act.43_夜明けからの経緯とドブスライム
俺は体重をジュリー様に預けて、彼女のうなじあたりに顔を沈める。
唇に触れたやわらかい後れ毛を口に含み、鼻腔で深呼吸をする。
ああ、うめぇ……。いい匂いだ……。
いつもの癖で、相手の尻あたりに手を伸ばして、ぎゅっと、力強くつかもうとする。
が、ビクンッ、と、身体が離れて、俺の目のまえに困惑したジュリー様の顔がフェードインする。
あ、れ……、あ、そうだった、そうだった、俺まだ10才だったわ。ついつい昔の癖で……、やばいのか? これ?
ツ、と、喉のあたりに冷たいものが触れる。そいつの触れたあとはちくちくと僅かな痒みが残って、熱が籠もる。その感触は俺になにやら警告してくる。
「きさま、どういうつもりだ……」
俺の首に磨き上げられた剣の刃が当てられている。
お、おおう……。
刃を柄のほうへ追っていくと、控えめに装飾の施された鍔、力強く柄を握る黒い拳が現れる。しなやかに伸びる引き締まった腕、一筋白く残る古傷。下着の袖先にレザーの留め具と簡単な防具、ゆたかに盛り上がった健康なバスト、きめ細やかに肌の輝く頸筋、真一文字に閉じられた厚い唇。
敵意でランランと輝くモウラの双眸が俺に向けられている。
「あ、す、すいません。なにか、まだ意識がはっきりしていなくて……」
「きさま、黙って聞いていれば、さきほどからユーリンデ様に無礼な口利きの数々、多少の手柄もあるからと大目に見ていたが……、やはり下賤な生まれは隠せないか」
「モウラ、そのくらいにして」
ジュリー様が振り向きもしないで、モウラを制止する。怒ってはいないが、それ以上の間違いを許さないという厳しい声だった。
俺はなんだか二人に対して申し訳なくなる。
俺って、こういう人間だからさ、ちょっと馴染まないんだよね。あまりにまじめな人たちが、な。
いつもならそれで興味を失ってしまうんだが、いまは違った。よくわからないが、二人に対して、もっと役に立ってやりたいような、冷静になればばかばかしい忠誠心みたいなものが俺の心に沸き起こった。
なんだこりゃ、と、自分自身あきれて俺は力を抜く。
ジュリー様は身を解放されると、気が済んだ? というように首を傾げて微笑んでみせた。おいおい、ジュリー様、そんな純粋では、貴族の社会でまともに生きていけないんじゃないの? 貴族社会がどのようなものか読書でしか知らない俺でも、そのぐらいのことは想像できるけど……。
後ろでうつむいているモウラの表情が見てとれる。
眉間にしわを寄せて、厳しい顔をしている。これでは、辛い目に遭う、そんな言葉が聞こえてきそうだ。
そうだろうなぁ、モウラちゃん、まだまだあんたの助力が必要みたいだよ、ジュリー様。
「たいへん失礼しました。寝ている間に母の夢でも見たのかもしれません。病人の譫妄であったとどうかお許しください」
俺はそういって頭を下げる。
ジュリー様は素早く俺の手を取って、いいえ、と、首を振る。
「私は君に抱きしめられてうれしかった。君の体温は暖かかった。君は私の頼んだ通りに、無事に帰ってきてくれた。そして、それだけでなく、身を挺して戦い問題の解決に力を注いでくれた。私はその恩をけっして忘れません。できることがあれば何でもいってください」
「恩だなんてとんでもないです。それが仕事ですからね」
「仕事というだけで、こんな働きはできません。君は本当に命を落とすところだった……」
「それは僕の流儀でしかありません。これは仕事ですよ」
ジュリー様は少し怯んで、目を微かに潤ませる。傷つけちゃったかね。
でもさ、ジュリー様、あなたの騎士になって大恋愛だなんて、奴隷の俺にはできないわけよ。しょうがないじゃん。
そりゃ、おもわず抱きしめて匂いかいで尻のあたりへ手を伸ばしちゃったけど……事故だと思ってくれや。
俺はそっと息をつく。
「こうして正気付いたからには、パーティの部屋に戻らせていただきます。手当てをしていただいたこと、たいへんありがたく思います。バルバステラ家のご厚情にはいずれできるかぎりの働きでお返しをいたしたく思います」
俺はそう言ってからもう一度ベッドから降りようと試みる。すかさずジュリー様が手を貸してくれるが、俺はそれをやんわりと断る。
シャーリー、シャーリー、と見渡して、ベッドの脇に立てかけてあるのを手に取る。またもや杖代わりにして、二歩三歩とドアのほうへ進む。
「ジュリー様の小剣は返してもらったぞ」
と、モウラが呟くように伝えてきた。さっき切っ先を向けてきたときに比べて、だいぶ元気がない。こいつもいいやつだよな。
俺は頷いて脇を過ぎる。
「カナエ!」
背後からジュリー様のゆがんだ声が響く。俺は振り返り、素早く頭を下げる。目を逸らしたままドアを閉める。
どんな顔をしているかは見なかった。
俺の目のまえは頑丈な無垢板のドアが室内を遮っている。中からは何の物音もしない。
なんつーか、かっこつけすぎたか?
