第九話 台風の予感
それぞれ種を選んで誰のヒマワリが一番高く育つか、一番大きな花になるか、一番長く咲いていられるかという、殆ど運任せの競争を思いついたのは香苗だった。ただ競うだけでは面白くないので、優勝者には百合恵からヒマワリの写真入り賞状が贈られることになった。そして非公式な副賞として、みかど屋の手打ちそば券が贈られることになった。
しかしそれを決めたのは四月の末でみんなはすっかり忘れていたが、六月の中頃、ふと香苗は何故か由之真と百合恵のヒマワリの成長が著しいことに気付いた。
「なんでヤマっちと先生のだけ、こんな育ってんの?なんか秘密の肥料とかやったの?」
「……やってないけど」
その会話に耳を傾けていた百合恵は、にやりとほくそ笑んでここぞとばかり自慢げに言った。
「毎日水をあげてるのが先生と八岐くんだから、ヒマワリがそれに応えてるだけよ」
ヒマワリの水やりを二人に任せきりだった香苗達は、本来返す言葉もなかった。しかし百合恵の言い方が少し癇に障った路子がつい口を挟んだ。
「あー、やろうと思ってると八岐がやっちゃうからさ。交替でやればいいんだよ」
しかし路子は、言った側から後悔した。元より花壇は学年単位で児童が自主的に世話をすることなっていたので、誰かが世話をしていればよかったし、由之真は明らかに好きで花壇の世話をしているのだから、口を挟む必要はなかった。ところが案の定由之真が「ごめん」と謝ってしまい、みんなはまんまと百合恵が咄嗟に思いついた策略にはまり、あくまでも「自主的に」毎日交替で花壇の世話をすることになった。そしてその甲斐あってか、みんなのヒマワリもぐんぐん成長し始めた頃だった。
ある七月の昼休み、香苗達が明日の給食の手作りプリンを賭けて校庭でPKごっこをしていた時だった。
「いくぞっ!ケンコーユーリョージッ!!」
「……うっせーよチビっ子おさげ猿っ!、さっさと蹴れっ!!」
(……おさげざる!?)
チビっ子はいいがおさげ猿はナシだと思った香苗は、二〇メートルも助走して思い切りボールを蹴った。もちろん走りながら狙って蹴るのは容易なことではなく、ボールは明後日の方向へ勢いよく飛び去り、そしてその方向には五年生の花壇があった。
「あーーっ!ヤバッ!!」
香苗達はすぐに花壇へ向かったが、ボールはまるで狙い澄ましたかのように、由之真のヒマワリだけを二本ともなぎ倒していた。
「うわぁ……あぁ……」
「あー……」
香苗が地面にへたり込んだ時、花壇の上の飼育小屋の水場で鎌を研いでいた由之真が、鎌を持ったまま現れた。
「………」
香苗はどう謝ったらいいかわからず、その鎌で自分のヒマワリを切り倒して欲しいとさえ思った。由之真は児童玄関の階段から降りて、呆然と立ち尽くす香苗達に歩み寄った。香苗はやっとの思いで口を開いた
「………ヤマっち、ごめん……ごめんなさい……」
「あー…八岐……悪い」
ボールを蹴ったのは香苗だったが、一緒に遊んでいた者の責任を感じて路子も謝った。てっきり二人は由之真が怒るかがっかりすると思っていたが、由之真は折れたヒマワリを見るなり短く「ヒュゥ」と口笛を吹いて、二人に苦笑しだけだった。普段ならそれはキザ過ぎる振舞だが、この時の二人にとってはどんなにか気が休まる反応だった。それでも香苗はすまない気持ちが収まらず、しゃがんでヒマワリの折れた部分を見ている由之真にもう一度謝った。
「ごめんね………あたしのヤツ、ヤマっちのにしてよ」
由之真はきょとんとした顔を香苗に向けて、苦笑を浮かべながら尋ねた。
「言い出しっぺが棄権するの?……これは大丈夫だと思う。俺のバッグ持ってきてくれる?」
「え?……うん!」
香苗はすぐに教室へ飛んで行き、由之真は物置からビニールの紐とハサミと、畑で使う緑の支柱と裏の森から採っておいた細い竹を持って戻ってきた。由之真はバッグからタオルを出して、テキパキとタオルを八等分にしてから三〇センチ程の紐を八本作り、折れたヒマワリを起こして言った。
「ここ持ってて」
「……うん」
