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とようけ!  作者: SuzuNaru
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第四話 雨のお花見

 車から降りた百合恵は、一度校庭を見渡してから真っ白な枝の遥か向こうを見上げた。あいにく空は花見日和とは程遠い、花曇りとは言えない雲に覆われていたが、それならそれで一足早い家庭訪問になりそうだと百合恵が思った時、飼育小屋の方から三人の子供達が出てきた。

「あっ、先生来た!」と百合恵の姿を見るや否や、香苗達は百合恵に駆け寄りって元気な声で挨拶した。

「先生こんにちはー!」

「こんにちは!……美夏ちゃん、今日はお祖父さんのお見舞いじゃなかった?」

 来ないはず美夏が家庭の予定を変えてまで来たとは思えなかったが、百合恵が一応尋ねると、美夏は嬉しそうな笑みを浮かべておっとりと答えた。

「もう行ってきました。お爺ちゃん元気でした」

「そうなの。よかったわね」

 百合恵は結局全員揃ったことに満足し、張り切った声で言った。

「じゃあ、お花見に行きましょう!」

「おーっ!」

 しかし学校を出てすぐフロントガラスに小さな水滴が落ちて、それを目ざとく見つけた香苗が「雨だ!」と叫んでも、車内に落胆の気配はなかった。それは雨が降れば由之真の家でお花見することになっていたし、帰りは百合恵に家まで送ってもらえるからだが、特に由之真の家に行きたかった香苗にとっては待望の雨だった。

 夕べ香苗はてるてる坊主を逆さに吊そうとしたが、朝から土砂降りになるのは嫌なので、悩んだあげくてるてる坊主をベランダに寝かせることにした。そしてその判断が正しかったことに大満足していたが、もちろん香苗はてるてる坊主を信じているわけではなく、こんな幼稚なことでも本気でやれば楽しい気持ちが長持ちすることを、本能的に知っていただけだった。そんな嬉しそうな香苗につられて、美夏も嬉しそうに言った。

「フフフ!香苗ちゃんの雨乞いの威力って凄いね」

「え、香苗ちゃん雨乞いしたの?」

 香苗は茶化された恥ずかしさから、「してないよ?」とうそぶいたが、すかさず路子が意地悪そうに笑いながら暴露した。

「ハハ、ウソつけ。雨よ降れ〜〜降りたまえ〜〜ってキモい踊り踊ってたろ!」

「ハハハッ!」

 雨は名合の道に入る頃には小雨となった。名合の道は左に緩やかな弧を描いていて、運転している百合恵からも遠くの方まで続いている桜並木が見晴らせた。そして丁度車が予定の場所に差し掛かろうとした時、まるでそれが見えているかのように百合恵の携帯電話が着信した。

「……ええ、今まさに名合の道にいるわ。……はい、わかりました!じゃあまた」

 百合恵は携帯電話をバッグに入れ、エンジンを掛けて言った。

「二人とも雨になると思って家で準備してるって。石狩神社に直行しましょう!」

「おー!」



 名合の道を過ぎて数件の民家を通り越すと、百合恵達の目に赤い鳥居が映った。鳥居の手前に駐車場があり、その奥に神社へ通じる道路があって、百合恵は照の指示通りその道路を上がろうと思ってたが、ふと思い直して駐車場に車を停めた。

「先生、あそこから上に行けるよ」

「うん……でも先生はじめて来たから、ちゃんと鳥居をくぐって行きたいの」

「……なるほろ!」

 香苗達は百合恵の希望を快く受け入れ、「滑るから気を付けて!」という百合恵の注意もなんのそので傘も差さずに石段を駆け上がり、百合恵も傘を閉じてその後を追った。

「だーっ!いっちばーんっ!……ミチ二ばーん!」

「フライング過ぎ!認めねえ!」

 そこに遅れて美夏と百合恵が到着し、百合恵は喘ぎながら再び注意した。

「はっ……みんなっ…はっ…降りる時はっ…ぜっったい競争禁止ねっ!」

「はーい!」

 そして顔を上げた百合恵の目に、門の前にそびえ立つ満開の枝垂れ桜が飛び込んできた。それは照が言ったとおり学校の桜より大きく、紅色の花をたわわに実らせた枝が地面に届きそうなほど長くしだれていて、香苗は花にそっと触れながら感嘆の声をあげた。