まぁ、いいか。
それよりも、だ。
俺は少し離れた隣室のドアへ向かう。
こっちの方が問題かもな。一応話をしてから出発したけど、完全にスタンドプレーになっちゃった。
パーティーに誘っておきながら、ちょっとまずい結果かもしれない。
護衛が任務で、俺がおねんねしている間ずっとそれを担ってくれたわけだから、手柄を主張する気はない。でも、人の噂、印象は違うものだ。いや、それ以上に……。
ソーナは俺のご主人の娘だし、ララは剣術の師匠、てか生存術の師匠みたいな恩人だ。
よく、話しておかないとな。
ごくり、とつばを飲み込んでから、俺は『マッスル・マーチャンターズ』があてがわれている部屋のドアを開ける。
二人の視線が俺に突き刺さる。
丸椅子に座りテーブルに肘をついていたのが、俺を認めるとしゃきんと背を伸ばして目を見開くソーナ。窓際に立ち目を伏せて心配げな表情を浮かべるララ、手を伸ばして支える仕草をしながら俺に近づく。
「カナエ! 目を覚ましたのね!」
ララは飛びつくように側まで来て俺を抱きしめる。柔らかな毛と肌着とが俺を包み込む。おおう、ひさしぶりのお日様の匂いだ。
俺の存在を確かめるように頬ずりをして持ち上げる。おーい、おーい、完全に宙に浮いてるんだけど……
ま、いっか。
「くるしいよ、ララ」
しばらくして俺はそう伝える。
「ああ、ごめんなさいね。まだ気がついたばかりなのに……。もう、むちゃをして……。まだベッドに寝ていた方がいいはずよ」
そういいながら俺を降ろさずにベッドまで運び、ゆっくりと横たえる。あー、お姫様になったみたい?
「脇の傷はまだ痛むんじゃない? 熱は? ごはんは食べられるの? お腹空いた?」
「あー、いや……」
俺は調子が狂ってしどろもどろする。そう、ララってこういう人だったな……。
「うん、大丈夫だよ。傷はまだちょっと痛むけど、体調はいい。お腹も、ちょっとしたら空いてきそうな気がする」
「そう……。よかった! カナエが目覚めて! 宿屋の前で倒れているのを見つけたときは、もうだめかと……」
そう言ってララは大粒の涙を垂らす。手を添えて俺の姿勢をそっと変えながら、傷口のあちらこちらを調べる。少し炎症を起こしているところを見つけたときは、指先で撫でたり、頬を寄せたりして具合が悪くないか確かめたりする。
脇腹の傷にはジュリー様が呼んだ医者によって軟膏が塗られていて、包帯が巻かれている。あ、軟膏が塗られているってのは、匂いでわかる。えもいわれぬ薬品の匂いだ。
いい薬をもらったわね、と、その匂いを嗅いだララがいう。ララにはこの匂いはきつすぎるはずだが……。
最後に向き直って真剣な顔つきで俺と目を合わす。
「危ないことは私が手伝うって、いったじゃない」
「そうだね、ごめん」
「どうして、一人で危険な戦いを?」
「チャンスだったんだ。それに……」
「それに?」
俺は言葉を飲み込む。あのとき感じていた、万事うまくいくように図られている感じは、説明してもわかってもらえないだろう。自分自身、あれがそのときの精神状態、アドレナリンがどばどばでていたせいなのか、本当に肌でそれを感じていたのか、気持ちのどこかに理性のどこかでロジカルに理解していたのか、はっきりしない。
しかし、なにか違和感があったのは間違いない。
いまではそれがどんな感覚なのか、ヒモの端を手放してしまったのか、つかむことができない。思い出そうとしても、伸ばした手はくうをきってしまう。
「いや……、判断を誤った、のかな」
「馬鹿なことをしたわね。でも、あなたはまだ子供なんだから、それは私のせいだわね。わたしがもっと、側にいて見ていてあげないといけなかった。ごめんなさいね……」
「いや、そんなことないよ! やられたら、それは僕が馬鹿なせいだよ。この世界で生きていく力がなかったってだけさ」
ララは眉を寄せて困惑した表情になる。堰を切ったように、またぼろぼろと涙を流す。
「寂しいこといわないの。悲しくなるじゃない」
