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とようけ!  作者: SuzuNaru
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第十七話 真異のこと 前編

真異まことのこと 前編


 二○○二年六月二十一日の朝、少女は目覚まし時計のアラームを止めてからカーテンを開けて、眠い目を擦りながら首を傾げた。そして目覚まし時計と窓の外を見比べながら、きっと時計が壊れたに違いないと思った時、少女の母親が部屋へ来てにこやかに言った。

「おはよう、優ちゃん!お誕生日おめでと!」

「……」

 しかし少女は怪訝そうに母親を見て、もう一度窓の外を見てから恐る恐る尋ねた。

「……お母さん……いま、何時?」

「……え?」

 その日……十一歳の誕生日を迎えたこの日から、少女の……小林優奈ゆうなの瞳は太陽の光を失った。それから優奈は今日に至るまで、三十二の病院であらゆる検査を受けたが、何人かの医師が「本態性視神経障害」という、つまり原因不明の病気という意味の病名を勝手に付けただけであり、誰一人優奈の昼間を取り戻すことはできなかった。そして最後に訪れた大学医学部付属病院の精神神経科を受診した帰りの車中で、優奈は沈んだ顔の母親に明るく言った。

「お母さん、もう病院はいいよ。……またどっか、わかってくれる学校探した方が早いし、私まぶたいじられ過ぎて垂れ目になっちゃうよ。フフッ!」

 父親は思わず眉間に皺を寄せ、母親は溢れる滴を堪えながらなんとか笑って答えた。

「……フフ。そうね……じゃあ、お母さんと一緒に……また学校探そうね」

「うん!」と優奈は元気に答えて、母親の肩におでこをぐりぐりと擦りつけた。そしてトートバッグから買ったばかりの本を取り出し、いつも手首に巻いているミニライトで照らしながらパラパラとページを捲った。すると母親はすぐにバッグから大きなマグライトを出して、「ひっひっひ〜」とおどけながら自分の顔を顎の下から照らした。

「ハハハッ!」

 優奈は愉快そうに笑って自分もやり返そうと思ったが、今は昼なので母親には効果がないと思い直し、そのマグライトの明かりで本を読み始めた。そんな娘を見て、母親はさっとハンカチで目を拭い、ポジティブな娘を習って気を奮い起こした。

「ねえ、お父さんもちゃんと付き合ってよ?」

「当たり前だろ!……優奈、フェスタビルの地下で何か食ってくか?」

 優奈は顔を上げて、眉間に皺を寄せて考えてから答えた。

「……ピザ!」

「よしっ!ピザ食いに行くか!」

「やったー!」

 優奈は視力を失ったわけではなく、人工的な光源があれば家庭での日常生活はそれ程困らなかった。図書館や美術館など、常時照明が点灯している屋内施設は普通に利用できるし、ただ目が日光に反応しないだけで、皮膚はちゃんと日焼けをしていた。しかし、優奈が通常の学校生活を送ることは非常に困難だった。幸いにも優奈の担任が力を尽くしてくれたおかげで、優奈は無事に小学校を卒業することができた。しかしその力は中学校までは及ばず、たとえ診断書を提示して学校側が受け入れたとしても、結局は特異な体質を理解してもらえず、優奈はすぐに転校を促された。それでもついに優奈を受け入れてくれる学校が見つかり、優奈はその中学校でのびのびと学び、現在は生徒会副会長を務めるまでになっていた。

 しかし高校受験を控えた今、たとえ優奈がどんなにポジティブな精神の持ち主だとしても、我知らず溜息をついてしまうことはしかたなく、それがまた両親を焦らせてしまうことが優奈の一番の悩みだった。こうして車中で本を読んでいるのも、そんな自分を隠すために他ならないが、それは車が信号で止まった時のことだった。

(……?)

 ふと窓から差し込む光りに気付いた優奈は、その光源を確かめようと顔を上げた。昼間の光源の殆どはトラックのライトや信号や屋内の照明だったが、その光りはマグライトの数倍は明るく、昼間にしてはとても珍しいと思った。しかもその光りは歩道を歩く人々を照らしながら移動しているので、こんな昼間にどうしてそんな明るいライトを持って歩くのだろう?と優奈は目を凝らした。

(……!?)

