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act.38_狂気の前進

ビッチュウ! ビゼン!28万石!


まぁ、何だな。

いま感じ取ったのがはたして冒険者のものなのかどうかわからない。

だが、一度捕らえた人の気配は、俺の超感覚が捕らえて放さない。

少しずつ、少しずつだが、情報量が増えていく。


レザーアーマーがこすれる音。これは本当に微かな振動だぜ? はたして人間にこんな空気の揺れが感じ取れるものなのかな?

俺はちょっと不思議に思う。


対象と俺との間はたぶん、30メートルくらい離れている。途中には整えられているとはいえ、広い通りがあって、その先に家の連なり、左に二軒移動して、やつの気配がある。つまり、斜め向かいだ。当たり前だが風も吹いている。弱いけどな。

そんな中で、身を潜めている人間の微かな身体の動き、身につけた装具の擦れる音、ベルトのバックルが軋む音、もっと集中したら、体内の血液の音まで聞こえちゃうんじゃね? これは実際に知覚しているというより、俺の妄想なのかもしれない。


いや、そんなことは信じられない。

自分を騙すことができない。

確かに感じ取っているんだ。そいつの気配を。


まぁ、男だな。

肺に響く空気の低さでそう感じる。

わりとがっしりとした体格だ。鎧も、斥候にしては大仰なのを着ているな。所々に金属を使っている。ベルトのバックルはその金属部分に当たっているんだろうな。これはわりとかちかちと鋭く響いている。


だが、30メートル先の、呼吸でぶつかる金属音だぜ?

なかなかおもしろい能力をくれたな、糞女神は。いずれあいつの指令をこなしていかなけりゃならなくなりそうだ。


……


……


む。

気配が身動きをする。

これまでになかった音がいろいろと混ざってくる。


ときおり風が強く吹いて、音が途切れるが、すぐにまた聞こえてくる。

まるで指向性集音マイクでロックオンしたような状態だ。


ひょっとすると、見張りの交替の時間なのかもしれない。

姿が見えない状態だと、いくら気配がしたところで飯を食うのか、姿勢が疲れたのか、どっかかゆいとか、すぐにはわからないが、仮に見張りの交替だとしたら、それこそ絶好の機会だ。

その機会を逃してはいけない。


俺はいざというときに移動できるようにするにはどうすれば良いかと考える。


そいつは通りを挟んで向かい側にいる。ということは、追跡するには大通りを渡らないといけない。

これは実はすごく難しい。身体を相手の目から遮るものがないからな。例え外套のない暗闇であっても、月明かり、この世界は月が3つもあるから、やたら太陽の光を反射する。つまり明るい。位置はまちまちだが、おおむね同じ方向に並んでそれぞれ三日月に近いかけ方をしている。この世界にきたとき1/8くらい欠けていたから、新月を通り越して満ちかけているわけだ。

いつ頃かわからないが、やがて満月になるんだろう。


その3姉妹が照り返すもんだから、通りはダークグリーンに薄明るい。微かに雲の流れが模様をつくっている。何とも風情があるが、いまはじっと見てはいられない。

さて、どうするか。


どうもこうもねぇよ!

床下這いずり回って、回り込むしかねぇだろ!

牛の群れでも通りかからない限り、見つからずに通りを渡るなんて不可能だろ!

牛出せゴラァ!


ちきしょう、ちきしょう……。


俺はあきらめてふたたび辛い行軍を始める。


宿屋の隣り、隣家其の1を渡りきり、隣家其の2の基礎を視界に納める。

むちゃくちゃくせぇ。死ね。


隣家其の2の床下に入り込む。

糞が。

下水の匂いがする。下水の溝が近くにあるな。

エルムトのサーコートのことも少しは考えてやれよな! ったく。


隣家其の2を渡りきる。

見張りの気配はまだ捕らえているが、少し間遠くなった。

これで40メートルは離れているな。

宿屋の建物が見づらくなった。


だが、ここで通りに身をさらしては、やはり危険だろう。あいても暗い中でずっと目をこらしているんだ。まぁ視認されるな。


そう考えて俺は隣家其の3の床下を這い進む。隣家其の4の床下を視界に納め、潜り込む。

くそ、口の中に何か入った。

……もういいよ、もうたくさんだ。

通りのほうへ向かい、換気口から様子をうかがう。


さて、どうだろうな。この場所ならどうにか渡りきれるかもしれない。

近く営業している娼館でもあるのかもしれない、わずかに賑やかな声、光と影の揺らめきを感じる。ドアが開け放たれていて、その前を人が通り過ぎるものだから、通りの月明かりが揺らめく。

這って進めばその揺れの中に紛れ込めるかもしれない。


俺は息を止めて心を静める。


……よし、いくか。いつまでもこうしてはいられないからな。


が、そのときにふと、地面から震動を感じ取る。

なんだこれは? 地震? そりゃ異世界とはいえ、プレートテクトニクスはあるだろうが、今かよ?

