act.104_その人の名は
「ナレを横たえてオースンを吹き飛ばしてのち、あやつはアイラインの防具をあさった。胸当てか何かを奪ったようじゃな。それからウーのマントを吟味しておったが、気に入らなかったようじゃ。そのままにして立ち去ったわ。キャラバンの荷車や、他の傭兵のことなど見向きもせなんだでおじゃる。あれはなにか、まともな存在ではあらぬな」
「僕もそう思いました。不死者は何度も蘇り、世代を渡って意志を貫くと聞きましたが、まさしくそのとおりで、それ以外のことなど眼中にない。自分の為すべき事だけを考えていて、身なりや、外の世界や、武器や防具でも着飾ることなんて思いもしない。食事なんてなにを食べているのか、想像したくもない……」
「そうじゃのう。不死者とは、世の理をこえておる」
「なぜ、ライフストリーム教会はあの2人をパラポネアに派遣したのでしょうか? 長年戦いを続けているのなら、不死者があのような、ほとんど触れてはいけない存在であると、知っていたはずではないですか。どうにかしようと思えば、もっと強力な戦力を送り込まなければならないと、わかっていたはずなのに。まるで、無駄死にじゃないですか」
「のう、カナエ?」
ヨアンナ師はしばし黙想してから答える。
「やつらはよく戦った。相手の力量については、知っておったじゃろうな。それでも、怯まずに挑んでいった。それはナレも認めるでおじゃるな?」
「もちろん、そのとおりです。ですがなおさら、教会の、悪意みたいなものを考えないではいられません。あの2人以上に強い人間がどれだけいるのかわかりませんが……」
「あやつらにしてみれば、不死者との戦いは、信仰のカタチでおじゃる。ナレはその信仰にも疑問があるやもしれぬが、このホシで、ライフストリームの教えを信じて生きているものにしてみれば、信仰を貫くことは、生きることの意味そのものでおじゃる。わかるか?」
「なんとなく」
死んだウィタ騎士の装備をあさる不死者の姿を想像しているうちに、急速に眠気が襲ってくる。
「野蛮で理不尽なこの世界にあって、生きることの意味は、何者にも見つけられることではないのじゃ。苦しいだけの生、汚辱だけの生、戦いだけの生もあろう。そやつらが傷つき倒れ伏し、暗闇の中で明日を迎える意味を考えたとき、信仰というものはまばゆい輝きを放って、行く先を照らす。たとえそれが断崖へ続くものであってもじゃ。
ナレにしてみればそやつらの信心はまがい物かも知れぬ。信じるべきなにものかは、すべて幻想に思うやもしれぬ。しかし、何かを信じ、明日を迎える強さを得る人間の姿は、否定できぬのではないか? そやつらの存在は現に、目のまえにある。信仰によって、生きることの意味を見いだす姿がな。それがあやつらの強さじゃった。
信仰というものがまやかしであるとしも、それによって誰かが厳しい生を全うできるのであれば、そこには代えがたい価値がある。のう、そうは思わぬか……」
「ん……」
俺はなんだか自分というものが小さくなった気がしてくる。
ああ、まだ身体が回復してないんだな。そんなことを思ったのは、うつつか夢の中か。
……
……
眠りと覚醒を何度か繰り返した。
ソーナもヨアンナもいつも側にいてくれたが、起きてるのはいつもヨアンナ師だった。
3回目に目覚めたとき、荷車の中には2人の他にレオナも横たわっていて、中は薄暗い。どうやら夜明けか宵の口か、夜番しか起きていない時間らしかった。
俺は身体にかけられた毛布を避けて、重傷を負ったはずの右手を動かしてみる。ピリッっと、肩にまで鈍い痛みが走る。それはむしろ、切断しなくて済んだという安心をもたらす。
月明かりが幌の中をかすかに明るくする程度だったが、眼前に持ってきた右腕に欠損はない。骨の突き出ていた箇所には、血で汚れたガーゼが当てられている。それを慎重に剥がすと、火傷のように皮膚の爛れた疵が残っているが、まぁ、塞がっているといえる。
指先を動かしてみる。やや感覚が鈍い気もするが、麻痺というほどではないだろう。
よかった。
この世界で身体に障害があったりしたら、人生はなかなか厳しいものになるだろう。たとえ、死後はアケネーに還るだけだとわかっていたとしても、できるなら、この世においては不自由なく暮らしたいものだ。
俺は荷車の中を這い進んで、後部の幌から顔を覗かせる。
夜番の囲むたき火が離れたところに見えている。斥候の誰かが小高い場所に陣取って、背中を向けて周囲に目を光らせている。3つの月が輝く夜だった。
野営地の周囲には灌木と茅のような、根出の細長い葉が茂っていて、草原の様相を呈している。記憶しているパラポネアのがいきより、いくらか暖かくなっていた。
眠っている間にキャラバンは高地を下って、亜熱帯のステップ気候や湿地の草原が混ざった、遷移帯に来ているらしかった。
