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世界は静かに壊れている【ショートショート集・短編集】  作者: 御影のたぬき


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【ポストアポカリプス】静止する世界

 それは、午前九時三十二分に起きた。

 世界中の誰もが、その瞬間を覚えている。

 いや、覚えていた。

 なぜなら、今、その記憶を持つ者は、ほとんどいないから。


 地球が、止まった。

 四十六億年の間、一度も止まることなく回り続けてきた地球が、突然その自転を停止した。

 理由は、わからない。

 科学者たちは、後に様々な仮説を立てた。

 しかし、真実は誰にもわからなかった。

 ただ、事実だけがあった。

 地球は、止まった。

 そして、すべてが変わった。


 最初の数秒間、人々は何が起きたのか理解できなかった。

 ニューヨークでは、高層ビルから物が飛び出した。

 東京では、電車が脱線した。

 パリでは、車が横転した。

 地球の自転速度は、赤道付近で時速約千七百キロメートル。

 それが突然停止すれば、地表にあるすべてのものが慣性の法則に従って東へ飛ばされる。

 建物。車。人間。

 すべてが、東へ。

 最初の一分で、数十億人が死んだ。

 ビルに叩きつけられ、地面に叩きつけられ、海に投げ出され。

 悲鳴も上げられず、理解もできず、ただ死んだ。


 そして、次に来たのは、風だった。

 大気は、地球と同じ速度で回転していた。

 しかし、地球が止まっても、大気は止まらない。

 時速千七百キロメートルの暴風が、地表を襲った。

 森が根こそぎ吹き飛ばされた。

 都市が砂のように崩れ去った。

 海が陸地に押し寄せた。

 スーパーハリケーンなど、子供の遊びに過ぎなかった。

 これは、地球規模の暴風。

 すべてを破壊する、絶対的な力。

 最初の一時間で、地表のほとんどの構造物が消滅した。

 そして、さらに数億人が死んだ。


 生き残った者たちは、地下にいた。

 鉱山や洞窟。

 地表の暴風から逃れられる場所に、偶然いた者たち。

 彼らは、暗闇の中で震えていた。

 何が起きたのか、わからない。

 ただ、地上では恐ろしいことが起きている。

 それだけは、わかった。


 暴風は、数日間続いた。

 やがて、大気と地球の速度が均衡し、風は止んだ。

 しかし、世界は変わり果てていた。

 かつて緑豊かだった森は、荒野になった。

 かつて繁栄していた都市は、瓦礫の山になった。

 かつて青かった空は、塵に覆われて灰色になった。

 地球の表面は、まるで別の惑星のようだった。


 生き残った人々は、地上に出た。

 そして、絶望した。

 家族は、いない。

 友人も、いない。

 知っている世界は、すべて消えた。

 残ったのは、瓦礫と死体と、終わりのない灰色の空だけ。

 ある者は、その場で座り込んだ。

 ある者は、泣き叫んだ。

 ある者は、ただ動けずに立ち尽くした。

 しかし、それでも生きていた。

 人間は、強い。

 どんな絶望の中でも、生き延びようとする。


 世界中で、小さなコミュニティが形成され始めた。

 東京の地下鉄跡。

 ニューヨークの地下室。

 ロンドンの防空壕。

 生き残った人々が集まり、助け合い、生き延びようとした。

 しかし、問題は山積みだった。

 食料がない。

 水がない。

 電気もない。

 そして、何より、地球が止まっている。


 地球の自転が止まったことで、昼と夜の概念が変わった。

 地球の片側は、永遠に太陽に向いている。

 もう片側は、永遠に暗闇に包まれている。

 そして、その境界線。

 薄明線と呼ばれる、昼と夜の境目。

 そこだけが、人間が生きられる場所だった。

 太陽に向いた側は、灼熱地獄だった。

 温度は、百度を超えた。

 水は蒸発し、大地は焼け、生命は存在できなかった。

 暗闇側は、極寒地獄だった。

 温度は、マイナス百度を下回った。

 水は凍り、大気は凝固し、すべてが氷に覆われた。

 生き残った人々は、薄明線に移動し始めた。

 灼熱でもなく、極寒でもない、わずかな場所へ。


 しかし、移動は困難だった。

