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先輩と私と先輩と(ジャズとクラシック)  作者: カワヤマソラヒト
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19/33

⑧ Ludwig van Beethoven (2)


「こんなに寒いとお、スカートなんて二度と穿けないと思っちゃうよお」


 早田さんは凍えているかのように少し声を震わせながら言いました。


「あ、そうかもね」

「大川さんはいつもパンツ・ルックで、それがバッチリ決まってるからいいよねえ」

「私は早田さんみたいに女の子らしい服装は似合わないから仕方ないよ」

「なあに言ってんの、大川さんの体型は憧れだよ。あ、否定するのはなしですよお」

「またそんな」

「私は背が低いし、おばさん体型だって自覚してるの」

「そんなふうに言わなくても」

「だからね、私にパンツ・ルックはきついなあとは思ってるんだけど、寒さには勝てないんだよお。毛糸のパンツを重ねて履いてもスカートじゃ耐えられないんだよお」


 私は早田さんが知り合ってからずっと楽しい人であることを思い出して、くすっとしてしまいました。


      *


 早田さんと私は並んで歩きながら、外に出ようとしていました。

 でも、階段を降りていくうちに外からの木枯らしが吹き込んでくると、早田さんは「わあ」と言って立ち止まってしまいました。


「あの、ね、大川さん」

「何?」

「今日のところは学内でもいいかなあ」


 寒そうにしている早田さんを見て、私はその理由が分かる気がしました。


「うん。もちろんかまわないよ」

「よかったあ。すぐにあったかいものが飲めるとこに……そこの学食でもいいかなあ」


 早田さんが言ったのは、私にもおなじみの1号館の学食でした。


「そうだね。そうしよう」

「ありがとね、大川さん」


 私は早田さんにさっき「どこかでお茶でも」と誘われて、まず頭に浮かんだのはラウンジ・ブレンドでした。

 ですが、早田さんは「お茶」と言っていたこと、早田さんがコーヒー好きかどうか分からないこと、ラウンジにどのくらいスイーツがあるか知らないこともあって、提案するのはやめていました。


