第二章 月の女帝
月は、コペルニクスクレータの復興だけにこの五年間を費やして来た、と言っていいだろう。「国民一丸」とは古くて危険な臭いのする言葉だが、まさに今の月がそれだった。
その月の一部である、神酒の海。月の裏世界の女帝であるパイア・ギノが住む、アイトゥナがあるところである。ヒュプシピュレ・カオスがカロン・ギギネイと行方をくらまして、地球にある彼女の組織を取り仕切ってくれるようにパイアに電子メールを送って来て以来、パイアは地球にもその勢力を伸ばしていた。
「カロンをとられたのは癪だけど、まァ、その代償としては十分ね」
パイアは当時そう思って、カロンに対する思いを断ち切った。
パイアは、アイトゥナのプライベートルームのベッドに、一糸まとわぬ姿で微睡んでいた。三十一歳になった今でも、その美しい肢体に衰えは見られなかった。
「パイア」
隣で寝ていたパイアより大分若い全裸の男が声をかけた。パイアは思索を破られたようにハッとして男に目を向け、
「何?」
「僕といると、退屈?」
男は少し申し訳なさそうに尋ねた。パイアはフッと笑って男の胸を撫で、
「そんなことないわよ。どうしてそんな風に思うの?」
「だって、パイア、僕を全然見てくれないから」
男はすねたような口ぶりで言った。パイアは苦笑して、
「ごめんごめん。ちょっと考え事していたのよ」
「また、カロンさんのことを考えていたの?」
図星を突かれたパイアは、ギクッとした。しかし冷静を装って、
「違うわよ。月が元通りになって治安がよくなると、私達の商売もやりにくくなるなって思ってたのよ」
「ホントに?」
男はパイアの目を覗き込むように見た。パイアはベッドの脇のテープルにある煙草を取るフリをして顔を背けた。心を見透かされそうな気がしたのだ。そしてライターで火を点け、紫の煙を吐き出しながら、
「貴方ほどの顔と地位なら、私のような年増を相手にしなくても、大丈夫なんじゃないの?」
「パイアは年増なんかじゃないよ」
男は怒ったような声で言い返した。パイアはニッコリ笑って男を見た。
「ありがとう、テス」
そう、若い男はかつて月の支配者であったダン・ディーム・ゲスの息子、テセウス・アスであった。彼はパイアと共に地球に行って来て以来、すっかり彼女の虜になってしまっていた。それでもルナ大学に最高得点で合格するという離れ業をやってのけた秀才である。
「あと一週間で、コペルニクスクレータは完全に復興して、地球共和国の評議会議長を招いて、式典を行うことになっているようだけど、貴方は出席するの?」
パイアが尋ねると、テセウスは天井を見上げて、
「出席しないよ。招待はされているけどね。出ても意味がないし、退屈するだけだ」
「なるほどね」
パイアはベッドから出て、シャワールームに入った。
「もう帰りなさい。お母さんが心配するわよ」
中からパイアは言った。するとテセウスは立ち上がって、
「僕も一緒にシャワーを浴びたら帰るよ」
とシャワールームに飛び込んだ。