act.55_霧の魔術
ハスバルドルと雑役たち、飼育係の2人から頼まれて、俺たちは出立する。カトーを含めた11人、全員が歩行だ。
陽が暮れなずみ、ちぎれ雲が早く流れている。
逢魔が時、なのだろうか。獣の気配が感じられなくなり、虫の音もまだ響かない。
ヘッジロー沿いに広陵を目指して走ると、木々の間から極彩色になった陽の名残が射し込んでいる。
俺はさっきから殿を任されている。
任されているっていっても、早足で敵の陣地へ移動中だから、後ろを警戒する必要なんてぜんぜんない。一番最後をついてこい、っていうだけだな。背の順みたいなもんだ……。
いや、ぜんぜん背の順じゃない。俺の前は客人の魔法使いナスィールが走っている。こいつはウドの大木みたいなもんで、近接戦なんてなにもできないだろうに、背だけはやたら高い。200センチはあるな。これで魔法使いだっていうんだから、世の中わからない。
まぁ、魔法使いが身長高くっても悪かないけどさ……。てかこいつが前を走ってると、前が何にも見えないんだよな。
おまけに……
ビュッ
っとぉ……。俺は風に煽られて飛んできた分銅をぎりぎりで躱す。
こいつ、わざとじゃねーの? 腰に巻いたチェーンがたびたび俺の眼前に走ってくる。当たったら歯が折れるくらいのダメージがありそうだ。
わざとにしてはせこい嫌がらせには違いないが……
ビュッ
おおっと。あぶねぇ。ったくぅ。
ビュッンッ
おおうっ。今度はフックを噛ましてきたな。
ナスィールが振り向いて俺を見る。また避けたか、ってかんじで気怠そうに眉をひそめる。チ、と舌打ちのような音が漏れる。俺は意図を図りかねて眉をひそめるが、ナスィールは取り合わない。
まぁ、たぶん故意じゃないんだろうけど。ちょっと不作法だよな。
1時間ほど移動しただろうか。耕作に適してないのか、灌木林の広く繁った窪地で俺たちは歩みを遅める。林の縁からは通り過ぎてきた迷路のようなヘッジローと、裸になった麦畑が黒々と広がっている。陽がすっかり沈んで、辺りは暗い。雲がでていて、月明かりもない夜だ。フクロウがどこかで鳴いている。
俺たちは汗ばんだ肌を藪の羽虫に晒しながら、物音に耳をすます。
いまいる窪地から少し離れたところに、風化した低い崖があり、それが砦のある広陵の縁だ。崖まではよく見えているが、広陵の上がどうなっているのかはわからない。
森の木々が妖しく枝葉を茂らせているから、そこよりも高いところの様子は邪魔されてよく見えない。樹幹がバリアーのようになっていて生命の気配が満ちている。俺の超感覚でも、そこを突破して何かを感じ取るのは無理だ。
先を進むオッスとサイネアが足下をならしてくれているが、それでもローブや靴に草木が絡みつく。どこかに水が湧いている。脚の下ろす場所を間違えると、たちまちずぶずぶと靴が沈み込んでしまう。ナスィールのやつは恐ろしく器用に頑丈な足場を踏んでいく。俺はたまに自分の判断で、よりしっかりとしているように見える岩を踏むが、それこそワナのように沈み込んで慌てて飛び越えたりする。
古木が葉を堆積させたスペースで皆が足を止めた。
カトーが手先で合図して、俺たちは顔を寄せ合う。オッスとサイネア以外はみなが揃っている。
「客人」
と、カトーが囁き声で呼ぶ。
「ここにいます」
ナスィールが俺の横からぬっと顔を伸ばす。む、なんだか心強く感じられるな。なにげに頸筋の筋が太く、筋肉の塊が伸びてきているようだ。
窪地は湿度が高く足場も悪い。おまけにさっきから羽虫の大群に囲まれているから不快この上ない。だが、俺たちの怒りはかえって高まっている。なんの益のない戦いかもしれないが、傭兵というのはやられっぱなしを嫌うようだ。俺自身、矢を射かけられ、知り合いを殺された怒りが、ふつふつと腹の中に湧いている。
肌に纏わり付く虫すらも、襲ってきた連中の手先のように感じて、音を立てないようにするために耐えているが、内心ではさらなる怒りを感じている。みな同じじゃないだろうか。いまならこのメンバーで小さい城ぐらい襲撃できそうだ。
暗がりにナスィールとカトーの顔が浮かんでいる。
「客人の術で広陵の上に霧を出せるか?」
「若干風がありますので、この窪地のあたりから立ち上らせて、上を流れさせることはできるでしょう」
「十分に濃い霧になるか?」
「1メートル先の相手が切れ切れに見えるくらいにはなりましょう」
ナスィールは辺りを見回しながら答える。
「それならば十分だ。……このなかで飛び道具がいちばん得意なのはだれだ?」
皆の視線が一斉にレオナに向く。唯一の女性の傭兵で、肩と腰にはクナイをたくさん下げている。クナイって言っても、片刃の鍔のないナイフだ。メインの武器は背に背負った短槍だ。人族で30才くらいだろうか。茶色い短髪で濃い眉にちょっと離れた目。
視線を集めたレオナが頷いて、「たぶん私だね」と答える。
「そのナイフはどのくらいの距離まであてられる?」
「叫び声を上げさせないように倒そうと思えば10メートルくらいだね」
「見張り台の上にも投げられるか?」
「身をさらせる場所からなら、10中8,9はいける」
