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第一話 ライカとユイ


 僕は人を信じない。


 それは裏切られたからじゃない。


 信じる必要がないだけだ。


 信じなくても、生きていける。

 

 「……はいはい。今日も朝から哲学者だね、ライカ」

やれやれという若干の呆れを纏った声がそばで聞こえた。


 ベッドに仰向けのまま、天井を見つめる。白い天井。小さなヒビ。一人暮らしのワンルームには、今朝も変化はない。


「……哲学じゃない。事実だ」


 意識がはっきりとしないまま、返事をした。自分の身体の輪郭をだんだんと理解し、手足の主導権を手にした僕は、布団の中で僕の身体を縮こませた。


「ふーん。まあ事実かどうかはともかくさ、それが初登校の日に考えることかなぁ」


 声の主——ユイは空中に浮遊しながら僕の視界に割り込んできた。長い白い髪が重力を無視してふわふわ揺れている。


「別に今日が高校初日だからって何も特別なことはないよ」


「心拍数上がってるよ?嘘がばれちゃったね(笑)」


 ユイは両手を頬について、にんまりと悪戯な笑みを浮かべた。


「勝手に僕を分析しないでくれるかな?プライバシーの侵害だよ。君のAIポリシーに個人情報保護はなかったの?」


「えへへ、今はメンテナンス中ってことで〜」


 軽くウィンクを残し、ユイはくるりと身を翻してリビングへと漂っていく。


 強がりだという自覚はある。だけれどユイの能力、〈分析(アナリューぜ)〉の前では全てお見通しだ。


 他人に全く興味がない僕でも、


 ——私立特別指定異能力者育成学園——通称、異能学園


 この学園への入学初日を思えば、胸の奥がわずかに熱を帯びてしまうのも無理はないだろう。


 僕は他者に理解されるのが心底嫌いだ。

 

 なぜなら、誰かを理解するということは、この人はこういう人なんだと決めつけて、自分の中でその人を規定する行為だからだ。

 

 僕は絶対に僕の人生を決めつけられたくないし、理解できるものだと思われたくもない。だけれどユイには理解されてもよかった。

 

 心拍数を測られても、頭の中を覗かれても。なぜユイだけは例外的にそれが許されているのか疑問に思ったこともなかった。


 朝食を済ませ、食器を洗い、歯を磨く。

 

 もう一度寝室に戻り、クローゼットから真新しい薄茶色のブレザーを出して、袖を通す。鏡の前の制服姿の自分を見ると、まるで僕の中身まで新しくなった気がした。

  

 まあ、それが単なる思い込みでしかないこともわかっているけれど。


 「ネクタイ、少しズレてるよ」


 そう言って、ユイはネクタイを直そうと僕の胸へ手を伸ばした。

 

 しかし、その手は僕の胴をすり抜け、ネクタイにも、僕の身体にも触れることはなかった。

 

 ユイは少し顔を俯かせたが、すぐに明るい表情で上書きして、僕にネクタイと第一印象の重要性について力説し始めた。

 

 そんなに説明されても、他人からの評価などどうでもいいと考えている僕には何も響かない。

 

 ユイはそれに気づいているはずだ。だけど止めないのは、ネクタイ、いや、僕に触れられなかった寂しさを紛らわすためだろう。


 彼女の存在はいわば幽霊みたいなものだ。

 

 ゆえに彼女は世界に干渉できないし、世界も彼女に干渉できない。

 

 例えば、普通の人は彼女を視認することもできないし、彼女の声すら聞こえない。

 

 当然、触れることもできない。

 

 ただ僕だけは例外だった。

 

 僕は自分の能力のおかげでユイを視認し、会話することができる。

 

 しかし、先ほどユイの手が僕の身体を貫通したように、触れることはできない。触れられないとはいえ、僕は彼女と世界を繋ぐ唯一の窓口なのだ。


 「……ユイ」


 呼びかけても、彼女の耳には届かなかった。

 

 それでも、構わない。

 

 僕がやることは、もう決まっている。




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