風が吹き、辺りには草木の奏でる賑やかな摩擦音が広がる。
なんだか生きていることがうれしくなり、不覚にも涙が出た。
ふと、チキュウのことが思い出された。
前世では、婚約者がいたのだった。
ずいぶん邪険にというか、おざなりに扱った気がした。あの女も、一度きりの人生を歩んでいたのだった。
芹沢亜衣。婚約者の名前。
この世界に来て初めて思い出した。
あれほど俺を信頼して、慕ってくれていた女性だった。それを、俺はいままで一度も、名前すら思い出さなかった。
芹沢亜衣。
どこかで、生きているんだろうか。幸せにしているんだろうか。俺のことを思い出すことはあるのだろうか。
涙が流れて、手の甲に落ちた。その表面に緑の月光が乱反射している。
……
……
衣擦れの音がして、俺はあわてて涙を拭った。
こんなすがた、キャラバンの連中にいられるわけにはいかん。
ねころがるみなを踏まないようにして慎重に身を寄せてきたのはソーナだった。
振り向くと、眉間にしわを寄せて慌てた様子で俺の目を覗き込んでくる。目の縁が赤くすり切れている。
無事だよ、と、笑ってみせると、目を強くつぶって座り込む。
グスグスとしばらく泣いた。
「なにを泣いてるの」
しばらくして、少し落ち着いてのを見て俺は話しかける。
「あんた、らしくないことしないでよっ。死んだかと思った……」
目の周りの、荒れた肌をなおもこすりながら、ソーナがゆがんだ声で言う。その姿になぜか芹沢亜衣の容姿が重なる。ぜんぜん似てないのにな。
「悪かったよ」
うむ。悲しませるようなことは、すべきじゃなかったな。
「あと、その……」
「んん?」
「武器を持って、あいつを引き寄せちゃって、……ごめん」
ああ、まぁ、それがきっかけだったな。だけど、ソーナちゃんの恐怖を思えば致し方なかった。目のまえでウィタ騎士2人が、鉄の棒で殴り殺されたんだからな。
うむ、悪いのはすべて兆行だ。
「あの邪悪な不死者が悪いんだよ。ソーナは悪くない」
「でも、カナエは、あいつが私たちに関心がないって気がついて、武器を捨てろって言っていた。私、それが頭に入らないくらい、怖くて、混乱していた……」
「ソーナはまだ子供だからね。怖いのはあたりまえさ」
「あんただって子供じゃない」
ん? ああ、まぁ、そうなんだけど。
「ええっと、僕はこれでも一応戦闘奴隷だからさ。いざというときの覚悟というか、すべきことっているのはわかってるつもりなんだ」
「死ぬ気で庇われたって、うれしくないよ」
「ああ、それは、誰だってそうだよね……」
俺がもたれかかっている、荷車の後部衝立にソーナも身を預ける。2人並んで衝立に顎を乗せて、外の景色を見ている格好だ。ソーナは安心したのか、先ほどの鬼気迫る様子はなくなって、眠たげな、おちついた表情を浮かべている。
ああ、この人も一度きりの人生を、今夜はこの場所で過ごしているのだな、と、俺は言わずもがなのことを実感する。
顔を寄せ合っているので、俺はその容姿の中に、じつは眉毛が少しあるんだということに気がつく。平滑で色白で、眉毛なんてないんだと思っていたが、うっすらと産毛のような筋がある。
なるほどなぁ、と思いつつ眺めていると、気がついたソーナが恥ずかしそうにマントのフードを目深にする。
「とにかく、私の商売をあんたにも手伝ってもらって、それで、王都の屋敷を買い戻すんだからね? それまで、その、死んだらだめなんだからね! 死ぬのは許可しないっ」
「へい」
了解。合点。アイアイサー。
「よし。覚えておきなさいよ……。あーあ、あんたの手当でほとんど寝てなかったから、眠くてしかたないや。顔色だって悪いしさー。たいへんだったなー?」
いいながらソーナはおずおずと顔を寄せてくる。
恥ずかしそうに顔を赤らめて俺の目を見る。緑色の虹彩が燦めいて、羞恥心と戦うようにして見開かれている。
「目をつぶんなよ」
いいながら俺は出迎えて、唇を重ねる。顔を離す。
にっこり笑ったソーナの顔がある。
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「カナエ君、君はすごいな。僕は結局、飛び出していくことができなかった」
ドザの監視所が遠くに見えていた。
夜中に目が覚めてソーナと話をしてから、もう8日経っている。巨大な1枚岩の上に築かれているという監視所は、たどり着くのにまだ1日半かかるという場所からも見て取ることができる。
人の住む街、っていうか監視所が見えてきて、キャラバンの移動速度は心なしか速くなった。
俺は戦列に復帰して、以前のように鎧竜の背に跨がっていた。
金髪色男のオッシアンが、豊かな前髪を掻き上げつつ、俺の横でさわやかな笑顔を見せている。俺が回復してこころからうれしそうにしている。イケメンは、心もイケメンだ。ゆがむ要素が人生に存在しないからな!
