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第六章~侵犯~


 波乱の自己紹介、あの日から二日が経っていた。少しずつだか組織に馴染んできている。


 殺人未遂の少女、香織だけは未だ掴めないのだが。


 しかし考えてみればおかしい話である。一介の組織が心-ココロ-テクノロジーに反逆する……それは良いとしよう。


 この腐った国に異論を唱える反乱組織がいるのはおかしくない。龍と同じ考えを持つ人が居たように、ここ以外にもまだまだあるのかもしれない。


 しかし、だが、しかれども。


「全メンバーがこの俺を含め、たったの五人ってどうよ」


 叢正人生、月波恋、夢園蘭乃、香織、そして天羽龍。彼らが日本を掌理する企業に立ち向かうべく集まった人員の全てだったのだ。


 正気の沙汰とは思えない。


「でもでも天羽くん、少数精鋭って格好良くない?」


「月波、お前は馬鹿なのか」


「む、失礼な! 馬鹿じゃないよ。それに、私だって強いんだし大丈夫!」


 軽い足取りで龍の横を歩く恋の結わえた髪がぴょんぴょんと跳ねる。彼女は本当に楽しそうに過ごしている。


「お前は……」


 彼女は……何故、ここにいるのだろう。どうして、戦う道を選んだのだろう。何を、背負っているのだろう――


 龍はとある扉の前に着いたのを確認すると、余計な思考を切り上げることにした。


「叢さん、月波です」


「この俺もいるぜ」


 恋が扉を控えめに叩くと、少ししてから中から「入れ」と声が聞こえたので入室する。


 初めて会ったときと同じく、叢は椅子に腰掛けていた。


「よぉ、叢。おひさー」


「黙っておけ」


 くそう。覚えておけ。


「恋、今日はお前に大事な役目を与える。聞き逃すな」


「はい」


「そして龍。早速だがお前はどんな力が欲しい」


「随分と面白い質問だぜ」


 己が欲する力――腕力、財力、知力、体力、独力、勢力、そういう類の話なのか。


 違うだろう。龍にはおおよその察しがついていた。


 おそらくは己が欲する力――それは武力、能力、《アストラルハーツ》を示すのだと。



「今から俺と恋でお前専用の武器、アストラルハーツを奪いに行く。どんな代物が欲しいかと聞いているのだ」


「待て、話が読めねぇぞ」


 力に関しての予想は的中していた。反して話の概容が全く解らない。奪いに行く、とは一体どういう意味なのか。


 龍が疑問を投げかけると叢は呆れたように目線を反らし、口を開いた。


「アストラルハーツはネット通販で買える物でもなければ、空から落ちてもこない。現実、お前は存在すら知らなかった」


 確かにその通りだ。心情売却装置のように世間一般に普及していない。もしアストラルハーツが日本を跳梁跋扈しているなら、気づかない筈がない。



 つまりは表沙汰にならないようにしているということ。


「どこにあるか解るか?」


 心を消費する兵器――そんなことを聞いて、まず思い浮かべるのはあの企業。


 心-ココロ-テクノロジー。


 百人いれば百人が言ってもおかしくないだろう。が、常識的に考えれば違う筈だ。


「いや、それが正解だ」


「……」


 叢はまたも考えを読み取り、嘲笑うかのように言い放つ。


 龍は心底呆れていた。


「てめぇ、馬鹿か? なんだって敵組織を潰す戦力を手に入れるためだけに、敵の牙城に足を踏み入れるんだよ……」


「諜報活動を兼ねて、だ。第一行くのは本拠地ではない」


 潜入するのはアストラルハーツを製造する工場とのこと。それを奪う。奴らが創った兵器が奴らを滅ぼすのだ。


「さらに言うならば今、このタイミングで潰しても意味をなさないのだ。理由は問うな」


 ――答えるつもりはない。叢はそう付け足した。組織の人間でも明かさない秘密があるのか、単に龍が信用されてないだけなのか。


「そろそろ答えてくれ、龍。お前はどんな力が欲しい」


「力、武器……ね」


 どんな物があるのだろう。空間を切断したり、炎を操ったり出来てしまうのだろうか。


 どうでもよかった。


 細かく言えば、それよりも優先する事情がある。龍には必ず言っておかなければならないことがあったのだ。


「なぁ、オッサン。頼みがあるんだが……いいか」


 叢の顔つきが酷く不満げに歪んだ。その尋常でない迫力の目が、貫くように龍を睨む。


