act.99_廃都パラポネア
カットイーターの襲撃を退けて、キャラバンはその地でひと晩を過ごした。
翌日はあいにくの小雨で、俺たちは消沈しながら荷物をまとめる。その作業を俺はとくべつに免除された。昨晩の大立ち回りをそれなりに認められたというわけだ。
王都アヴスを出発したときには、奴隷の中の奴隷、カスの中のカスに思われていた俺も、最近は市民権を得てきている。ぶん殴ってものを聞かせようとしていたカトーも、ソーナの側人として黙認している気配がある。以前には同性の側人を見つけるといっていたのも、最近はそんな素振りを見せない。まぁ、近くに町なんてないから、どうしようもないと言えばそうなんだけど。
とはいえ、やろうと思えばララやレオナにその役目を言いつければいいわけだから、それをやらないということは、まがいなりにも認められているんじゃないだろうか。
ただ「カトーに剣術を認められろ」という指令を下したまま姿を見せないテニスちゃんがあいかわらず現れないということは、剣術に関しては評価を得ていないというわけだ。
こんな場所で「はい認めました。次の任務です」なんて言われても、どうしようもないのもまた事実だ。
俺は鎧竜の背から周囲を見渡す。
昼を過ぎたころから、足下には風化して劣化した石畳が続いていた。それらはかつてこの地に住んでいた人たちの造作によるものだ。都市国家パラポネア、神木インミンスルを奉った国。200年前に範士晴守こと、不死者晴守による陰謀で攻め入ったのは、ライフストリーム教会のウィタ騎士だという。5千人の住民が殺され、神木はことごとく焼き尽くされた。
破壊し尽くされた町に薄紫の風が吹いていた。風は鈍い光りを反射しながら街道を横切り過ぎ去っていく。
街道の両脇には崩れ落ちた家々が並んでいる。基礎以外はすべて木造だったのだろう、長い荒廃の時代に、真っ黒に染まった木材が泥沼のように地に沈んでいる。砂塵を含んだ風に晒され、腐り落ちた梁から石化した組織がこぼれ落ちていく。
そこかしこにある窪地に毒に汚染された水が溜まっている。その窪地は、おそらく神木インミンスルが生えていた場所だろう。いまは毒の吹きだまりになっている。
窪地の斜面には白い髑髏が見えている。何段にも整然と積み重ねられて、表土の一枚下に果てしなく広がっているようにも見える。あれがヨアンナ師のいっていた、インミンスルの養分となった住民たちなのだろうか。
生き物の気配はない。
カットイーターと戦っていらい、魔獣であれ野生動物であれ生き物の姿は見られない。そらにも一羽の鳥も飛んでおらず、雨雲とも違う濁った空気が滞留しているだけだ。その黒さはだんだんと濃くなり、同時に硫化水素に似た腐臭ともいえない嫌な匂いが感じられてきた。
キャラバンが騒がしくなり鎧竜も鳥トカゲも停止する。先頭から順番に手当をされて、簡易的なマスクを装備されていく。ヴーイもトゥオンも忙しそうに立ち回って具合を確かめていく。荷車から客人のナスィールが顔を出す。見回して嫌な匂いに顔を顰めると、すぐに幌の中に引っ込んでいく。
「いよいよ遺跡についたわね」
ララが近づいてきて言う。
俺はとなりの鎧竜に座ったヨアンナ師とともに、この凄惨な景色に打ちひしがられすぐには答えられない。200年という歳月にかえって重みを増した滅亡というものの姿が、いたいほどに五感を責めていた。
「……かつては、かつては人々の賑やかに往来する町だったのでしょうね」
かすれた声で呟くが、返事はない。
キャラバンはしずしずと進み始める。大きな物音を立てたら、死者の静寂を邪魔してしまうと気にしているかのようだ。
町の中心に近づくにつれて、建物一軒一軒の残す瓦礫が大きくなっていく。インミンスルの木材をつかったとみられるそれは、折り重なり溶け合い、タールじみた沼を抱えて無音で眠っている。
また小雨が降ってきた。汚れた黒い雨だった。
汚れた雨はマントのフードを濡らし、そのわずかな撥水効果を通り越して、全身に沁みていった。チキュウの緻密におられた布であったなら、濡れた衣服が身体に纏わり付いて、歩くこともしんどくなっていただろう。このホシの織物技術はそれほど高くないから、経緯の織り込みも荒く全体としてごわごわしている。乾燥していると肌に擦れてひどいと擦過傷みたいになってしまうが、この場合は適度に空気が入り込んで張り付かないでいる。
