【SF】忘却の船
船内時間で三百二十七年目の朝、技師長の橘健太は目を覚ました。
天井には、いつもの人工太陽が輝いている。窓の外には、星々が流れていた。
健太は、ベッドから起き上がり、鏡を見た。三十五歳の顔。父親に似ている。祖父にも。
橘家は、代々この船の技師長を務めてきた。健太で、九代目だった。
健太は、制服に着替えた。胸のワッペンには、船の名前が刺繍されている。
「希望号」
地球を出発して、三百二十七年。目的地まで、あと百七十三年。
健太は、今日も船を守る。父が守ったように。祖父が守ったように。
しかし、健太は知らなかった。
この船が、本当は何のために航行しているのかを。
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希望号は、全長五キロメートルの世代宇宙船だった。
船内には、五万人の人類が暮らしていた。農業区画、居住区画、工業区画、そして中央管理区画。
全てが、一つの巨大な閉鎖生態系として機能していた。
人々は、船内で生まれ、船内で育ち、船内で死んだ。
そして、その子供たちが、また船を継いだ。
目的地は、ケンタウルス座アルファ星系の惑星「新地球」。
地球が環境破壊で居住不可能になったため、人類の一部が移住船に乗った。それが、五百年前のことだった。
しかし、船内で暮らす人々の大半は、地球のことを知らなかった。
教科書には載っていたが、それは遠い昔の物語でしかなかった。
彼らにとって、船こそが世界だった。
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健太は、朝食を済ませると、エンジン区画へ向かった。
巨大な核融合エンジンが、低い唸り声を上げていた。この音が、健太には子守唄のように聞こえた。
「おはよう、健太」
副技師の山田理沙が、手を振った。健太の幼馴染みで、優秀な技術者だった。
「おはよう、理沙。調子はどうだ」
「エンジン出力、正常。冷却システム、正常。航行軌道、正常。全て、問題なし」
「それは良かった」
健太は、コンソールを確認した。全てのパラメータが、緑色で表示されていた。
希望号は、完璧に機能していた。
三百年以上、一度も大きな故障はなかった。
それは、歴代の技師たちの努力の結果だった。
しかし、健太は時々、疑問に思うことがあった。
本当に、自分たちは目的地に着くのだろうか、と。
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昼休み、健太は理沙と一緒に展望デッキに来た。
巨大な窓からは、宇宙が見えた。無数の星が、ゆっくりと流れていく。
「綺麗だな」
健太が言うと、理沙が頷いた。
「ええ。でも、いつも同じ景色よね」
「そりゃ、宇宙は広いからな」
「私たち、本当に新地球に着くのかしら」
理沙が、ふと呟いた。
「どうして、そんなこと」
「だって、三百年以上飛んでるのに、まだ百七十年以上かかるって」
「航行計画通りだよ」
「でも、誰も外の宇宙を確認してないわ。本当に、新地球って存在するの」
健太は、答えられなかった。
確かに、誰も外部の観測をしていなかった。
船内の航法システムが、自動的に航行しているだけだった。
それを信じるしかなかった。
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その夜、健太は中央図書館に行った。
そこには、地球時代の記録が保管されていた。
健太は、古い文書を探した。希望号の出発に関する記録。
しかし、ほとんどの文書は劣化していた。デジタルデータも、何度かの移行で一部が失われていた。
健太は、かろうじて読める文書を見つけた。
「希望号航行計画書」
そこには、航行ルート、目的地の座標、予想到着時間が記されていた。
しかし、ある一節に、健太は目を止めた。
「本計画は、人類存続のための最終手段である。乗員には、真実を伝えてはならない。彼らには、希望だけを与えよ」
健太は、眉をひそめた。
真実、とは何か。
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翌日、健太は理沙にその文書を見せた。
「これ、どういう意味だと思う」
理沙は、文書を読んで、顔色を変えた。
「真実を伝えてはならない、って」
「何か、隠されてるのかもしれない」
「でも、何を」
二人は、さらに調査を続けた。
古い記録、船長の日誌、技師長の報告書。
そして、ある日誌に、衝撃的な記述を見つけた。
「初代船長、田中一郎の日誌。出発から五十年目」
「今日、地球からの最後の通信を受信した。内容は、予想通りだった。地球は、もう存在しない。核戦争で、完全に滅んだ。我々は、人類最後の生き残りだ」
「しかし、この事実を乗員に伝えることはできない。絶望は、船を破壊する。希望だけが、我々を前に進ませる」