「うわ……前は咲いてなかったけど、こんな花だったんだ……」

「……見事な枝垂れ桜ね……」

 束の間その優美さを堪能してから百合恵が門に目を向けると、門は紅白の椿の生垣に挟まれていた。石段の上にこんな華やかな世界があるとは思いもよらず、神社は閑散としているという先入観を捨てた百合恵は、枝垂れ桜に心で別れを告げながら門をくぐった。門の向こうも別世界であり、地面は殆ど芝生に覆われ、踏み石によって進路が定まっていた。寺社にありがちな庭園はなく、敷地全体が高低のある園林であり、太い樹木が何本も立ち並び、そこかしこにある花壇には色とりどりの花々が咲き乱れていた。

 特に目を引いたのは、階段からも見えた高さ二〇メートルはあろう巨大なケヤキだった。百合恵は踏み石に沿ってそのケヤキの根元へ向かい、香苗達も百合恵の後を追った。ケヤキの根元には「村指定天然記念物」と書かれた古ぼけた白い杭があり、百合恵はうっとりとケヤキを見上げながら呟いた。

「……凄い木ね」

「五〇〇歳以上だって照ちゃん言ってたよね?」

「あー、言ってた」

 そして百合恵がケヤキの向こうに見える本殿に目を向けた時、「おーい!」という声に振り返ると、照が東にある小さな平屋の前で手を振っていた。

「こんにちはー!」

「こんにちは!車来ないからヘンだと思ったら、やっぱりこっちから来てたんだ」

「こんにちは照ちゃん。門の前の枝垂れ桜、凄い綺麗だったわ」

「でしょう!あっちにもっとおっきなのがありますよ。天ぷら揚がるまでもう少しかかりそうだし、ちょっと境内案内しましょうか?」

(天ぷら!)

 そこまで手の込んだ料理が出るなら、百合恵は自分も何か用意してくればよかったと思いつつ、ざっと境内を見渡しながら尋ねた。

「……ここって、勝手にお参りしてもいいのよね?」

「もちろん!参拝だけなら日の出から日の入りまでオッケーです」

「じゃあ今度ゆっくり参拝するわ」と言って、ふと百合恵は境内の隣にある大きな二階建ての家屋を指さして尋ねた。

「……あっちの家は照ちゃんの実家?」

 照は平屋に向かって歩きながら答えた。

「はい、あっちは社務所で実家で私の家です。今はこっちの昔の家に住んでるけど」

(……昔の家?)と小首を傾げつつ照について行くと、百合恵が小さな平屋だと思った家は、昔の家という割には建ててからまだ五六年という印象で、東側に幾つか部屋のある意外に広い家だった。照は玄関を通り過ぎて、まずはみんなを自慢の庭に案内した。

「へー!庭に桜があるって素敵ねえ!」

 その庭は庭全体が大きな花壇のようであり、様々な花が咲いていて、縁側の前に立派な枝垂れ桜があった。その奥には小さな池があり、池の向こうには大きな楓が立っていて、その楓の太い枝には二人掛けの木のブランコがさがっていた。香苗達は早速ブランコに駆け寄って、香苗が一番乗りとばかりにブランコに座った瞬間、無数の水滴が三人を襲った。