 しかしその眩い金色の光りは、その人物の胸から服を突き抜けて放たれていた。優奈は一瞬ぞっとして咄嗟に俯き、本を読むフリをしながらもう一度横目でその光りを見ようとした。ところが車が動き出し、あっという間に光りは遠退いてしまった。優奈はほっと胸を撫で下ろしながら、反対方向の景色を見ていた母親に囁いた。

「……お母さん、今凄いの見ちゃった……」

「え?……なあに?」

「……わかんないんだけど……多分あれ……宇宙人かも」

「……へ?」

 唐突な言葉に母親は戸惑ったが、父親は落ち着いた口調で尋ねた。

「……どんなだった?」

 優奈は少し考えてから、ゆっくりと答えた。

「あのね……小学生ぐらいの子で……身体が光ってて……かなり光ってて……」

 父親は続きを待っていたが、優奈は母親の目に浮かんだ恐怖に耐えられず、口をつぐんでしまった。それに気付いた母親は後悔したが、すぐに父親が優奈に続きを促した。

「……光ってて、どうした?」

「………」

 しかしこれ以上母親を怯えさせたくない優奈は、今すぐ続きを話す気にはなれなかった。娘の迷いを感じた父親は、ここは一旦間を置こうと考えて穏やかに言った。

「優奈……今日診てもらった先生にさ、変わったことがあったら何でも連絡しろって言われたの覚えてるだろ?……その宇宙人の話さ、家に帰ったらでいいからお父さんに詳しく教えてな」

「……うん」と優奈は一応答えたが、その声は心細かった。それを話すことへの不安と感じた父親は、元気を分け与えるように溌剌とした声で言った。

「大丈夫さ!お父さんあの先生は、いままでの先生と違うって思ったんだ。……何となーく、そんな気がするのさ!」

 今日の優奈は五人の医師から診察を受けたが、優奈も母親もすぐに「あの先生」が誰かを悟った。それは優奈がすこぶる健康であることを一目で見抜き、優奈の症状を「非疾病の可能性が高い」と診断した老医師だった。そして優奈の治療は薬を使わない経過観察となり、それを諦めの宣告と受け取った母親は悲観したが、父親は違うものを受け取っていた。

 それは、「変わったものが見えた時は、いつでも気楽に連絡するように」と老医師から渡された名刺だったが、名刺には手書きでプライベートな電話番号が追記してあった。それだけでも父親はいままでとは違う何かを感じたが、そう易々と報告のチャンスが来るとは露も思っていなかった。そんな父親にとって、たとえそれが帰路の途中で現れた宇宙人であっても、大事な最初のチャンスだった。そして父親の何となく力強い言葉は、閉じかけた優奈の心をこじ開けた。

「……うん!そーだね……あのお爺ちゃん先生って、なんか変わってたっけ……フフ!」

 実のところ、優奈は老医師を少し気に入っていた。それは老医師が優奈の瞼をぞんざいに捲った若い医師を叱ってくれたのと、老医師と気楽に話せたことが原因だった。それ故優奈は、「いままでの先生と違う」という父親の言葉に素直な共感を覚えたが、娘の了解を得た父親は、今度は母親のフォローに回った。

「じゃあ……博子さん」

「……え、な、なに?」

 突然名前を呼ばれた妻は、どぎまぎと答えた。父親が母親を名前で呼ぶのは珍しく、娘は何事かと目を見張ったが、父親は真面目な声で言った。

「もし、博子さんが宇宙人でも、俺も優奈も気にしないから……絶対誰にも言わないから」

「……は?」

 優奈は咄嗟に母親から目を逸らし、窓の方へ顔を向けた。しかしそれは逆効果であり、窓に映った母親のきょとんとした顔を見て、優奈は吹き出してしまった。

「ブハハハハッ!」

「ハハハッ!」

「!」

 ようやくからかわれたことに気付いた母親は、場が和んだことに感謝しつつ言い返した。

「……もうっ!突然何言ってんのよっ!バカっ!ハハハッ!」

「ハハハッ!」

 そして優奈から宇宙人のことを詳しく聞いた父親は、早速老医師へ電話を掛けた。すると老医師は一〇分後に掛け直すと言って一旦電話を切ったが、その五分後に掛かってきた電話を受けた父親は、明日訪問するという老医師の言葉に戸惑った。