「だから、私は決めた。地球の滅亡を、隠蔽する。新地球という希望を、信じさせ続ける。たとえ、それが嘘でも」
健太と理沙は、言葉を失った。
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地球は、滅んでいた。
二百七十年以上前に。
そして、新地球。
それは、本当に存在するのか。
健太は、航法システムを詳しく調べた。
目的地の座標。ケンタウルス座アルファ星系。
しかし、実際にその星系に惑星があるのか、居住可能なのか、それを確認した記録はなかった。
全ては、出発前の推測に基づいていた。
「理沙、もしかして」
健太が言いかけると、理沙が続けた。
「新地球は、存在しないかもしれない」
「ああ」
二人は、沈黙した。
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健太は、さらに調査を進めた。
そして、決定的な文書を見つけた。
「第五代船長、佐藤恵の極秘報告書」
「航行百五十年目、外部センサーによる観測を実施した。結果、目的地のケンタウルス座アルファ星系に、居住可能な惑星は存在しないことが判明した」
「しかし、この事実を公表することは、船内社会の崩壊を招く。よって、観測結果は破棄し、航行を継続する」
「我々の使命は、新地球に到達することではない。人類という種を、可能な限り長く存続させることだ。船内で、世代を重ね、文明を維持する。それ自体が、目的である」
健太は、震えた。
全ては、嘘だった。
新地球は、存在しない。
希望号は、ただ宇宙を漂っているだけだった。
目的地のない、永遠の航海。
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健太は、理沙と二人きりで話した。
「どうする、この事実を」
「公表すべきだと思う」
理沙が言った。
「でも、人々は絶望する」
「それでも、嘘の中で生きるよりはマシよ」
「本当にそうか」
健太は、迷った。
船内の人々は、幸せだった。新地球という希望を信じて、日々を生きていた。
その希望を奪うことが、正しいのか。
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健太は、現船長の北村誠に会いに行った。
船長室で、北村は健太を迎えた。六十歳の初老の男性で、温厚な人物として知られていた。
「健太君、どうしたんだ」
「船長、お聞きしたいことがあります」
健太は、これまでの調査結果を伝えた。
北村は、静かに聞いていた。そして、深く息を吐いた。
「やはり、気づいたか」
「船長は、知っていたんですか」
「ああ。歴代の船長は、皆知っている。技師長も、本来なら知るべきことだった」
「では、なぜ」
「健太君、君は船内の人々を見てどう思う」
「幸せそうです」
「そうだ。彼らは、希望を持って生きている。それが、どれほど大切か」
北村は、窓の外を見た。
「人間は、希望なしには生きられない。たとえそれが嘘でも、希望があれば前に進める」
「でも、それは欺瞞です」
「欺瞞かもしれない。しかし、必要な欺瞞だ」
北村は、健太を見つめた。
「健太君、君はどうしたい」
「真実を、伝えたい」
「それで、人々が絶望しても」
「それでも、知る権利があります」
北村は、しばらく考えてから言った。
「分かった。君の判断を尊重しよう。ただし、条件がある」
「何ですか」
「全員が納得する代替案を、用意してくれ」
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健太は、理沙と共に、代替案を考えた。
新地球が存在しないなら、どうするか。
選択肢は、いくつかあった。
一つ目、別の星系を探す。しかし、燃料と時間の問題がある。
二つ目、船内で永遠に暮らし続ける。しかし、いずれ船は老朽化する。
三つ目、どこかの惑星に降り立つ。居住に適さなくても、人類を存続させる試みをする。
健太と理沙は、議論を重ねた。
そして、ある結論に達した。
「希望号自体を、新しい人類の故郷にする」
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健太は、船内放送で全乗員に呼びかけた。
「皆さん、重大な発表があります」
五万人の人々が、それぞれの場所で放送を聞いた。
「我々が目指している新地球は、存在しません」
船内が、ざわめいた。
「これは、三百年以上前から知られていた事実です。しかし、歴代の指導者たちは、皆さんに希望を持ってもらうため、この事実を隠してきました」
怒号が、あちこちで上がった。
「しかし、私は皆さんに真実を伝えることを選びました。なぜなら、我々には新しい道があるからです」
健太は、続けた。
「我々は、希望号を永遠の故郷にします。船を改造し、自給自足のコロニーとして、宇宙を航行し続けます。新しい惑星を探しながら、船内で文明を発展させます」
