良識的な魔王が生贄の少女を育てる話
それは、とある世界の、とある昔のお話。
地上には人の国、地下は魔の国が拡がり、二つの国は厚い結界で覆われた地の門を境に繋がっていた。
争いが耐えずいくつもの小国に分かれる人の国に対し、魔の国では一人の王が永きに渡って数多の魔種を統べており、幾らかの小競り合いがある他は平穏な日々を送っていたのだが、ある日突然、地の門が開いたことにより、魔の国に緊張が走ることとなる。
古の盟約により、人と魔は門を境として絶対不可侵を誓い合っていた。何百年にも渡って形骸化した門が開くなど、有り得ぬこと、あってはならぬことなのだ。
以上により、魔王であるマモン直々に部下を引き連れ門へと駆けつけたわけであるが、拍子抜けすることに人の姿は何処にもなく、代わりに置かれていたのは一つの真っ白な包みだけ。
不審に思いながらも包みを持ち上げ、その温もりと布の隙間から覗く寝顔に気付き、マモンは愕然とする。
「セッツァー!人の子がっ……赤子がいるぞ!?」
「成る程、生贄というわけですか」
「はあ!?生贄!??」
口を突いて出た叫びは思いの外に大きく、赤子が表情を歪めて愚図り出す。慌ててぞんざいな持ち方を改め慎重に両腕で抱きながら、マモンは小声で抗議した。
「何故、今更そんなものを寄越すのだ?」
「北の結界が古くなって綻びが出たせいで、たまに隙間から子ども達が地上へ遊びに出たりしてますからねぇ。おまけに人の国では天候不順による不作で飢饉が続いているそうですから、」
「我のせいと勘違いして時代錯誤にも生贄なんぞを置いていったのか?魔種の子らの件は我の監督不行き届きだとしても、地上全ての自然を操る程の魔力はないぞ!というか、忙しすぎてそんな暇ないわ!細分化した人の国と違い、魔の国がどれだけ広大だと思っておるのだ!」
「まあ、貴方様はまがりなりにも魔王ですから、勘違いも致し方ありません。それと、赤子の布の紋章はどこぞの王家のものでしょう。真っ当な世継ぎをこんな所へ遣るわけありませんから、侍女なり妾なりが産んだ子を持て余し…」
「体のいい始末方法として魔の国へ生贄に出したと?其奴等は悪魔か!!」
「魔王の貴方様に言われては終わりですねぇ」
カラカラと愉しげに笑うセッツァーの横で、マモンは低く唸り、塞がる両手に代わって心中で頭を抱えた。
人間が彼等から見て異形の魔種を怖れるのは仕方のないことであるし、それらを統べる魔王の自分ともなれば、この世の終わりクラスに怖れられていることは知っている。だからといって、生贄など寄越してどうしろというのだ。
まさか食べるとでも?確かに魔種には肉食が多い上、人の血を極上のデザートとする種族もいるが、正直自分は人間の肉など美味そうに思えない。仮に食べたとして、(勘違いなのだが)国を揺るがすほどの天災を収めるのに、赤子一人の肉で事足りると思っているのだろうか。
それともあれか、お色気作戦的なやつか。いやいや生後間もない赤子に欲情するような、ド畜生な幼女趣味など持ち合わせておらんわ、どんな変態だ。
チラリと視線を下に遣れば、赤子は再び気持ち良さそうに寝息を立てている。
「如何なさいます?門の外へ返しますか?」
「……いや、そうするとこの子は、生贄の役目も果たせぬどころか、魔王の不興を買った忌み子として処断されてしまうだろう」
「と、いうことは?」
「我が育てる、後のことはこの子が決めればよい。人の国へ帰りたければ帰ればいいし、もし人の国を恨むようであれば魔王らしく共に滅ぼしてやってもよい」
「えっ、親馬鹿に染まるの早すぎません?」
「たわけ、よく見ろこの寝顔を!愛いすぎるだろう!親馬鹿にもなるわ!」
