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愛と偽善

作者: ポタージュ

僕はどうして、高校へ通っていたのだろう…


と、シャワーを浴びながら思いました。


1人になると結構考え出しますね。


そして、だいたいわからなくなる。


あと、


大切度が、


過程<結果<理由


というのがわかりました。


同じ人を殴るという行為でも、


怒りに任せて自尊心を傷つけられたから殴る のと、


相手を気絶させることが必要だったから殴る のとでは、


たぶんわけが違う。


泥棒の後を追いかけたら 貧しい家庭を守るためにやっていたというのと、


暇つぶしにただスリルを味わうためにやっていた のとでは、


たぶんわけが違う。


大義名分論というわけではないけれど、


たぶんわけが違う。


そして、


たとえ同じ行いに見えていたとしても、


それらの行為は必ずしも同じものと言えるわけではないということだ。


僕は人間の価値を「目的」や「理由」で判断しています。


その人がたとえどんな行為をしていたとしても、

それだけの是非を問おうとはしません。


何かわけがあったのではないか、と思うからです。


例えば、


公共の真ん中で無差別殺人が行われたとしても、


その人には何か「無差別殺人」を行わなければならなかった理由があったのではないか、と思います。


それをすることによって、自分の中の満たされていないものを補おうとしたのではないか、と考えます。


そして、責任は誰にあるのか。


もちろん、殺人をした当人に責任があります。


そして、彼を殺人者たらしめたものに関係しているのは何なのだろうか。


それはきっと、僕らにもある。



バタフライエフェクトという言葉を知っているだろうか。


過去のなんてないことを1つ変えただけで、バカみたいに未来が変わるというものだ。


だからと言って何かできたというわけでもなければ、そうしなければならなかったという義務もないだろう。


だけど、


「誰か」が「何か」を変えていれば、別の未来があった、ということはあると思います。


人というのは、日頃様々な影響下で生きている存在です。


その人の関わった全てものから何かを得ている。


その中の1つに、原因があったのではないのだろうか。



簡単に砕いて話すと、


「私」は友達Aさんから影響を受けています。友達AさんはBさんから、BさんはCさんから、CさんはDさんから……


結果、「私」は本人が全然知らないDさんからも、いやそれからずっと延々に続く関係から少なからず影響を受けているということになります。


これは何も、友達だけに限られることではありません。


何もかもに、該当するのでしょう。


とある日本の人が、とあるブラジルの人に影響を与えているんです(笑)


変な話、貿易とかだと現実的に考えられるんじゃないですかねw


まぁめちゃくちゃな話だとは思いますが。


けれども、それは程度の話であるとも思います。


ブラジルの人だとピンとこないかもしれませんが、


結局のところ、アンテナがどこまで伸びるか。です。



無差別殺人を起こした本人の周りでは 何が起こっていたのだろうか、ということなのだと、思います。


個性や個人差ということもあると思います。特性と言ってもいい。それが他人に理解されるものなのかどうかは、はっきり言ってわかりません。


美人にキスをされて喜ぶ人もいれば、怒る人もいるかもしれない、恐怖に怯える人もいるかもしれない、常識で考えられないだけでそういう人がいるかどうかはわからない。

人間というのはわけのわからない生物だとも思います。


だからといって、当人たちを理解不能だからという理由で放置して彼らを適応できなくさせ、反応としての行動を危険とみなして排除する。


その行いには…本当に同じ人類としての仲間意識や愛が存在しているのでしょうか。


僕にはわからない。


…イギリスの哲学者にハーバード・スペンサーという人物がいます。彼は「適者生存」という言葉を残しました。


確かに、極端に言えば弱肉強食の世界だと思います。ダメなやつは弾かれて終わりだと思います。けど…。


個性や特性の1つだとみなし、壊れる前に適応させられるように世界自体がその都度に変動していく、ということはできないのでしょうか。


偽善がたっぷり詰まった言葉たちですが、


要するに、国が、社会が、責任を持って欲しいというわけでして、それは決して、誰もが本当の意味で完全に「無関係」「無責任」ということはないのだということです。


そしてね、ここで使うんですよ。あの言葉を……





【いや…俺は悪くない、社会が悪い。】



終わり。

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