第十五話 真実の行方
それは二泊三日の林間学校を間近に控えた九月の日曜日のこと、路子が駅前の山一書房に来ていたのは、注文していたゲームソフトを受け取るためだった。路子はその後みかど屋で香苗の祖母が打ったざるそばを食べてから、午後は美夏の家でそのゲームを堪能する予定だった。しかし店に入った途端に雨が降り出したので、路子はこのまま雨宿りがてら二階のコミックコーナーで立読みでもしようと思った。ところが実用書の棚で立読みしている由之真を発見した時、いつも畑にいる由之真と町中で出会したことに違和感を覚えた路子は思わず声を掛けた。
「……八岐」
由之真は表紙に大きく「きのこ」と書かれた本から目を離し、さほど驚いた様子もなくいつものように「こんにちは」と静かに答えた。特に用もなく声を掛けた路子だったが、その本には少し興味を抱いた。
「おっす……それ買うの?」
由之真が本の値段を確かめてから、「ううん、買うのはこれ」と指さした本に「森のきのこ」と書いてあったので、路子は愉快そうに尋ねた。
「あー……きのこ好きなのか?」
「……近所の人と今度きのこ採りに行くから、覚えようと思って」
「そっか……」
その答えがとても由之真らしいと思いつつ、路子は由之真が時折香苗達と本を貸しっこしていることを思い出し、試しに言ってみた。
「あー……後で貸して。ちょっと面白そうだし」
「うん、いいよ」と由之真はにこやかに答えた。しかし考えてみると自分の本棚にある本で由之真に貸せる本が思い当たらない路子は、一瞬どうしようかと思った。ところが百合恵以外に殆どものを尋ねない由之真が、珍しく路子に尋ねた。
「……天野さんはCD?」
「え?あー、いたパラ……ゲームさ」と答えた路子は、以前から抱いていた由之真に関する疑問の一つを尋ねた。
「そーいや……八岐ってゲームすんの?」
路子は照がゲームをすることは知っていたが、由之真の口からは一度もゲームの話しを聞いたことがなく、もしも由之真もするなら自分のゲームが貸せるし、この後美夏の家へ誘うのもよいと思った。すると由之真は苦笑して答えた。
「……時々照とするくらいだけど、下手っぴだよ」
「フフ、そっか……これからさ、香苗ん家でお昼食って、そのあと美夏ん家でゲームするんだけど、もしあれだったら……」と言いながら何気なく追った由之真の視線の先に、合同授業のクラスメートである二小の相田葵がいたので、路子は咄嗟に棚の陰に移動していた。
相田葵の家は代々開業医を営む裕福な家庭で、地域にもそれなりの影響力を持っていた。そのせいか葵は少し高飛車な性格の少女であり、何かにつけて自分の持ち物や経験を自慢する癖があった。それだけならば意識する程ではないが、時折葵のグループが路子達を挑発してくることがあった。それが授業のことなら大歓迎で対抗するが、四人しかいないとあれができないこれができないと路子達の弱点をあげつらうのが我慢できないことがあり、とにかく路子はいつも気取っている葵が好きではなかった。
しかし今日の葵の態度は違っていた。葵は見るからにそわそわしているので、具合でも悪いのかと路子が思った時だった。
(……!?)