いや、まてよ。


俺は慌てて通りの右手、王都の貴族街と平民街を分ける内城郭の方角をみる。


なにか、来る。

月明かりに、背の低い、なめらかな毛並みがちらちらと映る。

あれは……


牛だ!

牛の群れだ!


牛の群れがやってくるぞー! あは、あははははぁ!

今でしょ! 


俺は世界の理不尽さ、人生のむなしさを感じながら牛の群れに紛れ込む。


なぜ牛がいるかなんて、どうでもいいんだよ! 牛が今ここにいる、それがすべてだ。

疑問とか、そんな余計なことを挟んでいる暇はない。


エルムトのサーコートを脱ぎ、両腕を拭いたあと隣家其の4の床下に放り込む。

はい、綺麗になった。

もう大丈夫。

疑問とかは一切無しだ! 無しなんだよ!


ド・ド・ド・ド・ド・ド・ド・ド……


……俺は果たして正気なんだろうか?

そんな不安が頭をよぎる。


ともかく、通りを横切って、向かいの家並みの影に身を滑り込ませた。

牛たちはあっという間に通りを過ぎて、はるか先へと消えていった。


通りには再び静寂が戻り、月明かりに照らされて動くものはない。

なんとなく気になって、建屋の壁を掌でさする。


うん、存在している。このざらつき、漆喰のハゲ具合、壁面のランダム性、どう考えても演算で想像するなんて不可能だ。

目をこらせばノミのような小さい生き物が見えてくるし、一歩下がりすがめれば、長年屋根からしたたった雨水が、壁面に模様をつくっているのがわかる。

存在している。

すさまじい偶然の積み重なりでできあがった、カオスな世界だ。


俺はなんだか落ち着いてきて、静かに息をつく。

牛のことは忘れよう。それがいい。


神経を集中させて、敵の気配を探る。

うむ、まだ同じ場所にいる。


いや、さっきまでなかった気配が、そいつのすぐ後ろにいるな。

これは、たぶん、交代の要員だ。

とすると、牛の群れはなんて絶妙なタイミングで通りかかったんだろうな。

俺にとっては幸運だが、これから立ち去ろうとする見張りにしてみれば不幸なことかもしれない。


捕らえていた気配は場所を移動し始める。

6軒先の気配だ。我ながらとんでもないことだが……、まちがいない。


俺は裏へ回り、石畳の路地をゆっくりと進む。

宿屋の前辺りまで進むと、さらに慎重に歩みを進め、それから……、とうとうそいつを視界に収める。


うむ。冒険者ガイの舎弟だ。

間違いない。「レザーズ・エッジ」とかいうパーティだったな。

確か名前は、ひょろのウーピン。名前の通り、痩せた20半ばの男だ。

ガイたちに悪い印象はなかったが……、敵になっちゃったな。しかたがない。


ウーピンは辺りをうかがいながら建物に沿って通りを内城郭のほうへ進んでいく。

まずはよし、ここで王城のほうへ進んでいかれたら、俺のすぐ隣を横切るし、アジトが貴人の邸宅にある可能性が高まってしまう。

だから王城から離れていく、内城郭のほうへ進んだのは幸先が良い。


酔っ払いでも装っているのかふらふらと不用心に進み、通りをいくつか横切る。

たまに空を見上げたりして、いかにも無害な町人に見える。

だけど、ずっと宿屋を見張っていたことを知っている俺からすれば、疑いようもなく斥候だ。


すっと、角を曲がり込み入った路地へ入っていく。

放置された洗濯物が万国旗みたいに垂れている路地だ。

下手に音を立てたら、壁面に反響して感づかれてしまうかもしれない。

俺は膝を曲げ重心をさらに下げる。


……


……


ひょろのウーピンは路地の十字路を4つ進んで立ち止まった。月見でもしているみたいに所在なく辺りをうかがって、通りをまたいだ建物へ近づく。

ドアの前で、よろめくように身体を1回転させ最終確認、建屋の中へ入っていく。


よし。これでアジトだか宿屋だかを特定した。

俺は再び慎重に進み、ウーピンの消えていった建屋の脇に身を寄せる。