 ……まあ叢からの質問をことごとく無視してるので当然か。


「聞いてやろう。だがそれが終わり次第、俺の問いに迅速に答えろ」


「ああ」


 龍は一歩前に出る。叢は既に内容を、真実を見抜いたりしているのだろうか。


 それはそれで面白い。龍は座る叢を見下ろし、口を開く。


「さっき言ってたよな、お前と月波で武器を奪いに行くと。その役をこの俺にやらせろ」


「ふぇ?」


「……ほう」


「わっ、わわ! ちょ、ちょっと待ってよ天羽くん! と~っても危険な場所なんだよ!?」


 恋があたふたと龍と叢を交互に見る。一々愛らしい動きは予想外の話にどうしたらいいのか解らないようだ。


「ばーか、危険だからこの俺が行くんだろうが」


 恋を危険な目に遭わせたくない。そして、危険な目に遭いたいから龍は行くのだ。


「叢、意思は伝えた……お前に任せるぜ――」




 心情売却装置。


 あれが普及してから日本は変わり始めた。狂い始めたと言ってもいいのかもしれない。


 周りから見ればおかしいのは一目瞭然なのだ。


 昔は裏で臓器売買という取引があったらしい。それもまた随分と物騒な話だが、心を売るよりはマシだと思ってしまう。


 臓器は一つ二つしかないが、感情や記憶はいくらでも増えていく――そう言った馬鹿なお偉いさんもいるらしい。


 それは確かにそうだ。


 記憶なんてどうせいつかは忘れる。怒りだって時が経てば引いていく。それが早まるだけ。


 ――少しくらい大丈夫。


 その感覚が一番恐ろしい。


 人が、自分と同じ人間が、元来欠けてはならない己の感情をそんな軽い気持ちで考え、思い、消していくことが。


「あれだ」


「……ああ」


 龍の思考を遮るかのように、ビルの屋上から街を見下ろす叢がある建物を指差す。


 はっきりとは見えないが、ぼろい駄菓子屋のようだった。店前にはアイスクリームと書かれた旗が風でなびいている。


「へぇ、公園もそうだが……あんな古い店がまだこの都市にあったんだな」


「そうだ。高層ビルや大型チェーン店などの影響で、もはや誰の目にも止まることのない店」


 そしてその下、つまりは地下に心-ココロ-テクノロジー管轄下の工場があるらしい。



 地下への入口を古い店で隠しているのだ。叢は昔にそれを看破したらしい。


 今から龍、叢、そして飛び入り参加の香織の三人で潜入し、アストラルハーツを奪取する。


 本来この任務に行く筈だった月波恋は龍の申し出によりお留守番となっていた。


「しかしお前もアホだ。代わりに行くなどと言わず、一緒に行こう、護ってやる、と囁いてやるべきだった」


「あいつをこの俺に惚れさせる予定はまだないぜ」


「キモい」


 因みに香織は龍の目付役で引っ張られていた。前屈みになり怠そうに毒を吐く。


 凄く嫌そうだが、叢にだけは逆らえなかったようだ。


「さて、行くとするか」


 叢が屋上の扉へと向かう。龍もそれに続いた。


「あの場所まで徒歩か……結構遠く感じるが仕方がねぇな」


「いや、もう少し楽な移動手段を使わせてもらう」


「何かあんのか?」


「場転だ」


「…………は?」



 ……。


「これが場転の力だ」


 龍たちは駄菓子屋の前に辿り着いていた。そして到着するやいなや叢が理解不能な言葉を呟く。


 場転ってどういう意味だ。


「……ていうかさ、ちゃんと歩いて来たよな?」


「描写はないがな」


 自分の知らない世界で何か都合の良い事が起きたのかもしれない。畏怖の念すら感じてきたので忘れることにした。


 そうこう考えていると、香織が駄菓子屋へ入って行った。


 それも周りを警戒する動作など見せず、無遠慮に。もし見張りでもいたら即刻任務失敗だ。


「おいおい、大丈夫か」


「隠すように設置された地下への入口……その前にあからさまな警備を敷くか? 答えはノーである」


「そりゃそうなんだけどよ」


「見張りは地下へ入ってすぐの一本道に配置されている。機関銃を持った特殊部隊だ」


 マジかよ。


 まずそいつらを倒さないといけないらしい。それも俊敏にかつ目立たないように。


「……おい、いきなり機関銃の部隊だと? 敵だと判断された瞬間蜂の巣じゃねぇか」


「数は三人程度。逃げ場はおろか、遮蔽物すらないだろう」