「うわ冷たっっ!」

「おわっ!いきなり乗んなよ!」

「ハハハハッ!」

「みんな、こっちこっち!」

 香苗達が戻ると、縁側と座敷を跨いだ二つの座卓に豪華な料理が並んでいた。

「おー、凄っ!」

「美味しそうー!」

「みんなお腹空いたでしょ!」と照が縁側のサッシを全開にすると、忽ちいい匂いが漂い、百合恵と路子の腹がグゥと鳴った。しかしその時由之真が天ぷらの大皿を持って現れ、みんなの意識はその可愛らしい出立ちの方に向けられた。由之真は白い頭巾を被り、襞飾りの付いた白い大きなエプロンをかけていたが、膝下を切ったジーンズを履いていたので、まるで白いワンピースを着た女の子のように見えた。由之真は座卓に皿を置いて、袖で額の汗を拭い、ふぅと息を吐いてから微笑んで言った。

「いらっしゃい」

「いらっしゃった!」と香苗がすかさず答えてみんなの笑いを誘い、一頻り挨拶を交わし合ってから照が言った。

「じゃあみんな、玄関から入ってね」

「ほーい!」

 みんなは玄関から真っ直ぐ進み、突当たりの右のリビングに通された。香苗達はいつも余所の家を訪れた時のように、そこで由之真の親と挨拶をするものと思っていた。百合恵は照の両親の姿を想像していたが、そこにいたのはお吸い物をよそっている由之真だけだった。きょろきょろしている百合恵達に気付いた照は、頭を掻きながら苦笑して言った。

「あー、すっかり忘れてた。……二人とも昨日から出掛けてるんです。昼前に戻るはずだったんだけど、さっき電話があって、三時過ぎになるかもしれないって言ってました」

「……そうなの」と答えながら百合恵は何かの疑問が湧きかけたが、照の案内で客間に入って改めて料理を見た時には、その疑問は食欲にすり替わっていた。しかし、ふと百合恵は思い立ち、照に小声で尋ねた。

「照ちゃん……もしお仏壇があるなら、お線香あげたいんだけど……」

「ああ、こっちです」

 照は一旦廊下に出て、百合恵を隣の仏間へ案内した。仏壇は木彫りの仏像が一つと立派な位牌が一つ置いてあるだけの簡素なものだが、沢山の花で飾られていてた。照はマッチを擦って火立のロウソクに火を灯して言った。

「どうぞ」

 百合恵は座布団に正座して線香を焚いた。しかし、その時花立の後ろに美しく微笑む女性のカラー写真を見つけた瞬間、百合恵の頭は混乱した。そして誰の位牌かもわからず線香をあげるのは失礼だと感じて、恐る恐る照に尋ねた。

「……これは……八岐くんのお父さんの御位牌よね?」

 照は一瞬きょとんとしてから、微笑んで答えた。

「……そうですよ?勝之真叔父さんの位牌です」

 百合恵はほっと胸を撫で下ろしながら、写真の美しい女性が誰なのか知りたかったが、あれこれ尋ねるのもどうかと思い、とりあえず香炉に線香を供え、りんを鳴らして合掌した。そして客間へ戻ると、驚くべき事態が待っていた。

「先生!これみーんなヤマっちと照ちゃんが作ったんだって!」

「えっ?……ホント?」と百合恵はあからさまな疑いの眼差を由之真に向けたが、由之真はきょとんとしているだけで、代わりに照が自慢げに答えた。

「ホントですよ!私と由ちゃんで作りました!」

「………」

 唖然としながらも、百合恵はさっき湧きかけた疑問が何であるかを知った。それは照の両親が外出中なら誰が天ぷらを揚げたのか?という疑問だったが、状況証拠が揃っている以上は認めざるを得ない事実であり、それでも尚百合恵は半信半疑だったが、とにかく頑張ってくれた二人の労を労った。

「……凄いわね。正直驚いたわ」

 そんな百合恵の驚きぶりに満足した照は、満面の笑みを浮かべて言った。

「じゃあ、レッツお花見!」

「おーっ!」



 料理はどれもこれも美味しかったが、驚くべきはその品数の多さだった。一つ一つはそれ程難しい料理ではないが、煮物、焼き物、揚げ物、酢の物、蒸し物、そしてお刺身まであった。百合恵は盛り付けがちゃんとしていて、みんなの器がてんでバラバラでなければ、これはもはや会席料理だと半ば呆れながら舌鼓を打った。