煉瓦造りの建物の中から、複数人の気配が聞こえてくる。

アジトだとしたら不用心なことだが、ひょっとすると、ただの宿屋かもしれない。


ときおり耳をあてながら、隣家との隙間を回り込む。

壁が厚くてあまり物音は聞こえてこない。漆喰も塗り直してから日が浅くて、綺麗に均質に塗られている。

瑕疵がないから内部の様子が探りにくい。

俺の大好きな床下は、覆いが隙間なく巡らされていて入り込む余地がない。


もうあれだ、ドアにかんぬきかけて火をつけたらいいんじゃないのかな、そんな考えがよぎるが、ただの宿屋だったら後味が悪すぎる。アジトだったとしてもそこまで非道になれないよ。侯爵家の名にも傷がつく。


俺はもう一周回って、今度は窓の位置を探る。

一階は異様なほど窓が少ない。二階には全面に四つずつ備えられている。ロープでもあれば登れるかもしれないが、見つからずに這い上がるのは難しい。窓際に誰かいたら一発だしな。


2階から侵入するのも難しそうだな。


よろしい、ならば正面突破だ。

正面突破せよと俺のソウルが囁いている。


正直言って、アジトを見つけたあと、ジュリー様に報告するためわざわざ宿屋まで帰るだなんて考えてなかった。

そんな子供のお使いみたいなことはしないんだぜ。

俺だってかっこつけてでてきた以上は、きっちりと仕事をして帰るつもりだ。


ベルトに差したシャーリー、その反対側にあるジュリー様の小剣。

それに加えて、俺には爆発の魔術と、魔素吸収能力がある。

まぁ、そうはいってもばかげているな。


これはあれだ、俺の糞女神への当てつけだ。

放っておいたら手駒の一つがあっさり死んでしまうけどいいの? っていう。

あと、なんだ、あまり俺らしくもないかもしれないが、ちょっと俺、疲れているかもしれない。


ロジカルシンキングしているところに牛の群れが現れたりとか、ちょっとついて行けない。

実は世の中、もっと単純にできているのか、それともやはり、細工されたヴァーチャル空間みたいな場所なのか。


人間同士の殺し合いの中で、何か感じ取れるんじゃないのか?

1人も殺したことのない俺が、いきなり敵のアジトに乗り込んで、生きた人間に棍棒を振り下ろせるのかわからないが……。


俺は握り慣れたシャーリーの柄を強くつかむ。


どう考えてもヴァーチャルな存在じゃない。

しかし、俺にはいまひとつそれを信じることができない。

現実感を失っている。


これはある種の心の病かもしれないが、俺は自分にそんなことが起きるなんて、それこそ信じられない。そうだ、病じゃない。

ってことは人間感覚的な、自然な反応だ。

自然な反応として、感覚を狂わされている。

そんな狂いは、筋肉で修正だ。


……よし。

殺せなくても、戦闘不能ぐらいにはしてやれそうだ。

やられちまってもアケネーにいくだけ。


いくか。

俺は何気なく通りに歩き出す。


もう見張りは俺を見つけていることだろう。

2階の窓に引かれたカーテンの後ろで、何かが動いた気配がある。

わかる、わかるよ。異常事態だよな!


俺のことも知ってるやつかも。

馬鹿が一人で乗り込んでいくぞ?

さぁ、どうする。


建屋の前に来る。

すたすたとドアに近づいて、思い切り蹴りつける。


ドッ!


豪快に蹴破れるかと思ったが、ちがう。

突っ込んだ脚だけがドアにめり込んで、穴を開けている。


アホが……。

もろいドアつくりやがって。


俺はケンケンをしながらどうにかこうにか脚を抜いて、後ろへ下がる。

そして、こんどは普通に手でドアを開ける。


建物の中の光が、通りへ強烈に漏れ出す。



          to be continued !! ★★ →

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