 どうすんだよと龍が問いただす。叢は薄く笑い、逆に問いを投げ返した。


「お前、跳べるだろう」


「……空を?」


「飛行ではない、跳躍だ。横への回避は想定済みだろうが、上への回避は思考の外だ。一瞬の迷いを抱かせると同時に、狙いを上下に分割させる」


 理屈は解るがそう簡単に成功するのだろうか。確かに狙いが予想外の方向に行けば、嫌でも意識がそちらに向く。


 しかし特殊部隊がどこまで熟練されているかも解らない。


 例え思考の外でも瞬時に対処されれば終了だ。


「そう案ずるな。俺の言う通り動け。さらに言えば……」


 香織が視線をこちらに配る。それを確認した叢が話を止め店に入った。


 少し先にある菓子が並べてある棚。叢はそれをぐっと押した。棚はゆっくりと奥へスライドし、下から地下へと続くであろう硬く重い金属の扉が現れる。


「確認しよう」


 地下への入口を目前に叢が詳しい作戦内容を再確認する。


 まず地下に通っている電気を全て切断する。これは既に用意は出来ているらしく、あとは蘭乃に連絡するだけで大丈夫だそうだ。


「電気を断ったりしたら潜入がバレるんじゃねぇか?」


「その通りだ。しかしそれこそが俺の思惑なのだ」



 叢は自信に満ち溢れた表情で龍の質問を一蹴すると、携帯電話の操作を始めた。


「香織は龍のサポートをしろ。こいつを死なすなよ」


「……わかりました」


 香織は少し戸惑いそう答えた後、龍をじっと見つめる。


 目には否定的な感情が伴っており、いかにも嫌そうだが気にせず突っかかろう。


「嬉しそうな顔すんなよ」


「殺して欲しい?」


「愛して欲しいです」


「わかった。愛を抱いて殺す」


 香織の言い捨てるような口調と恐ろしい言葉に、叢が愉快そうな顔をしていた。


「昔、ヤンデレという区分の人間がいたらしい。愛故に殺す……素晴らしい見解だ」


 頭大丈夫かこいつ。


「人間とは本来そういうものなのだ。欲しい玩具がある、それを他人が手に入れた……そこで二択を迫られる」


 叢は携帯電話を閉じ、それを握り潰した。悲鳴を代弁するかようにその機器は破壊の音をたて、床に散らばる。


「壊すか、奪うか――」


「……てめぇの考えはいつも悍ましいよな」


「人は人の為に生きてはいない、人は己の為だけに生きる。愛しい人を奪われ、黙っている奴はカスだ。正邪善悪などのくだらん枷に縛られている愚者の一人に過ぎないのだ」


 そして散らばった欠片の一番大きな塊を踏み潰す。冷酷に、残忍に、あれが人の頭であろうと同じように粉砕していそうな非情の迫力。


 龍はその姿に何かしら得体のしれないものを見た気がした。


「これはもう必要ない。覚悟しろ、残り十秒で突入する」


「はい」




「……そうだな」


 邪推を切り上げよう。そして、龍は自分に言い聞かせるかのように呟いた。


 ――行くか、死線を潜りに。


 地上から遮断するかのような扉を抜けると、その先はまるで別の世界だった。


 金属の板を張り巡らせた床に三人は降り立つ。一部錆びついた箇所は変色しており、不快な気持ちを植え付けられる。


「ッ……なんだ、この場所」


 この場所にいるだけで、内蔵が焼けてしまいそうな感じがする。人間がいるべき場所ではない、そう思わされる程に。


「理由はすぐに解る、行くぞ」


「……ああ」


 廊下は歩くごとに大きな音を響かせる。龍や香るの足音ではなく、叢のものだ。


 静かな場所で足音が響くのは当然だがもう少し抑えられないのだろうか。まるっきり忍べていない。


 ――しかしそれこそが俺の思惑なのだ。


 叢の言葉を思い出す。それは潜入を知らせる価値があるということなのだろうか。


「……止まれ!」


 敵さんのお出ましだった。


 向けられた三つの銃口に龍は思わず足を止めてしまう。


「止まれと言われ動きを止める者はまだまだ未熟だ。敵の言葉に耳を傾けてどうする」


 言葉での制止など意に介さずに叢は歩みを止めない。撃ってくれても構わないという意思表示にすら見える。


「ごもっとも」


「涙ながらに生を懇願する敵の眼球を握り潰すくらいでなければならない」


「……それは無理だぜ」


「くっ……撃てッ!」


「それは五秒前に言うべき指示だ、遅過ぎる」


 叢が身を屈め走り出す。銃などに恐れた様子はない。それを見た龍は高く跳躍し上から攻める。


