第5話 研修開始と覚悟
しばらくの間、鏡に映っている人物を見つめる。まるでそこだけ別世界のように感じる。時間にして10秒程だったと思うが、1時間くらいそこに立っている気さえした。その静寂をガララっという音がやぶる。
「どうした?大丈夫か?」
オーレットが扉を開け、教室に響くような声で、いや実際は普通の音量だったと思うが、今の自分には響いているように感じた。
「えっと…これは私でしょうか?」
鏡に映っている人物に指をさして言う。その人物も私に指をさしている。
「そうに決まってんだろ。なんだ?信じられないか?自分の変化した姿に。結構いけてるぜ。」
そう、鏡に映っているその人物は、一言でいえば、私とは真逆の人物のようだった。背丈は変わらないが、全体的に細身、いや筋肉質でバランスの取れた体型をしている。顔は痩せていて、目や鼻などの顔パーツがはっきりしている印象を受ける。これが私か…?まるで、ジムに通い続けてダイエットに成功しましたという、テレビとかで成功体験のインタビューを受けていそうな気分だ。
「能力転換の結果ですね、それは。」
いつの間にか教室に戻っていたフローランが、静かに言い、さらに続ける。
「能力転換の際、その能力によって体型が変化することはめずらしいことではありません。しかし、今回の能力は『身体能力極大』、その効果が体型を大きく変えたと思われます。単純に考えれば、先程の体型のままでは、達人・超人レベルの動きをするのには不向きということです。このあたりは物事の道理ですね。」
たしかに、100kg近い人が素早く動けるという印象を持てない。テレビとかでは「踊れるデブ」みたいな芸人もいるが、それもほんの1、2分程度の話だ。持続力はない。なるほど、能力による体型変化か…得したな、というより生まれ変わった感じだ。そうか、テレビとかのこの手のインタビューで「生まれ変わった気分です!」と言って喜びを表現する人の気持ちがよくわかる。
「能力転換も無事に完了しましたので、このまま研修に入ります。」
私が自分の変わった容姿に感動していると、フローランがそれを断ち切るかのように言う。そうだ、これから研修だったな。この変化を見ていると、いよいよ異世界というものに実感が湧いてくる。気を引き締めよう。
「研修は約1年間というのは、先程申し上げた通りですが、1日単位で言えば、午前中は座学、残りは実習ということになります。但し、どうしても座学自体の研修内容はそこまで多くはないので、後半はほとんどが実習だと思って下さい。」
うわっ…実習メインか…まあ異世界で生き残るための研修だから、仕方がない気もするが。ってか、こんなにすごい能力を手に入れたから、研修って1年間も必要なのかな…。
「研修は必要なのか…みたいな顔をしていますね。」
おおー、さすがフローラン十八番の心読み、もう驚かなくなってきたよ。
「確かにあなたは能力転換を経て、とても優秀な能力を手に入れました。しかし、それだけの話です。向こうがどういう世界かも知りませんし、どこを目指して活動すれば良いかという方針もありません。また能力はありますが、その使い方も知りません。魔法もまだ使えないですし、それはまるで最強の武器、地球でいう核兵器を手に入れた赤ん坊みたいなものです。
もしそのような状態のままで異世界に転属されれば、間違いなく、その能力や力は暴走し、世界に混乱をもたらすでしょう。それでは本末転倒です。したがってこの研修を通じて、活動の目的や能力の使い方をある程度マスターして頂く必要があるのです。」
そうか、言われてみればその通りだな。こんなにすごい能力を手に入れたからこそ、この研修が重要になるわけか。「核兵器を手に入れた赤ん坊」か…確かに危険極まりないな…ちょっと身震いする。
「研修の意味を理解してくれたようですね…。では座学から始めます。まずは…」
そんなふうにして研修は始まった。フローランからは座学を通して異世界のことを教わる。それこそ文化や経済活動、人々の暮らしなど、多岐に渡っている。当然、初めて知ることばかりだが、地球と似ている部分も多い。例えば、年月や秒など、時間に対する考え方は同じらしい。1年は12ヶ月、1時間は60分というように。ちなみに向こうの世界は「ジュムフリエット」という名前で、いくつかの国家が存在し、アメリカや中国のような大国をあるとのこと。しかし、人種、いや生物という観点で見れば、地球には存在しない動植物はいるし、モンスターと呼ばれる種族もいるらしい。まるでRPGだな。エルフみたいな種族もいるのかな…ファンタジー感、半端ないな…。ちょっと楽しみでもある。
そして、今回の転属における、そもそもの目的を説明してくれた。それは「向こうの世界の人々を幸せにして、それを管理すること」とのことだった。何、この抽象的な目的は…?私はてっきり「世界戦争を止める」とか「凶悪な魔王を倒す」とかみたいなことを想像していたが…。フローラン曰く、
「今から転属される世界自体には、現時点で世界戦争や魔王の君臨など、それほど大きな脅威はありません。しかし、向こうの人々が生きている世界は、今が限界なのです。正直言って、今この瞬間を生きていくのは精一杯だと思われる人々が多いように思われます。
そしてこの世界の管理者から、人材転属を通じて、何かしらの刺激を与えてほしいという要望があり、今回の転属が行われることになりました。
ちなみに、この要望から今回の転属までに100年間経過していますが、それ間もこの世界は良くも悪くも変わっていません。」
なるほど。これは責任重大だな。はっきりとして目的が見えないからな、自分でいろいろ考えないといけないのか…。ヤバイ…かなり不安。胃がイタイ…。いきなりストレス…。
座学を受けて、マイナスストレスが溜まっている一方で、オーレットからは地獄の実習を受けた。身体能力極大のおかげで何とか耐えているが、格闘や魔法戦闘の基本、そして応用を教わった。その中で実地研修も受けた。実際に異世界に存在する動物やモンスターと闘うというものだ。正直これが一番きつかった。身体的ではなく精神的にだ。元いた世界では、そもそも動物を殺すという経験がなく、その必要もなかったからだ。オーレットからは時と場合により、人間の生命も奪うことになるかもしれないと言われた。初めての実地研修では相手を負かすことはできても、殺すことができなかった。殺しの経験がないのもあったし、自分の能力が簡単に生命を奪うことができることに恐怖してしまった。
オーレットは、そんな私を厳しく叱責し、そして諭してくれた。覚悟が足りないと。いずれ異世界で守るべき存在ができた時、場合によっては自身にとっての「敵」を殺さなければならない時が来る。その時に、今のような状態では何も守れないと。覚悟を決めることだ、戦うなら負けないと。守るのなら殺させないと。しかし、その一方でその恐怖は捨てなくて良い、それがない人間はただの兵器と同じだとも言われた。
そうこうしている間に、1年間の研修があっという間に終了した。少し成長できたかなと自分では感じる。2人に感謝しよう。
ちなみに3つ目の能力であった「異世界情報取得」については、その方法だけ説明を受けるに留まった。どうも転属されて初めて使える能力らしい。自分にしか見えないモニターを映し出すイメージのようだ。自分専用のタブレット端末を得た感じなのかな。とりあえず転属されたら、すぐに確認してみよう。あの漫画気になるし…。
そして、いよいよ異世界転属の日を迎えた。
読んで下さり、ありがとうございます。




