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先輩と私と先輩と(ジャズとクラシック)  作者: カワヤマソラヒト
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⑨ Sergei Prokofiev (6)


「おっと……つい話がずれちゃったな」


 熱心に語ってくれた土井先輩ですが、言葉を重ねてくださるほど声の様子がつらそうなのが気になりました。

 なのに、私は何も言い出せないままでした。

 一度は先輩の手を取り1号館の学食へと思ったものの、やんわりと断られてしまったので、もう一度お節介するようなことに気が引けていたのです。

 そして、私が何か言うよりも先に土井先輩はまた次の話へと進んでいってしまわれるのでした。


「実はさ、ボクは今日、タマキヘ伝言を頼まれてきたんだ」

「伝言? 私に、ですか?」


 私は一瞬ぽかんとしてしまいましたが、土井先輩に伝言を頼めるような人、それも私にだなんて、たったひとりしかいらっしゃいません。


「タマキが心配してるだろうからって、さ」


 私は涼しい顔でこう言いました。


「ああ、彼女さんのことですか」

「彼女さんて……」


 土井先輩は小さな声でおっしゃると、見事な苦笑いをされていらっしゃいました。


「『西洋音楽史』で、私と並んで講義を受けてくださる、素敵な先輩のことです」

「不思議な衣装で目立つ国籍不明な人……」

「違うんですか?」


 私はちょっぴり意地悪な気分になりました。

 土井先輩はばつの悪そうな表情をしておられました。


「先輩がた、この間はおふたりで電車に乗っていらっしゃって」

「むむっ、見られていたのか」


 土井先輩は苦笑いのレヴェルを上げられたかのようにおっしゃいました。


「まあな、タマキには見られてもなんらおかしくはないけども」

「先輩の最寄り駅で降りて行かれて」

「その話はもういいよ」


 私はその言葉にはかまわずに言いました。

 なんとなく、言葉が溢れてくるような感じになっていました。


「きっと、一度や二度のことではありませんよね」


 私は鎌をかけてみました。


「そうだけど、この辺で終わりにしてくれよ」


 私は土井先輩のそのひとことにドキッとしましたが、やめずに続けました。


「ただの仲よし、というわけではなさそうですよね。特別なおみやげをいただいたようですし、バリ島の」

「どうして知ってるんだ?」

「彼女さんは私のお隣ですし、『なんで逃げたのよ』の日でしたから、よく覚えてます」


 土井先輩はひとつため息をつかれたあとで、こうおっしゃいました。


「なるほど。恐ろしいことだ」

「何がです?」

「どちらも敵に回すのはまずい」


 どちらも?

