【SF】暗黒星雲の彼方へ
宇宙船ホライゾン号は、未踏の領域に向かっていた。
目的地は、暗黒星雲オメガ。誰も通過したことのない、謎の星雲だ。
船長のデイビッド・ハリソンは、四十二歳。ベテランの探査船長だった。二十年以上、宇宙を飛び続けてきた。
クルーは六人。
副船長のエマ・グリーン。航法士のトム・ブラウン。機関士のユキ・サトウ。科学者のマリア・ロドリゲス。医師のサム・ジョンソン。そして、通信士のリン・チェン。
彼らの任務は、暗黒星雲の調査だった。
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「船長、あと一時間で星雲に到達します」
トムが、報告した。
「了解」
デイビッドは、前方のスクリーンを見た。
そこには、巨大な黒い雲が広がっていた。
光を吸収する、暗黒の星雲。
中は、完全な闇だった。
「あれの中に、入るのか」
サムが、不安そうに言った。
「ああ」
デイビッドは、頷いた。
「でも、誰も戻ってきていないんですよね」
リンが、小さな声で言った。
確かに、過去に三隻の探査船が、この星雲に入った。
しかし、全て消息を絶った。
理由は、不明だった。
「だから、我々が調査する」
デイビッドは、クルーを見回した。
「怖いか」
「怖いです」
エマが、正直に答えた。
「でも、行きます」
「それが、我々の仕事ですから」
デイビッドは、微笑んだ。
「行こう」
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ホライゾン号は、暗黒星雲に突入した。
瞬間、全ての光が消えた。
外は、完全な闇。
星も見えない。
計器の光だけが、唯一の明かりだった。
「視界、ゼロ」
トムが、報告した。
「センサーは」
「反応、ありません」
ユキが、画面を叩いた。
「故障か」
「いえ、正常に動いています」
「でも、何も検出できない」
マリアが、データを分析した。
「この星雲、通常の物質じゃない」
「何か特殊な粒子で構成されている」
「それが、光を吸収している」
「危険か」
「分かりません」
船は、闇の中を進んだ。
クルーは、緊張していた。
何が起こるか、分からなかった。
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三時間後、異変が起きた。
通信が途絶えた。
「リン、地球と連絡を」
「無理です。信号が、全く届きません」
「ジャミングか」
「いえ、何かが信号を吸収しています」
デイビッドは、決断した。
「引き返すか」
しかし、その時、前方に光が見えた。
小さな、青い光。
闇の中で、唯一の光。
「あれは、何だ」
トムが、スクリーンを拡大した。
光は、徐々に大きくなっていった。
そして、形が見えてきた。
球体だった。
青く光る、巨大な球体。
直径、推定100キロメートル。
「惑星?」
エマが、驚いた。
「いや、人工物だ」
マリアが、スキャンした。
「金属製。しかも、内部から光を発している」
「近づこう」
デイビッドが、命じた。
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ホライゾン号は、球体に接近した。
表面は、滑らかだった。
窓のような構造が、あちこちにあった。
そして、大きな開口部が見えた。
ドックのようだ。
「入ってみるか」
デイビッドが、聞いた。
「危険では」
サムが、反対した。
「しかし、ここまで来て、引き返すのか」
「それに、我々には選択肢がない」
「どういうことですか」
「燃料が、残り少ない」
ユキが、報告した。
「星雲を抜けるには、足りません」
クルーは、顔を見合わせた。
「つまり、ここで補給するしかない、ということか」
「そういうことです」
デイビッドは、決断した。
「ドックに入る」
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ホライゾン号は、開口部に入った。
内部は、広かった。
巨大な格納庫のようだった。
そして、驚くべきことに、空気があった。
「大気、確認」
マリアが、分析した。
「酸素濃度、地球と同じ」
「温度、摂氏二十度」
「信じられない」
デイビッドは、宇宙服を着ずに外に出ることにした。
エアロックを開けると、確かに空気が流れ込んできた。
呼吸できる。
デイビッドは、一歩外に出た。
