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6/13 後半部分を一部加筆修正
夕日も沈みかけたころに帰路についた二人の影を、道路を行き交う車のライトが色濃く映し出した。
他には遠間隔に配置された電灯くらいしか明かりが無く、遠く先が見えないくらいに暗くなっていたが特に不安は無かった。
なにせ毎日自分の足で歩いて通っている道のりなのだ。間違えるはずも無い。
冬至の家は学園から歩いて二十分程離れた所にある。
自転車でも使えばその半分ほどで着くだろうし、駅から通っているバスを使えば尚の事早いが、わざわざそこまでする必要もそのつもりも無かった。
中身の詰まったスクールバッグを肩に背負って歩くのは、毎日特別鍛えているわけでもない冬至にとって疲れることではあったが、二人でゆっくりと帰る道のりはその重さを忘れさせてくれた。
「・・・・・・それにしても、冬至が授業中眠るなんてちょっと意外だった」
「俺もだよ。真面目に板書してたつもりが、気づいたら寝てたんだもんな」
「・・・・・・放課後までそのまま起きなかったことも意外だった」
「ま、まあ、たまにはこれくらい許されるだろ。いままではちゃんと授業受けてたんだし」
勉強に対する姿勢はともかくとして、冬至は授業態度に関しては真面目と言える方だ。
帰ってから勉強に費やす時間を最小限にするため、授業でやったことはできるだけ授業時間内に覚えるようにしていたし、その甲斐あってか試験前には板書を纏めたノートを見るだけでもそれなりの点数を取ることが出来た。
と言ってもその程度で高得点を取れるほど試験が甘いわけでもなく、毎日予習復習を欠かさずに勉強しているような本当に真面目な生徒と比べてしまえば見劣りするが仕方ない。
「たまにでもダメ・・・・・・冬至はもっと反省するべき」
「ですよね・・・・・・」
迷うことなく叱咤する紗雪に冬至は肩を落とした。
中学以前は紗雪も冬至とほぼ同じくらいの成績だったのだが、進学して周りのレベルが上がったというのに常に学年でも上位の成績を残すようになった幼馴染に言われてしまえば返す言葉も無かった。
「そういえばあの時、私が起こすまでの間唸ってたけど・・・・・・悪い夢でも見てたの?」
「そんな所だ。確か――」
教室で冬至が眠りこけていた時のことを思い出すかのように、指をあごに当てて紗雪が言った。冬至も頭を掻くようにして記憶をまさぐる。
見知らぬ校舎で目覚める。なぜか自分の記憶も思い出せないまま、辺りを彷徨った。そうすると少女を襲ってその肉を食っていた化物に――
そこで一旦思考が止まった。不幸にも、と言うべきか。夢で見たその光景を鮮明に思い出すことが出来てしまったのだ。
急に胃から込み上げてくるものがある。頭に浮かべて気持ちのいいものでは無かった。
思わずしかめっ面を浮かべてしまう。
「どうかした?」
「いや、なんでもねーよ・・・・・・最近になって追いかけられる夢ばっかり見るんだけどさ。さっきもその夢を見てたから、唸ってた原因はそれだろうな」
「・・・・・・追いかけられる?」
「それがひどい夢でな。気がついたら学校みたいな所に居て、そこで犬みたいな狼みたいな化物に追いかけられて――最後にはそいつに殺される所で目が覚めるんだ」
出来るだけグロテスクな描写を避けるように、簡潔に伝える。
わざわざ詳しく言ったところで言う方も聞く方も気分がよくなる話では無い。思い出すだけでも気分が悪くなっきたくらいなのだ。
「そういえば、さっき見た時はいつもと終わり方が違ったな」
「・・・・・・悪い方に?」
「良い方にだよ。誰かさんが起こそうとしてくれたからか、お陰様でな」
「・・・・・・良かった。どう変わったの?」
「ああ、確か・・・・・・」
目覚める直前の出来事を思い出そうとしたその瞬間、神経に直接針を刺すような鋭い感覚が喉元に走った。
(――痛っ! なんだ今の)
堪えられない程の痛みでは無かった。しかし冬至がそのまま思い出そうとし続けると、それに比例するかのように痛みが激しく強まって行く。
喉元を手で抑えつけると、痛みはその一瞬の内に収まっていた。
