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<2>

 常代学園では、土曜日を除いて学校の有る日には必ず日直が当番制で回ってきた。

 仕事の内容は学級日誌への記入と放課後の教室の清掃。そして生徒全員が教室を出た後の鍵締めだ。

 順番は出席番号の順で、男子と女子一人ずつに役割が渡される。

 今日は冬至ともう一人・・・・・・すなわち今まさに目の前で冬至に大して怒りをあらわにしている少女、神崎葵(かんざきあおい)がその当番だった。

 丸みがかった可愛らしい顔には赤いフレームのメガネが掛けられ、腰まである長い髪は三つ編みにして一つに纏められている。ぱっちりと開いた瞳は藍色で、そこだけが先祖にいるであろう外国からの血筋を感じさせた。

 それに加えてクラスの女子の平均よりも大分小柄な体型である。同学年であることを証明する校章のバッジを胸に付けていなかったなら、とてもじゃないが同年代だとは思えないような、そんな外見だ。

 背の高い部類に入る冬至と紗雪の横に立って教室の前に居ると、遠目には中等部に入りたての生徒と高等部の先輩二人といった感じにも見えただろう。

 その中等部の生徒に見える方の生徒が、高等部の生徒に対してがなり立ててさえいなければの話だが。


「柏木さんが眠りこけているおかげで、ゆっくりと日直の仕事ができましたよ」

「あの、あ、神崎さん・・・・・・怒ってらっしゃいます?」


 たっぷりと皮肉を込めたような口調で神崎がそう告げた。あまりの気迫に思いがけず声がどもり、敬語になった。

 クラスが一緒になってからというもの、神崎が怒っている所を見るのはこれが初めての経験だった。


「別に! 怒ってなんか! いませんから!」

(――いや、どこからどう見たって怒ってるじゃん!)


 顔を赤くして息を荒げる神崎を見て、冬至は突っ込みたくなる気持ちをなんとか抑えた。

 こんなことでそこまで怒らないでもいいじゃないかと思わないでもなかったが、自分がやったことなので口に出来るはずもなかった。

 彼女が現在怒りをあらわにしているのは、元を正せば冬至がぐっすり眠りこけ、日直の仕事を神崎に丸投げしたことにあるのだから。

 一応日誌は途中まで冬至も書いていたからそれは問題無いとしても、清掃と鍵締めは完全にアウトだ。加えてその理由が、授業中から続く居眠りと来ている。

 蹴り起こす事こそされなかったが、彼女からすれば皮肉を込めて怒りの言葉をまくし立てるくらいには許せない事らしかった。

 冬至からすれば、自分より小柄な少女に責め立てられるよりは、机から引きずり下ろされて無理やりにでも起こされたほうがまだマシだったように思えた。もっとも、それはそれで情けないことではあるのだが。


