act.2_かみさま、女神様
……って、超熟睡したな。
なに食って寝たっけ?
ん……?
あれ?
俺はけだるさを感じながら目を開けた。
「いっ!」
てぇ! まぶたを動かしただけで連鎖的に痛みが走る。
文字通り、稲妻のような痛みが神経を駆け巡る。
人間、どんなときでも状況確認したがるもんだ。
刺激で涙目になりながらも、どうにか目を開けると、灰色い空が見える。
屋外に寝転んでるな……。
あー、なにしてたんだっけ?
研究室を出て薬局へ行って……、っ!!
あのまま気を失ってたのか。するとここは大学の敷地? 誰にも気づかれないで倒れてたのか? まさかな……。
が、起き上がろうにも体を少し動かすと激痛が走り、身動きが出来ない。
文字通り脳天まで突き抜ける鋭い痛みだ。
つま先から首元まで肉が裂けてるんじゃないか、これ。
なんてな。本当にそんななってたら、気を失ってるはずだ。
何か筋肉がショック状態になってるんだろう。じっとして回復を待つしかない。
それから体の状態を確かめよう……。
しかし、ここは本当に屋外なのか。
空? は見えているが、地面は白く、若干冷たく、どこまでも平らなステージのようになってる。
遠くはなにか揺らいでいて、地平を確認することは出来ない。それで、空は地面に似た色だが、い、いてて……。
顔を動かすとひでぇ痛みだ。ちくしょう……。
あー、で、空は、とくになんの動きも無いな。雲一つない、といえばそうなんだが、空気が流れてるようでもない。
というか現実かこれは?
死んでるんじゃないか、これは。
まぁ、それにしては体の感覚がリアルすぎるか。
となると、なにか緊急の処置でもされて、無菌室にでも転がされてるのか?
ちょっと現実的じゃないな。
く、いてて……。
まぁ、待つしかないか。
……
………
…………
……………
うん!? かすかに衣擦れの音がする。
うしろの方にだれかいるみたいだ。
いつの間に近づいてきたのか……。
声を、かけた方が、いいだろうな。
「おい?」
意外とすんなり声が出た。
「誰かいるのか?」
衣擦れの音が止まる。立ち止まったようだ。
「すまんが体を起こしてくれないか? 痛みで動けなくて……いて! いてて……、あんたの顔を見られないんだ」
俺は緊張して心音が若干上がるのを意識した。体が動かないなんて、いうべきじゃなかったか? この状況で。
だが、まぁ死に体だ。どうせ助けてもらうしかないものな。
「なぁあんた、そこにいるんだろ? おれはたぶんこの病院に救急で運び込まれたんだよ。
意識を失ってて、ちょっと状況がつかめないんだ。ちょっと、助けてくれないか?」
「ここは病院ではない」
返事があった。
女の声だった。学部長の秘書みたいな、相手を見下す事務的な声だ。そして、この声の女は間違いなく美人。
美人でなくては他者に対してこういう態度をとることは出来ない。
不細工はしぜんと相手に遠慮してしまうからな。
まぁ、ってことは、つまりおれの男気で攻略可能ということだ。
「おまえの男気など披瀝しなくてよい」
は? なんだこれは? 混乱して口に出したか? いや、しかし……。
「貴様は死んで肉体を失った」
はぁ?
「貴様の世界でいうエーテル体となった。これから生命の根源へ帰ることになる」
そりゃ、結構なことで。だが、このからだの痛みはどう考えても現実だ。つまり、ナンセンス。
たちの悪いテレビ番組? こんなときに、こんなまねが許されると思ってるのか?