葵はコミックスコーナーの隣にある文房具コーナーで、自分の袖口にペンを入れた。それはほんの一瞬のことであり、はじめ路子は我が目を疑った。しかしすぐに葵が同じことを繰り返したので、路子の胸に怒りと悲しさが入り交じった言い知れぬ不快な感情が湧きあがった。ちらと由之真を見ると、由之真はまるで風景でも見ているように全く表情を変えずに葵を見ていた。そして由之真が葵に向かって一歩踏み出した瞬間、おそらく由之真が葵の行為を止めようとしていると感じた路子は、何故か焦って由之真の肩に手を掛けてしまった。
元より放っておけば良いとは、路子も考えていなかった。しかし振り返った由之真の落ち着いた目を見た時、葵を止めるのは自分の役目であるような気がした。できれば由之真にこれからのことを見ないで欲しかったが、葵がその場から離れないので、もうこれ以上は黙って見ていられなかった。そして路子は眉間に皺を寄せ、葵に向かって歩き出した。
(……ったく……)
路子に背を向けていた葵は、路子がすぐ傍に来るまで気付かなかった。路子は低く呟くように言った。
「……戻しな」
「っ!?」
驚いた葵は髪を揺らして振り返り、路子の顔を見てすぐに目を逸らした。葵が唇を震わせながら硬直しているので、路子は慎重に言葉を選びながら小声で言った。
「……全部見てた……ここカメラあるし、戻さないと……おわっ!?」
路子が言い終える前に、葵は突然ペン立てに手を掛け、それを路子に投げつけた。路子は咄嗟に顔を手で覆ったが、軽い衝撃の後数十本のペンがバラバラと音を立てて床に散らばった。路子が目を開けると既に葵の姿はなく、一瞬店内が静まり、それからすぐに中年の男性が駆けつけてきた。
「……どうしました!?」とその男性が言った直後、階段の方から若い男性の声が響き渡った。
「店長!そこお願いします!その男の子も!」
「ああ!」
それだけで理解した男性は俄に表情を険しくさせて、路子と由之真を睨めつけて言った。
「君ら、ちょっと来なさい!」
「なんでさ?」と路子は普通に尋ねたつもりだったが、それが口答えに聞こえた男性は癪に障ったのか、「いいから来なさい!」と荒々しく路子の腕を掴んで引いた。しかし路子は猛然とその手を振り解き、男性に向かって言い放った。
「行くからさわんなっ!」
「……じゃあ早く来なさい!……君も!」
男性は電話で一階にいる女性店員を呼び出し、散らばったペンの後始末と二階のレジを任せてから二人を連れてバックルームへと向かった。歩きながら路子はコミックスコーナーで呆然としている数名の児童を見たが、その中に見知った顔はなく、とりあえずほっとしながら由之真の顔を見た。するとそれに気付いた由之真が苦笑したので、急に怒りが静まった路子はもう少しで笑い出すところだった。
バックルームに入るなり、路子と由之真は椅子に座らされ所持品を全て出すよう命じられた。二人はそれに素直に従い、名前と住所や通っている学校名を訊かれても躊躇せず即答した。男性は妙に落ち着いている二人を見て何かおかしいと感じたが、とりあえず店員が二人の仲間を捕まえてくるまで他の質問は控えてた。しかし店員がすまなそうな顔をしながら一人で戻ってきたので、男性は二人を部屋で待たせて一旦部屋を出てから店員に尋ねた。
「逃がしたのか?」
「……すいません。すばしっこくて、人混みに入っちゃって……」
「じゃあどうするんだ?……証拠はあるのか?」
「はい!それはばっちり映ってます。たぶん仲間割れですよ!」
「……」
調子の良い店員の返事はあまり信用できないが、男性はとりあえず確認してから詰問しようと考えた。
「まずそれ見てからだな」
「絶対共犯ですよ!俺見てましたから!」
男性はバックルームに戻り、二人にもうしばらく待つように言いつけ、ドアに鍵をかけてスタッフルームへ向かった。その途端路子は鼻で笑ってから言った。
「フフ……腹減ってきたな」
路子が壁に掛かっている時計を見ると、時刻は午前十一時半を少し回っていた。本来ならバスに乗って香苗の家へ向かっているはずだが、こうなったからには四の五の言わず成行きにまかせようと思っていた。しかし静まりかえった場が苦手な路子は、万が一聞かれてもよいことを選んで由之真に話し掛けた。
「あー……お昼さ、香苗ん家で食べる約束してたんだけど、八岐は?」
「……帰って食べようと思ってたよ」
「そっか……ったく、今日はお昼抜きかもな」
「……うん」
そしてその頃スタッフルームでは、監視カメラの映像が検証されていた。
「ほら、ここです!この後もう一本盗ってます」と、店員は葵が袖にペンを入れたところで映像を止めた。
「ああ、確かに盗ってるな……」
そして再生すると店員の言うとおり、葵はもう一本袖にペンを入れた。