香苗がヒマワリを支えさせている内に、由之真は幹が折れ曲がった部分に手早く丁寧にタオルを巻き付け、幹のすぐ横に差した支柱と一緒に紐で縛って言った。
「放していいよ」
これでとりあえずヒマワリは立ったが、由之真は蕾の下に竹を結んで、竹の根元を校舎側に差してつっかえ棒にした。由之真が作業をしている間、毎日ヒマワリに水をあげていた由之真の姿を思い出した香苗の目は、段々赤くなっていった。そして由之真がもう一本のヒマワリも同じようにして、丁度清掃の時間となった時、急に辺りが暗くなった。
「……?」
異変に気付いた香苗が空を見上げると、いつの間にか現れた緑色の雲が太陽を隠し、大粒の滴が香苗のおでこに当たった。
「うわっ!?」と香苗が叫んだ時には由之真と路子は走り出していて、香苗も慌てて二人を追いかけた。途端に、ザーーッと!スコールのような雨が大地を射抜き、荒々しい風が吹いて瞬く間に台風のような雷混じりの嵐となった。美夏と路子は清掃を忘れて荒れ狂う校庭を眺めた。
「わあ……凄い嵐だねえ……」
「あー……集中ごーうってヤツかな」
「………」
こんな時一番はしゃぐ香苗が真面目に清掃しているので、百合恵は何かあったかと思ったが、真面目なことは良いことなので心に留めておくだけにした。それよりも百合恵は、この嵐で畑に被害がなければいいがと心配し、同時に午後の授業をどうしようかと思案した。午後の総合は学校の前を流れる名合の沢の生態を観察する予定だったが、この雨で川が濁るのは目に見えていた。しかし授業が始まる前に嵐はおさまり、百合恵は総合の二時間目に予定していた野菜の収穫を繰り上げることにした。
百合恵が集合場所の正面玄関へ行くと、そこで待っているはずのみんなは花壇の前に立っていた。すぐに校庭に降りた百合恵は、花壇を見て深い溜息をついた。
「……」
上からでは気付かなかったが、花壇に数十本あったヒマワリの三分の一が先程の嵐で倒されていて、もちろん五年生の花壇も例外ではなく、みんなは無言で倒れたヒマワリを見つめていた。由之真だけいなかったが、おそらく畑へ行ったのだろうと思いつつ、百合恵はゆっくり歩み寄りながらみんなにかける言葉を探した。しかし、二本とも立っている由之真のヒマワリにつっかえ棒がしてあり、茎の根元に布が巻き付けてあることに気付いた百合恵は、傍にいた路子に尋ねた。
「これは、どうしたの?」
路子の代わりに香苗が静かに答えた。
「……あたしがボールで……折っちゃったんです……昼休み……」
「そう……」とだけ答えて、百合恵は清掃の時の香苗に元気がなかった理由を知った。しかし今の香苗は、むしろ少し気が軽くなっていた。もちろんみんなのヒマワリも折れてしまったので、それは良い考えではないとわかっていたが、香苗は自分の折れたヒマワリを見た時、これはきっと天罰だと思った。
そこに由之真が戻ってきたので、百合恵はまず畑の様子を尋ねた。
「どうだった?」
由之真は微笑んで答えた。
「少し土が流れただけでした」
畑は校舎と森と木々に囲まれていたおかげで、強風の被害を受けずに済んでいた。
「そう……よかったわ」
百合恵はほっと胸を撫で下ろし、腕を組んで少し考えてから声を張った。
「よしっ、みんな聞いて!……今日の総合は、明日出荷する野菜を収穫する予定でしたが、変更します!」
みんなは真面目な顔で百合恵を見上げた。百合恵はみんなの目を見て愉快そうに言った。
「今日は救出活動をします!みんなで倒れたヒマワリや草花を助けましょう!」
もちろんそれで折れたヒマワリが復活するとは限らないが、百合恵はただ抜いて処理してしまうより、その方がみんなの中に何かが残ると思った。
「おーーっ!」と香苗は元気よく拳を突き出した。そして由之真の指示で保健室からタオルをもらい、昼休みに由之真の手際を見ていた香苗と路子が、それぞれ百合恵と美夏と共に作業にあたり、由之真は一人で作業にあたった。休み時間無しで作業を続けた結果、六時間目の途中で殆どのヒマワリが元の姿を取り戻した。それをずっと校舎から見ていた下級生達が盛大な拍手を送り、みんなは頬を染めながら裏の畑へ行って、明日直売所に出荷する野菜を収穫した。そして放課後となり、帰る間際に香苗が由之真に言った。
