【ハイファンタジー】天空の民
世界は、終わった。
いや、正確には、地上が終わった。
五年前、マナの大暴走が起きた。
世界に満ちる魔力の源、マナ。
それが突如として制御不能になり、暴走した。
大地は裂け、海は蒸発し、山は崩れた。
そして、すべての大陸が、虚空に沈んだ。
跡形もなく消滅した。
生き残ったのは、空にいた者たちだけだった。
飛空艇に乗っていた者。
魔法で浮遊していた者。
運良く、空中都市にいた者。
彼らが、新しい世界の住民となった。
天空の民として。
少女の名前は、エリア。十七歳。
彼女は、小さな飛空艇「ウインドライダー号」の船長だった。
といっても、乗組員は彼女一人だけ。
小型の一人乗り飛空艇で、世界を旅していた。
エリアは、飛空艇の操縦桿を握りながら、空を見上げた。
青い空。
白い雲。
そして、遠くに見える、無数の飛空艇と空中島。
これが、今の世界だった。
地上はない。
ただ、下を見れば、底の見えない虚空が広がっているだけ。
誰も、その底に何があるのか知らない。
落ちた者は、二度と戻ってこなかった。
エリアは、地図を確認した。
次の目的地は、浮遊都市「エーテリア」。
ここから東に三百キロメートル。
半日もあれば着く。
彼女は、操縦桿を倒した。
飛空艇が、速度を上げる。
風が、顔を撫でる。
心地いい。
エリアは、この感覚が好きだった。
空を飛ぶこと。
自由であること。
誰にも縛られないこと。
それが、彼女の生き方だった。
しかし、その時、警報音が鳴った。
マナ探知機が、異常を示している。
「また、マナストームか……」
エリアは、舌打ちした。
マナストーム。
マナの暴走が引き起こす、空の嵐。
巻き込まれれば、飛空艇は制御不能になり、墜落する。
避けなければならない。
エリアは、急いで方向を変えた。
しかし、マナストームは予想以上に大きかった。
雲が渦を巻き、雷が走る。
紫色の光が、空を染める。
これは、まずい。
エリアは、必死で操縦した。
しかし、飛空艇は嵐に飲み込まれた。
激しい揺れ。
視界が、回転する。
計器が、狂う。
エリアは、操縦桿にしがみついた。
歯を食いしばる。
何とか、持ちこたえろ。
しかし、飛空艇のエンジンが、悲鳴を上げた。
マナ結晶が、過負荷で割れた。
推進力が、失われる。
飛空艇が、落ち始めた。
「嘘でしょ……」
エリアは、絶望した。
このまま落ちれば、死ぬ。
虚空に、飲み込まれる。
彼女は、魔法を使おうとした。
浮遊魔法。
しかし、マナストームの影響で、魔法が暴走した。
制御できない。
もう、ダメだ。
エリアは、目を閉じた。
しかし、その時、何かが飛空艇を掴んだ。
巨大な手が。
いや、手ではない。
魔法の力だ。
誰かが、彼女を救おうとしている。
エリアは、目を開けた。
上を見ると、大きな飛空艇が浮いていた。
商船だ。
その船から、魔法使いが魔法を放っている。
浮遊魔法で、エリアの飛空艇を支えている。
ゆっくりと、引き上げられる。
そして、商船のデッキに降ろされた。
エリアは、安堵のため息をついた。
助かった。
商船の船長が、近づいてきた。
名前は、ガレス。五十代の男性。
髭を生やした、貫禄のある人物だった。
「大丈夫か、嬢ちゃん」
「はい……ありがとうございます」
エリアは、頭を下げた。
「マナストームに巻き込まれたみたいだな」
「ええ。気づいたら、もう手遅れで……」
「運が良かったな。うちの船が近くにいて」
ガレスは、笑った。
「しかし、一人で飛空艇を操縦してるのか?」
「はい。小さな船ですけど」
「勇気があるな。この空を一人で旅するなんて」
ガレスは、エリアの飛空艇を見た。
「だいぶ壊れてるな。修理が必要だ」
「修理……お金、ありません……」
エリアは、困った顔をした。