「なっ……と、跳んだ?」


 一瞬とはいえ彼らの意識が歪んだ。生じたその隙を逃すような男ではない、それが叢正人生という人物だ。


 一人の男のヘルメットを乱暴に掴んだかと思った刹那、赤い血と金属片、脳髄を散らしながら壁に叩きつけた。


「ひ、ひぃぃぃぃぃぃい!!」


「怖がるな、仮にも忠誠を誓った組織だろう。命懸けで使命を全うしてみせろ」


 残った男達は叢の声など聞こうともしない。我先にと一目散に逃げ出した。


 しかし、彼らの逃避は叶わず二人は叢に頭を掴まれていた。その握力で砕け奏する音……それはヘルメットか、頭蓋骨か。


 そして今になってやっと着地する龍。機関銃を携えていた三人はもう死に絶えていた。


「……この俺の出番は?」


「知らん」


「逝ってよし」


 裏切ってやろうかこのヤロウ。竜騎士の気持ちが何となく解った瞬間だった。



「しかし……予想以上の悪党だぜ、てめぇは」


「お前もだ、龍。敢えて目を覆いたくなるよう、血肉を撒き散らし殺したのだが……よく平然としていられる」


 叢は手についた肉片を地に振り落とし、再び歩き出す。


「表に出してないだけだ。ほら、手が震えてやがる」


「それは武者震いだろう」


 ……馬鹿言え。


 龍は呆れたように呟き、彼に続いた。地下は日の光の恩恵を受けれない。それに加え、電気が通っていないとなれば昼と言えど真っ暗闇だ。


 正直、何も見えない。


 龍は叢の足音を頼りに歩を進めているが、彼は何をつてに歩いているのか。


「この工場の地図、そして己の歩幅が解っていれば目を瞑ってでも歩くことが可能だ」


 ……それが出来るなら誰も苦労したりしない。


 ふと足音が鳴り止む。今まで歩みを止めなかった叢が、ようやく立ち止まったようだ。


「二手に別れる。アストラルハーツは最下層だ。お前らはそこまで降り、奪取しろ。俺は情報を集める」


 龍の位置から右に階段があるらしい。目を凝らすがそんなものは見えてこない。


 摺り足で近づき確認すればいいようなものだが、それから先は流石に灯火が必要だ。


「なぁ、せめて明かりが欲しいんだが……」


「携帯は壊した。さらばだ」


「いやいや待て待て待て」


 龍は口頭でしか叢を止められない。下手に動けば階段の位置が解らなくなってしまう。


 しかし、いつまでも返事はない。というか、居なかった。


「何なのあいつ」


 これで龍は一メートル先すら見えぬ暗い世界に置いて行かれたことになった。


 さて、どうするか。


 装備は一切なし、マップもない、消費アイテム的な物もなければ、ヘルプボタンも存在しない。任務放棄はおろかリセットすら出来ない。


「無理ゲー過ぎるぜ」


「……」


「しかし何かある筈なんだ……重要な何かが……」


「……」


「……」


「……」


「助けて香織ぃぃぃいい!!」


「嫌」


 そうだ。パーティー人数は二人だったのだ。何故こいつの存在を忘れていたのだろうか。


 今や憎らしい否定が愛らしい駄々に見えてしまう……なんて事はないのだが、ひとまず安心はさせてもらうとしよう。


「よし、じゃあ行くぜ香織」


「だから嫌」


「そんな姿も可愛らしいなぁ……抱きしめたいなぁ……案内してくれないかなぁ……」


 前半二つは嘘だが。


「別に抱きしめても……いい」


「えっ」


「――串刺しになるけど」


 龍が驚きの感嘆符を示す前に香織はそう言い放っていた。


 恐ろしい子供だ。あながち嘘だとは言い切れない口調が尚更そう思わせる。




 そして、彼女自身の言動に恐怖の色は感じられない。叢の殺戮は見ていただろう。


 殺人を見て動揺しないのは見慣れているか、殺り飽きているかの二つくらい。まだ頭が子供であの惨状の意味を理解していないということはないだろう。


 後者だろうな。


 龍はそう考えていた。屋上での一悶着、迷わず首筋を裂こうとした彼女。


 が、これは推測だ。そう思った龍は真意をそれとなく聞き出そうとする、その時だった。


「……こっち」


 龍の手が優しく包まれる。それが香織の手だと気付いたのは十秒程経ってからだった。


「こっち、階段」


「あ、あぁ」


「足動かして」


 思いもしなかった出来事に困惑しながらも引かれるがままに前へと踏み出す。


(……なんだよ、素直じゃないガキだな)