「うん!……確かに八岐くんのお弁当の味がするわね!美味しいわ!」

 香苗達はそれぞれ簡単な料理を親から教わっていたが、内心ではレベルがあまりにも違うことにショックを受けていた。しかし「由ちゃん五歳の頃から料理してるから、もう料理歴五年だよね」という照の一言によってショックは和らぎ、あとはどっちが作ったかを当てっこするゲームをしたり、それぞれ和気あいあいとお喋りしながら顔見知りだけのお食事会を楽しんだ。そしてヤマメの唐揚げを平らげた香苗は、「あ!忘れてた!」とバッグから紙袋を取り出し、照に手渡して言った。

「これ、お父さんが今日のお礼にって。うちの新メニューのレインボーそば!名前はあたしが考えたんだよ!」

「……レインボーそば?」

 照が袋を開けると、茶そば、山芋そば、更科そば、梅そば、柚そば、黒そばの六色の生そばが入っていて、路子がすかさず「六色じゃん。レインボーじゃないし」と素っ気なく指摘した。しかし香苗は笑いながら勝ち誇った声で言った。

「ハッハッハ!甘いね路子くん。あたしは発見したのさ!おつゆを入れたら七色なのさ!」

「そんなのインチキだ。ジャロだ」

「ハハハハッ!ありがとう香苗ちゃん。今度またお店行くね」

「まいどありー!ヤマっちも来てよね!うちのお婆ちゃんのおそば宇宙一だから!」

 由之真はにこやかに微笑んで答えた。

「うん、行くよ」

 そんなみんなのやり取りを、百合恵は嬉しそうに眺めていた。由之真が学校に来てからまだ一週間足らずだが、由之真はもうすっかりクラスに馴染んでいて、百合恵自身も由之真の性格がわかってきたので、一つの小山を乗り越えた気がした。しかしそんな百合恵のささやかな安堵は、次の香苗の言葉によって簡単に壊された。

「ヤマっち、ヤマっちのお父さんって、今日お仕事なの?もしかしてお店とか?」

 それは、特に休日は一生懸命働く父親の背中を見て育った香苗の、実に自然で無邪気な質問だった。咄嗟に百合恵は(来た!)と思ったが、あまりに唐突だったので、この瞬間のためにあらかじめ用意していた言葉を忘れてしまい、慌てて思い出そうとした。ところが意外にも由之真自身が、いつもと変わらない穏やかな口調で微笑みながら即答した。

「ああ……父さんは一昨年事故で死んだけど、仕事はお弁当屋さんだよ」

「!!」

 香苗達は思わず目を見開き、絶句してしまった。香苗は頭が真っ白になって、どうしたらいいか判らなかったが、去年大好きだった祖母を亡くした路子がかろうじて口を開いた。そしてそれを、香苗も美夏も百合恵も感謝した。

「そっか……あー、アメリカにもお弁当屋ってあんのか」

「うん、あるけど、向こうでは母さんが仕事に出てたから、父さんは俺に毎日料理を教えてくれたよ」

「あー、だから料理上手いのか。八岐のお父さん、お弁当の鉄人だったんだな」

 由之真は香苗に無邪気な笑顔を向けて、愉快そうに答えた。

「うん、父さんのお弁当は宇宙一だったと思う」

 その笑顔で呪縛が解かれた香苗は、少し目を潤ませながらも笑みを返した。そして百合恵はこの期を逃してなるものかと、すかさず賭に出た。

「八岐くん……お母さんはお元気?」

「はい、元気です」

「そう、よかったわ!」

 賭に勝った百合恵は心で大きな安堵の吐息をついて、香苗達を見ながら明るくさりげない口調で続けた。

「八岐くんのお母さんはね、東京の病院に勤めてるのよ」

 それはお母さんも傍にいないという意味だと香苗達は思ったが、その言葉はみんなにそう思わせるために、百合恵があらかじめ用意していた言葉の一つだった。そしてそんな百合恵の思惑を知ってか知らずか、照が香苗達にとっては絶妙なフォローを入れた。