「我々は、もはや地球人ではありません。希望号人です。この船が、我々の星です」
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反応は、様々だった。
絶望する者、怒る者、逆に希望を見出す者。
船内は、大きく揺れた。
しかし、数ヶ月の議論の末、大多数が健太の提案を受け入れた。
新地球という幻想よりも、希望号という現実を選んだ。
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それから、船内は大きく変わった。
農業区画が拡大され、食糧生産が増強された。
工業区画では、船の修理と改造が進められた。
教育システムも変わった。新地球到達という目標ではなく、希望号での永続的な生活を前提とした教育になった。
人々は、自分たちが宇宙船人類であることを、誇りに思うようになった。
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健太は、技師長として、船の維持に尽力した。
理沙と結婚し、子供も生まれた。息子の大輔。
大輔には、真実を教えた。希望号の歴史、地球の滅亡、そして新地球の不在。
大輔は、それを受け入れた。
「父さん、僕たちは希望号人だね」
「ああ、そうだ」
「じゃあ、僕も大きくなったら、技師になる」
「いい心がけだ」
健太は、息子の頭を撫でた。
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しかし、ある日、異変が起きた。
航法システムが、突然警告を発した。
「前方に、未確認天体接近中」
健太は、エンジン区画に急いだ。
センサーを確認すると、確かに何かが近づいていた。
「これは、惑星か」
理沙が、データを解析した。
「いいえ、人工物です」
「人工物、だと」
画面に、映像が映し出された。
そこには、巨大な構造物があった。
金属製の、都市のような何か。
しかし、明かりは一つもなかった。
「死んだ宇宙船、か」
健太は、北村船長に報告した。
「接触すべきか、回避すべきか」
北村は、しばらく考えてから言った。
「接触しよう。何か、分かるかもしれない」
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希望号は、その構造物に接近した。
近づくにつれ、その巨大さが分かった。
全長、十キロメートル以上。希望号の倍だった。
船体には、文字が刻まれていた。
しかし、読めない文字だった。
「これは、人類の船じゃない」
理沙が言った。
「異星人、か」
健太は、息を呑んだ。
人類は、ついに地球外知的生命体の証拠を見つけた。
しかし、その船は死んでいた。
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調査チームが、構造物に乗り込んだ。
健太も、その一員だった。
船内は、暗く、静まり返っていた。
しかし、所々に、かつての生活の痕跡があった。
住居らしき空間、器具、そして遺骨。
異星人の遺骨だった。
人型ではなく、六本足の生物だった。
「彼らも、我々と同じだったのか」
健太は、遺骨を見つめた。
「母星を失い、宇宙を漂った」
調査チームは、船内のコンピュータシステムを発見した。
理沙が、解析を試みた。
数日かけて、一部のデータを復元した。
そこには、異星人の記録があった。
「彼らの星は、二千年前に滅んだ」
理沙が、翻訳データを読み上げた。
「戦争で。生き残った者たちは、この船で新しい星を探した」
「しかし、見つからなかった」
「そして、船内で世代を重ね、千五百年航行した」
「最後の記録は、五百年前。船のエネルギーが尽きる直前だった」
健太は、深く息を吐いた。
「我々の未来か」
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希望号に戻った健太は、北村船長に報告した。
「異星人の船は、我々の未来を示しているかもしれません」
「エネルギーが尽きれば、我々も同じ運命だと」
「はい」
北村は、窓の外を見た。
「しかし、我々にはまだ時間がある」
「核融合燃料は、あと二百年分あります。しかし、その後は」
「その後は、次の世代が考えるさ」
北村は、微笑んだ。
「我々は、ベストを尽くす。それだけだ」
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健太は、異星人の船から、一つのものを持ち帰った。
石碑のようなものだった。
そこには、異星人の文字で何かが刻まれていた。
理沙が、翻訳した。
「『我々は、ここにいた。我々は、生きた。我々は、希望を持ち続けた』」
健太は、その石碑を希望号の中央広場に設置した。
そして、プレートを付けた。
「宇宙を漂う者たちへ。我々は一人ではない」
