「そんな物は捨てておけ」と言われた贈り物を、遺失物として届け出ました
王宮の遺失物管理局は、地下一階の、日の当たらない端にある。
私、カミラ・ローゼンは、そこで三年間、拾得物の受付をしてきた。傘、手袋、懐中時計、ときには入れ歯。持ち主が現れるまで、台帳に記して、番号札をつけて、棚に並べる。地味な仕事だけれど、落とし物を探しに来た人が「あった!」と笑う瞬間が、私は好きだった。
その午後、受付の呼び鈴が鳴った。
顔を上げると、婚約者のセドリック・アルバーン公爵令息が、カウンターの向こうに立っていた。後ろに、金髪の令嬢を連れている。
「カミラ。少し話がある」
「お仕事中です。何のご用件でしょう」
「婚約を解消したい。こちらのクラリッサと結婚することにした」
局の奥で、同僚たちの手が止まる音がした。
クラリッサ嬢が、小さく会釈した。悪びれた様子はなく、むしろ得意げだった。
「理由をお聞きしても?」
「君は地下の仕事ばかりだ。公爵夫人にふさわしい、華やかさがない。母上も、前から言っていた」
セドリックは、懐から小さな布袋を取り出して、カウンターに置いた。
「あと、これだ。婚約の証として贈った品を、持ってきた。返してくれ」
私は、袋を開けた。中には、エメラルドのブローチが一つ、入っていた。
アルバーン家の家宝。代々、当主の妻が受け継ぐと言われる、緑の石だ。一年前の婚約式の夜、セドリックが「君に」と言って、私の襟元につけてくれたものだった。
「返却ですか」
「ああ。クラリッサに渡す」
「承知しました。受領書をお書きします」
「いや、待て」
そこで、セドリックは、ふっと眉をひそめた。
「やはり、使い古した物は縁起が悪いな。クラリッサには新しいものを贈る。……そんな物は、捨てておけ」
私は、ペンを持つ手を止めた。
「今、なんとおっしゃいましたか」
「捨てておけ、と言ったんだ。それと、僕が君に贈った物は全部だ。ドレスも、花束の押し花も、手袋も。残りの十一点、すべて処分してくれ。僕はもう要らない」
彼は、肩の荷が下りたような顔をした。
「分かったな。では、失礼する」
彼は背を向けて、クラリッサ嬢と腕を組んで、階段を上がっていった。
私は、布袋を持ったまま、しばらくカウンターに立っていた。
それから、呼び鈴を鳴らした。
「局長。お手すきでしょうか」
*
遺失物管理局の局長、ブランドン・ヘイル氏は、白い口髭を撫でながら、私の報告を聞いた。
「つまり、アルバーン公爵令息は、公の場で、複数の証人の前で、家宝のブローチを含む十二点を、『捨てておけ』と明言したと」
「はい。局員三名と、来訪者二名が聞いています。私の台帳にも、時刻と発言を記録しました」
「ふむ」
局長は、王宮法典の分厚い一冊を取り出し、ページをめくった。
「拾得物法、第二十一条。『所有者が自らの意思で所有物を放棄したと明らかなときは、その物は無主の物として、管理局が公示のうえ保管する。公示期間九十日のうちに、所有者が放棄の撤回を申し出て、保管料と拾得者謝礼を支払った場合に限り、返還に応じる』」
「はい」
「『期間内に撤回がなければ、所有権は、最初に当該物を受領した者に移る』」
「……私、ですね」
「そういうことになる」
局長は、口髭の下で、静かに笑った。
「カミラ君。君は、どうしたい」
私は、少し考えた。
捨てたければ、捨てればいい。壊して、売って、忘れてしまえばいい。けれど、私は、遺失物管理局の人間だ。
「規則どおりに、手続きします」
「よろしい」
*
その日の夕方から、地下の掲示板に、新しい公示が貼り出された。
『放棄物公示
品目:エメラルドのブローチ(アルバーン公爵家家宝)ほか十一点
放棄者:セドリック・アルバーン
受領者:カミラ・ローゼン
公示期間:九十日』
公示は、王都の中央掲示板にも貼られた。放棄者の名前が公になるのは、規則だ。
ほどなく、アルバーン家の周辺で、噂が広まった。
「家宝を、捨てたらしい」
「婚約者に、捨てろと言ったんだと」
「あれは、アルバーン家の当主継承の儀式に必要だろう?」
そう。ブローチは、ただの宝石ではなかった。アルバーン家の嫡男が、当主の座を継ぐとき、緑の石を襟元に掲げて、王の前で誓いを立てる。それが百年来の慣わしだ。
セドリックの父、アルバーン公爵は、半年後に隠居を予定していた。
つまり、あと半年のうちに、ブローチがセドリックの手元になければ、継承の儀式を行えない。
*
公示から二週間後、セドリックが、顔を真っ青にして、地下に降りてきた。
「カミラ! あれは、手違いだ!」
「どうされましたか」
「あのブローチは、返してくれ! 僕は、捨てておけとは言ったが、本気じゃなかった!」
「公示期間中の返還には、放棄の撤回の申し出が必要です。書式はこちら」