 私は訊き返したくなりそうでしたが、ひと呼吸置くと続けることにしました。


「彼女さんは、5月頃から先輩に興味があるっておっしゃってましたから、何か間違いが起きておつきあいでもされたらたいへんだなって思ってました」

「ああ、ボクのことが心配だと」

「そうじゃありません。彼女さんのことに決まってます」

「そうですか」

「当然です。彼女さん、とってもまっすぐなかたですよね。こうと決められたら一直線、ていう気がします。私もかくありたいって思っています」

「タマキも民族衣装っぽいの、着てみたいと……」

「違います。まっすぐに、です」


 分かっているくせに。

 私は思いました。


「それに、好きなものをちゃんと好きだっておっしゃれるような、素直なところもです」

「それはそうなのかな。 長所、かもしれないな」


 土井先輩はすんなりとおっしゃいました。


「あんなに素敵な彼女さんが、こんなに怪しい先輩と、だなんて、どこで間違ってしまわれたんでしょうね」

「間違いが起きた、か。あんまりいじめないでくれよ、タマキ」


 私は磨き上げられた土井先輩の苦笑いを見つめながら、溢れるままに言いました。

 不思議な感覚が私を支配していました。


「私はただ彼女さんを見習って、素直になっているんです」

「あ、そ」


 土井先輩はそっぽを向いて「チェッ」とおっしゃったようでした。

 私はつい無防備なひとことを口にしていました。


「先輩って、私とはまともに会話してくださらないですよね」

「そんなことないよ」

「私は茶化されてばかりで……本音が分かりにくいです。いつだって」


 私はここで詰まってしまいました。

 これ以上は自分のわがままになってしまうと思ったのです。


「誰かにも同じようなことを言われた気がするなあ」

にも言われちゃうほど、なんですか?」


 私が敢えて「どなたか」を強調して言うと、土井先輩は少しうなだれてしまわれました。

 私は調子を変えることなく言いました。


「深く反省されるべきですね、先輩」

「むむ……」


 土井先輩が私の様子に気がついていらしたかどうか、私は分かりませんでした。

 気がついていらしたとしても、気がつかないふりをしていらっしゃることが多い。

 土井先輩はそんな一面を持っておられることを、私は知っていました。

 反省されたのかどうかは分かりませんが、うなだれていらっしゃる先輩の表情は苦笑いではなく、目をきつく閉じられたものでした。

 お節介だとしても。

 私は思いました。

 もう一度きちんと伝えておきたい。

 そう決意した私でしたが、土井先輩は突如キリッとされた表情で私の機先を制してしまわれました。


「もう大丈夫だよ、だってさ、タマキ」


 土井先輩は先ほどまでの話はなかったかのようなご様子で、明らかに佐野先輩からの言葉を伝えてくださいました。


「そうですか。それはよかったです。私、嬉しいです」


 私は素直に応えました。

 雰囲気が変わっていくのが感じられました。


「来年、また講堂で会おう、だってさ」

「分かりました。よろしくお伝えください」

「了解」


 私は土井先輩の苦笑いが弱々しくなってきたと思いました。

 今度こそ先輩に強く言わなくてはいけない。

 先輩の話はこれでひと区切りついたはずだと思った私は間髪入れずに言いました。


「先輩」

「なんだい後輩」

「お疲れのようなら、年末年始のお休みの間はしっかり休んで、早く元気になってくださいね」


 心配な気持ちなのは変わりません。

 けれども、私の言葉はどうしてか思っていたより柔らかくなってしまいました。


「確かに」


 土井先輩は聞き入れてくださった。

 そう思うと、ほんのわずかですが、私に自信が戻ってきました。


「彼女さんに、心配かけちゃダメですよ」


 私は佐野先輩の幸せそうな表情を思い浮かべていました。

 電車でお見かけしたときのその表情は、私がそれまで知ることがなかった佐野先輩を感じるのに申し分ないものでした。


「ああ。できるなら、ね」

「私も心配してあげますから」


 私は思わず口にしていました。

 おそらく精一杯の言葉でした。

 土井先輩はにこっとしてくださいました。


「やっぱり面白いヤツだな、タマキって」


 私は話の流れに逆らうことなく土井先輩に言いました。


「そうみたいですね。彼女さんにもそう言われました」

「そうなの?」

「はい」


 私はすぐに佐野先輩の言葉を思い出しました。

 佐野先輩が土井先輩と私を評価してくださった、最上級の誉め言葉のことを。


「結局タマキには、ずいぶん世話になっちゃったかな」

「でしたら、その分は土井先輩に貸しにしておきます」

「そっか。なら、いつか借りを返すよ」

「期待しないで、お待ちしておきます」

「そのうち……ジャズの鑑賞会でもやろうか」


 私にとって願ってもない土井先輩からの提案でした。

 あまりの嬉しさに、私はとてもいい笑顔になっていたと思います。


「本当ですか! それは楽しそうです。アルコールつきですか?」

「いや、やるなら昼間だな。アルコールは抜きで」

「あ、それは残念かも、です。昼間からでもいいと思いますけど……」


 私がアルコール好きということではありません。

 ジャズにアルコールはつきものだと思ったのでした。


「先輩は宵っ張りなんですから、アルコールつきで夜にしたほうが調子がいいんじゃないかと」

「その気持ちは分かるけど、まずは昼間からだ」

「仕方ないですね、分かりました。、ですよね?」


 土井先輩は格調の高い苦笑いをしていらっしゃいました。

 また少し弱くなったように見えました。

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