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それから、また時が流れた。
健太は、老いた。技師長を息子の大輔に譲った。
大輔は、優秀な技師だった。希望号を、さらに改良した。
そして、大輔の息子、健太の孫の翔が生まれた。
健太は、翔を抱いた。
「お前は、希望号人の十一代目だ」
翔は、まだ何も分からず、笑っていた。
「この船を、頼むぞ」
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健太が八十歳で死んだ時、希望号は航行四百年目を迎えていた。
葬儀には、多くの人が参列した。
理沙が、弔辞を読んだ。
「健太は、我々に真実を教えてくれました。そして、新しい希望を与えてくれました」
「我々は、もはや新地球を目指していません。我々自身が、新しい人類です」
「健太の意志を継ぎ、我々は航行を続けます。永遠に」
健太の遺体は、宇宙に還された。
船外に射出され、星々の中に消えていった。
希望号の伝統だった。
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それから、さらに百年が経った。
希望号は、航行五百年目を迎えた。
地球を出発してから、五百年。
船内人口は、八万人に増えていた。
技術も進歩し、船はより効率的になっていた。
しかし、問題もあった。
燃料が、残り百年分になっていた。
次世代エネルギー源の開発が、急務だった。
第十五代技師長、橘翔太(健太の曾孫)は、チームを率いて研究に取り組んでいた。
「核融合以外のエネルギー源を見つけなければ」
しかし、それは容易ではなかった。
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そんなある日、希望号は新たな発見をした。
小惑星帯で、巨大な氷塊を発見したのだ。
その氷塊には、有機物が含まれていた。
「これは、もしかして」
翔太は、分析を進めた。
そして、驚くべき事実が判明した。
「この氷塊、地球由来だ」
「地球から、飛来した」
それは、地球が滅んだ時、宇宙に放出された破片だった。
翔太は、氷塊の中から、一つのカプセルを発見した。
タイムカプセルだった。
地球最後の日に、誰かが宇宙に放った。
翔太は、カプセルを開けた。
中には、データチップが入っていた。
古い形式だったが、なんとか読み取れた。
そこには、メッセージが記録されていた。
「未来の人類へ。我々は、地球で滅びます。しかし、宇宙のどこかで、人類は生き延びているはずです」
「どうか、我々の分まで、生きてください。そして、忘れないでください」
「人類は、かつて地球という美しい星に住んでいたことを」
翔太は、涙を流した。
地球。
もう、誰も見たことのない、伝説の星。
しかし、その記憶は、こうして受け継がれていた。
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翔太は、タイムカプセルの内容を船内で公開した。
人々は、地球の映像を見て、涙した。
青い海、緑の森、白い雲。
そんな星が、かつて存在したのだと。
希望号の学校では、地球の歴史を教えるカリキュラムが強化された。
子供たちは、地球の写真を見て、憧れた。
「いつか、地球みたいな星を見つけたいな」
そんな夢を語るようになった。
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航行六百年目。
希望号は、ついに燃料危機に直面した。
核融合燃料が、あと三十年分しかなかった。
第十八代技師長、橘健吾(翔太の孫)は、最後の手段を実行することを決めた。
「恒星に接近し、恒星風からエネルギーを採取する」
それは、危険な作戦だった。
恒星に近づきすぎれば、船は焼かれる。
しかし、他に方法はなかった。
希望号は、最寄りの恒星に針路を向けた。
赤色矮星だった。
接近するにつれ、船内温度が上昇した。
冷却システムがフル稼働した。
そして、臨界距離で停止した。
健吾のチームは、巨大な太陽帆を展開した。
恒星風を受け、エネルギーを発電する。
作戦は、成功した。
希望号は、新たなエネルギー源を手に入れた。
そして、この恒星の周りを周回することにした。
「ここを、新しい拠点にしよう」
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恒星周回軌道に入った希望号は、大きく変貌した。
もはや、航行する船ではなく、恒星を周回するコロニーとなった。
人口は、十二万人に増えていた。
船内には、複数の居住区があり、それぞれが独自の文化を持ち始めていた。
希望号は、一つの国家になっていた。
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航行七百年目。