 道路は破壊され、車は使えない。

 徒歩で、何百キロ、何千キロも歩かなければならない。

 多くの者が、途中で力尽きた。

 飢え、渇き、疲労で。

 それでも、生き残った者たちは歩き続けた。

 生きるために。


 数ヶ月後、薄明線には数百万人が集まっていた。

 世界中から、生き残った人々が。

 彼らは、新しい社会を作ろうとした。

 食料を分け合い、水を共有し、シェルターを建設した。

 しかし、資源は限られていた。

 農業は、ほとんど不可能だった。

 太陽の光が弱すぎるか、強すぎるかのどちらかだった。

 水も、限られていた。

 灼熱側で蒸発した水は、極寒側で凍りついた。

 循環が止まり、淡水は減る一方だった。


 やがて、争いが始まった。

 食料を巡る争い。

 水を巡る争い。

 生き残るための、醜い争い。

 人間の本性が、露わになった。

 ある集団は、武器を作り、他の集団を襲った。

 ある集団は、食料を独占し、他者を飢えさせた。

 かつて文明を築いた人類は、野蛮に戻った。

 生き残るためなら、何でもする。

 それが、人間だった。


 しかし、中には希望を捨てない者もいた。

 科学者たちが集まり、解決策を探した。

 地球の自転を再開させる方法はないか。

 人工的に、自転を起こすことはできないか。

 彼らは、計算し、議論し、実験した。

 しかし、答えは絶望的だった。

 地球を再び回転させるには、途方もないエネルギーが必要だった。

 人類が持つすべてのエネルギーを使っても、足りない。

 核兵器をすべて使っても、足りない。

 地球は、あまりにも巨大だった。

 そして、人類は、あまりにも小さかった。


 一年が過ぎた。

 人口は、激減していた。

 かつて七十億人いた人類は、数百万人にまで減っていた。

 そして、その数は、日々減り続けていた。

 飢え。病気。争い。

 死因は、様々だった。

 しかし、根本的な原因は一つだった。

 地球が、止まったこと。

 それが、すべての始まりだった。


 生き残った人々は、様々な試みをした。

 地下農場を作った。

 人工光で植物を育てた。

 しかし、効率は悪かった。

 エネルギーが足りなかった。

 発電所は破壊され、燃料は尽きかけていた。

 太陽光発電も、風力発電も、効率が落ちていた。

 地球が止まったことで、気候が変わり、すべてが狂っていた。


 海も、死につつあった。

 海流が止まった。

 地球の自転が止まったことで、コリオリの力が消え、海流は停滞した。

 深海の冷たい水と、表層の温かい水が混ざらなくなった。

 酸素の供給が止まった。

 深海の生物たちは、次々と死んでいった。

 そして、その死骸が腐敗し、メタンガスを放出した。

 海は、毒の沼になりつつあった。


 陸上の生態系も、崩壊していった。

 植物が、枯れた。

 太陽の光を受けすぎるか、受けなさすぎるかで。

 光合成ができなくなった。

 そして、植物が死ねば、草食動物も死ぬ。

 草食動物が死ねば、肉食動物も死ぬ。

 食物連鎖が、崩壊した。

 森は、静かになった。

 鳥の声も、虫の音も、聞こえなくなった。

 ただ、風が吹くだけ。

 死の風が。


 二年が過ぎた。

 人類の人口は、数十万人にまで減っていた。

 そして、希望は、ほとんど失われていた。

 誰もが、わかっていた。

 人類は、終わる。

 地球と共に、終わる。

 それは、避けられない運命だった。


 ある科学者が、計算を発表した。

 地球の生命が、完全に絶滅するまでの時間。

 それは、約十年。

 十年後、地球上のすべての複雑な生命が死滅する。

 理由は、酸素の減少だった。

 植物が死に、光合成が止まり、酸素の生産が停止した。

 既存の酸素は、徐々に消費されていく。

 そして、十年後には、呼吸できる酸素がなくなる。

 その時、すべてが終わる。


 人々は、その事実を受け入れた。

 抵抗しても、無駄だった。

 ならば、残された時間を、どう生きるか。

 それが、問題だった。

 ある者は、享楽に走った。

 ある者は、祈りに走った。

 ある者は、家族と共に過ごすことを選んだ。

 それぞれが、自分なりの答えを見つけた。


 三年目、奇妙な現象が起き始めた。

 薄明線が、移動し始めた。

