act.64_三つのカラダ
日が傾く頃までそうして椅子に座っていた。てか、他に行くところもないんだけどね!
やがてヨアンナの私室から衣擦れの音が聞こえてきた。離れた身廊からそれが聞こえるということは気がつかないうちに超感覚をオンにしていたのかもしれない。
起きてすぐに私室に入られるというのも落ち着かないかもしれない。そう思って、俺はもうしばらく時間が過ぎるのを待った。
すぐに日が沈んできて、外は金色に染まる。月明かりは緑色なのに、日中は物が補正のない色を照り返すのって、なかなか不思議なものだな。とにかく、そんなだから、夕暮れはチキュウと変わらない。
俺はそろそろかと身を起こして立ち上がる。目のまえではスプラッシュ像が金色に輝いている。いまぐらいの時間にこのように陽を照り返すように計算されたのかもしれない。そのくらい見事に陽を浴びている。なんだか肌がちりちりと刺激されるのを感じながら、ヨアンナの私室へ向かう。
扉をノックするとすぐに返事があった。名乗ってからドアを開ける。ドアが軋みながら開き、室内が視界に入ってくる。
ベッドの上で、ヨアンナは眠りについたときと同じように、青白い顔を気怠げにしている。肺病、と、俺の僅かな医学の知識が再び警告をあげる。
「お加減はどうですか?」
「うむ。くるしゅうない。久しぶりに上々な目覚めでおじゃるな。ナレが訪れてくれたからかもしれん」
「ちょうど夕暮れていて、外がきれいですよ。すこし、外に出てみませんか?」
俺の提案に、ヨアンナは意外そうに目を上げた後に、頷いて同意する。ゆっくりと身を起こして、たて肘をつく。どうにか上半身を毛布の下から引きづり出して、枕元に座る姿勢になる。
「すまぬが、すこし手を貸してくれぬか?」
俺はその姿に衝撃を受けていたが、慌てて近寄って手を貸す。日中に身を支えたときよりも、さらに身体が軽くなっている気がする。いや、そんなことはないだろうけど、つまりはそう感じさせるほど身体の衰弱が激しいのだ。
考えてみれば前にムンド村に来てから、僅かな日数しか経っていない。何の病気かは知らないが、患者の体力をあっというまに奪っていく。
肩を貸してヨアンナを立ち上がらせて、二人三脚になる。一歩一歩慎重に進みながら、どうにかこうにか身廊を抜ける。
扉口に立つと、一瞬で全身を金色に染められた。
夕日の暖かさを全身で感じることができる。照らされたこと以外なにが起きたわけでもないのに、衝撃で立ち止まって辺りを見回してしまう。
俺はそれが良い傾向に思えて、にこにこと笑顔を浮かべる。
「なんとも見事な日暮れでおじゃるなぁ」
ヨアンナもつられて笑顔になっている。
このひとがこれほど素直になっている表情を初めて見たかもしれない。まぁ、それくらい良いタイミングで俺たちは教会を出た。
いくらか体力を取り戻したらしいヨアンナは、途中から俺の肩を借りずに歩くことができるようになる。自分の脚で立っている方が、この景色を存分に味わえるだろう。
そうやって俺たちは村の外れまで歩く。キャラバンが留まっている場所とは反対側の、緩やかな丘陵だ。
風化した岩をみつけて、そこに二人して腰掛ける。集落の方を眺めると、金色に染められた建物がうらうらと輝いている。住民が一日の仕事を終えて、片付けを勧めているのが垣間見えている。木造の家々からは、夕餉の煙が立ち上っていた。
「なんとも美しいものでおじゃるな」
「そうですね。人の強さのような物を感じます」
「人の強さでおじゃるか。ふむ。……たしかにそうかもしれぬ」
ヨアンナは感心して何度も頷く。
「ムンド村の人口は増えているのですか?」
「いや、増えてはおらぬな。若い人間は、みな王都へ行く。村に残るのは、広大な農地を引き継いだ長男だけよ。あとは、よその家の長男に嫁いだ娘じゃな。この辺りの村は、王都があまりに近いから、規模を大きくするのはなかなか難しい。若い人間が吸い込まれてしまうのでおじゃる。むしろ、村の発展というものを考えたら、人を増やすよりも、文化を発展させることじゃな」
「教育ですか?」
俺が訊くと、ヨアンナは目を細めて口角を上げる。
「まぁ、そうじゃな。……たったこれだけのやりとりでも、ナレはどう考えても見た目通りの者ではあるまいな。生の最後にきて、なんとも不可思議なものを見せつけられた思いじゃ」
言い終わると、ヨアンナは大腿に両手をおいて背筋を伸ばす。やせ衰えたとはいえ、気風のある、しなやかな女性の体つきになる。
「それで、ナレは何者でおじゃるか? もはや隠す意味もあるまい」
うむ。それが聞きたかったんだよな。
「昼間にもお伝えさせていただいた通り、いまは教えられません。実際に覚えていないかはともかく、この世界について知らないことが多すぎるし、僕自身、あたまの中で意味の繋がっていないことが多すぎるんです」