「やれやれ、先が思いやられますねぇ…」
今度はセッツァーが頭を抱える番となるが、マモンは構うことなく赤子に額を寄せて抱き締める。
どんな魔の種族であろうと、王として平しく情を注いできたつもりであったが、やはり我が子となるとこうも愛しく思えるものか。
こうして、マモンは赤ん坊を引き取り育てることになるのだが、その子の性別が女の子であったことから、親馬鹿は加速度的に深まっていくこととなる。
女の子はリリーベルと名付けられ、魔王の娘として王城にて丁重に育てられた。
権限の全てを駆使して甘やかすマモンと、時には厳しく接するこも辞さぬセッツァーを始めとした常識的な部下達のおかげで、リリーベルは極めて真っ当な娘となる。
そして、リリーベルが魔の国へ来て15回目の記念の日。マモンは愛娘と武装した大軍を連れて門を開き、かつて娘が産まれた国を訪れた。
逃げ惑う民衆と、怯えながら武器を向ける人の軍を冷めた眼で見遣りつつ、「それで、そなたはどうしたい?」とリリーベルへ問いかける。そう、マモンはかつてセッツァーと話した内容を実行すべく門を開いたのだった。
「そなたを魔の国へ捨てるような薄情な輩だ、滅ぼしたところで塵の山が増えるだけのこと……いいな?いいよな?我、やっちゃうぞ?」
「お、お待ちくださいませ、お父様!私、この国の方々を恨んでなどおりませんから!」
「ええーーーそなた、こんな畜生共にまで情を掛けるとかマジか?我の子、良い子過ぎでは??でもなぁ、そなたが許しても、我の腹の虫は収まらぬのよなぁ」
その言葉と同時に魔王軍の背後でいくつもの雷が落ち、人の軍から絶えず射掛けられる弓矢の盾となっていた風が、竜巻の如き厚く激しい渦を巻く。
以前、"地上全ての"自然を操ることは難しいといったが、細分化した人の国の一つを滅ぼす程度は容易いのだ。これまでそれをしてこなかったのは、ひとえに魔王業が忙しかったのと、滅ぼす程の必要性を感じなかったからなのだが、今は違う。
このまま火山でも噴火させてやろうかと意気込むマモンであったが、いよいよ大きくなる民衆の悲鳴にリリーベルが悲しげに眉を寄せるのを見て、一先ず雷だけは収めた。
「リリィに嫌われては敵わぬからな、滅ぼすのは止めてやってもよい」
「よかった……ありがとうございます、お父様!」
「滅ぼさぬとなると……その、あれか、そなた……嫌だっ!!!我は認めぬぞ!!!」
「娘の嫁入りにごねる父親のような醜態はお控えください……まあ、似たようなものですが」
「言うな、セッツァー!我、泣いてしまうぞ!」
これまでの魔王然とした振る舞いはどこへやら、両手で顔を覆って叫ぶマモンの心情に呼応してか、雷に替わって今度は雨が振り出し、風も相俟ってその場は激しい嵐となる。
「貴方様が言えぬのなら、私から言わせていただきます」
「あーーー!!!セッツァー待て、まだ心の準備が、」
「リリーベル様、人間を恨んでおられぬと言うなら、人の国へお帰りになりますか?」
「セッツァーーー!!!馬鹿ーーー!!!」
益々強くなる風の力に人の軍は最早弓矢どころではなく、飛ばされぬよう必死に手近なものにしがみついて耐えていた。魔王軍はというと慣れたもので、セッツァーが張った巨大な防御結界の後ろに全軍で肩を寄せ合い隠れている。
ただ一人、リリーベルだけが気遣しげにマモンの隣に立っていた。これは彼女がある程度成長してから判明したことなのだが、リリーベルは生まれながらに精霊の祝福を受けており、その加護によって大抵の魔力を無効化することが出来るのだ。
そのため今も、彼女の周りだけは無風な上、雨も全て弾いており、衣服に一糸の乱れも見受けられなかった。