「いいですか、柏木さん! そもそも学校は学ぶ所であって寝る所じゃ無いんですよ! それを今の今までずっと・・・・・・自分がどれだけ眠ってたか分かってるんですか?」

「いや、その、いつもは割りと真面目に授業を受けて・・・・・・」


 これは事実だ。いつも板書はしっかりとっているし、授業それ自体にもきちんと耳を傾け聞いていた。

 だからこそ自分でもいつの間にか眠っていたというのが信じられないくらいだったのだが。


「・・・・・・いま何て言ったんですか?」

「いつもは真面目に・・・・・・」

「真面目に? 真面目に授業を聞いていると眠くなるんですか?」

「・・・・・・なんでもありません」


 しかし、爆睡している光景をしっかりと魅せつけた後でそれを言ったところで、今更信じてもらえるはずもない。諦めて神妙に口を閉じたままにした方がまだいくらかマシだ。

 彼女が生真面目な性格をしていることは同じクラスになってからちょくちょく話すようになって知っていた。

 学業優秀で品行方正。かと言って根暗でガリ勉と言うわけでもなく、人付き合いもするほう。

 裏表のないなんでもはっきり言う性格から、冬至自身彼女から多少キツい事をいわれることもあったが、それがむしろ話しやすいと思わされる相手ではあった。

 しかし一度頭に血が昇るとなかなか収まらないという今まで知らなかった――そして知りたくもなかった事実を実体験して、正直今直ぐにでも帰りたい気分だった。


「・・・・・・葵、落ち着いて」

「犬伏さん、あなたもですよ!」


 紗雪が神崎を宥めに入ってくれたが、むしろ火に油だった。一度説教モードに入った彼女の勢いは止まるところを知らず、辺りを巻き込むようにして燃え広がって行く。


「・・・・・・私も?」


 紗雪が小首をかしげて聞き返した。

 いつもの無表情のままではあったが、それでも整った顔立ちをしているだけの事はあってそういった何気ないひとつひとつの仕草が魅力的に見える。

 自分より一回りも小さな神崎に説教されている最中だったというのに、それを見た瞬間冬至は先ほどまでの憂鬱な気持ちがかき消えるのを感じた。

 同時に、自分のあまりに単純過ぎる思考回路に恐怖する。――こんなんで良いのか、俺。


「どうして?」

「柏木さんを起こしてから、まるで私がいないもののように気にせず話し始めちゃうし! しまいには目の前でイチャイチャし始めて、いくらこ、ここ、恋人同士だからって! もっとTPOとかそういった物をですね・・・・・・えっと、その・・・・・・」


 途中まで喋りかけて、元々赤くなっていた顔をとうとう耳まで真っ赤にして言いよどむ。

 恋愛関係の話については大分奥手な方、というのも神崎について新しく知ったことに追加したほうが良さそうだった。ある意味、見た目相応とも言えるだろう。

 しかし、と冬至は思う。どうやら彼女は紗雪と自分の関係について、前提からして大きな勘違いをしているようだった。


「ちょっと待て。落ち着け! 別に俺たちはイチャイチャとかしてなかったし、ただ普通に話してただけだから! いや、というかそれ以前に。別に付き合ってるとか恋人同士とかじゃなく、ただの幼馴染なだけだから」

「え? ・・・・・・そうなんですか?」


 割って入ってきた冬至の発言に、神崎が一瞬きょとんとした顔を浮かべる。どうやら本気でそう思い込んでいたらしい。

 赤いメガネの向こうで藍色の目が丸くなっていた。


「・・・・・・そう。冬至とは、ただの幼馴染」


 紗雪がいつもの色を感じさせない表情で簡潔に、同調するように答える。


「そうだったんですか。お二人共、いつも一緒に居ることが多いし、とても仲が良さそうに見えたから・・・・・・てっきりそういうことなのかとばかり」

「そういうこと、だったら良かったんだけどな・・・・・・」


 紗雪と神崎には聞こえないような声で、ボソリと冬至が呟いた。

 十年近く紗雪と一緒に居るというのに、冬至は未だにその好意を告白出来ずにいた。

 幼馴染としての付き合いが長すぎて、告白するタイミングを失ったと言うべきか。あるいは今の関係を失いたくないからぬるま湯に浸かったままでいると言うべきか。

 いずれにせよそのうち言葉にしようと思ってはいるのだが、それを実行できるようになるのは当分先になりそうだった。


「む、何か言いましたか?」

(――今ので聞こえたのかよ!)


 呟くような小さな声で言ったというのに、どういうわけか神崎の耳には入ったらしい。紗雪の方を向いていた彼女の小さな顔が冬至の方へと向き直る。

 耳ざといと言うべきか、感覚が鋭いと言うべきか。いずれにせよ彼女の近くで迂闊なことは口に出来ないらしい。


「いや、全然まったく、何にも」

「んー?」


 冬至は出来るだけ表情を浮かべないよう意識してそう答えた。

 意識しすぎて逆に不自然な形になっていたかもしれないが、思ったことがすぐ顔に出る性格だからこればかりはどうしようもない。


「・・・・・・まあいいですけど。それにしたって仲が良すぎると思うんです。大体ですよ、お二人とも毎日休み時間になったら二人で話しこんじゃって、まあそれが悪いことだとは思いませんけど、でももっと他の方たちと交流を持つべきだと思います! そもそもですね――」


 一瞬訝しげな表情を浮かべたが、それもすぐに消えて神崎の熱が再び盛り返した。

 議題がいつの間にか冬至のことから冬至と紗雪の関係についての話に摩り替わっていたが、指摘する気にはならなかった。言われてみれば確かに思い当たる節がある。冬至はゆっくりと記憶を振り返った。


(――確か今年を含めて四年間の内、中一の時と中三年の時、それと今年もだから三年間は紗雪と同じクラスになったわけだけど。確かにクラスが同じ時はいつも休み時間は一緒に居たような気が・・・・・・。そういや、クラスが違った頃も昼飯は一緒にラウンジで食べてたっけか。でもそんだけで付き合ってるように見えんのか? 男女で飯食ってる奴なんて他にも居るし、ちょっと過敏すぎるんじゃ・・・・・・)


