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世界は静かに壊れている【ショートショート集・短編集】  作者: 御影のたぬき


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【SF寓話】時間貯金

銀行の新サービス

「タイムバンク」

の広告を見たのは、残業続きで疲れ果てていた時だった。


『あなたの時間を預けて、必要な時に引き出せます』


説明を読むと、こういう仕組みらしい。

若い時の時間を「預金」し、年を取ってから「引き出す」。例えば20代の5年間を預ければ、60代で5年分若返れる。


僕は迷わず契約した。

「25歳から30歳までの5年間を預けます」

窓口の女性が微笑んだ。

「かしこまりました。では手続きを」


特殊な装置に手を置くと、体から何かが抜けていく感覚がした。


「完了しました。あなたの25歳から30歳は、60歳になった時に引き出せます」

「でも...25歳から30歳の記憶は?」

「残ります。ただし、その時間の『実感』が薄れます。まるで他人の人生を聞いた話のように感じるでしょう」

確かに、25歳から30歳の記憶が急に遠く感じた。確かにあったはずなのに、リアリティがない。

しかし気にしなかった。60歳で若返れるなら安い対価だ。


それから順調に働き、40歳で結婚し、子供もできた。

そして60歳の誕生日。

僕はタイムバンクに行った。

「5年間の引き出しをお願いします」

「かしこまりました」

装置に手を置くと、体が熱くなった。

鏡を見ると、本当に若返っていた。

60歳の体が、55歳になっている。

「これは...すごい」

しかし翌日、妻が困惑した顔で言った。

「あなた、誰?」

「何を言ってるんだ。夫だよ」

「でも...あなた、こんなに若かったっけ?」

妻は首を傾げた。

「記憶と合わないの」

「若返ったんだよ」

「若返る? そんな...」

妻は不安そうだった。

「あなた、本当に私の夫?」

数日後、妻は僕を認識しなくなった。

「知らない人が家にいる」

と怯えている。

子供たちも同じだった。

「この人、誰? お父さんはどこ?」

僕は理解した。

時間を引き出すということは、その時間の自分に「戻る」ということ。

55歳の僕には、妻も子供もいなかった時代に戻ってしまったのだ。

慌ててタイムバンクに行った。

「元に戻してください!」

「申し訳ございません。一度引き出した時間は戻せません」

「じゃあ、どうすれば...」

窓口の女性が提案した。

「新たに時間を預ければ、また60歳に戻れます」

「今から5年預けます!」

「承知しました」

再び装置に手を置いた。

60歳に戻った。妻が僕を認識した。子供たちも。

しかし、今度は60歳から65歳の時間が薄れた。


「あれ...孫がいたような気がするんだけど」

と僕は呟いた。

妻が不思議そうに言った。

「孫? まだ子供たちも独身よ」


おかしい。確か長男に子供が生まれたはず...


でも記憶が曖昧だ。まるで夢を見ていたかのように。

それから僕は時間の預け入れと引き出しを繰り返した。

70歳で若返りたくなり、65歳から70歳を預けて、60歳に戻った。

75歳でまた若返り、70歳から75歳を預けた。

気づけば80歳。

しかし預けた時間が多すぎて、自分の人生の実感がほとんどない。

妻との思い出、子供たちとの記憶、孫の顔。全てが薄い。

「私たちは、いつ結婚したんだっけ?」

と妻に聞いた。

「40年前よ。忘れたの?」

「覚えてるけど...実感がないんだ」


ある日、タイムバンクから通知が来た。

『残高不足:あなたの人生時間が残り1年を切りました』

「どういうことだ?」

窓口に行くと、女性が説明した。

「預けた時間と引き出した時間の差額が、あなたの残り人生です」

計算してみた。

預けた時間:40年

引き出した時間:50年

差額:−10年

「つまり...僕はあと1年で死ぬ?」

「正確には、存在が薄れていきます。最終的には誰の記憶からも消えます」

「そんな! 取り消してくれ!」

「無理です。時間は取り戻せません」

家に帰ると、妻が不思議そうに僕を見ていた。

「あなた...誰だっけ?」

「夫だよ!」

「夫? でも、私...」

妻は混乱していた。

「結婚してたっけ?」

子供たちに電話した。

「お父さんだよ」

「お父さん? 誰ですか?」

写真を見た。家族写真の中で、僕の姿だけがぼやけている。

一ヶ月後、完全に一人になった。

誰も僕を覚えていない。

家も、僕の名義ではなくなっていた。

六ヶ月後、僕は公園で寝泊まりしていた。

しかし誰も僕を見ない。僕がいることに気づかない。

そして最後の日。

タイムバンクに行った。

「頼む...もう一度、人生をやり直させてくれ」

窓口の女性が冷たく言った。

「残高ゼロです。あなたにはもう、時間が残っていません」

「せめて...僕が生きていた証を」

「ありません」

女性は画面を見せた。

「記録にも、あなたの名前はもうありません」

僕は崩れ落ちた。

そして理解した。

時間を預けるということは、人生を預けるということ。

引き出すたびに、大切な何かを失っていたのだ。


翌朝、公園のベンチに誰もいなかった。

そこに誰かが座っていた痕跡もなかった。

ただ、風が吹いているだけだった。

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