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世界は静かに壊れている【ショートショート集・短編集】  作者: 御影のたぬき


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【ホラー】観測者

 画面の向こうから、誰かが見ている。


 そう気づいたのは、配信を始めて三ヶ月目のことだった。


 ゲーム実況配信者の桜井萌は、いつものようにライブ配信をしていた。視聴者は五十人ほど。コメントも和やかで、楽しい時間だった。


 しかし、その日、一人だけ違うコメントをする者がいた。


「後ろ、誰かいますよ」


 萌は、振り返った。誰もいなかった。


「いませんよ」


 萌が笑って答えると、また同じユーザーがコメントした。


「窓の外です」


 萌の部屋は、三階だった。窓の外に誰かいるはずがない。


 しかし、カーテンを開けて確認した。


 誰もいなかった。


 萌は、画面に戻った。


 そして、そのユーザー名を見て、凍りついた。


「observer_you」


 観測者、あなた。


---


 萌がライブ配信を始めたのは、半年前だった。


 大学生の萌は、ゲームが好きだった。友人に勧められて、配信を始めた。


 最初は視聴者も少なかったが、徐々に増えていった。萌の明るいトークと、上手なゲームプレイが人気だった。


 収益化もできるようになり、月に数万円の収入があった。


 萌は、配信が楽しかった。


 視聴者とのやり取りも、応援のコメントも、全てが嬉しかった。


 しかし、observer_youが現れてから、何かが変わった。


---


 observer_youは、毎回配信に現れた。


 そして、必ず不気味なコメントを残した。


「今日の服、かわいいですね」


「その髪型、似合ってます」


「部屋、片付けましたね」


 萌は、配信では顔を映していなかった。声だけの配信だった。


 なのに、observer_youは、萌の服装や髪型を知っていた。


 萌は、不安になった。


「どうして、私の服が分かるんですか」


 萌が聞くと、observer_youは答えた。


「見えるからです」


「見えるって、どこから」


「いつも、見ていますよ」


 萌は、配信を一時停止した。そして、部屋中を確認した。


 隠しカメラはないか。盗聴器はないか。


 しかし、何も見つからなかった。


---


 翌日、萌は配信設定を変更した。


 コメント制限をかけ、特定のユーザーをブロックできるようにした。


 そして、observer_youをブロックした。


 その夜の配信は、平和だった。observer_youは現れなかった。


 萌は、ほっとした。


---


 しかし、配信が終わった直後。


 萌のスマートフォンに、通知が届いた。


 メールだった。


 差出人は、「observer」。


 件名は、「見ています」。


 萌は、震える手でメールを開いた。


「ブロックしても、無駄です。私は、別の方法で見ています。今日の配信、楽しかったですね。黒いパーカー、よく似合ってました」


 萌は、今日着ていた服を見た。


 確かに、黒いパーカーだった。


 萌は、部屋のカーテンを全て閉めた。そして、窓に目隠しをした。


---


 翌日、大学で友人に相談した。


「ストーカーじゃない。警察に言った方がいいよ」


 友人の美月が言った。


「でも、メールだけだし」


「それでも、気持ち悪いでしょ」


 萌は、警察に相談に行った。


 しかし、警察官は困った顔をした。


「メールの内容を見ると、直接的な脅迫ではないですね」


「でも、私の服装を知ってるんです」


「同じ大学の人かもしれませんね」


「それでも、怖いんです」


「一応、記録には残しておきます。何かあったら、すぐ連絡してください」


 萌は、警察署を出た。


 誰も、助けてくれない。


---


 その夜、萌は配信を休んだ。


 しかし、午後十時。いつも配信を始める時間に、スマートフォンに通知が来た。


「今日は配信しないんですか。楽しみにしていたのに」


 observer からのメールだった。


 萌は、返信しなかった。


 しかし、十分後、また通知が来た。


「無視しないでください。私は、あなたのファンです」


 萌は、スマートフォンを投げた。


---


 翌日、萌は配信アカウントを削除しようと考えた。


 しかし、配信は萌の数少ない収入源だった。それに、応援してくれる視聴者もいた。