 わずかだが、確実に。

 地球は、完全には止まっていなかった。

 非常にゆっくりだが、まだ回転していた。

 一日が、何ヶ月にもなるほど、遅い回転。

 しかし、回転していた。

 これは、希望だった。

 しかし、同時に絶望でもあった。

 なぜなら、この遅い回転では、昼と夜の気温差が極端になるからだ。

 数ヶ月続く灼熱の昼。

 数ヶ月続く極寒の夜。

 生命は、その変化に耐えられない。


 人々は、移動を余儀なくされた。

 薄明線と共に、延々と。

 止まれば、灼熱か極寒に飲み込まれる。

 だから、歩き続けなければならない。

 永遠に。

 それは、地獄だった。

 終わりのない行進。

 疲れても、休めない。

 立ち止まれば、死ぬ。

 多くの者が、その行進の途中で倒れた。

 老人。子供。病人。

 彼らは、置き去りにされた。

 助ける余裕は、誰にもなかった。


 四年目、人口は十万人を切った。

 そして、文明の痕跡は、ほとんど消えていた。

 都市は、砂に埋もれた。

 道路は、風化した。

 書物は、朽ち果てた。

 人類が築いた何千年もの文明が、わずか数年で消えた。

 まるで、最初から存在しなかったかのように。


 生き残った人々は、原始的な生活に戻っていた。

 狩りをし、木の実を集め、洞窟に住む。

 しかし、狩る獲物も、集める木の実も、もうほとんどなかった。

 地球は、死につつあった。

 緑は、消えた。

 動物も、消えた。

 残ったのは、岩と砂と、死んだ海だけ。


 五年目、ある集団が、最後の試みをした。

 宇宙船を作ろう。

 地球を捨て、他の星へ。

 それが、唯一の希望だった。

 しかし、資源がなかった。

 技術者も、材料も、エネルギーも。

 すべてが、足りなかった。

 彼らは、半年かけて小さなロケットを作った。

 しかし、それは十人しか乗れなかった。

 そして、目的地もなかった。

 ただ、地球から離れるだけ。

 どこに行くかもわからず、ただ飛び立つ。

 それでも、彼らは飛び立った。

 十人が、ロケットに乗った。

 そして、空へ。

 残された者たちは、空を見上げた。

 ロケットが、小さな光となって消えていく。

 ある者は、羨んだ。

 ある者は、呆れた。

 ある者は、ただ見送った。

 そして、ロケットは消えた。

 彼らが、どこに辿り着いたのか。

 それとも、宇宙で死んだのか。

 誰にもわからなかった。


 六年目、人口は一万人を切った。

 そして、もう組織的な社会はなかった。

 小さな集団が、点々と存在するだけ。

 互いに交流もせず、ただ生きるだけ。

 言葉も、失われつつあった。

 話す相手がいない。

 話す意味もない。

 人々は、黙々と歩き、黙々と食べ、黙々と眠った。

 まるで、機械のように。


 大気も、変化していた。

 酸素濃度が、目に見えて減っていた。

 息苦しさを、誰もが感じていた。

 深呼吸をしても、満たされない。

 体が重い。

 頭が回らない。

 これが、終わりの始まりだった。


 七年目、植物が完全に消滅した。

 最後のコケが、死んだ。

 最後の草が、枯れた。

 地球上から、緑が消えた。

 そして、光合成が完全に停止した。

 酸素の生産は、ゼロになった。

 残された酸素は、消費されるだけ。

 カウントダウンが、始まった。


 人々は、もう抵抗しなかった。

 ただ、受け入れた。

 終わりを。

 ある者は、横たわった。

 ある者は、座った。

 ある者は、歩き続けた。

 それぞれが、自分なりの方法で、終わりを待った。


 八年目、動物が絶滅した。

 哺乳類。鳥類。爬虫類。両生類。魚類。

 すべてが、死んだ。

 最後のネズミが、息を引き取った。

 最後の鳥が、地に落ちた。

 最後の魚が、海底に沈んだ。

 地球は、静かになった。

 生命の音が、消えた。

 風の音だけが、残った。


 人類も、数千人にまで減っていた。

 彼らは、酸素ボンベを使っていた。

 最後の科学技術の産物。

 しかし、それも限界があった。

 酸素ボンベの中身は、いつか尽きる。

 そして、その時が、刻一刻と近づいていた。


 ある老人が、最後の記録を残した。

 石に、文字を刻んだ。

 こう書いた。