足が、金属の床に触れた。
重力もあった。
地球の0.8倍程度。
「本当に、人工物だ」
デイビッドは、周りを見回した。
格納庫には、他の宇宙船もあった。
古い型の船。
デイビッドは、近づいた。
船体には、文字が書かれていた。
「エクスプローラー3号」
デイビッドの血が、凍った。
エクスプローラー3号。
三十年前に、暗黒星雲に入って消息を絶った船だ。
「みんな、来てくれ」
デイビッドは、通信機で呼んだ。
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クルーは、エクスプローラー3号を調査した。
船内には、誰もいなかった。
しかし、日誌が残っていた。
マリアが、読み上げた。
「我々は、暗黒星雲の中で、巨大な人工物を発見した」
「その中に入ったところ、空気があり、重力があった」
「そして、住人に会った」
クルーは、固まった。
「住人?」
「続きは」
エマが、聞いた。
マリアは、次のページを開いた。
「彼らは、友好的だった」
「我々を歓迎し、案内してくれた」
「そして、驚くべき提案をされた」
「ここに、残らないかと」
日誌は、そこで終わっていた。
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「残った、のか」
トムが、呟いた。
「つまり、消息を絶ったのではなく」
「自分の意志で、ここに留まった」
デイビッドは、日誌を閉じた。
「住人に、会う必要がある」
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格納庫を出ると、廊下があった。
明るい。
壁から、柔らかい光が放たれていた。
クルーは、廊下を進んだ。
やがて、大きな部屋に出た。
中央には、透明なカプセルのようなものがあった。
そして、その中に、人がいた。
眠っているように見えた。
デイビッドは、近づいた。
カプセルの中の人は、老人だった。
白髪で、皺だらけの顔。
しかし、穏やかな表情をしていた。
カプセルには、名前が表示されていた。
「ジョン・マクレガー」
デイビッドは、その名前を知っていた。
エクスプローラー3号の船長だ。
「生きているのか」
サムが、カプセルをスキャンした。
「はい。仮死状態ですが、生命反応があります」
「三十年も」
「いや、彼にとっては、もっと長いかもしれません」
マリアが、カプセルのデータを読んだ。
「このカプセル、時間を遅らせる装置です」
「中の人にとっては、数日しか経っていないかもしれない」
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その時、声が聞こえた。
「ようこそ」
背後から。
デイビッドは、振り返った。
そこには、人型の存在がいた。
しかし、人間ではなかった。
半透明の体。
光で構成されているように見えた。
「私は、管理者」
存在が、言った。
「この施設を管理している」
「あなたたちは、何者ですか」
デイビッドが、聞いた。
「我々は、エーテル族」
管理者が、答えた。
「かつて、物質の体を持っていた」
「しかし、進化の果てに、エネルギー体になった」
「だから、暗黒星雲の中で生きられるのですね」
「そうだ」
管理者は、カプセルを見た。
「この人たちは、我々の客だ」
「なぜ、眠らせているんですか」
「彼らが望んだからだ」
管理者は、説明した。
「彼らは、宇宙を旅することに疲れた」
「争いに疲れた」
「だから、ここで休みたいと言った」
「我々は、その願いを叶えた」
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デイビッドは、部屋を見回した。
他にも、多くのカプセルがあった。
全て、人が入っていた。
「これは、全員」
「そうだ」
管理者が、頷いた。
「過去、百年間で、七十人がここに来た」
「そして、全員が残ることを選んだ」
「なぜ」
「外の世界は、苦しい」
管理者が、言った。
「戦争、貧困、病気」
「しかし、ここには何もない」
「ただ、平和があるだけだ」
「彼らは、それを選んだ」
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デイビッドは、複雑な気持ちだった。
逃げているのか。
それとも、新しい生き方を見つけたのか。
「あなたたちも、残るか」