だが、重さが加わって疲労を生むことに変わりはない。鎧竜に乗って移動しているとはいえ、周囲を警戒しながら進む以上、濡れれば濡れるほど体力が削がれていく。寒さもまた、身体の芯まで侵してきた。
キャラバンはパラポネアのメインロードと思われる道を進んでいった。
「残虐な行為が行われたと書物にはあるでおじゃる」
ヨアンナが誰に言うともなく言う。
「住民5千人に対して、ウィタ騎士が80人。当時騎士として認められていた範士、教士、錬士とが、無慈悲に殺戮していったとある。無抵抗の女子供までてにかけたそうじゃ。住民の悲鳴が止んだあと、騎士たちはインミンスルを切り倒し、町に火をかけた。パラポネアの文化を、根こそぎ滅ぼすためにな」
「僕にはそれらすべてが不死者の差し金とは思えないのですが。疑問を持った騎士はいなかったのですか?」
「そうじゃのう。ナレの言う通り、なかには疑問をもった者もおるじゃろうな。しかし、教会の教えとは、それをカルマの浅きゆえの迷いであると説いておる。殺めることを迷うのは、その者の弱さだと説いたことじゃろう。それゆえ、迷いのあるものほど、かえって多くの無垢なる住民を殺めたやもしれぬ。晴守のいう、それこそが信仰への情熱の証明であるという言葉を信じてな」
「そして5千人の人を殺した……。無抵抗だったのでしょうか?」
「戦士もいたじゃろう。じゃが、80人のウィタ騎士相手になにができたと思う? それらは空しい抵抗じゃ。誰かを逃がすだけの時間も稼げなかったに違いなかろう。200年前は、いまよりも戦の多い時代じゃった。7つの王国が覇を競って争っていた。それぞれ大義名分を掲げていたが、民衆にしてみれば同じことであろう、どこも、己らの栄光のために戦っていた。教会の戦力も、そやつらに抗すべき技を鍛え上げていたのじゃ。おそらくは今世の騎士よりも技は上だったでおじゃろう。のう、そのあたり……?」
ヨアンナ師は白く細い指先で、基礎から破砕された屋敷跡を指さす。そこはとりわけ念入りに破壊されているのが見てとれる。なにか標的として定められていた施設だったのかも知れない。
「死者の怨念が聞こえてこような。その黒く汚れた腐木も、かつては神聖な姿を象った彫刻であったのかも知れぬ。おう、この大地の腐った臭気は、まさに住人らの朽ちた肉体のものでおじゃる。なんとも罪深いことじゃ。いまでは、その名も伝わっておらぬ」
めずらしく感傷的になっているヨアンナを俺は見る。寒さと疲労もあって、いつにもまして青白い顔をしている。両目の下にうっすらと隈が、あ、隈はいつもあるんだけど、体調の悪さがそれに加わって、色を濃くしている。
「大丈夫ですか?」
俺は鎧竜の上から声をかける。騎獣の身体の大きさがもどかしい。手の届くところにいたなら、抱き寄せて懐で暖めてあげたのに……。
「ナレの言う文化人類学では、このような人間の、空しい所行をなんと説明する? この、共食いともいえる、人間の集団の興りと滅亡とを」
「文化人類学では国の興亡を問題にはしません。文化の有様から、人の所行というものをいっそう理解しようという学問です」
「なるほどのう。殺し合いは問題にせぬか。ならば、その学徒であるナレには、この景色は目に入らぬのか」
痛いところを突く。さすがは師匠だ。
まぁ、俺も文化人類学さえあれば、人の所行のすべてに対応できると考えているわけではない。そういうのは範疇外なのだ。政争や軍事的争いは。俺はチキュウでアカデミックな世界に生きていた准教授であるからして。そんな俺に国の興亡について意見を述べよといってもな……。
「この廃墟は、僕には文化の名残、かつてこの地に栄えた文明の痕跡だと思われます。瓦礫を掘り返してみたら、あるいは当時暮らしていた人々の生活の知恵が、文化の有様を辿ることができるやもしれません。ひょっとしたら、そこに人間共通の願いや感情が見つけ出せるかも知れません」
「この廃墟で、槍に刺されて絶命した者の顔は見えぬか。悲鳴は聞こえてこぬか」
「それはアカデミックな問題ではありません……」
「ナレはお高くとまった分野に拘っておじゃるな。そやつらはいまの世にも方々で、突かれ斬られ、焼かれておるぞ。それらも見えぬでおじゃるか」
「人の痛みはわかります。だれかがどこかで傷つくのはよいことではありません。そんな世界は変わるべきだと思います」