「……え?……明日ですか?」

『そう……なるべく早い方がいいと言うので……明日は無理ですかな?』

 その言葉の裏に誰かの気配を感じたが、とりあえず断る理由はないので、父親は老医師の申し出を受けた。

「……いえ、明日の午後ならば大丈夫ですが……」

『では、明日の昼過ぎに。……そうそう、優奈ちゃんの好きな花は何ですかな?』

「花ですか?……ちょっと、待ってください」

 父親がリビングのソファーでテレビを見ている優奈に尋ねると、優奈は「薔薇の花!黄色いの!」と元気に答えた。

「あー……黄色い薔薇だそうです」

『ほほ、わかりました……では明日……ああ、もちろん優奈ちゃんも一緒に』

「あ、はい……では失礼いたします……」

 父親は受話器を置いて、腕を組んで少し考えてから優奈と妻に言った。

「……明日先生来るって」

 二人はきょとんとしながら同時に尋ねた。

「……どうして?」

「いや、よくわからんけど……とにかく明日の午後は、みんな家にいてくれって」

 優奈と母親は顔を見合わせて、揃って首を傾げた。それが何だかおかしくて、父親は思わず笑っていた。



「……?」

 昼食後に自室で寛いでいた優奈は、ふと部屋まで漂ってきた甘い香りに誘われて部屋を出た。すると玄関には黄色い薔薇の大きな花束を抱えた博子が呆然と立っていて、優奈は目を丸くして驚いた。

「……お母さん……それどしたの?」

 博子は優奈に花束を渡しながら怪訝そうに答えた。

「なんかね……今花キューピットが来て、優ちゃんにって」

「えっ!?私に?……」と花束を受け取った優奈は、早速メッセージカードを開いた。

「あっ!……お爺ちゃん先生からだ……って言うか石狩って誰?」

 メッセージは「小林優奈様へ」としかなかったが、その下には「石倉純一郎 石狩 哲より」とあり、「石倉純一郎」は老医師の名前だが「石狩 哲」という名前には博子も心当たりが無かった。博子は眉を顰めながらその名前を見つめて言った。

「……誰かしら?この人も今日来るのかしらね?」

 二人は揃って首を傾げながら、とりあえず薔薇を花瓶に生けて客間に飾った。そしてそのすぐ後に「ただいまー」と父親が帰宅したが、玄関へ出迎えに行った二人は父親の後ろにいる二人の老人を見て驚いた。一人はもちろん老医師だが、もう一人は長身でがっしりとした体躯の、端正な顔立ちの男性だった。髪も顎髭も真っ白なその男性は、紫の袴をはいていたが、上着は藍染めの甚平をざっくり羽織っていてよくわからない風体をしていた。そして男性は、突然快闊な声で愉快そうに言った。

「おっ!……お嬢ちゃんが優奈ちゃんかい?」

 優奈は呆気にとられながらも、元気な声で答えた。

「……はっ、はい!……優奈です」

「ん!……純ちゃんの言うとおり元気なお嬢ちゃんだ!」と男性は目尻に皺を寄せながら老医師に向かって嬉しそうに頷いたが、老医師は軽く首を横に振って、溜息混じりにどすの利いた声で呟いた。

「……あのなあてつ……俺の大事な患者さんによ、挨拶ぐらいちゃんとできねえか?」

 すると哲と呼ばれた威勢のいい男性は、慌てて優奈達に頭を下げた。

「あー、済まねえ!」

「……いえ……」と力無く答えて、やっと我に返った博子がきょとんと夫を見ると、夫は苦笑して言った。

「……そ、そこでばったり会って……ああ、とりあえずどうぞ、上がってください」

「おう!じゃあちょいと邪魔するぜっ!」と哲はずかずかと上がり込んだ。そして応接室のソファーに腰掛けるなり、単刀直入に切り出した。

「優奈ちゃん……ちょっとこれ見てくれ」

 哲は懐から取り出した白い封筒をテーブルの上にそっと差し出した。優奈は隣に座っている父親の顔を見てから、その封筒を手に取った。しかし得体が知れないものを娘に見せるわけにはいかないので、父親は優奈が封筒を開ける前に尋ねた。

「あの、これは何ですか?」

 哲はにやりと笑いながら答えた。

「心配ねえさ。見りゃわかる。優奈ちゃんにしかわからねえけどな」

「……」

 恐る恐る封筒を開けると、封筒の中には写真が四枚入っていた。それは何の変哲もない子供達の写真だったが、優奈が小首を傾げながら三枚目の写真を見た時だった。

「……あっ!」と驚きの声をあげて、優奈はその写真に写っている少年を食い入るように見つめた後、顔を上げて父親と哲達の顔を交互に見た。

「……どうした?」

「こ、これ……」

 写真の少年は、まさに優奈が昨日見た光る宇宙人だった。しかし、会ったこともない哲が自分しか知らない情報を知っていることに恐れを抱いた優奈は、警戒して言葉を詰まらせた。哲はそんな優奈の気持ちを察して、優しそうに微笑んで言った。