「そしてほら!見てるんですよ、この二人……そんでこの子が行こうとしたのを、このおっきい子が止めて……ここで話してますよね?そして…………あれ?」と、店員はペンが床に散らばったところで映像を止めたが、画面には葵がペンを袖から出した瞬間が映っていた。
「……少し戻して、コマ送りしてくれ」
「……はい」
すると葵は袖口からペンを出して、それを床に落として画面から消えて行った。
「………」
だからと言って葵の行為が正当化されることはないが、映像を見終えた二人の感想は同じだった。つまりこのVTRは、路子に咎められた葵がどさくさ紛れにペンを返して逃げたという「未遂万引き」の証拠にしかならなかった。
山一書房では未成年者の万引きがあった場合、再発防止のためにまず警察に通報して、次に保護者へ連絡することにしていた。しかしこの場合は「未遂万引き」の証拠にはなっても被害届が出せないので警察は対応せず、更に犯人は逃げているので、残された手は路子と由之真が逃げた少女を知っているか否かを任意で質問するしかなかった。しかし「知らない」と言われればお手上げであり、その時は逆にこちらから謝罪しなければならない立場だった。ところがどういうわけか、路子と由之真はその質問に答えなかった。
「……知ってるか知らないかぐらい、何で言えないのかな?……知ってるから、言えないんじゃないかな?」
男性が急に口調を和らげたので、路子は内心せせら笑っていたが、実のところ困ってもいた。もし男性が最初に尋ねたのが自分だったならば、路子は平気な顔で「知らない」とうそぶいていた。しかし男性は気まずさからか、終始一貫して素直だった由之真の方に尋ねた。ところがその由之真が頑として何も答えないので、何故か路子も言えなくなっていた。その内男性は二人が逃げた少女を知っていると確信し、黙っているのは共犯であるとまで言い出したので、もはや路子も意地となり、この男にだけは口が裂けても言うまいと心を閉ざした。そしてそれは丁度正午を回った時、何を言われても表情一つ変えなかった由之真が突然口を開いた。
「電話を貸してください」
「!」
唐突な申し出に男性だけでなく路子も驚いたが、二人ともすぐに由之真が救援を呼ぼうとしていることに気付いた。正直なところ男性は少々厄介なことになったと思ったが、ここで折れては敗北を認めることになるので、自分に正当性がある限り誰を呼ぼうが構わないと考えた。
「……貸してもいいが、どこに掛けるのかな?」という男性の質問に、由之真は落ち着いた声で答えた。
「先生です。先生にだけ、見たことを全部話します」
「!?」
その言葉は男性よりも路子を驚かせたが、路子はすぐに由之真の思惑を悟った。もしも第三者を呼ぶならば、確かに百合恵の方が親よりも冷静に対処できると感じた。ただ今日は休日なので、百合恵を呼べるかどうかだけが気掛かりだったが、由之真は渡された携帯電話のボタンをテキパキと押した。
ピルリルリル、ピルリルリル
溜まっていた洗濯を終えて、お昼はそうめんでも茹でようと思っていた百合恵は、携帯電話の液晶画面を見て首を傾げてから応答した。
「はい、櫛田ですが……」
『……もしもし、お休みのところ失礼します。由之真です』
そのかしこまった言い方に、百合恵は苦笑を浮かべて尋ねた。
「ああ、こんにちは八岐くん……どうしたの?」
由之真は一拍おいてから答えた。
『……今天野さんと二人で、窃盗の共犯者として山一書房に拘束されています』
百合恵は眉間に皺を寄せ、由之真の言葉を頭で反芻しながら尋ねた。
「……は?……えっと……今、窃盗って言った?」
『はい』
その落ち着いた返事を聞いた百合恵は、由之真達がきっと何かの事件に巻き込まれたと考え、できるだけ平静な声で尋ねた。
「んーと……山一書房って駅前のね?」
『はい』
「……じゃあ今から行くから、三〇分以内には着くと思うわ。それじゃあ、ちょっと待ってて」
『はい、お気を付けて』
百合恵は通話ボタンを切り、急いで車のキーをポケットに入れた。由之真は男性に携帯電話を返しながら言った。
「ありがとうございます。先生は三〇分で来ます」
「!」
由之真は来て欲しいなどと一言も言わなかったので、男性は少し驚いた。この時既に男性は、この二人が単に自分の店の商品を買いに来たお客だったことを確信してた。そしてもしも二人が逃げた少女を知っていたとしても、何も盗っていない時点で拘束すべきではなかったと後悔していた。しかしこれで未遂万引きの犯人が判明するならよしと思うと同時に、これから三〇分どうやって過ごそうかと思いあぐね、二人に尋ねてみた。
「……君たち、お腹空いてないかな?」
路子はすぐに文句を言うつもりだったが、その前に由之真がすかさず答えた。
「はい、空いてません。気にしないでください」
(!)