「私のお父さんとお母さんも、その病院に勤めてるんだよ」

 しかしそれは百合恵にとっても初耳であり、百合恵は思わず疑問を口にしていた。

「……じゃあここに住んでるの……二人だけ?」

 照は一瞬きょとんと由之真を見てから答えた。

「あれ?……言ってませんでしたっけ?」

「……ええ、聞いてないわ……てっきり……」

 照はしまったとばかりに自分の頭を小突きながら、苦笑混じりに謝った。

「あー……言うの忘れてました。ごめんなさい!」

「どうして向こうで一緒に住まないの?」と百合恵は問い掛けた、今は香苗達もいるということもあり「……そう」とだけ答えた。

 香苗達は照の両親が由之真の母親と同じ病院で働いていることはわかったが、その後の会話はよくわからず、みんな一斉に由之真を見た。すると由之真は美夏を見て、微笑みながら尋ねた。

「デザートあるんだけど、まだ食べられる?」

 美夏はにっこり笑って、おっとりと答えた。

「うん!食べられるよ!」



 デザートは照の手作りバニラアイスと苺入りのババロワ、それに庭にあるハーブを使ったハーブティーだった。由之真がアイスもババロワもボールごと持ってきてみんなの前で取り分けたので、香苗は突然気付いて言った。

「ヤマっち給食当番みたい」

「フフフ、日曜なのに大変ね」

「ハハハッ!」

 そこへ照がティーポットを持って現れ、みんなに尋ねた。

「ミントとか薄荷とか苦手な人いる?」

 さっと手を挙げたのが自分だけだったので、百合恵は頬を染めながら弁解した。

「あ、でも、辛くなければ大丈夫よ!薄荷飴が苦手なだけだから!」

「フフ、飴じゃないですよ?」と照は笑いつつ、百合恵にはレモンバームの葉を入れたカップに紅茶を注いで渡した。葉入りのハーブティーをはじめて見た香苗達は、カップの中にある緑の葉を見て不思議がった。

「この葉っぱ、なぁに?」

「香り付けに入れるの。それはアップルミント。これはレモンバーム。スプーンで取ってから飲んでね」

「ほー……」と香苗達が愉快そうにスプーンで葉をすくっていると、由之真がパクリと葉を食べたので、香苗も真似して食べてみた。するとミントの香りが口いっぱいに広がり、ババロワで甘くなった口の中を爽やかにしてくれたが、やっぱり少し苦かった。

 雨も上がり陽が差してきて、デザートを平らげたみんなは庭へ出ることにした。香苗達は早速ブランコで遊び、百合恵が池を見みると、池にはスイレンが浮かんでいて、丸い葉の間から赤い金魚の背中が見えた。そして百合恵は家の東側にある畑に気付いて照に尋ねた。

「……あれが八岐くんの畑?」

「そうです」

 それは学校の畑の三分の一ほどの広さで、こぢんまりしていて可愛い畑だった。蕪やアスパラ、紫蘇やいんげん、ニラなどがあったが、半分は耕されたばかりの状態であり、百合恵は草刈りを終えた学校の畑が来週にはこうなるのかと思った。