管理者が、聞いた。
「ここには、全てがある」
「食料、水、空気」
「そして、永遠の時間」
「あなたたちは、争いのない世界で、平和に暮らせる」
クルーは、黙っていた。
誘惑的だった。
ここに残れば、苦しみから解放される。
しかし、デイビッドは答えた。
「いいえ」
「我々は、戻ります」
「なぜだ」
「外の世界は、確かに苦しい」
デイビッドは、言った。
「しかし、それでも生きる価値がある」
「愛する人がいる」
「守るべきものがある」
「だから、我々は戻る」
管理者は、しばらく沈黙した。
そして、微笑んだ。
「素晴らしい」
「あなたは、強い」
「では、帰りたまえ」
「燃料は、補給してあげよう」
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ホライゾン号は、燃料を補給した。
管理者は、星雲を抜ける航路も教えてくれた。
出発の前、デイビッドは管理者に聞いた。
「ここに残った人たちは、幸せですか」
「分からない」
管理者が、答えた。
「幸せとは、何か」
「我々には、理解できない」
「ただ、彼らは平和だ」
「それだけは、確かだ」
デイビッドは、頷いた。
「いつか、また来ます」
「いつでも、歓迎する」
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ホライゾン号は、暗黒星雲を抜けた。
再び、星が見えた。
クルーは、ほっとした。
地球との通信も、回復した。
「ホライゾン号、応答せよ」
地球からの呼びかけ。
「こちらホライゾン号。無事です」
デイビッドが、答えた。
「良かった。何があった」
「長い話です」
デイビッドは、微笑んだ。
「でも、全員無事に戻ります」
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地球に帰還したホライゾン号は、大歓迎を受けた。
デイビッドは、報告書を提出した。
暗黒星雲の中にある、エーテル族の施設について。
そして、そこに残った人々について。
報告書は、議論を呼んだ。
彼らを救出すべきか。
それとも、尊重すべきか。
デイビッドは、意見を求められた。
「彼らは、自分の意志でそこにいます」
「無理に連れ戻すべきではありません」
「しかし、家族が」
「家族には、事情を説明すべきです」
「そして、本人に会わせるべきです」
「会わせて、どうする」
「選ばせるんです」
デイビッドは、言った。
「戻るか、残るか」
「それは、本人が決めることです」
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その後、暗黒星雲への往復便が開設された。
家族たちが、施設を訪れた。
眠っている家族に会った。
そして、話した。
中には、戻ることを選んだ人もいた。
しかし、多くは残ることを選んだ。
平和を、選んだ。
それは、悲しいことなのか。
それとも、幸せなことなのか。
デイビッドには、分からなかった。
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五年後、デイビッドは引退した。
しかし、最後の航海として、暗黒星雲に向かった。
一人で。
施設で、管理者が迎えた。
「また、来たのか」
「ああ」
デイビッドは、カプセルの部屋に行った。
そして、一つのカプセルを見た。
中には、若い女性が眠っていた。
デイビッドの妻だった。
彼女は、三年前に病気で亡くなった。
いや、亡くなる前に、ここに来た。
そして、眠ることを選んだ。
病気の苦しみから、逃れるために。
デイビッドは、妻の顔を見つめた。
穏やかな顔。
苦しんでいない。
「幸せか」
デイビッドは、カプセルに手を当てた。
答えは、返ってこなかった。
しかし、デイビッドは微笑んだ。
「俺も、そろそろいいかな」
デイビッドは、管理者に言った。
「俺も、残りたい」
「よろしいのか」
「ああ」
デイビッドは、頷いた。
「もう、十分生きた」
「妻の隣で、眠りたい」
管理者は、カプセルを用意した。
デイビッドは、その中に入った。
妻の隣のカプセル。
カプセルが、閉じられた。
デイビッドの意識は、ゆっくりと遠のいていった。
最後に見たのは、妻の顔だった。
穏やかで、美しい顔。
デイビッドは、微笑んだ。
そして、眠りについた。
永遠の、平和な眠りに。
暗黒星雲の彼方で。




