第192話 七回目の夢とアーシュの誤解
「どお、昴君、身体の調子は?」
医療局にはそれぞれの科に応じて診察室が複数ある。
しかし、ここは資材倉庫の一番奥にあるガラス張りの隔離室。
主に研究や実験のために使われる部屋で、滅多に人は入ってこない。
目の前に座るグラマラスな女性は長澤博士だ。
白衣の下は年齢の割に露出度の高い派手な服を着ている。
彼女はマスクと手袋をつけ、僕には決して直接の接触はしない。
毎度の事だ。
「……頭痛が多くなってきた気がします」
「そう……例の感覚は健在?」
「はい。おかげで何度も命拾いしてますよ」
「まあ、結構無敵な能力よね。
透視能力と敵が近づいたら分かるっていう……通常の視力は問題なし?」
「ええ」
「それにしても一体どういう理屈なのかしら。
近くの【ワーマー】の感覚や視界が頭に流れ込んでくるって。
共感能力がある生命体……もしかして奴らも同じことが出来て、
お互いの位置が分かったり、意思の疎通をしてたり……」
「いや、うん……どうでしょうかね……」
長澤博士は医師であるが【ワーマー】の研究者でもある。
背後にはマウスを置いた棚がある。
「人類が初めて出会った地球外生命体が冬虫夏草だったなんてね……。
粘菌って言ったって地球のものとは違うし。
あーもう、完璧な研究施設があればワクチン作って見せるのに!」
博士は地団駄を踏んだ。マウスが小さく鳴いた。
「ねえ、そういえば思い出した?」
「何をですか?」
「薬」
「覚えてる訳ないじゃないですか」
「困るわぁ……ほんと困るわ。
せめて薬の名前さえ分かれば成分表作れるのに」
二回も言うな。
「いや、悪いとは思いますけど、僕もあの時は死にそうだったんですから」
なぜ僕が感染を回避出来たか。
それは今もはっきりと分かっていない。
ただあの時……感染したばかりでのたうち回っている時、
その場にあった十数種類の錠剤を大量に飲み込んだ。
それらに含まれていた成分が効いたのか、
薬同士が胃の中で化学反応を起こした結果なのか、
今となっては雲の中だ。
五年も前の話……しかも市販薬ではなく、
どこかの病院から回収してきたのか、
処方箋が無いと手に入らないような薬だったので覚えている訳がない。
「まあいいや……いや、よくないけど。じゃあ、抑制剤打とうか」
コロッと表情を変える。悩まないタイプで助かるが、少し申し訳ない。
「服脱いで」
長澤博士は僕の右腕に銀筒の注射を打った。
今日は採血しないらしい。
「もったいないわ、いい身体にいい顔してるのに。
感染してなかったらあなたの身体舐めまわしてるわ」
長澤博士はぺろりと唇を舐めた。
「相変わらずの筋肉フェチですね。
僕よりいい身体した奴なんていっぱいいるでしょ」
「ええ、この間ホワイトタグに申請したから、いい筋肉が来るわ来るわ」
何を思い出したのか、涎が垂れんばかりにうっとりしている。
「博士、三十超えてるけど、顔だけはいいもんね」
「身体もね……って、それどういう意味よ」
この人は喜怒哀楽が激しくて一緒にいるとちょっと疲れる。
けど軽口を言い合える人は少ないので救われているのも事実だ。
「不謹慎だけど、私は昴君と会えるの楽しみよ。
君の身体見てると、熱くなって疼いてきちゃうし」
「次から変態博士って呼ぶことにしますね」
彼女は僕の心音を測り始めた。
真意は分からないが、博士なりに慰めてくれているのだろう、
と思うことにした。
「動物実験の結果は感染なしだけど、
他人との接触はこれからも控えること」
「はい、それは徹底しています。
仕事も休みの日もマスクと手袋は欠かしませんし、
万が一タワー内で感染者出たら、真っ先に僕が逮捕されますから。
局長は喜ぶでしょうけど」
「そうね、上層部にしか知られてないけど、
昴君が半感染状態の保菌者と知られたら、
最悪処刑もあり得るわ。
被検体として貴重って言葉は恐怖に飲まれた一般住民には聞こえないでしょうね」
「そうなったらそうなったで、僕は受け入れますよ」
「可哀相に……理解者も少ないし……
はあ、抱きしめてあげたい、無理だけど」
彼女は自分で自分を抱きしめ、身体をくねらした。
「僕には隊の奴らだけで十分です……ああ、でも一人だけ言ってないな……」
「そうなの? 誰?」
「飛鳥」
「後から入ったから?」
「そうです」
「ねえ、私も最近知ったんだけど、彼女……すごい人なのね」
「すごい人?」
「あら、知らないの? 隊長さんなのに」
意外、という表情で目を丸くした。
「なんですか?」
「だから昴君のいる〝ロメオ1″に配属されたのね」
彼女はお構いなしに続ける。
ふと、局長たちが飛鳥を迎えに来た光景が頭に浮かんだ。
「いや、だから飛鳥がなんですか?」
「上位チームならどこでもいいって訳じゃない……
あなたと一緒にいるのがある意味一番安全って訳か」
「教えて下さいよ、なんですか?」