「ではでは、学食であったかいものでも飲もお」


 学食の自動販売機はちょくちょく利用していたので、早田さんの提案は手頃だと私は思いました。

 急ぎ足で学食に向かう早田さんに続いて、私も急ぎ足で学食へと向かいました。

 学食の中へ入ると、早田さんはやっと安心できたという感じでこう言いました。


「ふぁー。これで生き延びることができるよお」


 学食の中は外よりも相当暖かくなっていました。

 ただ、時刻はもう夕方近いですし、年末近くでもあるのでほとんど人はいませんでした。

 私は肩を落とすように大きく息を吐いた早田さんの様子に、またくすっとしてしまいました。

 早田さんはただ楽しい人なのではなく、とてもかわいい人なのです。

 早田さんと私は自販機の前に着きました。


「えーっと、今日はこれかなあ」


 早田さんはココアを選びました。

 早田さんはお茶にこだわっていたわけではなかったようです。

 私は近頃気に入っている、新製品の紅茶を選びました。

 甘くないストレート・ティーです。

 缶入りの飲み物は甘いものが多かったので、甘くないのは私にとってポイントでした。

 1号館の学食と言えば、私は田中先輩からうかがった予約席のことをすぐ連想します。

 土井先輩と一緒にお昼を食べた席でもありました。

 でも今は、寒さに辟易している早田さんに合わせて、学食の奥に設置されているエアコンの正面の席に座っています。

 エアコンのそばに行こうとする早田さんに、私は「ちょっと待って」と声をかけました。

 あまり近すぎると暑くなってしまい、外に出たときのギャップに体がびっくりしてしまうに違いないので、私はエアコンに近すぎない学食の中央付近の席を勧めていました。


「さっすが大川さんだよお。そんなところまでしっかり考えてくれるなんて。私の頭の中には大川さんが言ってくれたことのひと文字だってなかったんだからあ」

「だったら、言ってみてよかったな」

「もうバンバン言って言って。そのほうが愚かナリの私にはありがたいのです」

「またそんな」


 早田さんは「えへへ」という笑顔になっていました。

 と思いきや、急に表情を変えて早田さんが言いました。


「あ、これって最近CMやってるやつだねえ」


 早田さんはココアの缶を両手で握りながら、私の前にある紅茶を見ていました。


「そうなの?」


 私はテレビを見ないし、ラジオはなるべく毎朝、天気予報やニュースを聞くようにしてはいますが、CMについては疎いのです。


「でね、そのCMに流れているピアノの曲がキレイで、気に入ってるけど、誰のなんて曲なのか分からないんだあ」


 私は早田さんのどこか残念そうな表情を見ながら、土井先輩の苦笑いを思い浮かべていました。


「私ね、今はもう辞めちゃったけど、ピアノ習ってたんだあ」

「え! すごい! 早田さん、ピアニストなんだね」


 早田さんは何気なく言っただけのようですが、私にとってはその言葉が大発見であるかのように聞こえました。


「それはおおげさすぎだよお」

「でも私は楽器なんてなんにもできないし、私からするとピアニストだよ」

「でもでも、私が弾けたのは、モーツァルトと、ベートーヴェンをちょっとずつまでだし」

「すごい!」


 私は小さい音でですが、拍手をしました。

 私がもしも何かの楽器がこなせたなら、土井先輩に教わってばかりではないのかな。

 そんなことを思いながらでした。

 私は早田さんに言いました。


「いいなあ、ピアノが弾けるなんて。かっこいいし、うらやましい」

「じゃあじゃあ、試しにね、うちに弾きにこないかな? いちおね、アップライトだけどピアノがあるの」


 早田さんの言葉が嬉しくて、私はすぐにお礼を言っていました。


「ありがとう、早田さん」

「大川さんが来てくれたら私はバンザイして大歓迎するよお」


 早田さんは実際にバンザイしながらそう言ってくれました。


「それこそおおげさだよ」


 私はにこにこしながら言いました。


「あ」

「ん?」

「調律してもらわないとまずいかなあ……」


 そう言った早田さんはかわいらしい苦笑いをしていました。

 早田さんも私も缶を開けないまま話し続けていたので、紅茶を手に取ると、私は言いました。


「うっかりしてた。飲もう、早田さん」

「そうだった。うっかり、だね」


 早田さんと私はひと息つきました。

 温かい飲み物はホッとさせてくれます。


「大川さんとだったらね、連弾するのも楽しいだろうなあ。案外ね、練習してみたらすぐできる気がするよお、大川さん器用だと思うし」

「そんな」

「弾きやすい感じの曲もあるんだあ。うちにある譜面だと、ラヴェルの『マ・メール・ロワ』とか、おなじみの『ねこふんじゃった』とか」


 私でも『ねこふんじゃった』は知っていますが、ラヴェルは名前を知っているだけで自作曲を聴いたことはまだありません。


「とても楽しそうだけど、私には難しすぎるよ。ピアノはずっと前に音楽室で、指先でちょっと触ってみたくらいしかないから」


 そのときの私は、クラスメイトのみんなが音楽室を出たあとで、おっかなびっくりな感じでちょこんと触ってみただけでした。

 そんな触れかたでもしっかり音が出たので、私は感激でした。

 鍵盤は真ん中辺りの「ド」でした。

 鍵盤と音の対応は教科書に載っていたので知ってはいたのです。

 そんなことを思い出しながら、私は言いました。


「私はむしろ、ピアニスト早田美穂の演奏を聴いてみたいな」

「な、なんですとおっ」

「早田さんのベートーヴェン、聴いてみたい。生の演奏をすぐそばで聴くことができたら、とても素敵なことだし、最低でもティー・タイム3回分は私が払ってもいいなあ」


 私は自分にしてはずいぶん饒舌に話していました。

 自分の思いつきが気に入ったのです。


「そこまで大川さんに言われちゃうと断れないよお……あ、でもすぐには無理だよ。しばらく気合い入れて練習しないと弾けないもん」

「そんなに真剣になってもらわなくてもいいよ。ちょっとだけ弾いてくれたら」

「だーめ。そうは行かないよお。せっかくなら、気持ちを込めるような演奏はできなくってもね、せめてミス・タッチはなしにしたいもん」

「ピアニスト早田美穂、活動再開」


 私はにこにこしながら期待を込めて言いました。


「んーとね、イチオそうなるかもしれないけどね、近頃はちっとも弾いてないし、すっごく待たせちゃうかもしれないよお」

「楽しみにしてるからね」

「では、ではでは、しばらく待たせちゃってごめんなさいですが、大好きな大川さんに聴いてもらえるように頑張ってみるねえ」


 大好き、そう言ってもらえて私は最高に嬉しい気分になりました。


「でもねえ、ひとつ、私のお願いを聞いてもらっていいかなあ」


 私は早田さんの上目遣いをもう一度見ることになりました。


「うん、もちろんいいよ」

「あのね、曲は私が選んでいい?」

「それは逆に、私からお願いすることだよ。私はベートーヴェンのピアノ曲知らないし、一式お願いします」


 座ったままでしたが、私は早田さんに頭をちょこんと下げました。


「よかったあ。緊張のあまり命に関わるかと思ったよお」


 私はついふふふと笑ってしまいました。


「だってね、もしテンポの速い曲や難しい曲だったら、弾けっこないよお」

「そこはもう一式お願いしたから、気にしなくても」

「それにね、大川さんがベートーヴェンのピアノ曲をちっとも知らないってことはないよお」

「え?」

「ほらあ、まずあの曲があるよお。えーっとねえ」


 そう言うと、早田さんはメロディーを口ずさんでくれました。


「タラララ、ララララ、ラン」

「本当だ。私でも知ってる。『エリーゼのために』」

「ピンポーン」


 早田さんは正解であることをひとことで表現してくれました。


「『西洋音楽史』でも聴いたんだった」

「ほらね、有名だもん」


 右手の人差指を立てて、早田さんはにっこりしていました。

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