彼女は、貧乏だった。
その日暮らしの旅人で、貯金などない。
ガレスは、しばらく考えた後、言った。
「じゃあ、こうしよう。うちの船で働いてくれ」
「え?」
「修理代の代わりに、働いてもらう。エーテリアまでの航海だ。三日間」
「それでいいんですか?」
「ああ。人手は多い方がいい」
エリアは、頷いた。
「わかりました。働きます」
こうして、エリアは商船「スカイマーチャント号」の臨時乗組員になった。
スカイマーチャント号は、大きな飛空艇だった。
全長五十メートル。
三本のマストに帆を張り、風を受けて進む。
エンジンもあるが、燃料を節約するため、風を利用することが多い。
乗組員は、二十人。
みんな、経験豊富な船員たちだった。
エリアは、彼らに混じって働き始めた。
ロープを引く。
帆を調整する。
甲板を掃除する。
初めての仕事ばかりだったが、エリアは真面目に取り組んだ。
船員たちも、彼女を気に入った。
「エリア、いい働きっぷりだな」
副船長のマルコが、声をかけてきた。
「ありがとうございます」
「船乗りの経験は?」
「ないです。いつも一人で小さな船を操縦してただけで」
「それでよくやってるよ。見込みがある」
マルコは、笑った。
エリアも、笑顔になった。
この船は、温かい。
みんな、優しい。
一人で旅をしていたエリアにとって、これは新鮮だった。
夜になると、船員たちは甲板で食事をした。
焚き火を囲んで、料理を分け合う。
今日のメニューは、空魚のスープと硬パン。
空魚は、空を泳ぐ不思議な魚だ。
マナの影響で進化した生物で、空中を自由に泳ぐ。
味は、普通の魚とあまり変わらない。
エリアは、スープを飲んだ。
温かくて、美味しい。
「美味しいですね」
「だろ? うちの料理長は腕がいいんだ」
船員の一人が、自慢げに言った。
料理長は、小柄な老人だった。
名前は、オリバー。
彼は、にっこり笑った。
「褒めてくれてありがとう、嬢ちゃん」
「いえ、本当に美味しいです」
エリアは、もう一杯おかわりした。
その後、船員たちは酒を飲みながら、昔話を始めた。
「五年前のことを、覚えてるか?」
年老いた船員が、言った。
「マナの大暴走。あの日、世界が終わった」
「俺は、運良く飛空艇に乗ってた。だから、生き残れた」
「俺の家族は……地上にいた」
船員は、俯いた。
沈黙が、流れた。
誰もが、あの日のことを思い出していた。
家族を失った者。
友人を失った者。
故郷を失った者。
みんな、何かを失った。
エリアもまた、両親を失っていた。
あの日、彼女は魔法学校の飛空艇実習中だった。
だから、生き残った。
しかし、両親は地上の街にいた。
二度と、会えなかった。
エリアは、空を見上げた。
星が、輝いていた。
美しい。
でも、寂しい。
この空の下には、もう何もないのだから。
翌日、船はエーテリアに向かって順調に進んでいた。
しかし、午後になって、見張り番が叫んだ。
「空賊だ! 空賊が来るぞ!」
空賊。
空を荒らす盗賊たち。
飛空艇を襲い、積荷を奪う。
この世界では、珍しくない存在だった。
ガレス船長は、すぐに命令を出した。
「戦闘配置! 武器を取れ!」
船員たちは、急いで武器を手に取った。
剣、弓、魔法の杖。
エリアも、杖を取り出した。
彼女は、魔法使いだ。
戦闘魔法も、使える。
空賊の飛空艇が、近づいてきた。
黒い帆を掲げた、邪悪な船。
甲板には、武装した男たちが並んでいる。
その数、三十人以上。
こちらは、二十人。
不利だ。
空賊の船長が、拡声魔法で叫んだ。
「積荷を渡せ! さもなくば、船ごと沈める!」
ガレスは、答えなかった。
ただ、剣を抜いた。
「戦うぞ!」
船員たちは、雄叫びを上げた。
戦闘が、始まった。
空賊の船が、横付けされた。