希望号政府(船長は廃止され、評議会制度になっていた)は、探査機を近隣の星系に送ることを決めた。
もしかしたら、居住可能な惑星があるかもしれない。
そして、数十年後、探査機からの報告が届いた。
「第三惑星、大気あり。水あり。生命の可能性、高し」
希望号は、沸いた。
ついに、新しい星が見つかった。
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しかし、問題があった。
その惑星まで、希望号で行くには、さらに百年かかる。
そして、希望号は既に老朽化していた。
大規模な航行は、リスクが高すぎた。
「では、どうする」
評議会で、議論が交わされた。
そして、ある結論が出た。
「小型船を建造し、一部の人間を送る」
希望号の人口全員を移住させることはできない。
しかし、数千人なら、可能だった。
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移民船「新希望」が建造された。
五千人が、選ばれた。
志願者の中から、抽選で決められた。
橘家からは、第二十一代の橘美優が選ばれた。
美優は、二十五歳の若い女性だった。
「私、行ってくるね」
美優が、家族に言った。
「無事に着いたら、連絡するのよ」
母親が、涙を拭いた。
「うん、必ず」
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新希望は、希望号から出発した。
七万人が、見送った。
新希望は、小さな光となって、星々の中に消えていった。
希望号に残った人々は、複雑な思いだった。
喜びと、寂しさと、そして希望。
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それから、百二十年後。
新希望から、通信が届いた。
「こちら新希望。惑星到達。着陸成功」
希望号は、歓喜に包まれた。
人類は、ついに新しい星に降り立った。
通信は、続いた。
「惑星の環境、良好。コロニー建設開始」
数年後、また通信が来た。
「第一世代、誕生。人口、順調に増加中」
希望号の人々は、喜んだ。
自分たちの仲間が、新しい世界で生きている。
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しかし、希望号の人々は、その惑星には行かなかった。
もう、希望号は航行できなかった。
恒星周回軌道で、永遠に暮らし続ける。
それが、彼らの運命だった。
「でも、いいんだ」
第二十五代評議会議長、田中誠が言った。
「我々は、希望号人だ。この船が、我々の故郷だ」
人々は、頷いた。
彼らにとって、希望号こそが世界だった。
もはや、惑星に住むことなど、想像もできなかった。
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航行千年目。
希望号は、盛大な祭りを開いた。
地球を出発して、千年。
人口は、二十万人に達していた。
船内には、複数の都市があり、文化も多様化していた。
しかし、全員が共通のアイデンティティを持っていた。
「我々は、希望号人だ」
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祭りの最後に、橘家の第三十代当主、橘健次が演説した。
「千年前、我々の祖先は地球を出発しました」
「彼らは、新地球という希望を持っていました」
「しかし、その希望は幻でした」
「けれども、我々は新しい希望を見つけました」
「それは、希望号そのものです」
「我々は、この船で生き、この船で死にます」
「我々は、宇宙を漂う、永遠の旅人です」
「そして、それこそが、我々の誇りです」
二十万人が、拍手した。
希望号は、これからも航行を続ける。
目的地はない。
ただ、存在し続けること。
それが、希望号の使命だった。
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そして、現在。
航行千二百年目。
希望号は、まだ航行している。
いや、航行というより、恒星の周りを漂っている。
人口は、三十万人。
もはや、一つの国家だった。
技師長の職は、まだ橘家が継いでいた。
第三十五代、橘雄大。
彼は、毎日エンジン区画を点検する。
もはやエンジンは動いていないが、船の維持は続けなければならない。
「お疲れ様です、技師長」
部下が声をかけた。
「ああ」
雄大は、窓の外を見た。
赤色矮星が、ゆっくりと輝いていた。
そして、遠くに、無数の星々。
「我々は、まだここにいる」
雄大は、呟いた。
「これからも、ここにいる」
希望号は、永遠に宇宙を漂い続ける。
それが、忘却の船の運命だった。
地球を忘れ、新地球を忘れ、ただ船そのものを故郷とした人々。
彼らは、今日も生きている。
宇宙の片隅で、静かに。




