【ファンタジー】世界を抱く者
朝日が山々を照らす。
村人たちは目を覚まし、日々の仕事を始める。
畑を耕す者。家畜の世話をする者。井戸から水を汲む者。
何千年も変わらない、人間の営み。
しかし、誰も知らない。
この世界を、巨大な存在が見守っていることを。
大地の下、深く深く沈んだ場所に、それはいた。
名前は、ティアマト。
世界竜。
その体躯は、想像を絶する大きさだった。
大陸よりも大きい。
いや、すべての大陸を合わせたよりも、さらに大きい。
ティアマトの背中には、山脈が乗っている。
その鱗の隙間からは、川が流れ出ている。
翼を広げれば、空全体を覆うことができる。
しかし、ティアマトは動かない。
何千年も、何万年も、同じ場所でじっとしている。
なぜなら、動けば世界が壊れるから。
ティアマトが体を揺らせば、大地は裂ける。
翼を羽ばたかせば、嵐が起きる。
尾を振れば、海が荒れ狂う。
だから、ティアマトは動かない。
ただ、静かに呼吸をしている。
その呼吸は、風となって世界を巡る。
その心臓の鼓動は、大地の脈動となる。
人間たちは、それを自然現象だと思っている。
風が吹くのは、気圧の差。
地震が起きるのは、地殻の変動。
しかし、真実は違う。
すべては、ティアマトの生命活動なのだ。
ある日、ティアマトは目を開けた。
その目は、海よりも深い青色をしていた。
何百年ぶりだろうか。
ティアマトは、意識を覚醒させた。
理由は、感じたからだ。
世界の異変を。
人間たちが、何かを始めている。
ティアマトは、意識を地上に向けた。
すると、見えた。
人間たちの営み。
村が町になり、町が都市になっている。
森が切り倒され、畑が作られている。
川がせき止められ、ダムが建設されている。
ティアマトは、驚いた。
以前見たときは、人間たちはもっと小さな存在だった。
洞窟に住み、火を使い、狩りをしていた。
それが今では、石を積み上げて巨大な建物を作り、鉄を溶かして道具を作っている。
進化したのだ。
人間は、進化した。
ティアマトは、それを興味深く思った。
しかし、同時に不安も感じた。
人間たちは、世界を変えようとしている。
森を切り倒し、山を削り、海を埋め立てている。
このまま進めば、世界は壊れるかもしれない。
ティアマトは、考えた。
止めるべきか。
人間たちの活動を、止めるべきか。
簡単なことだ。
ティアマトが少し動けば、すべての都市は崩壊する。
ティアマトが息を吐けば、すべての人間は吹き飛ばされる。
しかし、ティアマトはそうしなかった。
なぜなら、人間たちは生きている。
小さくても、弱くても、懸命に生きている。
それを奪う権利は、ティアマトにもない。
だから、ティアマトは見守ることにした。
人間たちが、どこまで行けるのか。
どこまで進化するのか。
それを、静かに見守ることにした。
数百年が過ぎた。
人間たちは、さらに進化していた。
都市は巨大化し、空には飛行機が飛び、道路には車が走っている。
ティアマトは、再び目を覚ました。
そして、見た。
人間たちが、今度は空を征服しようとしていることを。
巨大なロケットが、空へと打ち上げられる。
月へ。火星へ。さらに遠くへ。
人間たちは、この星だけでは満足せず、宇宙へと進出しようとしている。
ティアマトは、感心した。
小さな存在が、ここまで成長するとは。
しかし、同時に心配もした。
人間たちは、まだ幼い。
力を持ちながら、それを制御する知恵が足りない。
戦争をし、環境を破壊し、互いに傷つけ合っている。
このままでは、自滅するかもしれない。
ティアマトは、悩んだ。
助けるべきか。
人間たちに、何かを教えるべきか。
しかし、ティアマトは思い直した。
人間たちは、自分で学ばなければならない。
他者から与えられた知恵では、本当の成長にはならない。
失敗を重ね、痛みを知り、そこから学ぶ。
それが、成長というものだ。
だから、ティアマトは我慢した。
見守ることに徹した。
たとえ人間たちが間違った道を進もうとも、それを止めない。
ただ、最悪の事態にだけは備える。
もし人間たちが、世界そのものを破壊しようとしたら、その時だけは介入する。
それ以外は、見守る。