「ヤマっち……今日はありがと……」
由之真はきょとんと香苗を見てから、悪戯っぽく微笑んで答えた。
「……ヒマワリダービーは、俺がもらうよ」
香苗は俄に瞳を輝かせ、溢れる気持ちを堪えながら言い返した。
「そんなのわかんないよ!あたしが勝つかもしんないし!……じゃあね!」
そして香苗は、目に溜まってきた滴が零れない内にドアを出た。路子と美夏は笑い合いながら香苗を追いかけていった。そのやり取りに耳を傾けていた百合恵は、このクラスが由之真を柱として健全に成長していると感じた。そして、思えばそれは虫の知らせのようなものかもしれないが、この時ふと百合恵は、もしも明日由之真が転校することになったら、みんなも自分もどうするだろう?と思いかけた。しかしすぐにその馬鹿げた想像を頭から消した時、職員室の事務の電話が鳴った。
「はい、菜畑小中学校小学部です…………はい?…………はい、少々お待ち下さい」
事務の石井秀子は内線ボタンを押してから校長室のボタンを押した。百合恵の報告書に目を通していた校長は、眼鏡を外してから受話器を取った。
「はい、校長室です」
『あ、校長先生。あのー……独立行政法人……特別教育総合研究所の、田中という方からお電話です』
校長は一拍おいてから答えた。
「……そう、繋いでください」
『はい』と石井は受話器を戻した。
「……もしもし、朝倉です」
『あ、朝倉先生、お久しぶりです!特教研の田中紀之です』
それは明朗な男性の声だったが、校長にとっては歓迎できない声なので、校長は素っ気なく答えた。
「お久しぶりです。どういったご用件でしょうか?」
校長の冷たい対応を予期してはいたが、田中は一度深呼吸してからしどろもどろに言った。
『えーとですね……あのー、あー……例の児童についてなんですが……』
校長は田中が言い終える前に、厳然とした声で釘を刺した。
「その件は、既に解決したと考えておりましたが」
『あ、はい!もちろん我々としても、もう何も申し上げることはないんです!その……今日は、お知らせしておかなければと思いまして……』
校長は眉間に皺を寄せながら素っ気なく尋ねた。
「なんでしょう?手短にお願いします」
『はい、実は……先日こちらに、向こうの小学校からメールが来まして。その……児童の、個人情報の問い合わせだったのですが………うちの者が勝手に返信してしまいまして………申し訳ありません』
向こうの小学校とは、由之真が通っていた前の小学校だが、正式な問い合わせであれば個人情報を開示してはならない理由はなかった。しかし田中は、個人的に校長から由之真のことを口止めされていたので、自分がしたことではないが素直に謝罪したのだった。校長は一度溜息をついてから尋ねた。
「……そのメールは、拝見させていただけますか?」
『はい!もちろん。すぐ送りますので』
「他に何か、ございますか?」
『いえ、ありません。あの……本当に申し訳ありませんでした……何かお手伝いできることがありましたら、遠慮なく仰ってください』
校長は聞こえないよう、静かに鼻で笑ってから答えた。
「では早速一つ……もしまた問い合わせがありましたら、今後の対応は全てこちらで処理しますので、こちらへ回してください」
『……はい、わかりました。失礼いたします』
校長が受話器を置いて、ノートパソコンのメールソフトをチェックすると、既に田中からのメールが届いてた。目を通すとそれは五日前の日付であり、開示されたのは帰国した由之真が一時的に滞在していた東京の住所で、修学予定小学校は不明のままだった。しかし、いずれ必ず由之真の所在は知られると確信した校長は、すぐに手を打つべく事務へ電話を掛けて、校内放送で百合恵を呼んだ。校内放送で校長室へ呼ばれたことがなかった百合恵は、小首を傾げながらドアをノックした。
「……なんでしょうか?」
校長はにっこり微笑んで「まあ、おかけになって。時間、少し大丈夫?」と尋ね、百合恵が慎重に「…はい」と答えると、校長は茶を立てながら切り出した。