「あのときオッシアンが冷静に声をおかけてくれたから、僕も落ち着けたんですよ」
「そうか、そう言ってくれると、気が落ち着くよ。ありがとう、カナエ君。怪我の後遺症などはないかい?」
「頑丈にできてまして。ちょっと、休んでいる間に身体がなまっちゃいましたが、大丈夫です」
「そうか。……そうか」
オッシアンはよかった、と、深く頷いてから、キャラバンの側面の護衛に戻っていく。あのときのことが気になっていたが、これまで怪我の回復に努めていた俺に遠慮して、声をかけられないでいたらしかった。もう、イケメン、ほんとにイケメンなんだから……。
風に靡く金髪を指先でかいて後方に靡かせている馬上、っていうか鳥トカゲ上の姿を、俺は何となく腹を立てながら眺める。背筋がぴんと伸びていて、鳥トカゲを操る姿もさまになってる、てか、これ以上ないくらい凜々しい。あれで傭兵なんだから世の中わからんな。
「じきにドザの監視所につくでおじゃる。ナレはみなに礼を言っておくのじゃな。パラポネアよりこのかた、なかなかの悪路であったが、みながナレの回復を祈って、荷車の安定に骨を折ったぞ?」
そんな俺の様子を見て、隣で鎧竜にまたがるヨアンナ師が言う。いや、別に見とれてたんじゃないですよ的な手振りを交えながら、俺は何度か頷いてみせる。
そんな話はソーナからも何度か聞いていて、悪路の山岳地帯などは、担架のようなベッドを交替で担いでくれたりもしたらしい。それから、これはいちばんの重要な情報なんだが、意識を失っている間、すりつぶした食べ物を恵んでくれたのは、ヨアンナ師だという。んで、パラポネアを出発したその日の晩は、口移しで恵んでくれたんだという。ソーナはそれを、少しはなし憎そうに俺に伝えていた。
まぁ、なんだな。
俺はヨアンナ師のきりりと張りのある、それでいてふくよかな唇をガン見しながら思う。目が覚めてるときにやって欲しい。そうしたら、この自在に動く舌をヨアンナ師のそれに情熱的に絡めて、そのまま次のステージに躍り込んでいくのに。
残念ながらそのときの記憶はない。
ただ、その話は事実であろうから、いまやヨアンナ師の口内細菌は俺の口の中で繁殖しているであろう。俺はそれだけで満足だ。代えがたい恩恵だ。ある意味、俺たちの一部分は合体した。偉大な一歩といえる。
「このあたりはどのような勢力が支配しているのでしょうか?」
忘我の数瞬のあと俺は気を取り直してきく。
「うむ。パラポネアよりドザ監視所まではだれの支配も確立しておらぬ、空白地帯じゃ。ドザ監視所はウーナンダ義寧国。ドザ以降はハザール、ハザール連合国が支配しておる。ドザの先、二つの小さな村までがハザールの領土じゃ。それから港町ピリクカカンじゃが、ここはワーヌ南海王国の支配地となる。ワーヌとは群島を領地とする海洋国家でおじゃるなぁ。まぁ、ワレの学んだときより、大きな政変が起きていなければの話じゃ」
「地政学的に複雑なものを感じさせますね」
「地政学とな?」
「地形や地勢がそこになりたつ人間の集団にどのような影響を与えるかという学問です」
「ナレの国で成り立っておる学問のひとつでおじゃるか。興味深い。そのような学問も、ピリクカカンまでたどり着いたなら、出会えるかも知れん」
「ワーヌ南海王国とは繁栄している国なのですね」
「まぁ、活気に溢れる国ではあったぞ。ずいぶん前に訪れたときはな」
なんか、おれはふと、はたしてヨアンナ師は誰と一緒にピリクカカンに行ったというのか訊きたくなったが、そのときに聞こえてきたカトーの号令に機会を失った。
キャラバンはドザ監視所を手前に、狼煙の合図を受けた衛兵の検査を迎えていた。
to be continued !! ★★ →