「確かにあなたの能力があれば生存確率はぐっと上がるけど、
智君……赤沢三佐も思い切った事したわね。
昴君の体液から感染しないって言っても、絶対じゃないし、
そもそも人では実験してないし。
……ねえ、昴君の体液って言葉、エロいわね」
「おい、変態博士」
「何よ、知りたいの? 洒落にならないわよ」
誰もいないにかかわらず、長澤博士は僕の耳元に顔を寄せた。
「×××」
聞かされた僕は思わず目を見開いた。
今日はコマザ城の視察に来ていた。
まだ建設中のところはあるが、概ね完成している。
巨大な壁で覆った城塞都市。
壁の上から下を覗いてみたが、強風が吹くたびに背筋がひやりとする。
敵目線で見ても、ここを墜とすのは中々キツイだろう。
そもそもここに到達するのに最南端のスラヴェシ、
大都市ガラドレス、ムルス要塞都市、
元ラグウンド王国から接収した地下要塞、
それ以外にも20を超える小、中規模の城があり、
全てを落としてようやくここコマザ城が見えてくる。
そして本丸ノーストリリア城が控え、
予備としてケモズ領のレニブ城、ウルエスト領のウルエスト城、
イース領のゼルニダ家城などもある。
俺が敵でも攻めたくない。
将棋でいえばなんだっけ、あれだ、穴熊ってやつだ。
まあそんなこんなで鉄壁の防御網が完成しつつある。
コマザ城のテラスで昼寝中にあの夢を見た。
いやまあしかし、今回はだいぶ頭がすっきりしてるぞ。
ユウリナに薬をもらったからだいぶ落ち着いてる。
余裕も出てきた。今では夢の物語を楽しみにさえしている。
豪華な昼食をテラスで食べた。一人じゃ食べきれない量だったので、
今回の護衛である【護国十二隊】一番隊の隊長であるダカユキーと、
【王の左手】アーシュも半ば強引に席に着かせた。
ちなみに今回の【王の左手】はアーシュだけだ。
キャディッシュはベミーの元へ、ソーンはリハビリ、
クロエはメミカの護衛、
リンギオは子供たちの護衛でノーストリリア城に残った。
ちなみにベミーの容態は一応落ち着いた。
人工心臓の移植手術をしたとユウリナから連絡があった。
当分は安静にしてなきゃいけないため、
しばらくスラヴェシから動けないらしい。
明日にでもカカラルに乗って見舞いに行くか。
夜。
いつもと違う寝室で寝付けなかった俺は千里眼で城内を観察していた。
扉の外側にアーシュが座って待機しているのだが、
眠いのかウトウトしている。
長い黒髪が頬にかかり、松明の明かりにまつげの影が伸びる。
めっちゃ可愛いやんか。
そう言えば護衛を一人で担当するのは初めてか。
アーシュのことだから緊張して疲れたんだろうな。
扉を開け「アーシュ」と声をかけた。
「はぇ……はっ! ご、ごめんなさい、ねね、寝てしま、しまいました!
申し訳、ご、ございません! 【王の左手】ともあ、あろうものが!
ここは、し、死んで、お、お詫びを……」
「おいおい、やめろ。短剣をしまえ!
ぐぬぬ、凄い力だな!」
半分ふざけてたのだが、勢い余って椅子ごと横に倒れてしまった。
「うお!」
「きゃあ!」
うーわ、なんてベタな展開なんだ……。アーシュが俺の上に跨っている。
「あああっ! ごごごごごごごめんなさいいい!
お、お怪我はあ、ありませんかっ!
わ、私はなんてことを!」
顔真っ赤アーシュ。か、かわいい。
「いいから。大声を出すな。ダカユキーが来るぞ?」
アーシュははっと口を噤んだ。
「疲れてるんだろ? 今日一日一人でご苦労様。
よく頑張ったな。護衛はいいから、今夜は寝てくれ」
「で、でも……」
「じゃあ、うたた寝してた罰として俺の言うことを聞くんだ。
今夜は休め。以上」
ああ……と申し訳ない顔をしてからアーシュは「はい」と小さく呟いた。
寝室にはベッドの他にでかいソファが2つある。
好きなところで寝ていいよと言おうとした時、
「オ、オスカー様……」
と呼ばれ振り向いた。
途端、抱き着かれキスをされた。
なにこれ、どういうこと? いや、嬉しいけどさ。
「あ、あの……今日はメイドがい、いませんし、
女性もわ、私ひとりですし、
その、よ、夜番の役がもしかしたら回ってくるかもって、
そのきききき期待……じゃなくてか、覚悟してまして……
それで、あの……い、一緒に寝ようって言われましたので、
そういう、こ、ことなのかと……
ごごごめんなさい、ちちち違い、違いましたか……?」
声ちっさ。身体あっつ。
俺は今日はマジでそのつもりはなかった。
久しぶりに一人の時間をゆっくり過ごそうと思っていた。
そしてそして一緒に寝ようとは言ってないぞ、アーシュ君?
勝手に脳内で変換してもらっちゃ困る。
でもでも……チャーンス!!
これがあれか、据え膳ってやつか。
喰わないと男は恥で死ぬやつか。
それともあれか、
棚の上に置いといて忘れた頃にぼたっと落ちてくる餅か。
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