 龍は笑みを浮かべ、香織の手を握り返す。彼女の優しさを受け、気強い気持ちだった。


 が、この判断で龍は臍をかむことになる。この時点でよくよく考えるべきだったのだ。


 香織が、この女が、如何な性格であるかを――


「……」


 その瞬間、時間が酷くゆっくりと流れていた。


 踏み出した右足、平地を歩いていた筈の足がいつまでも地に着かない。


 それどころか足は何にも触れることなく、体は傾き虚空に沈んでいく。


 暗闇の中で龍は察する。踏み場がない、だから落ちる。



 握っていた筈の手がない。助けを乞かのように腕を伸ばすも誰も掴んでくれない。何も掴むものがない。


「ごーとぅーへる」


 ああ、と龍は妙に達観した気持ちでその声を聞いていた。


「謀ったな、香織」


「うん。じゃ、またあとで」


 時間が急激に速くなる。それに呼応するかのように龍の体が闇に引きずり込まれた。


「ぎ、ぎゃああああああ!?」


 もし戻ったら地下の一室でも借りて「ごめんなさいご主人様ぁ~」と言い出すまで監禁してやろう。


 そんな危険な思想を抱きながら、龍は深い深い中へと落ちていった。



 龍が落ちたのは、金属板で覆われた床の上だった。いや、落ちたと言うのには語弊があるかもしれない。


 急速に落下する中で、手探りで触れたロープらしき何かを掴むことに成功。


 それを両手で掴み、壁を足で蹴りながら、最下層まで辿り着いたのだ。


 怪我という怪我は摩擦によって擦れた手のひらくらいで、重力により加速した体が地面にぶつかる衝撃を免れただけ助かった。


「いつか本で読んだ降下技術が役に立ったぜ」


 そういう格好の良い動きに興味を持った時期があり、調べてみたことがあるのだ。


 まさか仲間に騙されて実践する羽目になるとは。


「つか何だこの穴……明らかにおかしいだろ」


 いくら巨大な組織だろうと施設に開けるような穴ではない。通り道に使用している訳ではないだろう。


 クライミングが趣味の奴がいるのだろうか。そんな馬鹿はいないか。いや、だとすればこのロープは何なのだ。


「……」


 龍はワイヤーロープに沿って下を見ると、それは箱のような金属に接合されていた。


「……エレベーターは落下じゃなく降下する機械なんだぜ? 覚えとけよ、香織」


 そう言えば叢の作戦で電力供給を止めているのだった。もし稼動していたら目を覆う事態となっていただろう。


 龍はふと図らずも光が漏れていることに気づく。エレベーターと壁の隙間からだ。


 階に停止しているのだろう。最下層であることを祈りつつ龍は天井を向く。


 何も見えなくなった。


 下手から微かに漏れる光など飲み込んでしまう闇黒。


 闇は黒色だ。黒は闇色だ。


 だとすれば己は黒だ。何故なら己は闇だからだ。か弱く菲薄で色あせない色を飲み込む、終末の極彩色。


「ま、桃色だけは喰いたかねぇな。ほろ苦い……って何言ってんだろこの俺は」


 自虐を呟くと何を考えていたのか雲散霧消してしまった。


 が、今は構わない。どうせろくな考えじゃないだろうと自分を納得させる。


 龍は足元を見下ろす。そこには硬い金属で出来た昇降機。



 垂直方向に運ぶエレベーター、時速60キロメートルで走る自動車、空を飛ぶ飛行機など、人を乗せるものは結局丈夫でなければならない。


 頑丈だ。少なくとも人間一人の力でどうこう出来はしない。


 ならば超えてやる、人間という限界の枠を。未曾有の力で。


 ――撃砕する。




 腹の底から力を込めて地を踏みつける。力任せに踏まえられた金属の箱は軋む金属音の悲鳴を上げた。


 歪に軋むエレベーターを支えるワイヤーが何本か切れ、バキリ、とエレベーターとワイヤーを繋ぐ金具も折れた。


「っ……おっと」


 滑り落ちるかと思いきや、何かに引っ掛かっているようで、ゆらゆらと、錘をぶら下げた振り子のようになっていた。


 ならばもう一発――


 それは最期の叫びを上げた。支えるものを失った金属の塊は重力に逆らうことなく深く沈み始める。


「下へ参ります~っとな」


