【サスペンス】彼女たちの部屋
刑事の名前は矢島健一。四十五歳。県警の捜査一課に所属している。
経験豊富で、数々の事件を解決してきた。
だが、今回の事件は違った。
三人の女性が行方不明になっている。
年齢は二十代前半。独身。一人暮らし。
共通点はそれだけではない。
全員が同じ美容院に通っていた。
同じカフェを利用していた。
同じ図書館で本を借りていた。
偶然とは思えない。
矢島は確信していた。
これは連続誘拐事件だ。
最初の失踪者は、三ヶ月前。
名前は佐藤美咲。二十三歳。会社員。
仕事から帰宅した後、行方がわからなくなった。
部屋には争った形跡はない。
荷物もそのまま。
スマートフォンも残されていた。
まるで蒸発したかのように、消えた。
二人目は、二ヶ月前。
名前は田中麻衣。二十四歳。看護師。
夜勤明けに帰宅したきり、音信不通。
部屋の状況は佐藤美咲と同じ。
何も持たずに消えた。
三人目は、一ヶ月前。
名前は鈴木彩香。二十二歳。アパレル店員。
友人と別れた後、自宅に向かったまま行方不明。
防犯カメラには、彼女が自宅マンションに入る姿が映っていた。
だが、その後の映像はない。
まるで部屋の中で消えたかのように。
矢島は三人の部屋を何度も訪れた。
手がかりを探したが、見つからなかった。
犯人は慎重だ。
痕跡を残さない。
だが、必ず何かある。
矢島はそう信じていた。
ある日、矢島は美容院を訪れた。
三人が通っていた美容院だ。
店の名前は「エレガンス」。
おしゃれな内装で、若い女性に人気があった。
矢島は店長に話を聞いた。
「三人のお客様のことは覚えています」
店長は女性で、三十代半ば。
「みなさん、素敵な方でした」
「何か変わったことはありませんでしたか」
「特には……」
店長は考え込んだ。
「ただ、三人とも同じスタイリストを指名していました」
「同じスタイリスト?」
「はい。川村という者です」
矢島は眉をひそめた。
「その川村さんに話を聞けますか」
「申し訳ありません。川村は二週間前に退職しました」
「退職?」
「急に辞めると言い出して。引き止めたんですが」
矢島は緊張した。
「川村さんの連絡先を教えてください」
「はい」
店長は名簿を取り出した。
矢島は川村の住所と電話番号を控えた。
矢島はすぐに川村の自宅に向かった。
アパートは古く、少し寂れていた。
矢島は部屋のドアをノックした。
返事はない。
もう一度ノックする。
やはり反応がない。
矢島は管理人に連絡した。
管理人は鍵を持ってきた。
「川村さんは最近見かけませんね」
「いつから?」
「二週間くらい前からです」
矢島は嫌な予感がした。
「開けてください」
管理人が鍵を開ける。
ドアが開いた。
部屋の中は薄暗い。
矢島は電気をつけた。
部屋は整理されていた。
荷物は少ない。
まるで誰も住んでいないかのように。
矢島は部屋を調べた。
クローゼット、引き出し、冷蔵庫。
何も見つからなかった。
だが、その時、矢島は壁に貼られた写真に気づいた。
三枚の写真。
佐藤美咲、田中麻衣、鈴木彩香。
三人の失踪者の写真だ。
矢島の背筋が寒くなった。
川村が犯人だ。
矢島は本部に連絡した。
「川村を指名手配してください」
川村の顔写真が公開された。
だが、川村は見つからなかった。
まるで煙のように消えた。
一週間が経った。
矢島は焦っていた。
川村を見つけなければ、三人の女性を救えない。
いや、もう遅いかもしれない。
矢島はそう思いたくなかった。
だが、現実は厳しい。
三ヶ月も経過している。
生きている可能性は低い。
ある夜、矢島は一人で捜査資料を見直していた。
川村の過去を調べた。
履歴書、職歴、家族構成。
川村には両親がいない。
