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先輩と私と先輩と(ジャズとクラシック)  作者: カワヤマソラヒト
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⑦ George Gershwin (1)


 祝日も入れて、二週連続で「西洋音楽史」の講義はありませんでした。

 前日の帰りに全学向けの掲示板で休講であることを知ったとき、私はひどくがっかりしてしまいました。

 土井先輩は休講についてがっかりされることがあるのだろうか。

 そう思いながら掲示板をあとにすると、私に疑問が浮かんできました。

 土井先輩は休講を知らないかもしれない。

 もしかしたら、どこかのタイミングで掲示板をご覧になっているかもしれませんが、そうではない可能性の方がずっと大きいと私には思えました。

 すぐに先輩に休講についてお知らせするのが最善の方法、とにかく連絡を……そこまで考えて、私は自分が無力であることに突き当たりました。

 教えたくても教えられない。

 土井先輩の電話番号を知らないから。

 私は大きなため息のあと、腹立たしい気持ちになってしまいました。

 自分勝手なことですが、先輩に対して不満を感じていたのは本当のことでした。

 でも、腹を立てたり不満を感じたりしたところで、なんの解決にもなりません。

 土井先輩が私に番号を教えてくださらないのには、ひょっとしたら理由があるのかもしれないのです。

 その理由の原因が私自身には絶対にないなんて、私には言える自信がありませんでした。

 こんな場合は、よく考えてみるべきなのです。

 私はまずお茶を飲んで落ち着こうと思いました。

 そして、1号館の学食に向けて歩くうちに、反省すべき点に気がつきました。

 土井先輩が学校にいらっしゃらなかったとき、どんなことがあったか知りたいと思われたとしても、私の電話番号を土井先輩に教えていないではないか。

 先輩が私を頼ってくださるかは分からないけれど、その機会を自分から避けているのと同じことだ。

 私は先輩から教えていただきたい気持ちが強いばかりで、先輩のご意向をないがしろにしているのかもしれないのでした。

 私は深く反省しました。

 土井先輩に教えていただくより先に、まず私の番号を知っていただく必要があるのです。

 今度先輩に会えたときは是非とも伝えなくてはいけない。

 私は強く決意しました。


      *      *      *


 街の図書館に『サムシン・エルス』を返却する日のことでした。

 私はもやもやした気持ちを吹っ切るべく、朝から図書館に行きました。

 プレヴィンが指揮するグリーグの「ピアノ協奏曲」のCDを予約してありましたが、準備ができたという連絡はいただいていませんでした。

 通常の返却期限は過ぎているはずでしたから、私には嫌な予感がありました。

 CDの返却後、私は係の女性にうかがってみました。

 少々お待ちくださいと明るく言われたのちシステムを操作されると、彼女は申し訳なさそうな表情になってしまわれました。

 私の前に借りている人が、期限を超過しているのに未返却のままである。

 そんな話を聞くことになりました。

 仕方がありません。

 私はもうひとつのプレヴィンのディスクに期待することにしました。

 ピアノと指揮をプレヴィンが兼ねたガーシュウィンの作品集です。

 私は視聴覚コーナーに行くのではなく、返却カウンターの傍にある検索システムをまず使ってみることにしました。

 勘が働いたとは思いませんでしたが、お目当てのCDは貸出中だと判明しました。

 たまにはついてないことが連続してしまうことがあります。

 今日はそんなときなのだというだけのことです。

 気を取り直して、私は次の手を考えました。

 ……学校帰りに、商店街のレコード屋さんに行く。

 そして『サムシン・エルス』を手に入れる。

 これなら気が晴れるに違いない。

『サムシン・エルス』はジャズ入門の筆頭に挙げられるほどのメジャーなレコードなのだと、私はCDの解説を読んで知っていました。

 それほどのものならすんなり手に入れられるはず。

 前回は気がつかなかったけど、今日ならきっと……。


      *


 12月になりますから、商店街の眺めもクリスマス・ムード一色になっていました。

 ツリーはもちろん、鮮やかな電飾を始めとした様々なデコレーション、そしてところどころのスピーカーから流れてくるのはもちろんクリスマス・ソングです。

 私でも知っている数々の曲、「ジングル・ベル」、「サイレント・ナイト」、「サンタが街にやってくる」、などなど。