その声にいつもと違う響きを感じて、路子はもしかしたら由之真が怒っているのかと思った。そして今まで一度も怒った由之真を見たことがなかったので、少しドキドキしながら由之真を見てみた。しかし由之真は相変わらず感情の読み取れない顔をして、どこを見るともなしに微動だにせず座っていた。手持ち無沙汰の男性が傍にあった雑誌を読み始めたので、路子は思い付いて返却されたゲームソフトを開けて、ゲームの簡易マニュアルを由之真に無言で差し出した。由之真はそれを受け取り読み始め、ふと顔を上げて男性に向かって言った。
「買いたい本があります。今買ってきてもいいですか?」
「……」
男性は答えず、ただ頷いただけだった。由之真はすぐに「森のきのこ」を買って戻り、袋を開けて路子に差し出して言った。
「雨、止んでたよ」
「そっか……サンキュ」
路子が早速「森のきのこ」を開くと、読めない漢字も多かったが、それぞれ木によって生えるきのこが違うというのが少し面白いと思った。そしていつの間にか時が過ぎて、百合恵が到着した。
百合恵はまず丁重に自己紹介を済ませ、そして路子と由之真の目の奥を見つめてから、しかつめらしい顔を男性に向けて丁寧に尋ねた。
「まずは……経緯を伺ってよろしいでしょうか?それから二人と、少し話したいと思いますが、構いませんでしょうか?」
「……ええ」
男性は二人の前ではなく、スタッフルームでVTRを見せながら百合恵に経緯を説明した。百合恵は一言も口を挟まず、男性の言葉を頷きながら聞き終え、そして次は由之真の願いを聞き入れ、男性を交えず二人の話しをそれぞれ聞いた。男性はこの時点で決定権は百合恵が握っていると感じたが、あとは百合恵の良心に委ねるしかなかった。そして事の次第を把握した百合恵はスタッフルームへ戻り、しかつめらしい顔で男性に言った。
「山一さんが言われました通り、あの子達はその子を知っていました。……その子は相田葵という子でうちの児童ではありませんが、合同教室で一緒になる二小の児童です。連絡先はタウンページでわかります」
「………」
百合恵の毅然とした言葉に偽りを感じなかった男性は、あまりにあっけない幕切れに、ただ「そうですか」としか言えなかった。男性が納得したと判断した百合恵は、一気に捲し立てた。
「……あの子達がどうして素直に言わなかったのかは………まずは嘘を付きたくなかったようです。そして……これは私の考えですが、たとえ学校が違ってても告げ口になるようなことを言いたくなかったんだと思います。もちろんそれは通りませんから、きちんと指導します。そして相田葵も、できれば今日中に連絡を取って謝罪に来させようと思いますが、なにぶん学校が違うので明日になるかもしれません。……それでよろしいでしょうか?」
男性にとって最も重要な点は、相田葵に関する情報であるはずだった。しかしそれよりも男性の耳に残ったのは、あの子達が嘘を付きたくなかったことと、告げ口はしたくないという言葉だった。前者と後者は相反する感情だが、男性にはそこに共通した大事な何かがあるように思われた。それは社会に揉まれた男性が、日々に追われる内に忘れつつあった何かであり、男性は百合恵ならばきっとそれを知っていると思った。そして何を尋ねても答えなかった由之真の無表情な顔を思い出した時、何かが男性の心を揺すった。
「……ええ、それで結構です。まず、その相田という子に十分反省してもらえればいいだけですから」
百合恵は微笑んで丁重に礼を述べてから、路子と由之真を迎えに行った。そして三人が部屋を出る時、男性が二枚の図書カードを差し出して言った。
「えーと……八岐くんと天野さん。引き止めてすまなかったね。教えてくれてありがとう。これはそのお礼だよ」
図書カードを見るなり、路子は眉間に皺を寄せてそっぽを向いた。由之真はにっこりと微笑んで答えた。
「いいえ、どういたしまして。でもそれはいりません」
百合恵は苦笑を浮かべながら、そそくさと言った。
「それじゃあ、失礼いたします!」
去りゆく三人を見送りながら、男性は路子達の学校に植物の図鑑を寄贈しようと思った。
駐車場に着くと、百合恵はまず相田葵の担任に電話を掛けて、事の経緯を簡潔に説明した。担任は直ぐさま百合恵に謝罪し、以降の処理を引き継いだ。電話を切ってから、百合恵は二人に微笑んで尋ねた。
「二人とも、お疲れさま!……ところで、ご飯は食べたの?」
「あー、まだ」と言った直後に路子の腹がクゥと鳴ったので、路子は思わず腹に手を当てて不満な声で言った。