「そうか。これから旅に出るものに、なかなか罪なことをいうでおじゃるな……」
「いや、そうはさせない。というのも、この世界で僕が存在することには、なにか意味があります」
「ほう……」
「その存在の意味を理解して、実行するにはあなたの助けがいります」
「ほっほっほ……」
「そして、僕は、自分がどのように振る舞うか、自分自身で選択して生きるつもりです」
笑っていたヨアンナの顔から、気安さが引いていった。その後には懐疑というか、怒りというか、学者が目のまえの問題について何かひらめいたときに見せる、あの、何とも人間らしい野心に満ちた表情になっていく。
俺は人がときおり見せる、この表情が大好きだ。
良い傾向、だな。
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つぎにヨアンナがなにを言い出すか、俺は黙って待っていた。
いつの間にか日がすっかり沈んで、辺りは暗くなっている。
いまやムンド村の集落は僅かなランプの明かりしかついていない。家の中で明かりをつけていたとしても、村人はその明かりが外に漏れないように、細心の注意を払っているだろう。くらい中でまぶしく光りには、良いものも悪いものも惹きつける力がある。それは迷信ではあるが、あるいみ真実だ。
ソーナはうまく断ることができただろうか。
俺は恐ろしく澄んだ星空を眺めながら、そんなことを考える。カトーをうまく説得できていれば良いな。そうすれば、これからも明るい笑顔でいられるというものだ。そして、あのパンダ顔の少女が、これからめきめきと熟れるとき、あー、俺はどうしたら良いんだろうか! 自分を制御できそうもないんだぜ!
……
……
……
……
「……ワレも一緒に堕ちてみようと思う」
ヨアンナが星を見ながらいった。
たぶん俺が見ていたのと同じところを見ている。
それは恒星に見えているが、俺の超感覚では星雲だ。
はるか遠く、人が到達することができない遠方で、ひょっとしたら、その星雲の中にも生き物の生存可能な星があって、いまの俺たちと同じように夜空を見上げているのかもしれない。ありきたりな想像だが、どうしてもそんな考えが浮かんでくる。
「たいへんうれしいお返事です。ほんとうに、ありがとうございます」
「うむ。できれば……、できれば、ホシの命が喜ぶような光景を見たいものじゃ。これはワレの願望じゃな。罪を抱えて、そのように望むなどと、おこがましいかもしれぬが……」
「いええ。絶対に後悔させませんよ。よい光景を見られると約束します」
「ほっほっほっ……、そうだといいのう。まぁ、ワレが病を克服できるかどうか、それがもう危ういことではおじゃるがな」
そう言ってヨアンナは低く笑いを靡かせる。
村の影のあたりに小さな人影が見える。その人影は誰かを探して、うろうろと所在なげにさまよっている。俺はその人に向かって声を上げる。その人は手を振ってそれに応える。
「ソーーナ! ヨアンナが治療に協力するってさ!」
俺は口元に両手を添えて大声を出した。
人影の足取りが軽くなり、俺たちのほうへ小走りに近づいてくる。
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3人で教会の私室に戻った。
ソーナには首尾を訊きたいのだが、彼女の足取りの軽さがもう答えを教えてくれている。果たしてどんな会話が為されたのかわからないが、カトーは折れたらしい。娘と授爵、天秤にかけたとき、娘を選択したということかな。俺には厳しいが、ソーナのことは聞くんだな。いいお義父さん、じゃなくて、お父さんじゃん。
「もうワレの病が癒えたような顔をしているが、この肺病は宿業、気持ちだけで快方に向かうものではない。カナエがソーナに期待する気持ちはわかるが、なにごとにも限界があるということをわきまえるでおじゃる」
ヨアンナはそんなことを言って、俺の期待に自制を促す。自分も一緒に堕ちると約束してくれながら、生き長らえるものとはそれほど期待していないんだな。
それでも付き合ってくれるといったんだ、この人は。自分がもうすぐに死んでしまうかもしれないのに、これまでの信心を抛つようなことを……。
俺はヨアンナの手を握って、もう一度、昼間のウィタの流れを思い浮かべる。
あの、外界からウィタを集めて、手を握ったヨアンナの身体へと流れ込ませる感覚だ。ああいう、仲介の仕事をつうじて、あるいはソーナの回復魔術を強化することができるんじゃないか。
この人が寝ている間に、俺はそんなことを考えていた。
それが果たしてうまくいくかどうか、論理的に繋げられているわけではない。だけど、やるしかないでしょ。いまでしょ!
