第263話 洋上の争乱
木材の破片で作った棺桶が、
キャディッシュ達の乗った船からゆっくり離れてゆく。
船はオーク船団の左後ろに付けている。
他の船に見つかることはないだろう。
急遽作った棺桶だが、思いのほか上手く作れた。
本当は綺麗な花を敷き詰めてやりたかったが……。
ミーズリーの事だ、
私に花など恥ずかしいからやめてくれ、
などと言うだろう。
キャディッシュは船尾から小さくなる棺桶を、
疲れた顔で見送った。
両脇にはほとんどの兵達が並ぶ。
その半数はミーズリーが、
イース公国の将軍だった頃からの部下たちだ。
切ない嗚咽が海へと吸い込まれてゆく。
慕われていたのだろう。
彼らはミーズリーとどんな思い出があるのだろう。
そこに自分はいない。
キャディッシュは少しの嫉妬を、
胸の奥に感じた。
彼女は精一杯、自分の命を燃やした。
兵士として、将軍として……
圧巻の人生だ。
自分は何としてでも生きて帰らなければならない。
彼女の偉大な人生を、
国中の人に伝え広めるのが自分の使命だ。
十神教の教え通りならば、
水平線の彼方に消えた後、
ミーズリーは生まれ変わるのだろう。
生まれ変わるなら……
とキャディッシュは目を瞑る。
せめてこの戦争が終わり、
平和が訪れてからにしてほしい。
手すりに置いた手の甲に、
熱い雫がポタポタと落ちた。
船にあった網で漁をした。
オークの船団は遥か水平線に浮かんでいる。
ここまで離れれば見つかることはないだろう。
魚はあまり獲れなかった。
そもそも外海にはあまり魚はいないようだ。
船に元から積んであった食料も底をついた。
男達はみるみる瘦せ細り、衰弱していった。
キャディッシュはミーズリーを失った喪失感を、
胸の奥にしまい込み、
国に帰るという使命感を燃やし、
皆の先頭に立って奮闘した。
しかし、1カ月もすると、
栄養失調による病気で仲間がどんどん死んでいった。
生きている兵達も痩せて目は虚ろ、
体力もなくなっているので、
漁の回数も減っている。
雨は降るので何とか命は持っている状態だ。
ある日、誰かが船に止まりに来た渡り鳥を弓で仕留めた。
しかし男たちは30人ほどいる。
到底一羽では足りない。
いつの間にか殴り合いの喧嘩が起きた。
騒動は止めに入ったラウルという兵士が、
刺されるまで大きくなる。
ラウルはミーズリー軍の兵で、
キャディッシュの事を慕っていた。
刺したのはカサス軍のダズという兵だ。
その他にも取り巻きが4~5人。
キャディッシュに報告が来た時には、
ダズ達が鳥を奪って食った後だった。
ラウルは足を刺されたが、
命に係わるほど大きな傷ではなかった。
しかし、体力が無くなっている現状では、
数日後に感染症にかかって、
重篤な状態になるかもしれない。
「おい、お前たち。
なぜ仲間を刺した?
なぜ食料を皆で分けない?
お前たちが仕留めた獲物でもないのだろう。
これは明確な軍務違反だぞ」
キャディッシュは、
食べ終わりくつろいでいるダズ達の背後に立った。
ゆらりとダズが振り向く。
逆立った短い髪に濃いひげ面、
鋭い目つきに額の大きな古傷、
正規兵の鎧を着ていなければ、
誰もが夜盗だと思うだろう。
「はっ! あんた気付いてないのかよ!
もうとっくの昔に規律も軍も無くなってんだよ!」
ダズは血走った目で吠える。
「あんた指揮官ぶって、
あれやこれや指示出してたけどよ、
俺たちゃカサス兵だ。
あんたの命令きく義理はないんだよ!」
ダズの仲間も立ち上がり、
キャディッシュを睨みつける。
「……だが我々は目的を共にした同盟軍だ。
軍である以上、規律と階級が必須だ。
現時点で僕より上の階級はいない。
だから君たちは僕の命令を……」
「うるせぇ!
あんたが指揮官ならこの状況をどうするか言ってみろよ!
食料がねえんじゃ俺たちはみんな死ぬんだ。
弱い者は死に、強い者が生きる。
俺たちは自然の法則に乗っとって生きることにした。
もう今はそういう段階だろうが。
……指揮官なのに何も見えてねえんだな。
あれか、あんたはいざとなったら一人で飛んで、
この船から出られるもんな。
それが頭にあるから、
適当な指揮になるんだろうな。
あんた……指揮官の器じゃないぜ」
下衆な笑みを浮かべながらダズは吐き捨てる。
キャディッシュは何も言い返せなかった。
意識が遠のいて、頭が働かなくなった。
そこからはあまり覚えていない。
音のない世界をキャディッシュはただ見ていた。
剣を取った兵士たちがダズ達を襲い、
ダズ達も応戦する。
血が飛び、鎧が砕け、床に死体が転がってゆく。
「……ィッシュさん! キャディッシュさん!」
ラウルに肩をゆすられ、ようやく我に返る。
「……ああ、ラウル。
大丈夫か? ……足はいいのか?」
どうやらラウル達も我慢の限界だったらしい。
殺気立った兵たちが血だらけの剣を握ったまま、
死体を見下ろしている。
死んだのは9名だった。
「喰いますよ……」
一瞬、ラウルが何を言っているのか、
分からなかった。
「俺はもう覚悟してます。
生き残るためには……
これしかないんだ」
ラウルは死体を見つめながら、
自分に言い聞かせるように呟いた。
その瞬間、
キャディッシュの脳裏に、
ミーズリーの顔が浮かんだ。
「……そうだな。
他に選択肢はないか……」
そうだ。
自分は何としてでも生きて、
国に帰らなければならない。
リリーナ達やミーズリーの雄姿を、
皆に伝えなければならない。
キャディッシュはきつく目を閉じた。
キャディッシュ達はその日、
死んだ仲間の肉を食らった。
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