「変わるべき、で、おじゃるか。ナレは身をさらしてそれを変えようとは思わぬのでおじゃるか?」
「どうでしょうか。人一人にできることは小さい。まして卑小な奴隷の身です」
「思ってもない卑下を止めよ。……ひょっとすると、世の中を変える力がナレの中に備わっておるやもしれぬと言っても、そのような気持ちを持たぬかえ?」
「……もしもの話は、いまの僕には語れることではありませんね」
キャラバンは静かに町の中心へと進む。
やがてかつての憩いの場であったらしい広場に着く。そのあたりは平滑な石材が隙間なく敷き詰められていて、風が通ってもまいあがる砂塵がない。200年という年月の間に、倒壊した家屋の際には、紫色の汚れた砂丘ができているが……。
カトーの号令でその日はそこで野営することになる。
パラポネアにたどり着く以前から、食べられるような野生動物や植物は見られなかったから、食事は簡素なものになっている。砂漠を進むのと同じで、水も食べ物も手に入らない場所では、乾燥させた肉やパンに、防腐処理をされた水、少しの塩漬けの食べ物が配られる。
みな黙々と寝支度を整えて、少しの快適さをつくった居場所でそれらをかじる。
俺は横になってマントにくるまりながら、さきほどの師匠の言葉を反芻している。
まぁなんだな。チキュウとこのホシとでは、文明のステージが違いすぎるのだ。文化人類学は、いま目の前で人間同士が殺し合いをしているところで唱えても、いまひとつその価値が伝わらない気がする。ぐさっと刺されてるやつに、今朝なに喰った? どんな食器? 祈りは捧げる? だれが作った? どんな場所で、いつからだ? みたいなことを訊いても、お望みの答えは返ってこない。そいつに必要なのは回復魔術や、支援の攻撃なのであって、アカデミックなアプローチじゃないものな。
だが、なんだ、この収まりの悪さは。
確かに俺は、このホシの有様を、ちょっとだけ客観的に見ている。見ることができている。
それはしかし、流れを変えることができるかどうかとは、まるで違った話だ。
現に、俺の剣術などまったく話にならなくて、たまたま潜り込んだキャラバンにあっても、下から数えた方が早いくらいの代物だ。マヨネーズや手動ポンプをつくって、目に見えない剣術や無限に城壁を築ける魔術も持ち合わせていない。わらっちまうくらい限定的な能力しか、神はくれなかった。
その神の仕事も、いまだ一つとしてこなしてない。
俺がヨアンナに約束したのは、世界を幸いな方へ導くなんていう大それたことじゃなかった。ヨアンナが死の床にあったとき用いた言葉は、もっと手に届く範囲のことを言ったのだった。とはいえ、あのときは彼女を説得することができた。ヨアンナの心に届くことが出来た。
俺は何か言うべきことをいえてない気がしてもどかしさを感じる。
ヨアンナの寝ている荷車の方を見る。ちょうど幌が避けられて、そこから青白い顔が覗く。師匠だ。
気がつくと俺は寝床から立ち上がって歩み寄っている。その姿に気がついて、ヨアンナの方も俺を見る。寝ていた顔でなく、同じくいろいろと思案していたらしい。ゆっくりとした動作で身を起こし、荷車から降りてくる。ローブの裾をたぐり寄せて、雨風から身を守る。その肌にいくつかの汚れた水滴が跡を残す。
「人のつくり出す文化が、やがて人を戦のない世界へ導くのだと思います」
唐突な言葉だったが、ヨアンナは「ふむ」と、小さく頷く。
「世の中を変えるのは、文化を研究してそれをみなに知らせる学徒でなく、文化を起こす人々の命の力、そのものが、文明を高みへと導くのです。僕ではなく、それはいまを生きる人々の力です。その力の集合が、人の暮らしを受け入れられるものに変えていくのです」
「ナレの文化人類学は呼び水か」
「はい。文化人類学は、平和な世界の呼び水です」
ヨアンナは荷車の足掛けに腰を下ろす。ふふふ、と小さく笑い、なにやら納得がいった笑顔を浮かべる。
「師匠が聞きたかった言葉ではないかも知れませんが、僕はそういうことだと思います。なすべき、あるべき、ということとは違うかも知れませんが……」
「いや、その言葉はいいものじゃ……。気になって眠れなかったのでおじゃるか?」
俺が頷くと「ワレもじゃ」と、楽しげに追従する。
俺にはその笑顔が、廃都の中心で唯一の明かりに見えている。
to be continued !! ★★ →