板が渡され、空賊たちが乗り込んできた。
剣と剣がぶつかり合う。
魔法が飛び交う。
エリアは、火炎魔法を放った。
「ファイアボルト!」
炎の矢が、空賊に命中した。
空賊は、倒れた。
しかし、次の空賊が襲ってきた。
剣を振りかざして。
エリアは、防御魔法を展開した。
「シールド!」
魔法の障壁が、剣を弾いた。
そして、反撃した。
「ウインドブレード!」
風の刃が、空賊を切り裂いた。
エリアは、戦い続けた。
必死で。
しかし、空賊の数は多かった。
船員たちは、次第に押されていった。
ガレス船長も、傷を負った。
「くそ……」
ガレスは、膝をついた。
空賊の船長が、近づいてきた。
大柄な男で、顔に傷がある。
「諦めろ。お前たちの負けだ」
「まだ……終わってない……」
ガレスは、立ち上がろうとした。
しかし、空賊の船長は剣を振り下ろそうとした。
その時、エリアが叫んだ。
「船長!」
彼女は、最大の魔法を放った。
「サンダーストーム!」
空から、巨大な雷が落ちた。
空賊の船長に直撃した。
そして、甲板を焼いた。
空賊たちは、恐怖した。
「何だ、あの魔法は!」
「撤退だ! 撤退!」
空賊たちは、急いで自分の船に戻った。
そして、逃げていった。
船員たちは、勝利の雄叫びを上げた。
エリアは、その場に座り込んだ。
魔力を、使い果たした。
ガレスが、近づいてきた。
「エリア、ありがとう。お前が救ってくれた」
「いえ……当然のことを……」
エリアは、息を切らしていた。
ガレスは、彼女の肩を叩いた。
「お前は、立派な船員だ」
エリアは、微笑んだ。
その夜、船はエーテリアに到着した。
エーテリアは、巨大な浮遊都市だった。
無数の建物が、空中に浮かんでいる。
魔法で支えられた、人工の島。
人口は、十万人。
この空の世界で、最大の都市の一つだった。
スカイマーチャント号は、港に停泊した。
エリアの飛空艇も、修理が完了していた。
船員たちが、直してくれたのだ。
「これで、また旅ができるな」
マルコが、言った。
「はい。ありがとうございました」
エリアは、頭を下げた。
ガレスが、近づいてきた。
「エリア、うちの船に残らないか?」
「え?」
「お前の腕は、確かだ。正式な船員として、雇いたい」
エリアは、迷った。
この船は、居心地がいい。
みんな、優しい。
ここにいれば、安全だ。
しかし……。
しかし、エリアには夢があった。
空の果てを見たい。
世界の真実を知りたい。
一人で、自由に旅をしたい。
それが、彼女の夢だった。
「ごめんなさい。私、まだ旅を続けたいんです」
エリアは、答えた。
ガレスは、少し寂しそうな顔をした。
しかし、すぐに笑った。
「そうか。なら、無理は言わない」
ガレスは、袋を差し出した。
「これ、餞別だ」
袋の中には、金貨が入っていた。
「こんなに……」
「お前が空賊を撃退してくれたんだ。当然の報酬だ」
「ありがとうございます」
エリアは、袋を受け取った。
そして、船員たちに別れを告げた。
みんな、手を振ってくれた。
「また会おうぜ、エリア!」
「元気でな!」
「いつでも戻ってこいよ!」
エリアは、自分の飛空艇に乗り込んだ。
エンジンを起動する。
飛空艇が、浮き上がった。
彼女は、手を振った。
そして、空へ飛び立った。
エーテリアの街を、エリアは歩いた。
石畳の道。
両側に並ぶ店。
人々の賑わい。
ここは、活気がある。
エリアは、市場で食料を買った。
硬パン、干し肉、水。
旅に必要なもの。
そして、情報屋の店に入った。
情報屋は、痩せた男だった。
名前は、リック。
「いらっしゃい。何の情報が欲しい?」
「空の果てについて」
「空の果て?」
リックは、眉をひそめた。
「そんなもの、あるのか?」
「わかりません。でも、知りたいんです」