「我々は、ここにいた。我々は、生きていた。我々は、愛し、笑い、泣いた。そして、今、終わる。地球よ、ありがとう。さようなら」

 老人は、石を地面に置いた。

 そして、横たわった。

 酸素ボンベを外した。

 そして、最後の息を吸った。

 ゆっくりと、目を閉じた。

 二度と、開くことはなかった。


 九年目、人類の人口は、数百人になった。

 彼らは、各地に散らばっていた。

 互いに会うことも、話すこともなく。

 ただ、孤独に生きていた。

 ある若者は、海岸に立っていた。

 死んだ海を見つめながら。

 波は、もうなかった。

 ただ、静かな水面が広がっているだけ。

 若者は、思った。

 美しい、と。

 終わりは、意外と静かだ。

 そして、平和だ。

 若者は、座った。

 酸素ボンベを外した。

 そして、海を見つめながら、息を止めた。

 苦しかった。

 しかし、すぐに楽になった。

 意識が、遠のいていく。

 最後に見たのは、灰色の空だった。


 ある母親は、洞窟の中で子供を抱いていた。

 子供は、もう息をしていなかった。

 数時間前に、死んだ。

 母親は、泣かなかった。

 涙も、もう出なかった。

 ただ、子供を抱きしめた。

 温かかった。

 まだ、温かい。

 母親は、子供に話しかけた。

「大丈夫よ。すぐにお母さんも行くから」

 母親は、酸素ボンベを外した。

 そして、子供の隣に横たわった。

 手を繋いだ。

 そして、目を閉じた。

 意識が、薄れていく。

 最後に思ったのは、夫のことだった。

 もう何年も前に死んだ、夫。

 会えるかしら。

 あの世で。

 そう思いながら、母親は息を引き取った。


 十年目、人類の最後の一人が死んだ。

 彼の名前は、記録されていない。

 年齢も、性別も、わからない。

 ただ、彼は最後まで生きた。

 そして、最後に死んだ。

 彼は、山の上にいた。

 灰色の空を見上げながら。

 酸素ボンベは、もう空だった。

 呼吸が、できない。

 苦しい。

 しかし、彼は立っていた。

 最後まで、立っていたかった。

 人間として。

 尊厳を持って。

 彼は、一歩踏み出した。

 そして、もう一歩。

 足が、もつれた。

 倒れた。

 地面に、顔をつけた。

 もう、起き上がれない。

 視界が、暗くなる。

 これで、終わりだ。

 彼は、微笑んだ。

 よく頑張った、自分。

 よく頑張った、人類。

 そう思いながら、彼は死んだ。

 人類、最後の人間が。


 そして、地球には、もう人間がいなくなった。

 しかし、まだ生命は残っていた。

 微生物。

 バクテリア。

 彼らは、まだ生きていた。

 酸素がなくても、生きられる種が。

 彼らは、地球上で最も古い生命だった。

 そして、最後まで残る生命だった。


 しかし、彼らもまた、時間の問題だった。

 地球の環境は、悪化し続けていた。

 温度の極端な変化。

 大気の組成の変化。

 水の減少。

 すべてが、生命に敵対的になっていった。


 二十年目、ほとんどの微生物が死滅した。

 残ったのは、極限環境に適応した、ごく一部の種だけ。

 彼らは、深海の熱水噴出孔や、地下深くの岩盤の中で生きていた。

 太陽の光も、酸素も必要とせず。

 ただ、化学エネルギーで生きていた。


 五十年目、それらの微生物も、徐々に減少していった。

 地球の内部活動が、衰えていたからだ。

 地球の核は、冷えつつあった。

 磁場が、弱まっていた。

 火山活動も、減少していた。

 熱水噴出孔も、次々と停止していった。

 微生物たちの生命線が、断たれていった。


 百年目、地球上の生命は、ほぼ絶滅した。

 残ったのは、ごく一部の極限微生物だけ。

 彼らは、地下数キロメートルの岩盤の中で、ひっそりと生きていた。

 しかし、彼らもまた、いつか死ぬ。

 エネルギーが尽きれば。

 環境が変われば。


 そして、千年後。

 地球上から、すべての生命が消えた。

 最後のバクテリアが、死んだ。

 地下深くで、静かに。

 誰にも看取られず。

 誰にも記録されず。

 ただ、死んだ。

 そして、地球は、完全に死の星となった。


 生命のない地球。

 それは、静かだった。

 風が吹く。

 砂が舞う。