「ここは元々庭だったんだけど、叔父さんと由ちゃんが畑にしちゃったんですよ」

「……へー、そうなの」

「土がちょっと良くないから、近所の畑の土をわけてもらったりして……私も土入れ手伝ったりして……」

「……」

 目を細め懐かしそうに話す照を見て、まだ父親がいた頃の由之真を想像した百合恵の目に暖かいものが込み上げてきた。しかしふと百合恵は、少し改まった口調で尋ねた。

「……ところで照ちゃん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「なんですか?」

「八岐くんって、畑とか家事とかしてるみたいだけど……勉強する時間はちゃんと決めてるのかしら?」

「え……」

 どう答えようか思いあぐねたが、結局照は思ったままを言うことにした。

「たぶん……全然決めてないと思います。ていうか、宿題してるとこ以外、由ちゃんが勉強してるの見たことないんです。でも、火曜はずっと国語の教科書読んでました。あと社会はもう全部読んだみたい」

「え……全部読んじゃったの?社会の教科書?」

「はい、ちゃんと読んだかどうか知らないけど、他の科目も半分くらいはもう読んだんじゃないかな?」

(……予習はしてるのね……)

 百合恵は由之真の学力が小学校レベルを遥かに超えていることを知っていたが、もしも努力を怠り家で宿題以外何も勉強していないなら、家庭訪問の前に注意しておこう考えていた。そうすれば保護者の前で由之真に注意しなくて済むからだが、焦る必要はないと思い直していると、照が苦笑しながら続けた。

「由ちゃんは……いっつもなんかしてるんですよ。じっとしてるのは、テレビ見ながら本読んでるか、眠ってる時ぐらいです」

 その言い方に照の優しさが見えた気がして、百合恵は何故か少し意地悪っぽく尋ねた。

「うーん……テレビ見ながら、本は読めないんじゃない?」

「私もそう思うけど、後でテレビの内容とか聞くと私より覚えてるし、そん時私が話したことまで全部覚えてるから、なんか憎たらしくて。フフフ!」

「フフ……確かに八岐くんは、聞いてないようで聞いてるわね」

「そーなんですよ。誰が何言ったか、後で聞いたらきっと全部覚えてますよ」

 そんなことを話しながら、二人はぶらぶらと畑を一周してから家の裏手へ回った。そこは駐車場になっていて、その向こうには道路があり、道路は真っ直ぐ二階建ての家へ向かっていた。照は道路の北を指差して言った。

「見えないけど、その下に川があるんです。前に香苗ちゃん達と泳いだっけ」

「……名合の沢ね?」

「そうです」と照が答えた時、一台の軽トラックが道を通った。

「あ、帰ってらしたんじゃない?」

「ううん、あれは大士郎さんと築根つくねさんで、二人ともお爺ちゃんのお弟子さんです。たぶん買い出しから戻ったんだと思います」

 照と百合恵が家を一回りして縁側に戻ると、由之真がすっかり綺麗になった座卓の上にフードパックを置きながら言った。

「……さっきお婆ちゃんから電話があって、五時過ぎになるって」

「そっか……ごめんなさい、先生」

「……ううん、謝らなくていいのよ。どうせ来週家庭訪問で来るから。ところで八岐くん、それは何かしら?」

 百合恵はどう見てもお土産にしか見えない、四つのフードパックを指さして尋ねた。

「……天ぷらです。柏葉先生も来ると思って作り過ぎたから、家で食べてください」

「そんなに気を使わないで、みんなと一緒に遊んだらいいのに」と言おうとしたが、それは止めて百合恵は苦笑混じりに真面目な声で言った。

「……どうもありがとう!……先生、八岐くんはもう立派な主夫だと思います」

「ハハハ!」と照が笑っていると、香苗が駆け寄ってきた。

「先生、何時に帰るの?」

 百合恵が腕時計を見るとまだ午後三時を回ったばかりだったが、帰る時間は決めていなかった。

「そうねえ……」と百合恵が答えあぐねていると、香苗は先手を打って出た。

「もうちょっと遊んでもいいですか?」

 百合恵は一応、照の顔が笑っているのを確かめてから答えた。

「……ええ、いいわ」

「やった!」

 難関を突破した香苗は、その勢いに乗って真の目的達成に乗り出した。

「照ちゃん、家でかくれんぼしてもいい?」

 照は一度由之真を見てから、にかっと笑って答えた。

「よし、しよっか!」

「やった!じゃあ先生も交ざって!」

「えっ、先生も?」

 そして全員参加のかくれんぼが始まり、由之真が最初の鬼になったので、照は隠れる前にみんなを集めて言った。

「あのね、由ちゃん鬼が得意だから、あっという間に見つけちゃうの。だからみんな隠れたらすぐに、こっちこっち!こっちだよ!って由ちゃんにテレパシー送るとね、由ちゃん混乱してわかんなくなるから!テレパシー作戦ね!」