 中にはメロディーはおなじみでもタイトルが分からない曲もありましたが、華やかで明るい雰囲気は変わることがありません。

 商店街を歩く他の人たちと同様に、私もどことなく気分が上向きになってきました。


      *


 足取り軽くレコード屋さんに着くと、大きなスペースではありませんが「クリスマス特集」とされたコーナーが特設されていました。

 私は迷わず賑やかなデザインのディスクが並んだその場所に向かいました。

 店内にはもちろんクリスマス・ソングが流れています。

 私が入ったときはちょうど「ホワイト・クリスマス」のイントロが始まり、私も大好きな演奏、ビング・クロスビーの歌声が聞こえてきました。

 母がこのレコードを持っていて、小さい頃から何度聴いたか分からないくらいです。

 それに中学の英語の教科書にもこの曲は載っていました。

 リスニングのテープに合わせてとはいえ、英語の時間にみんなで歌ったのは奇妙に感じたのを覚えています。

 今年も母と一緒に聴くのだろうなと思いながら、私は並べられたCDを見ていきました。

 フィル・スペクター、ビーチ・ボーイズ、山下達郎(よく見るとコーナーの壁には12インチ・シングルが飾ってありました)、佐野元春、オフコース、松任谷由実、坂本龍一、¥ENレーベルのオムニバス、鈴木さえ子もありました。

 その隣の1枚を私は手に取りました。

 マヘリア・ジャクソンによるクリスマス・ソング集でした。

 私は一見ジャズかと思いましたが、「ゴスペル」と書かれた小さなカードが置かれていました。

 自分が知らないものはまだまだたくさんあるのだとつくづく感じました。


      *


 店内の曲が変わりました。

 しばらくして、私はその演奏がジャズのピアノ・トリオであると分かりました。

 でも誰の演奏かは分かりません。

 曲名は……聴いたことがあるとは思ったもののすぐには出てきませんでした。

 そうだ、クリスマス・ソングのはずだと気がつくと、私はやっと「サンタが街にやってくる」だと分かりました。

 店長さんがいらっしゃるレジの方を見ると、油絵のキャンバスを模した小さな台に「只今の演奏」と書かれたいろがみがありました。

 サンタクロースのかわいいシールが貼ってあります。

 そのすぐ隣に並んでいたディスクは『トリオ'64』というタイトルで、初めて目にするものでした。

 あらためてアーティスト名を見ると、なんと私の好きなビル・エヴァンズのアルバムでした。

 耳慣れたキュートなメロディーがエヴァンズの手にかかるとこうなるのか。

 私は手を止めて聴き入ってしまいました。

 買っていくべきかもしれないと思ったほどです。

 しかし、本来の目的を忘れたわけではありません。

 私はマヘリア・ジャクソンの次に並んだCDに視線を戻しました。

 チャイコフスキーの『くるみ割り人形(全曲)』、演奏はエルネスト・アンセルメの指揮でスイス・ロマンド管弦楽団。

 この演奏者名はこの間覚えたばかりです。

「西洋音楽史」でこの全曲から「花のワルツ」を鑑賞したのですが、先生が選んでこられたのがアンセルメ盤でした。

「クリスマス特集」のコーナーでこのCDを見て、私は「くるみ割り人形」がクリスマス・イヴの夜の話だということを思い出しました。

 講義で鑑賞する前に先生から教わっていたのでした。

 アンセルメの次にはカール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ管弦楽団と合唱団による『クリスマス・オラトリオ』のCDがありました。

 オーケストラと合唱団の名前からすぐに思い当たりましたが、やはりバッハの作品でした。

聖譚曲オラトリオ」となると聴き応えがある長い声楽曲という印象がありますが、この曲も例外ではないようです。

 これの奥にはさり気なく、同じくリヒターによるヘンデルのオラトリオ『メサイア(全曲)』やウィーン少年合唱団のディスクも置かれていました。

 クリスマスは音楽の世界でもひときわ重要なモチーフなのだと、ヴァラエティ豊かなアルバムの数々を目にして感じました。


      *


 私は気分良く帰ることができました。

 クリスマスの雰囲気に助けられたのもよかったのですが、『サムシン・エルス』を無事に購入できたからです。

 実は図書館で借りようと思っていたプレヴィンのガーシュウィン作品集のCDもお店で見つかって、しばらく悩んでしまったのですが、お財布と相談して、初志貫徹を決めました。

 ガーシュウィン作品集、特に「ラプソディー・イン・ブルー」の必聴度は私の中でなおも急上昇を続けることになりました。


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