いいながらもう一度俺を抱きしめる。
俺はララの首回りの長い毛に包まれながら、その合間から見えている、背後に立っているソーナと目が合う。
ソーナは反感から俺のほうを睨みつけていたのだが、ララの行動に衝撃を受けたのか、目が合った瞬間から動揺して苦しげに表情を変える。顔を背けて、目元をぬぐう。
泣いてやがんな。
「……いろいろいってやろうと思ってたのに。言えなくなったじゃない」
と、指でぬぐっていたのを甲でぬぐい始め、鼻をすすって赤い目で睨みつける。
うん、なんか、悪かったよ。反省する。
「反省する」と、俺は小さな声で言う。てか小さな声しか出ない。まいったな。
しばらくそうやってみなで鼻をすすった。
それからしばらくして、ぽつりぽつりとララが状況を説明し始める。
俺がでていったあと、何事も起こらずに警備は続いた。
なにもいわずに出発したことにソーナは怒っていたが、ほかのメンバーは冷静に受け止めた。相手の情報を収集するのは誰かがやるべき仕事だったからだ。エルムトのほうが適任なのに、とチェスはいったが、少しの間思いを巡らせる程度だった。あなたの実力を知っているからかもね、とララは言い添える。
夜になり、未明になった。宿屋の前で誰かが倒れていることに気がついたのはララだった。2階の窓に身を寄せて、通りを確かめていたのだった。襲撃に対する用心というよりも、カナエが帰ってくるのを見逃さないためだった。
階下へすぐに知らせて、警戒していたデルトガルが負ぶって運び込んだ。
ホールに運び込まれたが、怪我を負って気を失っているということがわかり、すぐにジュリー様のベッドに移された。知らせを聞いて降りてきたジュリー様本人がそう指示したのだという。
すぐに侯爵家と繋がりのある回復術士と医者が呼ばれた。応急処置はソーナがしたが、悪い毒が入ったのか、高熱を出していた。
すぐにやってきた術士と医者とは、ソーナが施した応急処置を褒めながら、もう一度傷口を消毒し、回復の魔術を施した。あとは本人の気力次第だと言い残して二人は去って行った。心配するみなを警備に戻して、ジュリー様とモウラが俺の身体を洗った。
「洗った?」
俺は聞きとがめて口を挟む。
「だって、ひどい臭いだったわよ?」
「完全にドブスライムの臭いだった。部屋中臭くなったんだから、当然でしょ。なにやったらあんな臭くなるのよ」
「ドブスライム……」
「そうよ。家の下のピットで汚物を溶かしてる生き物。デュクシって呼ばれているうちに、ドブスライムを呼び寄せたのかもね!」
ソーナは貶していうが、もう許している声だ。なんつーか、かわいいとこあるね。いや、かわいいんだけどさ。
それにしても、俺、たぶん、ドブスライムの海で泳いだかも?
俺が目を覚まさないまま教会からの返答を待って、宿屋の警備は続いた。
使者に気がついたのはエルムトだった。正面ドアの警戒の当番で、相手はゴッザムトの使用人だった。身を改められ南門兵士とモウラとに抑えられながら、使者はジュリー様の前で、調停による解決を提案した。なぜこのタイミングで変節したのかと問うジュリー様に、ご存じでしょうに、と、使者はアジト襲撃の結果を告げる。
それによれば、あの戦いの後、ガマィンはまっすぐにレドリアン、ブルーム両王子の滞在する場所へ行ったらしい。そして、バルバステラに手を出すのは控えるように、と進言したという。
両王子は頼りにしていたガマィンが教会の意向としてそう提案するのに、拒否することはできなかった。
「と、いうのはジュリー様がおっしゃられた推測もあるのだけど……」
と、ララは説明する。
俺はおおいに納得して、その通りだろうと思った。
ガマィンの意図はわからないが、事態はそう動いたに違いない。
いろいろと、わからないところでうまく動いたんだなぁ、と、なにか感慨深くさえある。
そうか、ゴッザムトとバルバステラは和解へ進みそうか。
よかったな、ジュリー様。
to be continued !! ★★ →