エリアは、真剣な顔で言った。
リックは、しばらく考えた後、言った。
「噂なら、ある」
「噂?」
「ああ。東の彼方に、『世界の端』があるという噂だ」
「世界の端……」
「そこには、マナの源があるらしい。そして、失われた大陸が浮いているとも」
「本当ですか?」
「わからない。行った者は、帰ってこない」
リックは、肩をすくめた。
「でも、信じるかどうかは、お前次第だ」
エリアは、頷いた。
「ありがとうございます」
彼女は、金貨を払った。
そして、店を出た。
世界の端。
マナの源。
失われた大陸。
それが、本当にあるなら……。
エリアは、決意した。
そこに、行こう。
真実を、確かめよう。
翌日、エリアは東へ向かった。
飛空艇を飛ばし、ひたすら東へ。
何日も、何週間も。
途中で、いくつかの浮遊島に立ち寄った。
補給のため。
休息のため。
そして、情報を集めるため。
みんな、同じことを言った。
「世界の端? そんなもの、ないよ」
「あるのは、ただ空だけだ」
「諦めろ。無駄だ」
しかし、エリアは諦めなかった。
夢を、追い続けた。
ある日、エリアはついに辿り着いた。
世界の端に。
そこには、巨大な壁があった。
いや、壁ではない。
マナの渦だった。
紫色の光が渦巻き、雷が走り、空間が歪んでいる。
近づくことさえ、危険だった。
しかし、その向こうに、何かが見えた。
島だ。
巨大な島が、浮いている。
緑に覆われた、美しい島。
まるで、失われた大陸のような。
エリアは、心臓が高鳴った。
あれだ。
あれが、真実だ。
彼女は、飛空艇を前に進めた。
マナの渦に、突入した。
激しい揺れ。
雷が、飛空艇を襲う。
マナが、暴走する。
エリアは、必死で操縦した。
魔法で、船を守った。
何とか、持ちこたえろ。
そして、ついに渦を抜けた。
飛空艇が、穏やかな空に出た。
そこには、島があった。
本当に、あった。
エリアは、島に着陸した。
地面に、足をつけた。
五年ぶりの、大地。
草が、生えている。
木が、立っている。
花が、咲いている。
まるで、夢のようだった。
エリアは、涙を流した。
大地が、あった。
失われたと思っていた、大地が。
彼女は、歩き始めた。
島の奥へ。
そこには、何があるのか。
島の中心には、巨大な結晶があった。
マナ結晶。
しかし、普通のマナ結晶ではない。
これは、世界のすべてのマナを生み出している、源だった。
エリアは、結晶に近づいた。
そして、触れた。
その瞬間、ビジョンが流れ込んできた。
五年前のこと。
マナの大暴走は、事故ではなかった。
これは、世界の再生のプロセスだった。
古い世界を壊し、新しい世界を作るための。
大陸は、消滅したのではない。
この島に、集約されたのだ。
そして、いつか。
いつか、この島から新しい大陸が生まれる。
時間はかかる。
何百年、何千年と。
しかし、必ず生まれる。
エリアは、理解した。
これが、真実だった。
世界は、終わっていない。
ただ、変わっただけだ。
新しい形に。
エリアは、島を出た。
マナの渦を抜けて、戻った。
そして、エーテリアに帰還した。
人々に、伝えた。
世界の端にあるものを。
希望を。
最初は、誰も信じなかった。
しかし、エリアが持ち帰った証拠を見て、人々は驚いた。
大地の土。
草。
花。
本物だった。
エリアの話は、広まった。
世界中に。
そして、人々は希望を持ち始めた。
いつか、大地が戻る。
いつか、故郷に帰れる。
それまで、空で生きよう。
天空の民として。
エリアは、その後も旅を続けた。
世界中を飛び回り、人々に希望を伝えた。
そして、いつか。
いつか、新しい大陸が生まれる日を待ち続けた。
空の世界で。
仲間たちと共に。
天空の民の物語は、続く。
新しい世界が生まれるまで。