それが、ティアマトの決めたルールだった。
ある村に、一人の少年がいた。
名前は、カイ。
十二歳。
カイは、村の誰よりも好奇心が強かった。
山に登り、森を探検し、川で泳ぐ。
ある日、カイは村の長老に聞いた。
「この世界は、どうやってできたんですか?」
長老は、古い伝説を語った。
「昔々、この世界には何もなかった。ただ、巨大な竜がいるだけだった」
「竜?」
「ああ。その竜は、あまりにも巨大で、世界そのものだったと言われている」
「世界そのもの?」
「そうだ。竜の背中に大地ができ、竜の息が風になり、竜の血が川になった」
カイは、目を輝かせた。
「本当ですか?」
「伝説だよ。信じるか信じないかは、お前次第だ」
長老は笑った。
しかし、カイは信じた。
巨大な竜が、この世界を作った。
そして、今もどこかにいる。
カイは、その竜に会いたいと思った。
カイは、村を出た。
世界を旅し、竜の痕跡を探すことにした。
両親は反対したが、カイは譲らなかった。
「僕は、真実を知りたいんだ」
カイは旅に出た。
最初に向かったのは、北の山脈だった。
そこには、世界で最も高い山があると言われている。
カイは、その山を登った。
何日もかけて、頂上に辿り着いた。
そこで、カイは不思議なものを見た。
山の頂上に、巨大な鱗のようなものがあった。
それは、岩のように見えたが、明らかに生物の鱗だった。
カイは、鱗に触れた。
すると、温かかった。
生きている。
この山は、生きている。
カイは、確信した。
この山は、竜の体の一部だ。
カイは、さらに旅を続けた。
次に訪れたのは、東の大平原だった。
そこには、巨大な川が流れていた。
カイは、川の源流を探した。
何週間も歩き続け、ようやく源流に辿り着いた。
しかし、そこには泉も湖もなかった。
ただ、大地に巨大な裂け目があり、そこから水が湧き出ていた。
カイは、裂け目を覗き込んだ。
そこには、何かが流れていた。
赤い液体。
血だ。
これは、竜の血だ。
カイは、震えた。
この川は、竜の血が流れ出たものだ。
ならば、この大地の下には……。
カイは、さらに南へと旅した。
次に訪れたのは、南の火山地帯だった。
そこには、常に火山が噴火している場所があった。
カイは、火山に近づいた。
熱風が吹き荒れ、溶岩が流れている。
しかし、カイは進んだ。
火山の噴火口に辿り着くと、カイは中を覗き込んだ。
そこには、巨大な何かが見えた。
炎に包まれた、巨大な心臓。
それは、規則的に脈打っていた。
ドクン。
ドクン。
その鼓動が、大地を揺らしていた。
カイは、悟った。
これは、竜の心臓だ。
この火山は、竜の心臓から噴き出す熱なのだ。
カイは、全身が震えた。
伝説は、本当だった。
この世界は、巨大な竜の上に成り立っている。
そして、竜は今も生きている。
カイは、村に戻った。
そして、長老に報告した。
「長老、伝説は本当でした。この世界は、巨大な竜の上にあります」
長老は、驚いた顔をした。
「本当か?」
「はい。山は竜の背中で、川は竜の血で、火山は竜の心臓です」
長老は、深く息を吐いた。
「そうか……やはり、伝説は本当だったのか」
「長老は、信じていたんですか?」
「半信半疑だった。しかし、お前が確かめてくれたのなら、もう疑いはない」
長老は、カイを見た。
「カイ、お前はすごいことをした。世界の真実を知ったのだ」
「でも、このことを他の人に話してもいいんでしょうか?」
「それは……」
長老は考えた。
「難しいな。多くの人は、信じないだろう。そして、信じたとしても、恐怖するかもしれない」
「恐怖?」
「ああ。自分たちが、巨大な竜の上で生きていると知ったら、怖くなるだろう」
カイは、納得した。
「では、秘密にしておくべきですか?」
「いや、伝えるべきだ。しかし、慎重に。少しずつ、人々に教えていくのだ」
カイは、頷いた。
それから、カイは世界中を旅した。
そして、各地で竜の存在を伝えた。
最初は、誰も信じなかった。
しかし、カイが証拠を見せると、人々は驚いた。
山の鱗。
川の源流の血。
火山の心臓。
すべてが、竜の存在を示していた。
やがて、噂は広まった。
学者たちが調査を始めた。
そして、次々と証拠が見つかった。