「嘘だと思うなら、痛みに耐えて貴様の体を眺めてみるがいい」
もっともな話だ。言われるまでもない。俺は鋭い痛みを感じながら、無理矢理体を折り曲げる。
いっ……てぇ、いててて。
あった、俺の体……。全裸で、透けてやがる。
なんてこった。死んだのか。
って、そんなことが信じられるか。
俺は歯を食いしばって、芋虫みたいにして体をよじった。が、すさまじい痛みで、筋肉ががくがくと震える。
これは、あれだ。痛みで失禁って、ありだな。痛みそのものが物理現象だ。
体を、すりつぶされてるみたいだ……。
だが、これは痛覚だ。神経伝達物質が脳に作用しているわけだ。つまり、肉体は存在している。透明なのは気になるが。
俺は歯を食いしばって、声のした方へ体を向けた。
そして、そいつを視界に入れる。
光。
いや、かすかに輪郭がある。
人の輪郭だ。
が、後から光が当たってるのではない。
発光体そのものだ。
光る体、というか光る存在か。
こんな生き物はこの世に存在しない。とても興味深いな。新種か? 新種なんだな。やばいね、これを発見したということで、またネイチャーに名前が載ってしまうな。それにしても何科の動物だろうな。とても人に近い形状をしているが。
「わかったか。おまえは死んで、エーテル体となった」
「は?……じゃあ、あんたは」
「神の僕。貴様を導くものだ」
「女の、輪郭が、あるぜ?」
俺の視線を体に受けて、相手はかすかに身をよじった。
光る体がよじれると、そこだけ空間がよじれたようにも見える。
が、それよりも、俺が見据えたのは相手のバストのあたり。Cとみた。
トガリ具合からして、若い女だ。
「な、なんと穢れたやつだ」
神を名乗る女は、その光る両手で隠すように自分の胸にあてた。
「わるいな、健全な男子でね。それにしてもずいぶんと現実味のある神様だな」
「……それはおまえの期待の投射に過ぎない。そうあってほしいという心が見せている幻影だ」
「なるほどなぁ……」
女は咳払いをする。
「私は忙しい。いつまでも貴様と遊んでいる暇はない。用件を言おう」
そこで女の輝きが強さを増した。
まさに光の爆発だ。
俺の体の、骨格が背後に浮き出るんじゃないかというくらい、強烈な光だ。
しかも熱がない。
なんというオーバーテクナラジィ! どうなってるんだろうな。これが科学なら、神をも超えている。
いや、この際、そんな比喩はおかしいか。
「貴様には選択肢がある」
「それは結構なことだ。選べるというのは」
「だまれ。本内ならば肉体の滅んだ者はこのままアケネーへと向かい、生命の根源へ融けてゆく。記憶を失い、存在も万物と一つになり、貴様は無そのもの、有そのものとなるだろう」
女は右手を掲げる。手のひらのあたりに、黒いよどみが出来る。
それがしだいにゆがんで、また、まぶしく発光する。
光が収まると、また、黒い染みが生まれ、内部で何かが瞬き、赤や青い光があらわれては消える。
そして、暗く、小さく縮んでいき……。
俺はそれがなんなのか気がついておそろしくなった。
全身の毛が逆立つ感覚だ。
ちきしょう、宇宙だ。
あれは宇宙だ。女の手のひらで輝いてるのは、俺の見知った宇宙の姿そのものじゃないか。
なんてこった。
「無限遠点の先にあるいはまた生命として復活するかもしれないが、人間、あるいは思考をもった存在になることはないだろう」
手のひらの中で消滅した染みをつかんで、女はそれを胸に当てる。
染みは体の中にすいこまれ、霧散する。
は、はははは。
体が、うごかねぇ。
なんてこった。なんてこった。
「考えろ。その卑小なエーテル体で。貴様には選択肢があるといっただろう」
「なんだ、この上なにをやれというんだ。おまえなら何でも思いのままなはずだ。俺は、俺はおそろしい。なんだかわからん、そのアケネーとやらで、ゆっくりと……」
「……もう一つの選択肢は、下級の、そう、最下級の僕として、ふたたび現世へと戻り、使いとして働くことだ」
「つ、つまり」
「つまり、転生だ」
女の口元が笑ったようにみえた。
「転生?」
俺は恐怖に震えながら、必死で問い返した。
女らしき相手の前で不甲斐ないが、正直言って、無理目の相手だ。いたしかたない。
「神の使いとして、もういちど肉体を与えられる」
「元の世界にかえるのか?」
女はこんどははっきりと笑う。口元に影が出来る。
笑うとああなるんだな。
「ふふん、元の世界ではない。神が注目しているある惑星の、ある時代……。そこでお告げを実行する存在となる」
「あんたらのぱしりってことか」
「その言いぐさは不敬であるが、まぁ、そうだ」
身も蓋もないな。
だが、なんというのか、俺は急速に頭が働き始めるのを自覚する。
相手は俺に要求してきた。なぜかは知らないが、俺に何かやらせたいらしい。
それは俺でなくてはならないのか?
