act.76_その他の人々
カレ村からヨーステンまでは行程30日。この間は国家権力の及ばない空白地帯だ。用途地域でいえば灰色地帯ってことだな。統治機構が何に利用するにしても、今のところ魅力を感じていない土地ってことだ。
この世界はこうした空白地が広大だ。それだけ人間種の数が少ないともいえるが、同時に、その土地を改良し、人間が住むのに適した場所に変えていく力が弱いのだともいえる。魔法で土地を改良するような方法はないのかとヨアンナに訊いたが、そんなものは聞いたことがないという。
「そのような便利な術があれば、豊かな土地を廻る争いというものも減るじゃろうな」
と、ヨアンナは俺の発想を褒める。
「ナレに何か方策があるのなら、そのような研究に人生をかけるのもよいのではないか?」
「方策ですか……」
俺は言葉を濁す。
正直言って東南アジア研究で准教授まで上り詰めた俺には、農業改革の1つや2つは思い浮かばないこともない。だが、なんか違うんだよな。
開発途上国に入って研究に打ち込む学者にも2種類の人間がいて、一方は、自分自身の知識をもって、その土地の改革に乗り出す者。もう1方は、調査地はあくまで調査地であって、研究者もまたあくまで研究する身である、という立場。つまり、後者は、調査地に介入せず、そこに広がっているものをテクストとして読み解く。
これはまぁ、どちらがいいとはいえないところがある。いいところもあれば悪いところもあるからだ。前者は、あるいはその土地の社会に繁栄というか資本主義的な「加速」みたいのをもたらす。後者はその土地をその土地のままにして、人文学会にフィールドの温存された知見をもたらす。
うん、どちらも甲斐のある仕事ではある。
ちなみに俺は後者の、介入しない研究者だった。
だから、ってわけじゃないが、何しろいまの俺は奴隷でしかない、これらの放棄された土地を改良して、人の住みやすいものにするという仕事には、いまひとつ気が乗らない。せめてなにか、俺に関わる人間の目のまえの問題としてそのようなことがあれば、どうにかしたいと思うかもしれないがな……。
俺は鎧竜にのって斜め前を進むヨアンナをみる。加速と減速のサイクルに従って、カソックの下の双丘が僅かに揺れる。いまごろあの双丘のあいだを、秋の涼やかな風が通り抜けているんだろうな。俺はそれを肺いっぱいに吸いたい。いまはそんな気分だ。ぐふふ……。
……
……
その日の夕方、ソーナからの誘いで、俺は荷車の脇で夕食をとることになった。何でもカトーがオッスと何か打ち合わせがあるらしくて、一緒に食べないからだそうだ。まぁそうだな、俺のご主人様であるカトーの横顔をみながらのんきに食事してソーナと猥談をするのはちょっと奇妙だ。俺にできないわけではないが、何かしっくりこないものがある。
そんなわけで、配給がはじまりそこかしこでたき火が焚かれるころ、俺は荷車のグループに加わった。
その日の輪にはソーナの他に、ハスドルバルとビルギッタ、客人のナスィールが加わっている。ただ、ナスィールのやつは俺の顔を見ると無言で距離をとって、輪に加わるというより、輪の外から俺に怪訝な視線を向け続けているといった方がより適当かもしれない。
あとの2人はごく普通に歓迎してくれた。
「あんたら、親しいの?」
と、雑役のビルギッタが俺たちをみていう。この30半ばの人族女性は、実質的にソーナの側女になっていて、とはいえキャラバンつきの雑役だもんだからなかなか遠慮がない。この夜も、カトーの盟友であるハスドルバルの前で、なかなか微妙な話題をぶん投げてくる。
「親しいということはない。でも、カナエは私の話を理解できる才能があるし、傭兵やキャラバン隊員としての仕事にも習熟している。だからいろいろと相談に乗ってもらうことがあるの」
お、おお。ソーナもわりと直球で返して、俺はなんだか赤面してしまう。約30才の男性。
「たしかカナエ君は、初めてキャラバンに拾われたときは、私の部下として資金の管理をさせたらどうかってララが言ってたね。それが傭兵としてかなりの腕だとわかって、そういう話はなくなったけど。考えてみれば、若いのにずいぶんといろいろ仕事ができる。たいしたもんだよ」
ハスドルバルは俺を孫でも見るような目つきで眺める。よせよ、おっさん、あんたはトアを失って、ちょっと、俺ぐらいの年齢の子供に対して、弱くなりすぎだぜ……。まぁ、あんたが言ってることは事実だし、俺のタレンティブさは持って生まれた才能としかいえないくらい光り輝いているがな。うん。
「じゃあ、ソーナと結婚して、カトーの後を継いだらいいのよ。さっさと奴隷から解放してさ。悪くないじゃん。こういう機会を逃すと、なかなかいい巡り合わせって来なくなるのよ。私みたいにさ」
「はぁ。え、ビルギッタさんはその、お一人なんですか」
俺はおずおずと聞く。なんとなく、その質問をビルギッタが望んでいるみたいだからだ。
「そりゃあね。こんな2年越しの交易行についていくくらいだから、王都にダンナと子供なんていやしないわよ。まぁ、あたしもこれで昔はモテたから、子供の一人は作ってんだけどね。その子、元主人にとられちゃって、いまはどうしているか」
「あ、そうですか……」
てか、このおばさん、なにを話したかったんだろう。