 すぐに見えてきた床に龍は跳び乗る。後ろからは機械の擦れる独特の音が響いていた。



 着地した龍は周囲に目をやってぎょっと固まった。


 そこは青白い光に照らされた広大なドームのような場所。電灯の類いではない。


 部屋の中心に堂々と静やかにそびえ立つ柱があった。


 龍は感じた。ここに来た瞬間から続くこの奇妙な悪寒、その原因はこれだ、と。


 不気味に発光する柱のオブジェは無骨なシルエットである筈なのに、神々しい事物を象徴するかのように美しい。


 人が触れるべきではない、そんな予感もする。神聖な美しさからか、妖気漂う恐ろしさからか。


 龍はいつの間にか柱の目の前まで来ていた。頭に響く危険信号が雑音と化す。


 龍は悪魔に魅入られるかのように手を伸ばす。


 触れてみたい――


「止めた方がいいわよ」


 龍の思考は誰かの言葉に攫われた。異様に暗い女の声が横手から聞こえてきたのだ。


「ああ、あんたが死にたいなら話は別。自殺願望だったりするわけ?」


 背を寄り掛からせて髪の長い女が立っている。髪は艶がなくなったような白髪だが、肌は健康な色をしており、髪色を除けば二十代前半の若い女性の姿だった。


「殺されかけはしたが、そんな願望はないな」


「そうなの? じゃあ黙ってても良かったんじゃない」


「いやいや違うだろ」


 どうしようか。


 返答しつつ龍は迷っていた。彼女と楽しい冗談を交わしてはいるが……いや、向こうは冗談ではなく本音かもしれない。


 ここは敵の領地なのだ。しかもこの中枢部らしき場所に立つ人物。敵である可能性は大だ。


 まだ最悪ではない。もし敵ならば新参で迷い込んでしまったと、ごまかすことも可能だ。


 龍は心を落ち着かせる。


 よし。ここは正念場だ。


「コマッタコマッタ。ワタシ迷ッテシマッタヨ、ハハハ~! オゥ! 美シイオジョウサン! 道ヲオシエテヨォッ!」


「あんたさぁ、何しに来たの? 電力まで断って……上じゃあ大騒ぎよ?」


 恥ずかしい片言を無視された挙げ句、侵入者だと看破されていた。


「でも私は好きよ。あんた見たいな馬鹿する男、エレベーターぶち壊して降りて来るなんてね、ひひひ、腹痛い」


 女とは思えない下品な笑い方をしている。龍は面食らったが、その言葉に微かな光明を見出だした。


 彼女は敵ながら随分と友好的ではないか、見逃してくれる可能性も十分にある。


「で、何しに来たの?」


 尋問モードに入っていた。


 悪い結果を導くようなことはしたくない。仮とはいえ龍は反乱組織の一員なのだ。


 つまりは責任が伴ってくる。万が一にもそういう組織があると気づかれてはいけない。


 もしも龍たちを排除しようと考える女だったならば自分だけではなく、恋や蘭乃にまで被害が及ぶ。


(ん? ……でも叢のオッサンがバレることが思惑だっか何とか言ってたような)


 正直に答えるべきか。嘘を吐くべきか。はたまたこの場を去るという手もあった。


 顔を上げると、女の卑しい笑みを浮かべた顔と視線がぶつかった。


「……アストラルハーツってあるだろ? それを取りに来た」


 龍は少し柱から距離をとると真実を口にした。だが、これ以上のことを話す気は毛頭なかった。


 排除しようとするならば自分だけが滅びよう。例え惨たらしい拷問を受けたとしても、口を開かない覚悟がある。


 何よりも、アストラルハーツは龍の探し求めている代物。その単語を出すことで、対する言葉や反応がヒントになりうると思ったからだ。


 だが、彼女の口から出た言葉は予想を遥かに凌駕していた。


「へぇ……あれを知ってるの? いいわよ、持ってって」


「はいィ?」


「ひひっ、敵に塩を送るって初めてだけど面白いわね」


 女は壁にもたれかかったまま手を横に伸ばす。そこにあったスイッチを押した。


 しかし何も起こらない。


「……」


「あんた……電力断ってんじゃないのよ!」


「サーセン」


 馬鹿なのだろうか。


 理不尽な怒りをぶつけられたので、龍は誠意を持って謝っておいた。



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