「もし、お父様のお許しが頂けるならば、私は……このまま、お父様のお側で過ごしたいです」
「リリィ…!よかっ、」
「だって私、お父様を愛していますもの」
よかった、と胸を撫で下ろす前に、些か気になる発言がリリィからなされ、マモンは暫し固まる。セッツァーは来るべき時が来たなと更に結界を強め、気持ちを同じくする魔王軍は肩を組んでその時に備えた。
「ええと…?うむ、我もそなたを愛しておるぞ!」
「はい、お父様の慈愛は常に私の支えとなっております。ですが、違うのです……私は、お父様を心からお慕いしています、一人の男性として愛しているのです」
「は……ああああぁぁぁぁぁ!!!??」
魔王、混乱ノ極ミナリ。疾ク地ノ門ヲ開クベシ。
マモンの絶叫が響き渡るまでの一瞬の間を突き、セッツァーから伝令を託された魔烏が人魔の境に敷かれた結界の隙間を抜け、魔の国に残る家臣達の元へと全速力で飛んでいく。
地上はというと、伝令通りマモンの混乱をそのまま現したような天変地異が起きていた。暴風雨は相変わらずなのだが、一度は引っ込めた筈の雷が絶え間なく落ち、マモンを囲むようにして炎が沸き上がり、地鳴りがするほどの揺れがそこかしこの山で起きている。
「おおお落ち着け、リリィ!我らは親子なのだぞ!?そういう禁断の愛的なものはご法度だろう!?」
「でも、好きなのです。それに私達に血の繋がりはございません」
「いやいやいやいや駄目だろう!!??セッツァーからも言ってやってくれ!!」
「私としましては、あれだけの親馬鹿を気取っておきながら、リリーベル様のお気持ちに長年気付いておられないことにドン引きでございます」
「セッツァーーー!!!お前ぇーーー!!!」
真剣なリリーベルの眼差しから、これが一時の気の迷いなどではないことが痛いほどに伝わってくるのだけれど、駄目なものは駄目だろうと藁にもすがる思いでセッツァーを頼ったところ、とどめを刺されてしまった。
聖なる勇者などおらずとも、愛娘からの思いもよらぬ告白でマモンは精神的な何かに瀕死の重症負い、既に虫の息となっている。
「わ……我は、そなたをそのようなイケナイ娘に育てた覚えはないぞ!」
「お父様は私のことがお嫌いですか?」
「愛しておるわぁ!娘として!というか、この流れでお父様と呼ばれると余計に禁断数値が上がる気が、」
「では、これからはマモン様とお呼びしますね」
「やめよーーー!!開けてはいけない扉が開く気がする!我は許さぬぞ!!」
「あ、開きましたね、地の門」
地上の部隊と同じく臨戦態勢にあった魔の国側の速やかな対応により、開いた地の門がマモン達を迎えに目前へと現れる。
セッツァーは門の中へと魔王軍を誘導した後で、未だ膠着状態の二人の間に入って収束を図った。
「とりあえず、リリーベル様がこれからもご一緒ということで、よかったではございませんか」
「いいか!?いいのかこれは!??」
「では、帰りましょうか。城でリリーベル様のお好きなお茶をお淹れしましょう、魔王様の分もございますので、サキュバス印の媚薬もついでにご用意しましょうか?」
「わあ!お願いします!」
「やめんか!!!!!」
背中を押されるようにしてマモンとリリーベルが門を潜り、振り向いたセッツァーが指を鳴らすのと同時に門は消え失せ、天変地異など嘘のような穏やかな空と大地が戻ってくる。
地上の人々は暫し呆けたように青空を見上げた後、何が何だかよくわからないが、今後は一切、魔の国と関わってはならぬと誓いを改たにしたのだった。
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