「……早く香苗ん家に行かないと、お婆ちゃんの手打なくなるし」
「……香苗ちゃん家でお昼食べる予定だったの?」
「そーです。二時に店が一回閉まるから。もう行かないと……」
「……そう……」
実のところ百合恵は、路子の予定を無理に変えてでも二人に言うべきことがあった。しかしどう言おうかまだまとまっていないし、自分も空腹だし、これは一石二鳥かもしれないと考えた。
「……先生ね、二人に話すことがあるんだけど……八岐くん、できたら一緒にみかど屋へ行かない?そうすれば、車の中で話せるから」
何を話されるのか少し気掛かりだが、路子にとっては願ってもない展開なので、すかさず由之真を誘った。
「八岐、ヒマワリダービー……とにかくこんな日はそばだ。香苗ん家行くぞ」
路子は百合恵に顔を見られないよう、一歩前に出た。
「?」
ヒマワリダービーの副賞がみかど屋の手打そば券であり、その副賞を先週由之真が授与されたことを知らない百合恵は、不思議そうに路子と由之真を見た。しかし由之真は路子の誤魔化し方が愉快だったので、苦笑を浮かべて請け合い、そして三人はそば処みかど屋へと向かった。しかし百合恵が車中で考えをまとめて、いざ切り出そうとした時、ふと由之真が言った。
「……お休みのところ、すみませんでした」
そして百合恵がどう答えようか考えている内に、路子も謝った。
「あー、先生ごめん」
一瞬百合恵は、「悪いことをしていないなら、謝る必要はない」と言おうとした。しかし話そうとしていたことをなるべく早く言いたかったので、その意味を含めながら謝罪を受け入れた。
「……はい……でもね、先生はそういう時、ありがとうって言う方が好きだわ」
すると由之真が素直に「ありがとうございます」と言って、路子も続いて「あー、ありがとう」と言ったので、言い直して欲しいわけでなかった百合恵はかろうじて吹き出すのを堪えながら「はい!」と答えた。そして愉快さが収まるのを待ってから、しかつめらしい顔を作って切り出した。
「……あのね、二人ともちょっと聞いて」
二人の意識が自分に集中したことを感じた百合恵は、一拍おいてから話した。
「……これからね……もし、またさっきみたいなことがあって、誰かに何かを聞かれた時は………たとえ相手がすぐに信じてくれなくても………話したくない時もあるかもしれないけど………できるだけすぐに話すこと!いい?」
少し間を置いてから、今度は路子が先に「はい」と答え、続いて由之真も「はい」と答えた。百合恵は微笑みながら言った。
「はい……以上です!」
百合恵はこれで今回の件は落ち着いたと考え、そしてそれは路子も同じだった。しかし自分の問題が解決した途端、路子は葵のことが気になりだして思い切って尋ねてみた。
「あー、先生……相田、どうなるの?」
その質問を予期していた百合恵は、用意しておいた答えを話した。
「そうね……まず、松本先生と校長先生と、お父さんやお母さんに叱られて、反省文を書いて、迷惑をかけた全員にきちんと謝ることになるわね」
「………」
路子は葵が自分と由之真に謝りに来た時のことを考え、思わず溜息をついた。しかしもう一つ気になることがあった。
「林間学校………行けるのかな?」
児童達はみんな週末の林間学校を楽しみにしていたので、それに行けないのはさすがにかわいそうだと路子は思った。そんな路子の優しさが嬉しくて、百合恵は助手席の路子に優しげな目を向けて答えた。
「フフ、大丈夫よ!学校はそんなトンチンカンな罰は与えません!……だって路子ちゃん、林間学校の目的覚えてる?」
「あー……自然の観察とか、集団行動とか……協調性とか」
「そう!だから相田さんは、林間学校に欠席しない方がいいの!」
「……そっか……」と路子は妙に納得して微笑んだ。そしてちらと後ろの由之真を見ると、由之真が「森のきのこ」を読んでいたので、路子はにやりと口元を歪めて言った。
「八岐、きのこの本見して」
(……きのこの本?)と思った百合恵は、横目で路子が受け取った本を見た。そして「森のきのこ」というタイトルを見て、思わず苦笑して尋ねた。
「それ……八岐くんの本?」
早速反応した百合恵に愉快そうな笑みを向けながら、路子はちょっと脚色してみた。
「そう……八岐毒きのこ好きなんだって」
「……えっ!?八岐くん毒きのこ好きなの?」と驚いた百合恵はルームミラー越しに由之真を見たが、由之真は苦笑しながら首を横に振った。百合恵は眉間に皺を寄せ、助手席で腹を抱えて震えている路子を睨めつけて言った。
「嘘つき!」
「アハハハハッ!」
終わり