「優奈ちゃんが見た宇宙人ってのは、その子かい?」

「えっ!?」と先に反応した父親は、優奈の手を取って写真を見つめた。優奈は微笑む哲に無言でゆっくり頷いたあと、丁度お茶を運んできた博子に向かって言った。

「お母さん……この子だよ、昨日見た宇宙人」

「へっ!?」

 博子はお盆をテーブルに置いて急いで写真を見たが、写真には可愛らしい子供が写っているだけであり、それは夫も同じ印象だった。そして三人が怪訝そうに見つめ合っていると、静観していた老医師が愉快そうに言った。

「ほっほっ……種明かしは、まずこれを紹介してからにしましょう」

 母親はすぐにソファーに座り、三人はドキドキしながら哲を見つめた。哲は愉快そうに笑って懐から名刺を取り出し、それを父親に手渡して言った。

「石狩神社ってとこで、しがない宮司をしとります、石狩哲と申します」

(……神社?)

 父親は眉間に皺を寄せて老医師を睨めつけた。実のところ小林家は、優奈の目が太陽の光を失ってから、様々な人達に「呪い」とか「祟り」と言われ続け、社寺で何度もお祓いを受けていた。しかし、高額な玉串料を納めて断食までしても効果が無いばかりか、一方的に自分達の所行や前世が悪いと責められるだけであり、小林家は二年前から祈祷やお祓いに頼ることを止めていた。そして呪いや祟りに惑わされずに科学的な医療を受けながら、三人で力を合わせて克服して行こうと決めていた。それ故父親は、裏切られたという失望と怒りを感じながら、不満な声で老医師に尋ねた。

「あの……先生、どういうことですか?」

 老医師は静かに微笑んで、まだ優奈が持っている写真を指さして答えた。

「どうもこうも、そういうことですな」

「……」

 父親は優奈から写真を受け取り、一度横を向いて吐息をついてからもう一度尋ねた。

「……これは誰ですか?」

 すると老医師の代わりに哲が自慢げに答えた。

「俺の孫さ!」

「!?」

 優奈はハッと顔を上げて、もう一度写真を見つめた。哲の言葉に全員が驚いたが、とりあえず父親は写真の少年が普通の人間であることに安心したのか、素直に感じたことを口にしていた。

「ほ、本当に……お孫さんなんですか?」

 哲は嬉しそうに頷いて、悪戯っぽく笑って答えた。

「ん!……フフ、優奈ちゃん。そいつは由之真ってんだが………たぶん、宇宙人じゃねえと思うが……まあ、本人に聞いてみねえとわからねえけどな」

「……フフ」

 からかわれていることを察した優奈は、思わず笑みを返していた。そして哲は、今度は父親に向かって愉快そうに言った。

「小林さん……俺は別に壺売りに来たわけじゃねえし、何もしやしねえから心配しなさんな。……俺達は優奈ちゃんの話をしに来ただけさ」

「……」

 父親の感情は次第に静まり、話しができる状態になったと感じた老医師は静かに切り出した。

「いやいや……小林さんが疑うのは、実に正しいことです。さもなくば疾うに詐欺師に騙され、この家も失い、私とも会えなんだ。……こうして私らが出逢えたのは、小林さんの判断が正しかったからですな……」

 平静を取り戻した父親は、一度優奈と妻の顔を見てから尋ねた。

「……優奈の話とは、なんでしょうか?」

 老医師は軽く頷いて答えた。

「……昨日私が診たとおり、優奈ちゃんは病気じゃない。……じゃあ何かと言えば、私のような者には手に負えない何かであって……それをよーく知ってるのが……この詐欺師なんですよ」