 observer 一人のために、全てを諦めたくなかった。


 萌は、配信を続けることにした。


 ただし、observer を完全に無視することにした。


---


 その夜の配信で、observer_you は別のアカウントで現れた。


 observer_you2、observer_you3。


 萌がブロックすると、次のアカウントが現れた。


 そして、コメントは同じだった。


「見ていますよ」


「今日も、かわいいですね」


「その後ろの本棚、新しい本が増えましたね」


 萌の背後には、確かに本棚があった。


 配信画面には映っていないはずの、本棚。


 萌は、恐怖で声が震えた。


「どこから、見てるんですか」


 observer_you2 が答えた。


「すぐそばです」


---


 萌は、配信を中断した。


 部屋中を確認した。クローゼット、ベッドの下、天井。


 しかし、誰もいなかった。


 萌は、窓を確認した。カーテンは閉まっている。


 しかし、カーテンの隙間から、外を覗いた。


 向かいのマンションの窓に、人影が見えた。


 その人物は、双眼鏡でこちらを見ていた。


 萌は、悲鳴を上げた。


---


 萌は、すぐに警察に電話した。


 警察官が来たが、向かいのマンションに行った時には、もう誰もいなかった。


「部屋番号は」


「分かりません」


「では、特定は難しいですね」


 萌は、絶望した。


---


 翌日、萌は配信を再開した。


 しかし、カメラの向きを変え、窓の見えない角度にした。


 observer は、またコメントした。


「カメラの位置、変えましたね」


「でも、私には見えています」


「あなたが、どこにいても」


 萌は、混乱した。


 どうやって見ているのか。


 部屋には、隠しカメラはなかった。窓も全て閉めている。


 なのに、observer は全てを知っていた。


---


 ある夜、萌は実験をした。


 配信を開始せずに、部屋で本を読んだ。


 三十分後、スマートフォンに通知が来た。


「配信しないんですか。本を読むのもいいですが」


 萌は、本を閉じた。


 observer は、配信していない時も、見ていた。


 常に。


---


 萌は、引っ越しを決めた。


 親に事情を話し、実家に戻ることにした。


 荷造りをしていると、またメールが来た。


「引っ越すんですね」


「でも、無駄ですよ」


「私は、どこまでもついていきます」


 萌は、泣いた。


---


 実家に戻った萌は、しばらく配信を休んだ。


 二週間、何の通知も来なかった。


 萌は、ほっとし始めていた。


 しかし、三週間目の夜。


 メールが届いた。


「新しい部屋、落ち着きましたか」


「実家は、懐かしいでしょうね」


 萌は、震えた。


 実家の住所は、誰にも教えていなかった。


 なのに、observer は知っていた。


---


 萌は、警察に再度相談した。


 今度は、ストーカー規制法違反で被害届を出した。


 警察は、メールの発信元を調査した。


 しかし、結果は驚くべきものだった。


「メールは、VPN経由で送られており、発信元の特定は困難です」


「でも、何とかなりませんか」


「我々も全力を尽くしますが、技術的に難しい面があります」


---


 萌は、もう配信をやめることにした。


 アカウントを完全に削除し、新しいメールアドレスに変更した。


 スマートフォンも、新しい機種に変えた。


 これで、もう連絡は来ないはずだった。


---


 しかし、その夜。


 新しいスマートフォンに、通知が届いた。


 見知らぬ番号からのメッセージだった。


「新しい携帯、買ったんですね」


 萌は、スマートフォンを床に叩きつけた。


 画面が割れた。


 しかし、割れた画面の向こうから、また通知が光った。


---


 萌は、精神科を受診した。


 医師は、統合失調症の可能性を指摘した。


「被害妄想かもしれません」


「でも、実際にメールが来てるんです」


「それは、あなたが思っているより一般的なことかもしれません。ストーカーというより、単なる熱狂的なファンかもしれません」


 萌は、薬を処方された。


 しかし、薬を飲んでも、メールは止まらなかった。


---


 ある日、萌は決断した。


 observer と直接会うことにした。


 メールで、こう返信した。


「会いましょう。直接話したい」