「貴様でなくても可能性はある。だが、これも一つの必然だ……」
「必然ね。では、俺が断る可能性はないのか? それは予測できない?」
「予測はできる。というか、すべてはもうある意味知られている。だがそれは、私には知らされていない」
「言いたいことはわかるが、奇妙な言いぐさだな」
ふーむ。つまりこいつらには階級があって、末端の奴らは知るべきことが限られている、といったところか。
こいつにも上司がいるってことだな。で、その上司が俺に何かやらせたいのか。
だが、俺が断る未来を、その上司が予測できるんなら、こんご思考をもった生き物にはならないという俺にとって、この話し合いに意味が生まれない。
その場合、この会話の意味は、この女にとってしか生じない。それもなにかおかしいよな。
ってことは、上司さんからすれば、俺が断る未来などあり得ない、ということだ。
まぁ、わからんでもない。
「俺は赤ん坊として生まれ変わるのか?」
質問すると、女はそのまましばらく考える。というか、停止してるみたいだな、これ。
「……それでは仕事が出来るまでに時間がかかってしまうからな。そうだな、ニンゲンでいう10才くらいの体をあたえてやる」
「それは元の俺、大良木鼎が若返った体か?」
「それも可能だが、あまり目立つようでは困る。貴様は新しい体を得ることになるだろう。それはいままでの貴様とは、肉体的には、根本的に違う存在だ」
え、ちょっと、まて。それはまさか……。
「ニンゲンだ。貴様らの想像する範囲ではな」
よ、よかった。これで蛇とかフンコロガシだったら、さすがの俺も、アケネーに帰るぜ。
「そして、使いとしてあまり無力でも困るから、いくつかの恩恵が与えられる」
まじか。ラノベみたいだ。
「じゃ、永遠の若さでももらおうかな」
そしてハーレムだ。この展開は。
が、そんな俺の思考を読んでか読まないでか、女は、っていうか女神? は残念なお知らせを口にする。
「転生したところで貴様はニンゲンでしかない。永遠の若さなど、血肉をもった存在に出来ることではない」
そうか。じゃあ、転生しても、いずれは老いて死ぬのか。
「当然だ」
「俺の他にも使いはいるのか? その、神様の」
「それは貴様が知る必要のないことだ」
秘密主義か。
「俺の仕事は誰かを殺してくるとか、建物に火を付けるとか、そういう破壊的なことか?」
「場合によっては」
「それはどのようにして俺に伝えられる? 仕事の内容は」
「伝令係として、下級の僕が付けられる。その存在が貴様へ仕事の内容を伝える」
「じゃあ、そいつが全部やったらいいんじゃないの?」
「それはできない」
「なんで?」
俺が訊くと女神はまたもや口角をクッとあげた。わらってるらしいが、どこか邪悪な笑顔だ。
「それが運命だからだ。だいたい、貴様はそんなことを気にすること自体、不遜というものだ」
「だがなぁ、気になるじゃんか。俺の前世での職業知ってるだろ? 社会学者だぜ? 世の中の仕組みってやつが、気になって仕方ないんだよ」
「虫けらのくせに世の中の仕組みがわかるなどと、思わないことだ。貴様は言われたことを、なにも考えずに淡々とこなせばいい。それが転生後の貴様に与えられた幸せ、まずそれを理解するんだな……」
「はぁ、なんとも殺伐としてるな。だがまぁ、飯を食ったりとか、その、セックス? とかはできるわけだろ?」
俺は激痛に耐えながら腰を振ってみせる。
「ひ、卑小な虫けらめ。……貴様には一通りの生物活動の自由が与えられる。せ、生殖行動も、できる。話を戻すぞ! 貴様には恩恵として、ひとつは優れた感覚が与えられる」
優れた感覚? おにんにんが敏感とか?
「ち、ちがう! そういう局部的なことじゃない!」
じゃあ、全身が性感帯とかそういう……、ちょっと俺、神様の意図を量りかねるが。
と、俺が女神を相手に楽しみ始めたとたん、ふたたびそいつは激しく光り始めた。
目を閉じても光の爆発から逃れられない。
ああ、こりゃあ、光そのもの、俺が光で、空間が光で、すべてが、光で……。
「これ以上、馬鹿と話しても無駄な時間だ。問うぞ? アケネーへ帰り消滅するか、転生するか、選ぶがよい」
「まてまてまて! わかった、わかったよ、転生する」
「そうか。では、貴様は自分の行いの愚かさのせいで、十分な情報を与えられずに、転生することになった。これにて、私は去る」
「サル? サルだったのか」
「く、黙れ。一応職務であるから、いっておくが、貴様にはいまいった優れた感覚と、他にもいくつか、恩恵が与えられる。それは自分で見つけるんだな。そのまえに死なないように、せいぜいあがけよ。ぷ、くくく」
「あ、それで、伝令係の人はどういう……」
そう問いかけたとたんに、俺は自分が床に沈んでいく感覚に捉えられた。てかこれは、落下か?
女神の姿が、というか光の爆発が遠ざかっていく……。
そのとき、俺は何か違和感を覚えた。
床になにか……、と意識を集中させたとたんに、俺の視界はホワイトアウトした。
to be continued !! ★★ →