「ん゛っ!……あっちいっ!」

 驚いた拍子に熱いお茶を飲み込んだ哲は、咳き込みながら老医師に向かって乱暴に言った。

「……てめぇ、言うに事欠いて詐欺師たぁなんだこの野郎。人聞きわりぃこと言うんじゃねえよ!」

 老医師は快闊に笑って言った。

「ハッハッハッ!……後はお前が説明しろ。ハッハッハ」

「……フフフ」

 なんだか下手な漫才を見ている気がして、優奈達は苦笑していた。哲は少しきまり悪そうに咳払いをしてから言った。

「……あー……優奈ちゃん」

 優奈は哲の目を見て答えた。

「……はい」

「ぶっちゃけて言うとな、優奈ちゃんは神中りって言う状態なのさ」

「……かみあたり?」

「ん!」

 そして哲は、きょとんとしている父親に向かって言った。

「小林さん……小林さんはこの家建てる時、地鎮祭しなすったろ?」

「……はい、しましたが……その……かみあたりと言うのと、関係あるんですか?……かみあたりっなんですか?」

「まあ……今説明する」

 哲は腕を組み、一度窓の外を眺めてから続けた。

「……人が大地に手を出す時は、大事に使うから怒らねえでくれって、土地の神様とちゃんと約束するのが地鎮祭だってことはご存じかい?」

「……ええ」

「ん……そこでだ、あの山見てくれ」と哲は窓から見える遠くの山々を指さして、みんなが見たのを確かめてから続けた。

「たとえばあの山の麓に野球場でも作ろうってんなら、とにかく人が手を出すんなら、土地を祀って土地の神様を鎮めなきゃならんよな?……地鎮祭のように」

「そう…ですね」

「ん……でもな、それだけじゃダメなんだ。その土地にずーっと住んでた生きもんの命を……古い大きな木を切らなきゃならん時なんざ、その魂が迷わねえようにちーゃんと祓ってやらなきゃならん。小林さんはそんな話し聞いたことねえかい?」

「……ありますが……」

 博子の実家が製材所を営んでいたので、そういった話しは優奈も父親も知っていた。そして哲は一度頷いてから、何でもないことのように言った。

「だがまあ、祓わねえと迷った魂が住みやすい場所をみっけて、勝手にそこに住んじまうだけなんだが……たまーーにな、人ん中に住んじまうことがあって、それが神中りってんだ」

「……」

 優奈は思わず自分の胸に手を当てて、不安げな目を母親に向けた。博子も優奈とそっくりな目を夫に向けて、夫は不満そうに尋ねた。

「……じゃあ、そういう魂が……優奈に入ってるって言うんですか?」

 哲は優しく微笑みながら頷いて答えた。

「ん……詳しく言うとな……優奈ちゃんの身体には、何百年も生きてた木の魂が入っちまってる。もちろん、優奈ちゃんにゃ御天道さんが拝めねえ以上の害はねえから、なーんも怖がるこたぁねえよ!」

 それは当然ながら信じがたい話だったが、何も怖がることはないという哲の言葉は、優奈達が何年も抱き続けてきた不安を少し和らげた。しかし、尤もらしく聞こえることに危険を感じた父親は、猶も慎重に尋ねた。

「……それは……木の祟りってことですか?」

 すると哲は一瞬驚いた顔をして、笑って答えた。

「フフッ、神中りは祟りなんて物騒なもんじゃねえよ!木は人を祟ったりしねえ……ただいきなり切られたもんだから、行き場が無くって入っただけさ」

「……どうして優奈に入ったんですか?」

「そりゃ幾つか理由はあるが、優奈ちゃんの魂が名前のとおり優しくて、一番入りやすかったからだろう」

「!」

 褒められたのかどうかわからなかったが、優奈は頬を染めて俯いてしまった。そんな優奈を優しげに見つめながら、哲は優奈に語りかけた。

「なあ、優奈ちゃん」

 優奈はハッと顔を上げて、哲の目を見て答えた。

「……はい」

「……優奈ちゃんの中には、木の神様が住んでるが、なんにも怖がるこたぁねえ。……木の神様はみーんな優しい神様だから、放っといてもこれ以上悪くなるこたぁねえし、むしろ優奈ちゃんを他の悪いことから守ってくれる」

「………」

 その時優奈の胸に熱く優しい気持ちが込み上げてきて、それが目から溢れるのを優奈は必死に堪えたが、哲の言葉は優奈の努力を台無しにした。

「でもやっぱ、お天道さんは見てえよな……」

 優奈は大粒の滴を頬に伝わせ、震える声で答えた。

「……はい」

 しかしここで泣かれるとは思っていなかった哲は、慌てて手を振りながら言い直した。

「あーいや!泣かねえでくれ!ちゃんとお天道さんは見えるようになっから!大丈夫だからな?」

「えっ!?」と声をあげたのは、今まで黙って聞いていた博子だった。夫ほど現実的ではなくどちらかと言えば騙されやすい博子は、哲の話しを素直に聞きながら結局どうすれば娘が治るのかを尋ねたくてうずうずしていた。