ソーナに視線を送って頷きあう。
ソーナがヨアンナの患部、胸のあたりの衣を剥いで、青白く血管の浮いたバストが露わになる。飛びつきたくなるが、ここは我慢だ。さすがに状況というものがあるからな。TPOだ。ジェントルマンだってことをおもいだせ。俺なら我慢できる。
「あの、ちょっとだけ、その……」
「ん、なんじゃ?」
「えーと、埃が、そこに……」
「そうか。すまぬが払ってくれ」
「あ、そうですか、では……」
俺はソーナの脇からぬっと手を伸ばす……
ビシャン!
が、その腕が強烈な打撃を受けて打ち落とされる。般若のような形相のソーナが俺を見ている。うん、そうだよな。わかってる。集中だ。それしかない。
俺は再び両手を添えて、ヨアンナへウィタを流れ込ませるイメージをする。
「……始めるよ?」
ソーナが体内回路に魔素を廻らせて、ヨアンナを恢復させる働きをもったウィタを練っていく。
その魔素の気配を感じたのか、ヨアンナも体内で魔素を廻らせて、ウィタを充溢させていく……。
ソーナの手とヨアンナの胸の間が光り始める。赤外線なのか、俺はその光りに温かみを感じる。両者のウィタの流れが、患部のなにかに纏わり付いて、緩やかに作用していく。これで、これで病気が治ればいいのだが……。
……
……
……
……
1時間ほどが過ぎて、ソーナの額からは大粒の汗が垂れている。ヨアンナはいくぶん血色がよくなっているが、それでも息はかすれて苦しそうだ。見た目の話でしかないが、それほど改善しているようには見えない。
なにかこう、患部が劇的に健全な組織に変化するような、そんな効果を発したようには見えない。
よし。それならば……
俺はヨアンナを勇気づけるように手を取って、どうにか糸口を掴んだ、昼間のウィタの流れを試してみる。
これもまた謎の幸運が作用してなのか、それとも女神がどこかで俺と取引でもしたつもりなのか、目のまえでは以前と同じ、透明なウィタのゆがみが見えてくる。
ソーナとヨアンナの二人は……、やはり気がついてない。……いや、いま、ソーナがぴくりと何かに反応した。険しい目をしたまま薄く目を開けて、ヨアンナの表情を確かめたりしている。胸騒ぎでも感じたのだろうか。
そのソーナの両手を包むようにゆがみは広がって、やがて、ゆっくりと浸透していく。
ソーナの顔が険しくなる。いつもと違う何かを感じているのだろうか。
これは賭だ。劇的に改善するか、悪化するか。ソーナの違和感は、吉か凶か。
俺にも結果はわからない。わからないが、これが俺の選択だ。
目をこわばらせていたソーナはしばらく患部のあたりを見ていたが、やがて再びその目を閉じて、魔術に集中し始める。
どうなる?
……
……
それは急激におこった。
俺の目のまえ、ウィタの注ぎ込まれ、患部を癒やしているその場所で、白光がまばゆく駆け抜けプラズマのように室内を奔る。
ソーナの口が驚きで開かれて、ヨアンナはどこか遠いところを見るかのように、薄く目を開ける。
俺は一部始終を見届ける。
プラズマの放射の中心で、ヨアンナの目が突然開かれる。
ぐっ……
と、果たして声になったかどうか、呻く音が漏れて、すぐに止む。ヨアンナは僅かに足をばたつかせて、身動きを止める。
ソーナが慌てて光りの中から手を引き抜いて、まるで両手が失われたかのように、それをさすって存在を確かめている。
ヨアンナが驚きの目でゆっくりと顔を上げてソーナを見る。
二人が目を合わせて、やがて、患者の方は微かな笑いを浮かべてから、浮き上がった上体を深々と寝所に沈めていく。
俺はその身体を支えようとするが、それは脱力ではなく、ヨアンナの意思が籠もっている。
よ、よかった……。俺は一瞬、彼女が死んでしまったんじゃないかと……
ぷはぁ、く、はぁ……
ソーナが止めていた息を急激に吐く。
「な、なにが、おきた?」
「わかんない。わかんないけど……」
ヨアンナの胸から黒い煙のようなものが一筋たちのぼり、聖堂の石壁に消えていく。
俺はそれを見て確信する。
賭には勝った。ヨアンナは病を克服したんだと。
to be continued !! ★★ →