「・・・・・・どうかしたの?」
紗雪が心配そうな顔を見せる。
彼女からすれば、冬至が会話をいきなり中断して喉を抑えたのだから、さぞ不審に見えたことだろう。
「あ、いや、なんでもない。確か――誰かの起きろ、起きろって声で化物に殺される前に夢から覚めたんだ。あれが無かったらいつも通り最悪の寝起きだっただろうな」
再び回想するが、今度は何ら問題なく思い出すことが出来た。そういえば、あの時聞こえた声は結局何だったのだろうか。
隣から聞こえる紗雪の声とも違うその声。夢の話と言ってしまえばそれまでだが、妙に気になっていた。
「毎日映画ばっかりみて、夜更かしするからそうなる」
「やっぱそれが原因かなぁ。でもあの夢見るようになったのは最近になってからだし、何か違う気もするんだよなぁ・・・・・・」
「絶対そう。だから映画を見なければいい」
「それだけは無理、無理だし嫌だから。絶対にNO」
即答だった。
「・・・・・・そこまで言う?」
「俺の一番の趣味だしな。それに、家に一人だと集めた映画のDVDを消化するくらいしかやることないんだよ。録画した映画も中古屋で買い集めてる映画も、さっさと見ないと積んだまま山になっちまうし」
冬至は映画全般、特にホラー作品を見るのが好きで、何かしら新しいことに手をつけてもすぐ飽きてしまいがちな彼にとって、唯一長続きしている趣味と言ってもいいほどだ。
最近見たホラー映画は珍しくP.O.V.形式、つまり一人称視点を採用していて、主人公であるTVクルーのカメラマンの視点から撮ったドキュメンタリー映画を見ているかのような、生々しいほどのリアルさを持った作品だった。
主人公の周囲の人物が一人、また一人と犠牲となって消えていき、そしてラストシーンでは主人公も同様に、凄惨な死を遂げる。その映像を、主人公が床に落とした大型の撮影用カメラだけが見つめていた。そこには何の救いも無かった。
清々しい程のバッドエンドと、濃密なホラーとスプラッタ描写をのめり込むようにして体験できて久々に満足できた。
もっともその夜、その映画の主役になって映画の内容を追体験する夢を見てからは、再びそのDVDを再生することはなかったが。
最近見るようになった夢ほどリアルでは無かったが、それでも十分恐ろしいと思わされるような内容だった。映画として見る分には一向に構わなかったが、それを体感したいとまではさすがに思っていなかった。
「大体、昨日はそんなに言われるほど遅く寝たつもりは無い。むしろいつもより早いくらいだったし」
「・・・・・・何時に寝たの?」
言ってからしまった、と思う。紗雪の考える「遅い」と冬至の考える「遅い」には大きな開きがあるのだ。とはいえもう口にした以上はどうしようもない。
諦めてなんとか誤魔かす方向へと持っていく。
「夜中のたしか十二時くらいだったかな? ・・・・・・寝る体制に入ったのは」
「・・・・・・それでも遅いけど・・・・・・布団に入ったのは、何時?」
「うっ」
「・・・・・・何時?」
腰に手を当てて、紗雪が冬至の目をじっと注視した。
自身に向けられた二つの瞳の迫力に飲み込まれそうになる。
「・・・・・・一時過ぎです。言い訳のしようもございませんです」
「・・・・・・遅すぎ」
結局、視線に耐え切れず全て正直に告げると、当然のように呆れた顔を返されることになった。
といっても、これでも冬至にとっては本当に早く寝た部類に入るのだ。なにせ、普段は学校がある日ですら二時、三時過ぎまで起きていることも珍しくないのだから。
とはいえ、そんなことを今この場で言って余計に呆れさせる意味もないので、口出すことはしなかった。
「不健康すぎ・・・・・・せめて私くらいには生活習慣を改めるべき」
「いや、紗雪は自分の生活が世間一般レベルじゃないことを自覚するべきだと思う」
「私みたいな生活をしてる人なんて、どこにでも居る」
「毎日夜の十時頃まで道場で特訓してから寝るとか、毎日朝早くから起きて町内を何週も駆け抜けてから登校とか。どこが普通なんだよ!」
「別に大したことじゃない。やればできる。父さんもいつも言ってる」
紗雪の父親であり、地元でも有名な実戦向きの護身術を教える道場の主。それが犬伏源八その人だ。