 海が波打つ。

 しかし、生命の音は、ない。

 鳥の声も、虫の音も、動物の鳴き声も。

 何もない。

 ただ、無機的な音だけが、響く。


 地球は、ゆっくりと回り続けた。

 一日が、何ヶ月もかかる、遅い回転で。

 太陽は、昇り、沈み、また昇る。

 しかし、それを見る者は、もういない。

 美しいと思う者も、いない。

 ただ、回るだけ。

 意味もなく。


 大気は、徐々に変化していった。

 酸素は、完全に消えた。

 代わりに、二酸化炭素とメタンが増えた。

 空は、オレンジ色になった。

 まるで、原始の地球のように。

 いや、原始の地球には、生命があった。

 今の地球には、何もない。


 海も、死んでいた。

 水は、まだあった。

 しかし、その水は、毒だった。

 硫化水素が溶け込み、酸性が強く、生命を育むことはできなかった。

 ただ、静かに波打つだけ。

 永遠に。


 陸地も、荒涼としていた。

 かつて森だった場所は、砂漠になった。

 かつて都市だった場所は、瓦礫の山になった。

 そして、その瓦礫も、徐々に風化していった。

 数千年、数万年かけて、砂になった。

 人類の痕跡は、消えていった。

 建物も、道路も、記念碑も。

 すべてが、風化し、砂になり、地球の一部になった。


 十万年後、地球には人類の痕跡は、ほとんど残っていなかった。

 ごくわずかな金属片。

 地層に埋もれたプラスチック。

 それくらいだった。

 そして、それらもいつかは消える。

 百万年後には、完全に。


 地球は、回り続けた。

 生命のない、死の星として。

 太陽は、変わらず輝いていた。

 しかし、その光を受ける生命は、もういなかった。

 ただ、岩と砂と水が、光を反射するだけ。


 そして、さらに時が過ぎた。

 十億年。

 二十億年。

 地球は、徐々に変化していった。

 大陸が移動し、海が干上がり、大気が薄くなった。

 そして、ある日。

 地球の自転が、完全に停止した。

 もう、ゆっくりとした回転すらなくなった。

 地球は、太陽に対して、一つの面を向けたまま固定された。

 潮汐固定。

 月が地球に対してそうであるように、地球も太陽に対してそうなった。

 片側は、永遠に昼。

 もう片側は、永遠に夜。

 そして、その状態は、永遠に続く。


 しかし、永遠は、存在しない。

 太陽もまた、いつか死ぬ。

 五十億年後、太陽は膨張し、赤色巨星になる。

 その時、地球は飲み込まれる。

 灼熱の太陽の中に。

 そして、蒸発する。

 岩も、砂も、海も。

 すべてが、ガスになる。

 地球という星は、消える。

 跡形もなく。


 しかし、それはまだ遠い未来のこと。

 今、地球はまだ存在している。

 生命のない、静かな星として。

 かつて、ここには生命があった。

 植物が茂り、動物が走り、人間が笑っていた。

 しかし、それもすべて過去。

 今は、何もない。

 ただ、風が吹き、砂が舞い、空が広がるだけ。


 宇宙から見れば、地球は美しい。

 青と白の球体。

 しかし、近づけば、わかる。

 そこには、生命がないことが。

 死の星であることが。

 かつて生命の楽園だった星が、今は墓場になっていることが。


 そして、誰もそれを悼む者はいない。

 人間は、いない。

 動物も、植物も、微生物も、いない。

 ただ、地球だけが、静かに回っている。

 いや、回ってすらいない。

 ただ、存在している。

 意味もなく。

 目的もなく。

 ただ、そこにある。


 これが、地球の終わり。

 自転が止まった日から始まった、長い終わりの物語。

 生命は、消えた。

 文明は、消えた。

 記憶も、記録も、すべて消えた。

 残ったのは、死んだ星だけ。

 しかし、それでいい。

 すべてには、終わりがある。

 地球もまた、例外ではなかった。

 生まれ、育ち、そして死ぬ。

 それが、自然の摂理。


 静止する世界。

 それは、終わりの始まりだった。

 そして、今、すべてが終わった。

 地球は、死んだ。

 生命は、消えた。

 そして、沈黙だけが、残った。

 永遠に続く、沈黙が。

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