第171話 ブロトール王国編 ジラフサ村民失踪事件
すっかり冷たくなった夜風が窓を叩く。
三連月の明かりは雲の間から細く差す程度で、
少年、トイルの部屋から見える外はほとんど闇だ。
風の音や木々のざわめきに交じって、
ここ数日何か得体のしれない音があるのをトイルは気付いていた。
農園の庭の木々の間を、人ではない何かが通る……。
そんな想像が頭から離れず、中々寝付けない日々が続いていた。
その晩、初めて窓の外を見てみた。
一瞬月の光が差した時、二足歩行の巨大な影が木々の間に立っているのを見た。
息が止まり、瞬きした瞬間、その影は消えていた。
背筋に鳥肌が走る。
見間違いだろうか? トイルはその晩一睡もできなかった。
「それもしかして〝土ぬめり〟じゃないか?」
兄のダオが本を広げながら言う。
本によると〝土ぬめり〟は土に精霊が宿った生き物で、
数年に一度、雪の降らない冬の年に現れると書いてあった。
「今年じゃん」
トイルは正体が分かった安心感もあり大きな声を上げた。
「ここ読んでみろよ。人間になりたくて、人の形をマネするだけで、
悪さはしないって」
トイルとダオは興奮して話しているうち、一目見てみたくなった。
その日、畑の手伝いが終わってから、二人は村のはずれにある池に向かった。
あまり近寄ってはいけないと大人から言われていたのだが、
それは養殖している魚を釣って食べられないように言ってるだけだと子供たちは分かっていた。
今回は池が目的じゃない。
数日前にその横に出来た大穴だ。
「ここから入れそうだ。来いよトイル」
ダオは昔から怖いものなど一つもなかった。
トイルにとって頼りになる自慢の兄だ。
土の斜面を滑るように降りて地表を見上げる。
地上まで3mはあるだろう。まだ太陽は高い。
日差しが木の葉の隙間から差し込み、トイルは目を細めた。
穴には横穴がいくつも開いていた。
「〝土ぬめり〟本当にいたらどうするの?」
「捕まえて持って帰るに決まってんじゃんか」
ダオはあっけらかんと言い放つ。
まるで今日のご飯は鶏飯だ、というように。
トイルは不気味な闇に続く横穴に不安を覚えたが、
兄がいれば大丈夫だと自分に言い聞かせた。
持って来たろうそくの灯を頼りに二人は足を進める。
外の光が届かなくなった時、何かが足に当たった。
「兄ちゃん待って。足元……」
ダオがろうそくの灯をかざすと、そこにあったものが輪郭を現した。
茶色い毛玉……土兎の残骸だ。砕かれた骨と毛皮が血まみれで丸まっている。
「なんだ……野犬にでもやられたか?」
いやな予感がした。
本当に〝土ぬめり〟は人を襲わないのだろうか。
そこから少し進むと遠くから巨大なものが近づいてくるような音が聞こえてきた。
振動を足で感じる。
「兄ちゃん、なにこれ!?」
「動くな、そこにいろ!」
流石にダオも余裕のない声だ。
洞窟が崩れ始める。
やがて地響きはどこかへ去っていった。
「なんかまずいよ、戻ろうよ!」
「……そうだな」
二人はUターンし、元来た道を進んだ。
「ん? しっ!静かに!」
ダオは急に立ち止まる。
何ごとかとトイルは耳を澄ませた。
微かに聞こえる。声だ。
何を言っているのかは分からない。
「……やばい、走るぞ!」
トイルはダオに強く手を引っ張られ、駆けだした。
後ろから声が追いかけてくる。
「ダレカキタ……」「ツカマエロ……」「ドコニイル……」
恐怖で頭が真っ白になった。自然に涙が出る。
どこをどう走ったのか、暗い洞窟の中で二人は迷ってしまった。
「まずい、まずいぞ……トイルはここにいろ」
「待って待って兄ちゃん!」
「でかい声出すな!」
ダオは小さなくぼみにトイルを隠すと、
「この先を見てくる」と言って闇に消えた。
一気に不安と恐怖が襲ってきた。
徐々にあの声が近づいてくる。
トイルは必死に声を抑え咽び泣いた。
その時、ズルズルと何かを引きずるような音がトイルのいる道に迫ってきた。
息を止め、目を痛いほど閉じる。
早くなった心臓の鼓動が聞こえないように胸を手で押さえた。
やがてその気配はトイルの目の前をゆっくり通過した。
あまりの恐怖に半分意識を失っていたのかもしれない。
気が付くと辺りは静寂に包まれていた。
どれだけ待ってもダオは帰ってこなかった。
トイルが洞窟から出られたのは真夜中だった。
またあの振動がやってきて、洞窟全体が揺れると、
天井の一部が崩れて月光が入ってきたのだ。
よじ登って泣きながら泥だらけで家へ向かう。
トイルは激しく後悔した。
両親になんと言おうか。ダオは無事だろうか。
頭が働かない。
やがて家に着く。真っ暗だった。
自分たちが帰らないのを心配して寝ないで待っていてくれる、
もしくは近所の人達も一緒になって自分たちを探してくれている、
そう思っていただけに、何か不穏な空気を感じた。
玄関を開ける。鍵は開いていた。
ランプに火をつける。
床が泥だらけだ。
「……母ちゃん?」
返事はない。
食卓がひっくり返っていた。
膝が震える。
両親の寝室に入る。
「……父ちゃん?」
誰もいなかった。
子供部屋もめちゃくちゃに荒らされていた。
至る所に泥がこびりついている。
案の定、兄はいない。
奴らの仕業だ。
〝土ぬめり〟なんかじゃない。
何か別の、凶悪な、何か……。
玄関の扉がギイイと鳴った。
トイルは慌ててベッドの下に隠れる。
話声が聞こえる。奴らだ。
不気味な足音は段々子供部屋に近づいてくる。
「イルゾイルゾ……」
「ココニイルゾ……」
ベッドの前に奴らが来る。
人の足ではなかった。
ガチガチと顎が鳴っているのに今更気付いた。
涙でぼやけた視界に、奴らの顔が映る。
翌朝は雲一つない清々しい天気だった。
キトゥルセン連邦マルヴァジア領南部に聳え立つイフスタイン山脈、その向こう側。
東の海に面し、三方を山に囲まれた小国、ブロトール王国。
最北端の村、ジラフサの村人236名は、その日忽然と姿を消した。
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