少し離れた場所でキャンプを張った。
オオグチの死体があまりに臭いから疲れているところを少しだけ移動した形だ。
準備を進める夕方ぐらいから、荷車の中で休んでいたビルギッタが苦しみ始めた。
もう危ない、そんな話を聞いたのは誰からだろう。俺はちょっと信じられない思いで、心が乱れる。
つい先日までハスドルバルのおっさんを落とすべく、いろいろとしなを作ったりして攻略していた逞しいおばちゃんだ。それが十日かもう少しの間に、手の施しようのない病気に蝕まれている。
「ソーナの魔術で……」
俺はたき火を囲みながら、隣に座ってスープを飲んでいたソーナに提案してみる。
「だめだよ。回復魔術は体内のウィタを活性化させて治療するんだから。腫瘍にそれをしてしまったら、かえって悪くしてしまう……」
「そうか……」
やっぱりそうだよな、と思いつつ、何かできないか考えてしまう。
少し離れたところにある荷車からは、ビルギッタが苦痛で喘ぐ声が聞こえてくる。たぶんハスドルバルらしい、側で励ます声も聞こえてくる。
二人の悲痛な声音が、激しい戦いを演じたあとの静かすぎる夜に響いている。
それは聞くものにとっても何ともやりきれないものだった。
ソーナはときどき目許をぬぐってうつむいていた。
しばらく目を伏せてたき火を見つめていたヨアンナ師匠がふと立ち上がり、声の聞こえてくる荷車の方を向く。
「ナレどもは早めに寝るがよいでおじゃる。今日は忙しい一日であったからな」
言い残してビルギッタの許へ行く。
告解、というやつかも知れなかった。ヨアンナは尼僧であるから、死出の旅へでる者の、最後の告白を聞いてやることができる。
はたしてハスドルバルがそれを受け入れるかはわからないが、行かないではいられないのだろうな……。
俺たちは沈んだ面持ちで師匠の後ろ姿を見送る。クゥーン、と、ララが悲しげに喉を鳴らした。
……
……
ビルギッタは夜のうちに死んだ。
ヨアンナがいうには最後は安らかであったという。
遺体を運んでいける旅程ではないから、朝食前に皆で協力して墓穴を掘った。
手を組み、穴底に安置された彼女に、ハスドルバルが摘んできたらしい花束を添えた。それから、始めの土をかける。
たちまちビルギッタの姿は見えなくなり、こんもりとした土の山になる。
ヨアンナが祈りの言葉を捧げて、皆でしばし黙祷する。
こうしてキャラバンは炊事婦を失った。
……
……
何となくの流れで、消沈するハスドルバルの相手は俺がすることになった。まぁ普段からなかがいいといえばよかったから、わからんでもない。
だが、俺はこういうの、苦手なんだよな。
ハスドルバルにはいろいろとよくしてもらってるから、はやく元気になって欲しいというのは嘘のない気持ちだが。
こう、なんていうか、俺自身、ビルギッタがまだ生きてるような気がして、その役を担える自信がない。
そんなことをヨアンナにいうと「それは自然な気持ちでおじゃるから、ナレが心配することではない。いまは言葉はなくともハスドルバルの側にいてやるがよい」と答えた。
うん、と、気持ちの上でもいくらか納得して、俺はおっさんんが乗り込む荷車に乗ったのだった。
それから半日、目を赤く腫らして鎧竜を御しているおっさんの隣で、俺は軽口とかをいいながら過ごしている。
「お、あの竜、さっきうんこしたばかりなのに、まただしてる、すごいな」
とか、
「いま前を歩いてるトゥオンが、片手で尻を押し開いたな。たぶん、屁をしたんだじゃないかな?」
とか、
「この服、レオナのマントをつくろい直してつくったんだよね。なんていうか、いい匂いがするんだぜ……?」
とか、いってみるが、ハスドルバルはつらそうに頷くだけだ。
いや、わかってる。俺だってつい数時間前に伴侶を失った男に、あまりデリカシーのないことはいいたくない。
だが、仕方がないじゃないか。ふざけていないと、何ともやりきれない思いに押しつぶされそうになるんだから。
ビルギッタのやつ……。
あんなにこの交易のあとにはおっさんと所帯を持つと息巻いていたのに……。
俺は旅程の間、折に触れてビルギッタが話していたことなどを思い出す。ビルギッタの乱暴な口調、味の濃い料理、いかにも若い頃は暴れ回った感じの装い、挙措。
もうあの人が冷たい土の中に眠ってるんだな、と思うと、悲しさがこみ上げてくる。
いかんいかん、これではハスドルバルを励ましに来たのか、一緒に悲しみに沈みに来たのかわかならないではないか。
んで、また下ネタとかを一人呟く。
おっさんはなにもいわない。ただ、俺の話すくだらない話題を聞くともなしに聞いているようだった。
配給の飯は雑役が交替でつくるという話しになる。
とはいえ、ヤルミルは片目を失明する怪我をしたばかりだからその仕事を外れ、残るのはディナクとドゥシャンだけ。
ディナクの料理? まったく食べたいと思わない。皆が同じ気持ちだったから、結局、ドゥシャンが担当することになる。フンコロガシの野郎はその手伝いだ。
晩になって運ばれてくる水っぽいその料理を、俺たちは黙って胃袋に注いだ。
どこかで料理のできるやつをキャラバンに加えないと、メンバーが次々と脱落するのではないか? そんな味だった。
to be continued !! ★★ →