「あの子は……八岐くんは、もう帰った?それとも畑?」
「まだいますね……ヒマワリの点検をしているみたいです」
「そう……今日は本当にご苦労さま。ヒマワリ、ちゃんと咲くといいわね」
「はい、そうですね……」と相槌を打ちながら、百合恵は校庭へ目を向けた。校長はテーブルにお茶を置いてから、机の上に出しておいた書類を拾い上げて言った。
「これね……報告書なのよ」
一瞬百合恵は自分が提出した総合の報告書かと思ったが、校長はその分厚い書類を百合恵に手渡して言った。
「これはね……あの子が通ってた前の学校の先生が、州の教育庁に提出した、あの子の報告書なの」
「え……八岐くんの報告書ですか?」
「ええ……後半は私が翻訳したものだけど」
事情がさっぱり飲み込めない百合恵は、早速翻訳に目を通した。そして突然現れた「八岐由之真の英才児認定報告書 及び 今後の教育プログラムについて」というタイトルを読んで面食らっていると、校長は苦笑しながら続けた。
「本当はね……それを櫛田先生に見せる予定はなかったの」
百合恵がきょとんと目を上げると、校長は窓の外を眺めながら言った。
「……櫛田先生、あの子のIQを覚えてるかしら?」
「IQですか?………確か、一二五だったかと思いますが……」
「ええ、ビンゴよ」と校長は報告書を指さした。
「でもそれにはね、それが嘘だって書いてあるの」
「……は?……嘘ですか?」
百合恵には意味がわからなかった。百合恵が由之真のIQを覚えていたのは高い数値だと思ったからだが、そのIQをテストしたのは由之真の前の学校なので、何故そんな嘘をつく必要があるのか百合恵にわかるはずもなかった。しかし校長は百合恵に、信じがたいことを告げた。
「ええ、あの子の本当のIQは……それ以上なんだけど、あの子は自分でそれを偽ったと、それには書いてあるの」
「え……どういうことですか?」
校長は一度溜息をついて、それから苦笑して答えた。
「それもそれに書いてあるけど、ごく稀に………自分の能力を偽って、英才児教育を拒否する子がいるようなの。そしてそれが……八岐くんらしいわ」
しかし百合恵はその説明を聞いても、由之真が何を偽ったのかがさっぱりわからなかった。
「八岐くんが……何を偽ったんですか?」
校長は腕を組み、一拍おいてから答えた。
「……あくまでもそれに書いてあることだけど……テストの時に、自分でIQを調節したらしいの。丁度その程度のIQになるようにね」
それは百合恵でなくても到底信じられない、荒唐無稽な話しだった。百合恵はかろうじて吹き出すのを堪え、校長に報告書を返しながら最大の疑問を尋ねた。
「そうですか……でも、それをどうして私に?」
もしその報告書が事実であろうと、百合恵には関係なかった。百合恵にとっての懸念は、由之真が今も偽っていて、それが今後の由之真に悪影響を及ぼすかどうかだけであり、もしそうでないならそれ以上知る必要はないと感じていた。しかし校長は報告書を受け取り、質問に質問で答えた。
「これ、お読みになる?」
その質問で懸念が払拭された百合恵は、首を振りながらきっぱりと答えた。
「いえ、私が読む必要はないと思います。読めとおっしゃるなら読ませていただきますが」
「フフ」と校長は嬉しそうに微笑んで言った。
「よろしい。あなたなら、きっとそう言うと思いましたよ。これは誰にも必要ない……これを書いた人にだけ必要なものです」
そして報告書をソファーの上にぞんざいに投げ置いてから付け足した。
「こんなもので、あの子の人生を縛ってはなりません。……私達のすべきはことは、子供達が迷わぬよう、身体を張って見守ることです」
「……はい」
それに何が書かれてあるのかは知らないが、百合恵は校長の言うとおりだと感じた。そして校長はふと思い出したように、ようやく百合恵の疑問に答えた。
「そうそう!それでね、これを書いた先生がね、どうやら諦めの悪い人みたいなのよ」
「……?」
そして校長は、今まで敢えて話していなかった由之真の転入にまつわる顛末を説明した。