「ほ、ホントですか?ホントに治るんですか!?」

 哲は大きく頷いて請け合った。

「ん!嘘じゃねえよ。今すぐってわけにはいかねえけどな」

「!?」

 博子は優奈を引き寄せて、優奈の頭に頬を擦りつけた。しかし今まで散々疑ってきた父親はそう簡単に信用できなかったが、何故かどうしても哲が嘘を言っているようにも聞こえず、苛立たしげに吐息をついて哲に尋ねた。

「……しかし、どうやって治すんですか?」

 哲はにやりと口元を歪ませて答えた。

「なに、難しいこたぁねえ。神籬ひもろぎかなんかに移しちまえばいいだけさ」

(……ひもろぎ?)と首を傾げつつ、父親は妻と娘の顔を見た。妻と娘の瞳は既に希望の光に満ちていて、ここで断るわけにはいかないと判断した父親は、もう少し考えさせて欲しいと一旦間を置こうとした。しかし今度は老医師が父親の背中を押した。

「まあ、小林さん……この粗野な詐欺師に、ちょっと騙されてみてはどうですかな?」

(粗野な詐欺師ってなんだよ!?)と思ったが、哲は老医師に渋い顔を向けただけで何も言わなかった。

「………」

 父親は腕を組み、もう一度優奈を見てから答えた。

「わかりました。……優奈、ちょっと部屋に行ってなさい」

「……うん」と立ち上がった優奈に哲が尋ねた。

「ん?……なんだ?優奈ちゃんに聞かれちゃマズイことでもあんのかい?」

 父親はお金の話しを娘に聞かせたくないだけであり、優奈もそれを察していたが、父親が「いや……あのー…」と答えにまごついていると、老医師が助け船を出した。

「哲……」

 老医師が人さし指と親指で作った輪っかを見た哲は、笑って膝を叩いてから優奈を指さして言った。

「ああ、なんだ金か!わりぃ、言うの忘れてた……金はびた一文いらねえんだ。代わりにそれ貰うからさ」

 哲が言った「それ」は優奈本人ではないと思ったが、父親は尋ねずにはいられなかった。

「それって……まさか……」

 哲は手振りで優奈を座らせ、テーブルの写真を拾って言った。

「……俺らが欲しいのは、今そこにおわ久久能智くくのちの眷族さ……なあ、優奈ちゃん」

「……はい」

 哲は由之真の写真を見せながら、微笑んで言った。

「優奈ちゃんから木の神様を移すのは、こいつ……八岐由之真だ」

(!……やまた……ゆうのしん……)

「心配するこたぁねえ……ちっとだけ眩しいかもしれんが、こいつはどんなことがあっても優奈ちゃんを危険な目に遭わせはしねえから、大船に乗ったつもりでどーんと構えてりゃいい」

「……はい」と優奈は素直に答えたが、博子は優奈より年下に見える少年がやると聞いて不安を抱いた。

「本当に……この……お孫さんがやるんですか?」

 哲は再び優奈の胸を指さして答えた。

「ん!……まあ俺でもやれるが、そいつの御指名だからな」

「……はあ」

 これ以上尋ねてもわからないことが増えるだけだと感じた博子は、とりあえず後は祈るばかりと覚悟を決めた。哲は一度父親を見て頷いてから、優奈に向かって優しく言った。

「優奈ちゃん、今由坊は……こいつは林間学校行ってて週末に帰って来る。……土曜の夕方連れて来るから……宇宙人かどうか聞いてみてくれ」

「フフ……はい!」

「よしっ!」と哲は立ち上がり、父親に手を差し出して言った。

「場所はまだ決めてねえが、やるのは土曜の深夜だ。詳しいこたぁ追って話すよ」

 父親は哲の手を握り、哲の目を見て答えた。

「……はい。よろしくお願いします!」

 そして自分に差し出された哲の手を、優奈が握った時だった。

「っ!?」

 哲の身体から放たれた眩い光りをまともに見てしまった優奈は、目に手を当てて顔を背けた。

「どうしたの優ちゃん!?」

「……大丈夫!びっくりしただけ……」

 哲は頭を掻きながら謝った。

「あー、ごめんな!眩しかったかい?……もう見ても大丈夫さ」

 優奈が恐る恐る目を開けると、哲はもう光っていなかった。

「……」

 そして哲は顎髭を触りながら苦笑して言った。

「……優奈ちゃん、グラサンあるかい?なかったら買っといてくれ」



つづく

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