恋の始まり
5月の終わり頃、暑くじめじめし始めた朝、ゆかりは家の台所に立っていた。
「フンフンフーン♪」
鼻歌を歌いながらお弁当の準備をしている。
「甘い~卵焼き~♪ふわとろ卵焼き~♪」
今日はお弁当にいつもより多めに私の好きな卵焼きを入れる。というのも、昨日こんな話をした。
「横山さん、料理好きなのよね?今度、料理教えてくれないかしら」
放課後のこと、いつも通り家に帰ろうと下駄箱で上履きからローファーに履き替えているとき、横にいた櫻井さんからそんな話をされた。
ぽかーんと櫻井の顔を見てると、
「だめ、かしら。この前の卵焼きが美味しかったから、横山さんに料理を教われば、自分でも作れるようになるのかなって思ったんだけど」
2日ほど前の話、私はお弁当を忘れた隣の席の櫻井まなさんに、自分のお弁当の中から卵焼きをあげた。ちなみに、それ以外もあげようとしたけど、「大丈夫よ、自分で食べて」と断られてしまった。
「卵焼きくらい私作ってくるよ。料理教えるのも構わないけど」
「けど?」
「びっくりした。櫻井さんって料理出来ないの?」
「悪いかしら」
櫻井さんは少し不機嫌そうにこちらの顔を覗き込んでくる。
「ううん、そんなことないよ。えへへ」
「なに?」
文武両道な櫻井さんに出来ないことが出来る。
それが嬉しかった。言わないけど。
「なんでもない!」
ごまかすように笑った。
「ところで、料理教えるのはいいけど、どこで教えるの?」
「横山さんは今週の土曜日は暇かしら?」
「うん、暇だよ」
「なら、私の家に来ない?ある程度料理道具はそろってるわ」
これには驚いた。まさか、家に誘われるとは。
これまでも友達の家には何度か行ったことはあるけど、それはある程度仲良くなってからだったと思う。数日前に卵焼きあげたくらいでいいのだろうか?
「え、いいの?でも、そんないきなりじゃ、櫻井さんや櫻井さんの両親にも迷惑かけちゃうかも」
「大丈夫よ、両親とも海外にいるから」
「海外に?あれ、1人暮らししてるのに料理出来ないの?」
「たくさんは出来ないの。ご飯炊いたり、お味噌汁作ったりは出来るわ。それ以外はレトルトの物や冷凍食品が多いわ。それくらいなら説明見ながら出来るし」
確かに、最近のレトルトや冷凍食品はすごいと思います。私もお弁当の具材によく使うから分かります。調理しやすい、美味しい、値段も高くない。家族の分のお弁当を用意してる身としては、簡単にお弁当の具材が揃うのでとても助かってます。
「なるほど。わかった、土曜日ね。なに作る?」
「そうね・・・。決めてなかったわ、何にしようかしら」
「何が好き?」
こういう時は、自分が一番好きな物を作るのが一番だ。私もお婆ちゃんに料理を教わった時、私が一番好きな物から始めた。そのほうが楽しいしね。
「私は、親子丼ね。親子丼が一番好きだわ」
驚いた。
「私も親子丼が好きなの!一緒だね」
そう、私が最初に教えてもらったのも親子丼だったのです。
ただ、ちょっと声を大きくしすぎました。周りの人たちがこっちを見てます。
「行くよ」
少し顔を下に向け、恥ずかしそうにしてると、櫻井さんが私の手を引いて下駄箱から出る。
初めて繋いだ手は暖かくて、柔らかくて。
「ごめん、大声出しちゃって」
「いいえ。嬉しかったのね、同じなのが」
嬉しかった気持ちが見透かされてて、これまた恥ずかしい気持ちになりました。
好きな食べ物が同じってことくらい、ちょっと嬉しかったけど、そこまで騒ぐことじゃなかったですね。と、反省。
帰り道で、私はお婆ちゃんに親子丼を教えてもらったことを話し、櫻井さんは、なぜ親子丼が好きなのかを話してくれました。
昔、母親がまだ日本にいた頃に、よく作ってもらってたらしいです。
櫻井さんの父親が親子丼が好きで、母親もよく親子丼を作ってたから、櫻井さんもその親子丼を食べて好きになったみたいです。
でも、家族の味には近づけられません。私の親子丼は、私の親子丼でしかない。その家族が作ってつないできた物は、簡単には変わらないものです。
食べ物の話をしてる櫻井さんはとても楽しそうでした。それはきっと、思い出の分もあるのだと思います。
両親とも海外にいる。
思い出を共有出来る人はそばにいない。
どんなに思い出しても食べられない、あの時の親子丼。
なら、自分なら。
今すぐは家族になれなくて。
そばにいるのに2人の思い出もなくて。
どんなに思っても作れない、その親子丼。
でも、新しいページに書き加えられたら。
また、あの時の笑顔を見れたら。
話しながら歩くと、時間はすぐに過ぎてゆくもの
。気付いたら家の前まで来てました。
土曜日に、私の家まで迎えに行くから、私の家の場所を教えて欲しいという櫻井さんの提案にのり、家まで送ってもらいました。