由之真はアメリカで三度転校しているが、問題は父を亡くした後に転校した最後のスクールで起こった。由之真は元々元気で活発な子供だったが、重なった不幸と転校による心労からか、徐々に感情を面に出さなくなった。しかし内面に変化はなかったが、由之真が転入した最後のスクールは、由之真がPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症していると考え、由之真を専門医の元へ通わせ、特殊クラスへ編入させた。それは機能性構音障害(器官に異常がないのに発音がおかしかったり、特定の語音が言えなかったりする障害)や、吃音が原因で心理的に会話ができなくなった児童のクラスだったが、由之真はこのクラスでちょっとした事件を起こした。
それは転入二日目のこと、今まで母親としか話さなかった女子に由之真が花をあげた時、その女子が普通に「ありがとう」と答えたことが始まりだった。そこには同じような障害を持つ九人の児童がいたが、由之真が編入して二週間経った時には、全員が由之真と言葉を交わすようになっていた。それだけでも事件だが、はじめの内由之真とだけ話していた児童が、いつしか児童同士でも話すようになり、そして由之真の帰国時には盛大なお別れ会を催すまでに至り、専門医は児童全員に「ほぼ完治」という診断を下した。
しかしこの事件自体は問題ではなく、問題はそのクラスの責任者だった。由之真のコミュニケーション能力を高く評価した責任者は、由之真が「ギフティド・チャイルド(天才児)」であると誤認して、由之真のIQを何度も計測し直し、適切な英才教育を受けさせるべく勝手に奔走した。しかし由之真は、それを拒否した。
ところが責任者は、由之真が帰国しても日本の特別教育総合研究所に報告書を提出して、まるで由之真の発見者は自分だと言わんばかりに、由之真の教育についてあれこれ口を出してきた。報告書を読んだ特教研は、はじめそれを信じて由之真の就学予定校となった菜畑小に連絡してきたが、やっと落ち着いた従姉の次女の一人息子をこれ以上たらい回しにさせたくなかった校長は、厳然とした態度であらゆる要求を拒絶した。校長はこれらの全てを話した訳ではないが、神妙な面持ちで聞いていた百合恵に目的を話した。
「……それでね、櫛田先生………先生を呼んだのは、先生にお願いがあったからなの」
急に言われた百合恵は、少し慌てながら尋ねた。
「えっ……なんでしょう?」
「なに、大したことじゃないの………これを書いた人がね、まだあの子を諦めてないみたいで、しつこくここへ連絡してくるかもしれないから、その時は適当に追っ払って欲しいの」
百合恵は口をぽかんと開けて、「……へ?」と答えて慌てて聞き返した。
「あ、あの……追っ払うって……具体的にどうすれば……」
「そうねえ……まあ、直接電話が来たら、わからないふりして切っちゃえばいいけど………もし、実力行使で来たら、守ってあげて」
「……えーと、実力行使ですか?」
校長は腕を組んで溜息をついてから答えた。
「まあ……強引な接触ね。まさか直接ここへ来たりはしないと思うけど……あり得ないこともないから、その時は、あの子を守ってあげて欲しいの。もちろん、ここにいる時だけね」
「……はあ……」
どう守れば良いか想像もつかないが、とりあえず百合恵は何があろうと児童は守るべきなので請け負った。
「……わかりました。その時は精一杯頑張ります」
校長は目尻に皺を寄せながら、お礼を述べた。
「ありがとう。これで一つ、肩の荷が下りたわ」
斯くして、校長の肩の荷はそっくり百合恵の肩に移されたが、まだピンとこない百合恵が小首を傾げながら教室へ戻ろうとした時だった。
「あ、櫛田先生!お客様がいらしてますよ」
石井に呼ばれて職員室に入った百合恵は愕然とした。そこにはエミリー先生がにこやかに立っていたが、その隣には赤毛の長髪を無造作に後頭部で結った、目の青いほっそりとした綺麗な女性が立っていて、それを見た百合恵は直感的に、今が「その時」だと思った。
終わり