「――で、私が思うにそういった事は正式にお付き合いしている相手とだけするべきだと思うんですよ! でも最近の娘は相手の事なんてお構いなしに行動して・・・・・・好きな相手の事なのに、その人の気持ちを考えないで無理やり押し付けるのはどうかなって思うんです。だから――」


 そうこう考えていると、神崎のまくし立てている内容がいつの間にか二人に対する説教から健全な男女の付き合い方がどうのという、今時の女子高校生とは思えないような――実際見た目の上では高校生には見えないのだが――話へとシフトしていた。

 どうやら昨今では珍しいと言えるくらいにしっかりとした貞操観念を持っているらしかった。

 そういえば、神崎の実家が実は旧華族の出自らしいという噂を思い出す。

 又聞きしたような話だから信憑性も何もないが、それが真実なら親から受けた教育のせいで、男と女の関係に妙な考えやこだわりがあっても不思議ではない。

 が、それなら親が男女共学の学校に来させる理由も分からない。

 確かに常代学園は進学校だし、学習環境自体もかなりいい部類に入る。

 だがその上にも下にも女子高は存在するし、その中にはこの学園より環境の良い所だってあるだろう。

 神崎は学年でも上から片手で数えたほうが早いくらいの成績をキープしているから、単純に学力の問題というわけでもないだろうし、ますますもって謎だった。

 意識が次第に目の前から頭の中へと離れていく。そうやって真偽も曖昧な噂のことを憶測だけで本気になって考えているうちに、彼女の話している内容が完全に耳から耳へと素通りして、頭から抜けていった。


「――なんですよ! そうすれば皆幸せになれるんです。お二人もそう思いますよね!」


 だから、突然感極まったようにそう締めくくった神崎を見て冬至が驚いて、思わず身体を震わせてしまったのも仕方のない事だろう。

 神崎は冬至と紗雪の両名に大して、やたらと熱のこもった狂気的な視線を向けた。喋り疲れたかの様に小柄な肩を上下させ、大きな三つ編みを揺らす。

 重くないんだろうかと、こんな時にどうでもいい考えが頭をよぎった。

 子供のようにも見える丸顔を真っ赤にしているのが、高揚した気分でしゃべり続けたからといった感じにも見えるがあながち間違いでもないのだろう。

 興奮しきっている状態には違いない。もしここで正直に、途中から聞いてませんでした、などと言ったならどうなるだろうか。また同じ事を延々と繰り返すのだろうか、それとも・・・・・・。

 何にせよ、肯定の言葉以外はとてもじゃないが言えない雰囲気だ。


「そ、そうだな。きっと、神崎さんの言う通りなんじゃないかと思うよ。まあ、一般論でね?」


 できるだけ曖昧になるような言い方で同意を表した。下手なことを言うと責任を取らされそうな感じがしたからだ。何の責任かまでは後半の話を聞き流していたので、とてもじゃないが分からなかったが。

 そうしてから、隣で眠たげな目をしている紗雪に適当に合わせてくれ、と、言外にそう意思を込めて目配せした。

 視線に気づいた紗雪が、ゆっくりと、小さく頷いて返事を返す。紗雪も場の空気は読める方だった。


「問題ない。葵の話、ばっちり私達に伝わった」


「そうですか! あ、時間がそろそろ不味いですね・・・・・・いつの間にこんなに経ってたんだろ。鍵と日誌は私が責任をもって職員室に届けてきますから、お二人は先に帰って下さって構いませんよ」


 廊下の窓から外を見ると、もう夕日も沈みかかっているのが見えた。そろそろ帰らないと家に着く前には日が沈みきってしまうことだろう。


「いや、それはさすがに悪いというか――」

「もう! ここまで人にさせておいて何言ってるんですか! それにどうせ大した手間でもありませんから、気にしなくても結構ですよ。それじゃあまた明日、学校でお会いしましょう」


 神崎の赤らんだ顔は、いつの間にか元の透き通るような白へと戻っていた。

 言いたいことは言い尽くしたといったようなスッキリした笑顔で別れを告げると、冬至が言い終わるのを待たずにそう言い残して足早に去っていった。

 後には燃え尽きたかのように立ち尽くす二人と、彼女の履いている革靴の音が小気味よく遠くから響いてくるばかりだった。


「あー・・・・・・俺たちも帰るか」

「・・・・・・そうする」


 紗雪がコクリと頷いた。立って話を聞いていただけだというのに、妙な疲れが全身を覆っていた。

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