私は、書類を差し出した。
「それと、保管料と、拾得者謝礼を、お支払いいただきます」
「保管料? 謝礼?」
「拾得物法、第二十三条。保管料は、品目ごとに日割りで加算されます。宝石類は、評価額の千分の一が一日の保管料です。今回の評価額は、鑑定士の査定で、金貨三千枚。一日あたり三枚です」
セドリックの口が、ぱくぱくと開いた。
「さらに、拾得者謝礼は、評価額の二割。金貨六百枚。他の十一点は、まとめて金貨二百枚。総額は、本日時点で、金貨八百五十一枚です」
「はっ……はちひゃく……?」
「はい。なお、私は、受領者ですが、同時に拾得者ですので、謝礼は私に支払われます」
セドリックは、拳を握りしめて、震えた。
「君は、人が悪い! 僕は君の婚約者だったんだぞ!」
「元、婚約者です。そして、放棄を明言したのは、あなたです」
私は、静かに言った。
「セドリック様。私は、あなたに、一度も嘘をついたことはありません。捨てておけとおっしゃったから、捨てずに、きちんと保管しています。それだけです」
「…………」
「撤回なさいますか?」
セドリックは、長い沈黙のあと、うつむいた。
「……少し、考えさせてくれ」
「公示期間は、あと七十六日です。保管料は、毎日加算されます」
彼は、肩を落として、階段を上がっていった。
*
それから、一か月が過ぎた。
セドリックは、結局、撤回の申し出に来なかった。金貨八百五十枚は、公爵家にとっても、決して小さな額ではない。しかも、それを払う相手は、自分が「捨てろ」と言った元婚約者だ。
彼のプライドは、その金額よりも高かったのだろう。
代わりに、アルバーン公爵本人が、地下に降りてきた。
六十代の、背筋のぴんと伸びた老紳士だった。
「ローゼン嬢。愚息の件で、お詫びを申し上げたい」
「公爵閣下。そのような」
「ブローチの撤回を申し出る。保管料と謝礼は、私が支払う。そして」
公爵は、深く頭を下げた。
「息子の無礼を、父として、心から詫びる」
私は、頭を下げ返した。
「承知いたしました。手続きは、規則どおりに」
公爵が差し出した小切手に、私は受領印を押した。
金貨九百枚。公爵は、保管料と謝礼に、わずかな色をつけてくれていた。
「ブローチは、お返しします。ただ、一つだけ、お願いがあります」
「何かね」
「継承の儀式は、閣下ご自身が、息子さんに、ブローチを渡す形にしてください。放棄したのは、彼です。受け取り直すなら、その重さを、彼に感じさせてください」
公爵は、少し驚いたように眉を上げ、それから、苦笑した。
「厳しいことを言う」
「遺失物管理局の人間として、物の重さには、うるさいんです」
公爵は、声を出して笑った。
その半年後、継承の儀式は、予定通りに行われたと聞いた。ブローチを襟元に掲げたセドリックの顔は、ひどくこわばっていたそうだ。
クラリッサ嬢との結婚は、継承前に白紙になったという。「家宝を捨てる人とは、その先が心配で」と、彼女の家が申し出たのだとか。
*
謝礼として受け取った金貨は、私の貯金になった。
残りの十一点の贈り物は、公示期間の終了とともに、私の所有物になったが、私は、すべて王都の孤児院に寄付した。ドレスは裁縫の教材に、押し花は図書室の栞に、手袋は冬の寒い日の子供たちの手に。
ひとつだけ、手元に残したのは、公爵が謝礼とは別に添えてくれた、一通の礼状だった。
その朝、私が地下の受付に出勤すると、カウンターの上に、見慣れない札が置かれていた。
遺失物の番号札。
名前の欄に、こう書かれていた。
『拾得物:カミラ・ローゼン 拾得者:ヨハン・ケラー 持ち主:募集中』
私は、札を手に取った。
後ろから、同僚のヨハンが、そっと顔を出した。保管庫係で、いつも大量の傘を整理している、無口な青年だ。彼の耳は、真っ赤だった。
「その……三年前、君がこの局に来た日から、ずっと拾いたかった」
「拾得物は、持ち主が現れるまで、局で保管する決まりですが」
「うん。だから、持ち主が名乗り出るまで、僕が保管しても、いいかな」
私は、笑ってしまった。
「持ち主は、私です」
「え?」
「落とし物の持ち主は、本人以外にいません。私は、自分で自分を拾いに来ました。……だから、名乗り出ます」
私は、番号札の隅に、ペンで一行、書き足した。
『返還請求者:カミラ・ローゼン 保管者:ヨハン・ケラー 保管期間:生涯』
ヨハンは、札を読んで、傘の山の前で、へなへなとしゃがみ込んだ。
地下の遺失物管理局には、今日も、いろんな落とし物が届く。
持ち主が現れるまで、ていねいに保管するのが、私たちの仕事だ。
私自身の持ち主は、もう、見つかった。
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