黄梅
麗らかに晴れた春の日のこと。
色とりどりの着物。精巧な細工の髪飾り。新調したばかりの桐の箪笥。
侍女達が運んでいくそれらを眺めながら、玲はちいさくため息をついた。
明日になれば自分は嫁ぎ先の屋敷へと入る。嫁ぐとはいっても、玲は自分の父親と変わらぬ年の男の妾になるのだ。
生まれて19年、自分が過ごした心地よいこの家。優しい侍女に家人たち。
それらを全て失い、愛情も湧かない、芯から愛されることもない男のもとへ嫁ぐことのなんと虚しいことか。
「お嬢様」
そっと部屋の外から若い男の声が聞こえた。振り向かずとも玲にはそれが誰の声か分かっている。
幼い頃から玲の側にあり、世話役として、そしてのちは結婚する相手として共に過ごした。
「なあに」
昔のようにあどけなく答えてみる。十を過ぎたあたりから厳しく母に躾られてきた玲は、そのような返事をしたのは久しぶりだった。昔、この男と共に遊び駆け回り共に学んだ日々が鮮やかによみがえる。
玲はこの男を婚家には連れてはいけない。
「梅の花が咲いておりました」
振り向けば男は片手に小さな黄梅の枝を握っていた。枝の先にふたつだけ小さな花がある。
この屋敷にはどこにも梅の木など立ってはいない。きっと男が主人の使いの帰りに見つけて折ってきたのだろう。
淡い芳香がただよってくるようで、玲は思わず笑みをこぼしていた。
「綺麗ね」
「ええ」
頷いた男は枝を玲に差し出した。玲は手を伸ばして枝を受け取る。萌葱色の着物の袖が衣擦れの音を立てた。
ふたつ寄り添うように咲く花の花弁を玲はそっと指先で触れる。玲にはこの黄梅の枝こそどんな細工の飾りよりも貴いものに思えた。
玲は男を見た。静かに自分を見つめている男。
男の瞳の中には玲と同じものが宿っている。
口にしたくとも決して許されぬ言葉。とても甘やかな響き。
男もきっと玲を想っている。だが決して玲に触れることはあるまい。
決して。
……そう思っていたのに。
「お嬢様、私に褒美をいただきたい」
突然そんなことを言う男に玲は驚く。普段から口数の少ない男だ。だからこそ男の一言一言は重きを増す。
「褒美とは」
「これまであなたにお仕えしてきたことの見返りを。あなたの父上から頂いた財や詫びの言葉などでは到底対価とはなりえない」
男の言葉に玲は頷いた。そして両手を男に差し出す。
多くの着物も精巧な細工の髪飾りも、それら全ては玲のものではない。
「では、わたくしを。それ以外にお前にやれるものなど、わたくしは持っておらぬ」
玲が持っているのは、ただ自分だけ。
「充分でございます」
そして男は玲を受け取った。
風のように静かにその場を後にした玲の座っていた場所に、小さな黄梅の枝のみ残されていた。
玲がなにより貴いと思うふたつの花を自分の対価として。
end