幼い頃に孤児院で育った。
十八歳で自立し、美容師の専門学校に通った。
卒業後、いくつかの美容院で働いた。
そして、一年前に「エレガンス」に入社した。
特に問題はなかった。
真面目で、技術も高かった。
だが、同僚との関わりは少なかった。
いつも一人でいた。
矢島は川村の写真を見た。
三十代前半。痩せている。目が細い。
特徴のない顔。
街中にいても、誰も覚えていない。
そういうタイプだ。
だが、その目には何かがあった。
矢島には感じられた。
冷たさ。
空虚さ。
まるで感情がないかのような。
その時、矢島の電話が鳴った。
部下からだ。
「矢島さん、川村の実家がわかりました」
「実家?」
「孤児院を出た後、一時期叔父の家に住んでいたようです」
「場所は?」
「山の中です。人里離れた場所に」
矢島は立ち上がった。
「今から行く」
矢島は部下と共に車で向かった。
山道を登る。
街灯はない。
暗闇の中、ヘッドライトだけが道を照らす。
一時間ほど走ると、古い家が見えた。
木造の平屋。
窓は板で塞がれている。
誰も住んでいないようだ。
矢島は車を降りた。
懐中電灯を持ち、家に近づく。
玄関のドアは開いていた。
矢島は中に入った。
埃の臭い。
床は軋む。
部屋を一つ一つ調べる。
リビング、キッチン、寝室。
どれも古く、荒れている。
だが、何も見つからなかった。
矢島は諦めかけた。
その時、部下が叫んだ。
「矢島さん! こっちです!」
矢島は駆けつけた。
部下は床を指差していた。
床に隙間がある。
畳を剥がすと、地下への階段が現れた。
矢島と部下は顔を見合わせた。
矢島は階段を降りた。
地下は広かった。
コンクリートの壁。
冷たく、湿っている。
懐中電灯の光が部屋を照らす。
そこには、三つの部屋があった。
それぞれにドアがついている。
矢島は最初のドアを開けた。
中には、一人の女性がいた。
佐藤美咲だ。
鎖で繋がれている。
痩せ細り、髪はぼさぼさ。
だが、生きている。
矢島は駆け寄った。
「大丈夫ですか」
佐藤美咲は目を開けた。
涙が溢れる。
「助けて……」
矢島は鎖を外した。
部下に救急車を呼ばせる。
次の部屋を開ける。
田中麻衣がいた。
同じように鎖で繋がれている。
矢島は彼女も救出した。
最後の部屋を開ける。
鈴木彩香がいた。
三人とも生きていた。
矢島は安堵した。
だが、同時に怒りが湧いた。
川村を必ず捕まえる。
三人は病院に搬送された。
命に別状はないが、栄養失調と精神的なショックを受けていた。
矢島は彼女たちから話を聞いた。
川村は三人を誘拐し、地下室に監禁した。
毎日、食事を運び、話しかけた。
だが、暴力は振るわなかった。
ただ、話をするだけ。
まるで友人のように。
矢島は理解できなかった。
なぜそんなことを。
佐藤美咲が言った。
「川村さんは、私たちを愛していると言いました」
「愛している?」
「はい。だから、ずっと一緒にいたいと」
田中麻衣も言った。
「川村さんは、外の世界は危険だと言いました。だから、ここに閉じ込めて守るんだと」
鈴木彩香は震えながら言った。
「川村さんは、私たちを部屋に入れて、毎日話しかけました。でも、私たちが逃げようとすると、怒りました」
矢島は拳を握りしめた。
川村は歪んでいる。
愛という名の支配。
監禁という名の保護。
矢島は川村を許せなかった。
川村の行方を追った。
だが、見つからなかった。
一ヶ月が経った。
矢島は毎日、捜査を続けた。
川村の写真をあちこちに配り、情報を集めた。
だが、手がかりはなかった。
ある日、矢島は一通の手紙を受け取った。
差出人の名前はない。
矢島は封を開けた。
中には一枚の便箋が入っていた。
丁寧な字で書かれている。
「矢島刑事へ。