「家まで送り迎えって、恋人みたいだね」
笑いながらそんなことを言うと、櫻井さんは、そうね、と短く返した。
「それじゃあ、土曜日に。さようなら、横山さん」
「うん。さようなら、櫻井さん」
手を振ると、顔の横で小さく振って返してくれた。
ひとりの帰り道、頭に浮かべるのは1人の少女。
喜んで、恥ずかしがって。
もっといろんな表情をみてみたい。
もう、恋はしないって、決めたのに。
結局、女の子ばかりみてしまう。
いけないことなの?それは。
ううん、怖いんだ。また泣いてしまうのが。
裏切られたって、恨んでしまうのが。
土曜日、心を決める。
「私は本当に、彼女が好きなのか」
そのための、確認をする。
それが、昨日の話。
友人からも、家族からも楽しそうだねって言われるくらい浮かれてた。
そして、土曜日。
「うん、あとはそれを丼に移して」
「こうね。よいしょっと」
私は、フライパンに入った具材をご飯の入った丼に移す。
「そう、上手!これで完成だね」
「ええ、ありがとう。横山さんの協力がなかったら途中で諦めてたかもしれないわ」
「そんな大袈裟な」
「本当よ。だから、ありがとう」
「うん!」
いい笑顔。
思わず頬が緩んでしまう。
作った親子丼は、卵焼き同様ふわふわ卵に、柔らかいお肉。そして横山さんの、思い出の詰まった親子丼。
2人で並んで食べるご飯は、とても楽しかった。
「久しぶりに誰かと一緒にご飯を食べたわ」
「学校でも、一緒に食べようよ?」
ここ数日はなんだか恥ずかしくて断っていたのだが、
「ええ、そうね。そうしようかしら」
また、卵焼きでも貰おうかしら。
その後は、お菓子を食べながらお話をしてました。趣味のこと、勉強のこと、中学までのこと、家族のこと。
そして知りました。
横山さんのお母さんは、横山さんがまだ小さい頃に亡くなっていたそうです。
「ごめんなさい。そうとはしらず」
「ううん。ちょっとうらやましいんだ。両親との思い出って」
「そうね。時々、私はどうして1人なんだろうって考えることがあるわ。両親のせいにすることも時々。でも、会おうと思えば会えるって素晴らしいことなのね」
「うん。1人だと寂しい?」
寂しい。
うん。寂しい。
1人でいると、思うことがある。
隣に誰かいたら。
「寂しいわね。部屋がこんなにも広いもの」
横山さんは、顔を伏せている。何か思うことや言いたいことがあるのだろうか。
「横山さん。言いたいことがあるのなら言いなさい」
説教のつもりはない。優しく、つぶやくように話す。
「そばにいるからいつでも言える。なんてことはないわ。人はいつ死ぬか分からないし、生きていてもすぐには話せないこともある。時期を逃すと言いづらいこともあるわ」
いろいろと思うこともある。
「だから、言いたいことがあるのなら、ちゃんと、今、言いなさい」
それはきっと、自分への言葉。
伝えられなかった過去へ、そして、今思いを伝えたい相手がいる自分自身への言葉。
「私、明日、暇なの。だから」
そこで横山さんは顔を上げ、こちらをまっすぐに見つめる。
「私、櫻井さんの家に泊まりたい。だめかな?いきなりだし・・・」
ぶつぶつと呟く彼女へ、
「ええ、いいわよ」
「本当?ホントに?」
横山さんは嬉しそうに、確かめるように繰り返す。
「そんなに嬉しい?」
「うん!」
そこでまた顔を下げるも、今度はすぐに上げる。
「私も寂しかったりするんだ。家は、お父さんと弟しかいないから。友達の家にもなかなか行けなかったりするし」
「今日は朝まで語り合う?」
「さすがに夜は眠るよ」
2人で笑いながらくだらないことを話す。
それだけでも、きっと楽しい。
「あ、そうだ。いつまでも苗字じゃなくて、名前で呼ぼうよ」
「名前で?」
「うん。えーっと、まなさん」
友達同士なら名前で呼ぶことくらい普通なはずなのに、それはちょっぴり恥ずかしくて。
「なら・・・、ゆかりさん」
「えへへ、なんか改まって言うと恥ずかしいね」
互いに目線を外し、相手はどうしてるだろうと確認するため相手を見て、また目線が合う。
それが、余計に恥ずかしくて。
だから、この時の私は、恥ずかしさからおかしくなっていたのだろう。
だから、言ってしまった。
「ゆかりさん」
「なに?まなさん」
「私、ゆかりさんのこと、好きよ」
「え!?」
顔を赤くして、おどおどしてるゆかりさん。かわいい。
「そ、それって、友達としてだよね!そうだよね!」
明るくて、元気で、可愛らしくて、私のことちょっとは考えてくれて。
そんな当たり前のことでも、嬉しくて。
だから私も、
「いいえ。ライクではなく」
あの時言えなかったことを言おう。
「ラブのほうよ」
とびっきりの笑顔で。