「でもさぁ、あたし思うのよ。まぁ聞いて? 女やってこの年になると、いろいろ考えることもあってさ。いまのソーナとカナエみたいな出会いって、本当に大切にしたほうがいいよ? やっぱこの世界にはさぁ、カルマの導きみたいなのがあると感じるのよね。ワイフストリーム? 教会が言うことはともかくとして、男と女の巡り合わせというのは、奇跡みたいなもので、それを疑問に思ったり躊躇して理由をつけたりしているうちに、その運命は色あせていくの。だからさ、話通じるな、とかって気づきがあったときは、もう全力で突っ込んでいく方がいいのよ。そういう合図なのね、気づきは。私さいきん、そういうことを考えるのよねぇ」
「「はぁ……」」
「うん。そうかも、そうかもしれないね」
ワイフじゃねーよと思いつつ、俺とソーナが曖昧な返事を返したのに対して、ハスドルバルは星空を眺めたりしちゃって、深く頷く。てか、おっさんこそ妻と子供はいないのかな。見た目こそちょっと軟弱で小太りだが、若い頃は整っていた可能性もないことはない容姿をしている。金勘定が得意で、町々で物資を調達する才能があるくらいだから、商売もできるんだろう。そうかんがえると、王都に家族を待たせていてもおかしくない。
「ハスドさんは家族待たせてないの?」
「俺か。俺は、いたんだけど、その……。逃げられちゃってね」
「はぁ……。そうなんですか」
「そっかー、じゃああたしと似てるじゃん。いろいろと、お話しできることもあるかもしれないわね」
ビルギッタは鋭い目つきでハスドルバルを見る。なんかこう、予定調和というか、俺とソーナをだしにして、そんな話題に踏み込んでいった感があるが……。
「そうかも、そうかもしれないね」
ハスドルバルがビルギッタをみる。2人が眼でお互いの魂を探る、そんな雰囲気がただよってる。
あーっと、俺、なんでここに呼ばれたのかな? ソーナをみると、ちょっと赤面して地面をみている。ひょっとして、最近ずっとこんな感じだったのかな。
しょうがない、ってかんじで、俺は炊きあがった大麦の『ふすま』をソーナのさらにどんどん盛っていく。初めは躊躇っていたソーナも、食べて気を紛らわせようと決めたのか、途中からはもぐもぐと食を進めていく。
ハスドルバルとビルギッタはお互いの手を取り合ったりしながら、小声で何かつぶやき合っている。
うん、まぁ、いいよ。2人とも嫌いじゃないし、いい組み合わせなんじゃね? あんまり興味が湧かないけどさ。
俺は荷車組にだけ支給される新鮮な野菜をとって、ソーナに食べていいか訊く。どうぞどうぞ、って感じでソーナがそれをとって、俺の口元へもってくる。ほ、ほう、って感じで俺は勢いよくそれにぱくついて、ソーナの指もちょっと食む。慌てて引っ込めるが、すでにお寿司で、唇に指先と爪の感触が残される。
「な、なにすんのよ……」
「あー、ごめんね。指まで咥えそうになっちゃった」
「……だって、わざとじゃない」
「いやぁ? たまたまだよ。それより、これ、トマトみたいなやつだけど、食べてもいい? 傭兵の配給はどうもビタミン不足でね」
「ビタミン? なにそれは。……まぁいいけど。野菜が食べたいのね。じゃあ、どうぞ」
そういってソーナは自分の取り分であるレタスみたいな野菜を俺のさらに寄越す。食べ物を受け渡すには近寄らないと難しいから、自然と隣りあって、皿の中のものを交換したりする。ソーナの息が俺の頬にあたり、指と指が触れる。
「なんか、ちょっと、近づきすぎじゃない?」
「いやぁ? お皿の上のもの、交換してるからね」
「……そう。そうよね」
とかいいながらもソーナはかなり意識しているみたいで、動きがちょっとぎこちない。
ハスドのおっさんは、とみると、なぜそんなことをする必要があるのかわからないが、1枚のローブに2人の身体を包んで、指相撲をしている。隠語とかじゃない、指相撲だ。この世界ではああいうのが男女の秘め事の始めにあるのか?
おなじくその景色を見ていたらしいソーナは、目のやり場に困った態で俺を見るが、かえって何かの合図めいた視線になったのに気がついて、誰もいない方角をじっと睨んだりする。
「……あのさぁ、この前は、カネヤリに襲われたとき、荷車を守ってくれて、ありがとね」
と、意を決したように言った。俺のほうはみないで、知っている星座の一つも無い夜空を見上げながら言ったのだった。
「そのお礼はもう聞いたよ。僕だって、トアに続いて、ソーナまで失いたくない。ソーナを失ったらどうしたらいいかわからなくなってしまう」
「え……どうして?」
「うーん、なんだろう。ソーナが商人として身を立てるという話を聞いたときから、それが実現されるように手助けするというのが、僕の大きな物語の一つだから、かなぁ」
俺はおもったことをその場でさらっと言うが、ソーナは驚いてそれを聞いている。
ややあって、雲が月の明かりを陰らせたときに、俺の手の甲にそっと指をつけて「ありがとう」と、言った。
その夜にハスドのおっさんとビルギッタがどうなったのかは、2人だけの秘密だ。
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ドエイ川を越えて25日目。キャラバンの前方に炊事の煙が見えてきた。
そこへ来るまでの途中にも、僅かな畑地を開いて生活する農家がちらほらと見受けられた。
それらの零細な農家を食料源として、あの煙の立っている場所に、目指す町ヨーステンがあるのに違いなかった。
南下をひたすら続けて、気温の低下は止まっている。
一度身を覆ったマントは薄汚れてすり切れたところもあるが、それ以上厚着をする必要は感じられない。
俺たちはだんだんとこのホシの赤道付近に近づいている。
to be continued !! ★★ →