大地の下には、巨大な骨格がある。
それは、竜の骨だ。
空を流れる風は、一定のパターンで動いている。
それは、竜の呼吸だ。
地震が起きる場所は、決まっている。
それは、竜が時折動く場所だ。
すべてが、一つの結論を示していた。
この世界は、巨大な竜の上に成り立っている。
そして、竜は今も生きている。
人々は、最初は恐怖した。
しかし、やがて理解した。
竜は、何万年もの間、世界を支えてきた。
そして、人間たちを見守ってきた。
竜が動けば、世界は壊れる。
だから、竜は動かない。
人間たちのために、じっとしている。
それを知ると、人々は感謝の念を抱いた。
そして、竜を敬うようになった。
ティアマトは、それを感じていた。
人間たちが、自分の存在に気づいた。
そして、感謝している。
ティアマトは、嬉しかった。
何万年も、誰にも知られず、ただ世界を支えてきた。
それが、ようやく認められた。
ティアマトは、心の中で微笑んだ。
しかし、同時に思った。
自分が動けない理由を、人間たちは理解しているだろうか。
ティアマトが動けば、世界は壊れる。
だから、動かない。
しかし、それは永遠には続かない。
いつか、ティアマトも死ぬ。
すべての生き物は、いつか死ぬ。
その時、世界はどうなるのか。
ティアマトは、その答えを知っていた。
世界は、崩壊する。
ティアマトが死ねば、世界を支えるものがなくなる。
大地は裂け、海は荒れ狂い、空は暗くなる。
すべてが、終わる。
しかし、それでいい。
ティアマトは、そう思っていた。
すべてには、終わりがある。
世界もまた、例外ではない。
いつか終わる。
それまでは、できるだけ長く、この世界を支え続ける。
それが、ティアマトの使命だった。
数千年が過ぎた。
人間たちは、さらに進化していた。
今では、宇宙にステーションを作り、他の惑星に探査機を送っている。
そして、竜の存在を当然のものとして受け入れている。
学校では、子供たちに教えている。
「この世界は、ティアマトという竜の上にあります」
子供たちは、驚いた顔をする。
「すごい!」
「竜って、本当にいるんだ!」
そして、先生は続ける。
「ティアマトは、何万年も前から、この世界を支えています。私たちは、ティアマトに感謝しなければなりません」
子供たちは、頷く。
「ありがとう、ティアマト!」
その声は、大地を通じて、ティアマトに届く。
ティアマトは、それを聞いて、心が温かくなる。
人間たちは、成長した。
まだ完璧ではない。
まだ争いもあるし、環境破壊もある。
しかし、確実に成長している。
いつか、人間たちは完璧になるかもしれない。
いや、完璧にはならないだろう。
なぜなら、完璧な存在など、存在しないから。
しかし、それでいい。
不完全だからこそ、成長できる。
失敗するからこそ、学べる。
ティアマトは、そう信じていた。
ある日、ティアマトは異変を感じた。
自分の体が、弱くなっている。
心臓の鼓動が、遅くなっている。
呼吸が、浅くなっている。
ああ、そうか。
ついに、その時が来たのか。
ティアマトは、悟った。
自分の寿命が、近づいている。
どれくらい生きただろうか。
百万年? 千万年?
もう、覚えていない。
しかし、それでいい。
十分に生きた。
そして、世界を支え続けた。
もう、思い残すことはない。
ティアマトは、目を閉じようとした。
しかし、その時、感じた。
地上から、無数の声が聞こえてくる。
「ティアマト! 死なないで!」
「お願い、まだ生きて!」
「私たちには、あなたが必要です!」
人間たちの声。
ティアマトは、驚いた。
人間たちは、自分の状態に気づいている。
そして、必死に呼びかけている。
ティアマトは、心が動いた。
人間たちは、自分を必要としている。
ならば、もう少し頑張ろう。
もう少しだけ、この世界を支えよう。
ティアマトは、再び目を開いた。
そして、力を振り絞った。
心臓を、再び強く鼓動させる。
呼吸を、深くする。
人間たちは、それを感じた。
「ティアマトが、応えてくれた!」
「ありがとう、ティアマト!」
人々は、喜びの声を上げた。
そして、決意した。
ティアマトを、助けなければならない。
しかし、どうやって?