「ハハハッ!わかった!」

 そして由之真が玄関でゆっくり三〇数える間に、あまり家の中を動き回るのもどうかと思った百合恵は、リビングのソファーの後ろのカーテンの陰に隠れた。香苗達はお風呂や由之真の机の下、客間の押し入れなどに隠れた。百合恵がカーテンの隙間から見ていると、数え終えた由之真がリビングに現れたので、百合恵は試しに(こっちこっち!)と思うと、由之真が自分の方を見たのでドキッとした。しかし由之真はすぐにきょろきょろしだして、百合恵はそれが本当にテレパシーで混乱しているように見えておかしかった。

 そして由之真が廊下に入ったので、百合恵が(行った!)と思った瞬間だった。由之真はくるりと踵を返し、百合恵が隠れているカーテンに音もなく真っ直ぐ忍び寄って突然言った。

「先生みっけ」

「ひゃあっ!」

 由之真が廊下に行ったと思って油断して目を離した百合恵は、突然の声に驚いた。

「びっくりした!ハハハッ!もう見つかっちゃったわ!」

 由之真は悪戯っぽく笑って、すぐにまたその場できょろきょろしてから百合恵に尋ねた。

「……照が何か言いました?」

「え?……ううん、なんにも?」

 百合恵は咄嗟に仲間をかばっただけだが、由之真はにやりと笑って百合恵に疑いの眼差しを向けてから、「照め」と呟いて廊下へ向かった。百合恵は他にすることもないので、由之真の跡をつけた。百合恵が見ていると、由之真は他の部屋を探そうとせず、廊下で時折立ち止まってきょろきょろしていたが、不意に真っ直ぐバスルームへ向かい、そこで路子を見つけた。そしてまたきょろきょろ辺りを見回したが、やがて普通に各部屋を探しはじめた。しかしそのままタイムアップとなり、隠れきった三人の中で照が一番はしゃいで言った。

「やったね!作戦大成功!!」

「イエーイ!」

 その後かくれんぼは百合恵が鬼になったが、隠れるのは苦手な由之真はすぐに百合恵に見つけられてしまった。それからは二人が鬼を交替するだけだったので、ついに二人は香苗から「先生もヤマっちも、かくれんぼ下手っぴ過ぎ!」という不名誉なレッテルを貼られ、鬼免除を言い渡された。そして時間はあっという間に過ぎて、百合恵達は四時半頃にお土産を持って帰って行った。

 照は食器を洗いながら、隣で油の処理をしている由之真に笑いながら謝った。

「フフフ、ごめんね由ちゃん。ホントは鬼得意なのにね」

 由之真は真顔で首を左右に振って答えた。

「ううん、ちっとも得意じゃないよ。下手っぴ過ぎだってわかったから」

「ハハハッ!」

 帰りは晴れていたので、百合恵達は名合の道を戻って学校へ向かった。来る時は小雨で霞んでいたが、帰りの名合の道はまさに絶景だった。百合恵は一番見晴らしの良いところで車を停めて、携帯電話のカメラで名合の桜並木道を撮ろうと思ったが、それはやめて心に焼き付けることにした。ふと気付くと車内が静かになっていて、百合恵がルームミラーを見ると、後部座席の香苗と美夏が寄り添って眠っていた。横目で助手席を見ると路子も眠っていたので、車は学校の駐車場を通り過ぎた。



終わり

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