私は川村です。
三人の女性を助けてくださり、ありがとうございます。
私は逃げています。
捕まるつもりはありません。
でも、あなたに伝えたいことがあります。
私は悪いことをしたのでしょうか。
私はただ、彼女たちを愛していました。
この世界は危険です。
暴力、嘘、裏切り。
私は彼女たちを守りたかった。
だから、安全な場所に置きました。
でも、あなたは私を犯罪者と呼ぶでしょう。
私は理解されないのです。
いつもそうでした。
孤児院でも、学校でも、職場でも。
誰も私を理解しませんでした。
だから、私は一人でした。
でも、彼女たちは違いました。
彼女たちは私の話を聞いてくれました。
美容院で、たくさん話をしました。
だから、私は彼女たちを愛したのです。
でも、もう終わりです。
私は消えます。
二度と現れません。
さようなら。
川村」
矢島は手紙を握りしめた。
川村は逃げた。
だが、矢島は諦めなかった。
必ず見つける。
それが自分の使命だ。
それから半年が経った。
川村は見つからなかった。
まるで世界から消えたかのように。
矢島は捜査を続けたが、手がかりはなかった。
ある日、矢島は一つのニュースを見た。
海で遺体が発見された。
身元不明。
だが、所持品から川村の可能性があるという。
矢島は現場に向かった。
遺体は腐敗が進んでいた。
だが、DNA鑑定の結果、川村だと判明した。
死因は溺死。
自殺の可能性が高い。
矢島は遺体を見た。
川村の顔は穏やかだった。
まるで眠っているかのように。
矢島の中で、怒りと虚しさが入り混じった。
川村を逮捕したかった。
裁きを受けさせたかった。
だが、川村は自ら命を絶った。
矢島は何も言えなかった。
事件は終わった。
三人の女性は回復し、それぞれの人生に戻った。
だが、心の傷は残った。
矢島は彼女たちに会いに行った。
謝罪するために。
だが、彼女たちは言った。
「矢島さんのおかげで、助かりました」
「ありがとうございます」
矢島は頭を下げた。
そして、心の中で誓った。
もう二度と、こんな事件を起こさせない。
矢島は刑事として、今日も働いている。
事件は尽きない。
だが、矢島は諦めない。
人々を守るために。
それが自分の役割だから。
ある日、矢島は古い事件のファイルを整理していた。
その中に、川村の手紙があった。
矢島は手紙を読み返した。
川村の言葉が心に刺さる。
「私は理解されないのです」
矢島は思った。
川村は孤独だった。
誰にも理解されず、一人で生きてきた。
そして、歪んだ愛に辿り着いた。
もし、誰かが川村を理解していたら。
もし、誰かが手を差し伸べていたら。
事件は起こらなかったかもしれない。
矢島は手紙をファイルに戻した。
そして、窓の外を見た。
街には大勢の人がいる。
その中に、第二の川村がいるかもしれない。
孤独に苦しみ、歪んでいく人が。
矢島はそれを防ぎたかった。
だが、一人の刑事にできることは限られている。
矢島はため息をついた。
それでも、やるしかない。
矢島は立ち上がり、次の事件に向かった。
数年後、矢島は佐藤美咲から手紙を受け取った。
彼女は結婚し、子供を授かったという。
幸せに暮らしているという。
矢島は微笑んだ。
少なくとも、彼女たちは未来を取り戻した。
それだけでも、意味があった。
矢島は手紙をしまい、仕事に戻った。
地下室は取り壊された。
三つの部屋も、もう存在しない。
だが、矢島の記憶には残っている。
あの冷たいコンクリートの壁。
鎖で繋がれた三人の女性。
そして、川村の空虚な目。
矢島は忘れない。
忘れてはいけない。
二度と同じ悲劇を繰り返さないために。
矢島は今日も、街を見守っている。
刑事として。
人として。