巨大すぎる。
人間たちの力では、どうすることもできない。
しかし、諦めない。
必ず、方法はあるはずだ。
科学者たちが、集まった。
世界中から、最高の頭脳が集結した。
そして、議論した。
「ティアマトを救う方法は?」
「まず、ティアマトの状態を把握しなければならない」
「どうやって?」
「深部探査だ。大地の奥深くまで、探査機を送り込む」
計画が始まった。
巨大な掘削機が作られ、大地に穴が開けられた。
そして、探査機が送り込まれた。
探査機は、何週間もかけて、大地の奥深くに到達した。
そこで、見たものは……。
ティアマトの体。
その巨大さに、誰もが言葉を失った。
しかし、同時に気づいた。
ティアマトの体は、確かに弱っている。
鱗は色あせ、肉は痩せている。
このままでは、本当に死んでしまう。
科学者たちは、さらに調査した。
そして、原因を突き止めた。
ティアマトは、エネルギーを使い果たしている。
何万年も、世界を支え続けてきたことで、蓄えていたエネルギーがなくなっている。
「ならば、エネルギーを補給すればいい」
「しかし、どうやって?」
「この世界のすべてのエネルギーを、ティアマトに注ぎ込むんだ」
壮大な計画が立てられた。
世界中の発電所が、フル稼働した。
太陽光、風力、水力、原子力。
すべてのエネルギーが、一つの装置に集められた。
そして、その装置から、エネルギーがティアマトに送り込まれた。
最初は、変化がなかった。
しかし、何日も何週間も続けると、徐々に変化が現れた。
ティアマトの鼓動が、強くなった。
呼吸が、深くなった。
体が、温かくなった。
ティアマトは、回復していた。
人間たちの努力が、実を結んだ。
世界中の人々が、喜んだ。
「成功した!」
「ティアマトが、回復している!」
そして、ティアマトもまた、それを感じていた。
人間たちが、自分を救おうとしている。
小さな存在だと思っていた人間たちが、自分を救おうとしている。
ティアマトは、感動した。
そして、思った。
人間たちは、本当に成長した。
もはや、見守る必要はない。
彼らは、自分で世界を守ることができる。
ティアマトは、安心した。
そして、人間たちに語りかけた。
初めて、直接語りかけた。
その声は、すべての人間の心に響いた。
「ありがとう」
人々は、驚いた。
ティアマトが、話した。
「私は、何万年も、この世界を支えてきた。しかし、もう限界だと思っていた」
ティアマトの声は、優しかった。
「しかし、あなたたちが救ってくれた。ありがとう」
人々は、涙を流した。
「ティアマト……」
「私は、もう少し生きることができる。あなたたちのおかげで」
ティアマトは続けた。
「しかし、いつか私は死ぬ。すべての生き物は、いつか死ぬ」
人々は、静かに聞いていた。
「その時、世界は崩壊するだろう。しかし、恐れることはない」
「なぜですか?」
誰かが聞いた。
「なぜなら、あなたたちには力があるから」
ティアマトは答えた。
「あなたたちは、私を救うことができた。ならば、世界を救うこともできる」
「世界を……」
「そうだ。私が死んでも、あなたたちが世界を支えればいい」
ティアマトの言葉に、人々は希望を見出した。
「私たちが、世界を支える……」
「そうだ。もはや、あなたたちは私に頼る必要はない。自分たちで、世界を作ればいい」
ティアマトは、微笑んだ。
「私は、あなたたちを信じている」
その言葉を聞いて、人々は決意した。
ティアマトが死んだ後も、世界を守り続ける。
そのための準備を、今から始める。
それから、数千年が過ぎた。
人間たちは、さらに進化していた。
今では、宇宙に広大な都市を作り、他の星系にも進出している。
そして、世界を支える技術を開発していた。
巨大な支柱。
それは、ティアマトの体に取り付けられ、世界を支えている。
もし、ティアマトが死んでも、この支柱が世界を支え続ける。
人間たちは、準備を整えた。
そして、ティアマトに報告した。
「ティアマト、私たちは準備ができました」
ティアマトは、それを聞いて、安堵した。
「よくやった」
「ティアマト、あなたはもう休んでいいです」
「休む……か」
ティアマトは、何万年も働き続けてきた。
世界を支え、人間たちを見守ってきた。
もう、十分だ。
休んでもいい。
ティアマトは、目を閉じた。
そして、最後に言った。
「ありがとう。あなたたちと出会えて、幸せだった」
その言葉を残して、ティアマトは眠りについた。
永遠の眠りに。
人々は、ティアマトの死を悼んだ。
しかし、同時に誓った。
ティアマトの意志を継ぎ、世界を守り続ける。
そして、いつか新しい世界を作る。
ティアマトが夢見た、完璧な世界を。
それから、さらに数万年が過ぎた。
人間たちは、宇宙のあらゆる場所に広がっていた。
そして、無数の世界を作っていた。
その中の一つに、新しい世界があった。
そこには、巨大な竜がいた。
その竜は、ティアマトの子孫だった。
人間たちが、ティアマトの遺伝子から作り出した、新しい竜。
その竜もまた、世界を支えている。
しかし、今度は一人ではない。
人間たちが、竜と共に世界を支えている。
竜と人間。
二つの種族が、協力して世界を守っている。
それこそが、ティアマトが夢見た未来だった。
世界を抱く者は、もういない。
しかし、世界を守る者たちは、無数にいる。
それでいい。
一人で抱えるよりも、みんなで支える方が、ずっといい。
ティアマトは、もうこの世にいない。
しかし、その意志は、永遠に受け継がれている。
世界を守り、人々を見守る。
それが、ティアマトの遺産だった。