鋭い目付きと、強面な作りの顔。それを補強するように大柄で筋肉質な体躯が合わさって、遠目にも近寄りがたいオーラを常にを身にまとっている。
見かけこそ鬼より怖いといった感じだが見かけに反して結構な人格者で、冬至も小さい頃犬伏家に遊びに行った際には良くしてもらった記憶が幾つもあった。
しかしながら『実戦』で使える護身術というのを宣伝文句にするだけあって喉潰しや金的蹴り、両目潰しなど、競技でやったなら即失格になるような相手の急所を的確に攻撃する技術や、相手と対峙した時にどうすれば躊躇わず攻撃できるようになるかなど。
およそ普通の道場とはかけ離れたことを教えていたせいか、良い意味で有名とは言えなかった。
「紗雪は親父さんの道場で鍛えてるからできるんだろうけど・・・・・・俺には絶対無理だって。というかそれ、毎日出来る奴のほうが絶対少ないから」
そんな道場で幼い頃からこの年になるまで修練に励んでいただけあって、紗雪の身体能力も比例して上がっていた。
彼女が体育の授業で常にトップの成績を出していることがその証明になるだろう。
格闘の技術に関しては今のところ披露されたことが無かったが、冬至はその機会が永遠に来なければ良いと密かに願っていた。
「そうなの?」
「そうなの! 確かに俺が不健康すぎるってのは自分でもわかっちゃいるんだけどさ」
「・・・・・・なら、直すべき」
真剣な眼差しで紗雪が顔を見据えてくる。
自分の身体を心配してくれている事は分かってはいたが、お節介が過ぎるとも思わずには居られなかった。
多少夜更かしした所で急に眠くなることも疲れが貯まるということも殆ど無かったし、それで日常生活に支障が出ることも学業を疎かにすることも無かったのだ。少なくとも今日までは。
「今更紗雪が言うところの健康な生活って奴に変えるのは厳しいものがあってだな」
「なら提案がある」
「・・・・・・なんでしょうか?」
「冬至が健全な暮らしができるようになるまで、私が見張ってあげる。これで解決」
「おま・・・・・それって、まさか一緒に俺の家で暮らすって事か?」
「そうだけど・・・・・・・何?」
紗雪がちょこんと不思議そうに首を傾げる。どうやら完全に無自覚での発言らしかった。
彼女から男として信頼されているというよりも、それ以前に幼馴染としか見られていない気がしてならない。
「そ、そこまでしてくれなくていいって。俺が俺の意思でどうにかしなきゃならないことなんだし。早い内に直せるよう努力はするから」
そこまで自分にしてくれるという事自体は嬉しかったが、口早に断った。
魅力的な提案だとは思うのだが、仮に実行した場合彼女の言う健全な生活リズムに合わせると一日とて自分の身がもたないだろう。
「・・・・・・わかった」
渋々といった様子ではあったが紗雪も承知した。
「早く寝ないからすぐに起きれないのは事実。そこだけでも直したほうがいい・・・・・・さっきだって、何度揺すっても起きなかった。“いろいろ”試して起こそうとしたけど、それでもさっぱりだった」
「そうだな。これからはなるべく早寝出来るよう心がけて・・・・・・いや、ちょっと待て。いろいろ?」
とりあえずといった感じで肯定の言葉を言いかけた冬至だったが、彼女の放った“いろいろ”というフレーズが妙に引っかかった。
「・・・・・・いろいろ。具体的には――」
「いや、別にそれを言って欲しいってわけじゃ」
「まず鼻を――」
「わかった! もう学校で居眠りとかしないし、仮に間違ってそんなことがあっても直ぐ起きるようにする! だからこの話はやめにしよう! やめやめ!」
世の中には知らない方が良い事もある。
何をされたのか多少気になりはしたが、それ以上に知らないほうが精神衛生上良いだろうと冬至は即座に判断して紗雪の話を遮るようにまくし立てた。
「・・・・・・反省してる?」
「してます! それこそイヤになるくらいに後悔もしてるんで、勘弁して下さい・・・・・・」
冬至の口から反省の言葉が飛び出る。偽りない心からの言葉だった。なぜか敬語口調になっていた。
「なら、いい」
短くそう返事を返した彼女の横顔は、どこか満足気に見えた。