「よし。では、斥候と合流し、いいタイミングであれば、真下まで移動する。客人にはすぐに霧を流してもらう。十分に満ちたら、見張りを順に倒す。すぐに砦内が騒がしくなるだろうが、高台に一人ずつ登れ。あとは飛び出してきたやつらを順番に仕留める」
その指示に皆が頷く。
「霧の魔術はさまざまな毒を混ぜることができます」
と、ナスィールが口を挟む。カトーは目を光らせて先を促す。
「このような地形であれば、イッチフォグ、痒みをもたらせるのがよいでしょう。盗賊たちはそれを自然な現象と思い、緊張感のないまま霧から逃れようとします。そこをあなた方で攻撃されたらよろしい。たやすいことでしょう」
ふむ……。霧の魔術、なかなか恐ろしい魔術だ。これは見学できるいい機会だな。可能なら俺もまねしてやってみよう。
「色や匂いで気づかれはしないか?」
コリー族のタービィが訊く。襲われたときに歩哨で活躍した男だ。
ナスィールは首を振って否定する。
「朝方であればわずかに黄みがかって見えるかもしれませんが……、この時分であればだれにも気づかれますまい。仮に気がついたとしても、霧から逃れる以外の選択肢などありません。結果は同じです」
あ、なんつーか、こいつ怖いやつだな。イッチフォグとか、何度も試したことがあるって言っているようなもんだ。実際に、戦場で何度も使ったんだろう。結果を知っているのだ。
魔法都市ブルラーイって、わりと戦争のための魔術を研究していたりするんだろうか。
タービィは頷いて引きさがる。
他に何かあるか、と、カトーが皆を見回すが、見つめ返すだけで言葉はない。「よし」と、カトーが立ち上がり、皆が続く。
ララが俺の肩を叩く。なに? と、見上げると、優しい顔をして耳元に口を寄せる。
「飛び込んでいっちゃ、だめよ。トアはあなたが傷つくことなんて望んでないからね」
「わかってるよ。ララも気をつけてね」
俺たちは頷きあう。
再び移動を開始して、先行していたオッスとサイネアが加わる。二人ともがけの縁で身を隠していたらしく、俺たちが灌木林から抜け出した頃にいつの間にか集団に加わっていた。
「11人いる。騎馬は砦に戻る途中だ」
「距離は?」
「あと1時間くらいでここに戻る。砦に騒ぎを感じたら、その半分で戻るだろう」
カトーは頷いてナスィールを見る。いいタイミング、ってわけだ。
ナスィールは黙って距離をとり、灌木林の窪みが一望できる場所に座る。テーブル状の岩の上で、座り込み手を広げる。
俺はちょっとどきどきしながらそれを見つめる。王都のウィタ騎士は、水色だったり緑のウィタを身体から立ち上らせていた。ナスィールはなにも言わなかったが、この場所であんなように身体を輝かせていたら、たちまち盗賊に気づかれる。まさかそんなまねはしないだろう。
だが、俺もそうだが、魔術を使うときは体内と周囲の魔素を身体からあふれ出させて、なんらかの輝きやゆらぎをおこす。それなしに魔術をこうしする人間を見たことがない。こいつはどうなんだろうな、なにか方法があるのか。
俺はやがてナスィールの周囲に魔素が集まり、役割を持ったウィタが立ち上るのを感じる……。こ、これは、と、俺は驚かされる。ナスィールの周囲にはたしかにウィタが立ち上っている。しかし、これは光ではない。熱だ。熱気のウィタを纏っているのだ。
なるほど……。俺はいたく感心する。エネルギーとウィタとはどのくらい相関性があるのか知らないが、物質に働きをもたらすときに、その不効率さ、周囲に発散してしまうエネルギーというものは大まかに4つの様相を呈す。すなわち、音、振動、光、そして熱だ。
つまり、誰かが荷車を引きずったとき、荷車の移動という仕事における不効率さ、ロスしたエネルギーというものは、車輪の音、荷車の振動、光……まぁ荷車は光はしないが、あとは車軸と車輪との間の熱になる。
その程度が甚だしいと、その荷車はエネルギー効率の悪い荷車、ということだ。
だがまぁ、魔術における身に纏うウィタは、すべてを放出して効果を発する、だから熱を強烈に立ち上らせていても、それは不効率と言うことではない。
それだけ高エネルギーの術を行使するということに他ならない。
俺は再びナスィールを凝視する。
やつの周囲で空気がゆがんでいる。雲に遮られ拡散した月明かりが、かすかな、だが確実なゆがみを見せている。
霧が、灌木林の樹幹から静かに立ち上っていく。
……これは、なんていうか、物理的な話をすれば、とんでもないエネルギーのはずだ……。
山肌を這う霧の固まりが、風に煽られて移動していく、そんな景色を見たことがあれば、俺の目のまえで起きている事態を思い浮かべられるだろう。
まさにあの景色で、暗闇の中を霧が這っていく。広陵の崖を登り、そこでいくらか棚引いて……
いや、より濃さを増して、あたりを覆っていく。
ナスィールは座ったまま玉の汗をかいている。やつの周囲の熱気が、どこかへ伝わって霧を発生しているわけではない。ウィタはどのようにしてかわからないが、霧の固まりをつくって、自在に動かしている。電波? それとも……念力ってやつなのか? だが、俺の科学知識がそれを拒否する。次元を横断するような作用が起きている気がしてならない。
ナスィールと霧の間にたったなら、なにか感じられるのだろうか。
to be continued !! ★★ →