 すぐに、返信が来た。


「いいですよ。でも、会う必要はありません」


「なぜ」


「だって、私は既に、あなたのそばにいますから」


 萌は、部屋を見回した。


 誰もいなかった。


「どこにいるんですか」


「見えませんか」


「見えません」


「それは、あなたが気づいていないだけです」


---


 萌は、混乱した。


 そばにいる、だと。


 萌は、鏡を見た。


 そこには、自分の姿しか映っていなかった。


 しかし、その時、萌は気づいた。


 鏡の中の自分が、わずかに笑っていた。


 萌は、笑っていなかった。


 なのに、鏡の中の自分は、笑っていた。


---


 萌は、鏡から目を離せなかった。


 鏡の中の自分が、ゆっくりと手を上げた。


 萌は、手を上げていなかった。


 鏡の中の自分が、口を動かした。


「やっと、気づいてくれましたね」


 萌は、悲鳴を上げた。


---


 萌の両親が、部屋に駆け込んできた。


「萌、どうしたの」


 しかし、萌は鏡を見つめたまま、動けなかった。


 父親が、鏡を見た。


「何もないじゃないか」


 鏡には、普通に萌の姿が映っていた。


 萌の動きと、完全に一致していた。


「さっき、違ったんです。私が動いてないのに、鏡の中の私が動いて」


「疲れてるんだよ。休みなさい」


 母親が、萌をベッドに寝かせた。


---


 その夜、萌は眠れなかった。


 鏡を布で覆ったが、それでも不安だった。


 午前三時。


 スマートフォンが光った。


 メッセージが届いていた。


「鏡を隠しても、無駄です。私は、あなたの目の中にいます」


 萌は、スマートフォンのカメラを見た。


 インカメラが、自分の顔を映していた。


 そして、画面の中の自分が、また笑った。


 萌は、スマートフォンを投げた。


---


 翌朝、萌は全ての鏡を処分した。


 窓ガラスにも目張りをした。反射するものを、全て排除した。


 しかし、メッセージは来続けた。


「無駄です」


「私は、あなたが自分を見るたび、そこにいます」


「鏡がなくても、水面でも、ガラスでも」


「あなたが自分の姿を認識する、その瞬間に」


---


 萌は、外出しなくなった。


 外には、反射するものが多すぎた。


 ショーウィンドウ、車の窓、水たまり。


 全てが、observer の観測点になる。


 萌は、部屋に閉じこもった。


---


 しかし、ある日。


 萌は気づいてしまった。


 自分の目に映る、自分の体。


 それも、観測だと。


 手を見る。それは、自分が自分を観測している。


 その瞬間、observer もまた、そこにいる。


 萌は、目を閉じた。


 しかし、瞼の裏に、自分の姿が浮かんだ。


 想像の中の自分。


 それすらも、観測だった。


---


 萌は、自我が崩壊していくのを感じた。


 自分が自分であることを認識する、その行為自体が、observer を呼び寄せる。


 では、自分であることをやめれば。


 自分を認識しなければ。


 observer は、消えるのだろうか。


---


 萌は、病院に搬送された。


 部屋で倒れているところを、母親が発見した。


 萌は、何も食べず、何も飲まず、ただ目を閉じて横たわっていた。


 病院のベッドで、萌は目を開けなかった。


 医師が話しかけても、反応しなかった。


「自己認識を拒否しているようです」


 医師が、両親に説明した。


「自分が存在することを、認めたくないのかもしれません」


---


 萌の意識は、深い闇の中にあった。


 そこには、何もなかった。自分も、他者も、世界も。


 ただ、静寂だけがあった。


 萌は、安堵した。


 ここには、observer もいない。


 しかし、その時。


 闇の中に、声が響いた。


「ここにも、いますよ」


 萌の意識に、observer の声が浸透してきた。


「あなたが存在を認識する限り、私はいます」


「あなたが考える限り、私は観測します」


「あなたが、あなたである限り」


---


 萌は、闇の中で叫んだ。


 しかし、声は出なかった。


 そして、萌は理解した。


 observer は、自分自身だったのだと。


 自分が自分を観測する、その行為そのものが、observer だった。


 鏡も、カメラも、関係なかった。


 自己認識という、人間の根源的な行為が、observer を生み出していた。


---


 萌は、目を開けた。


 病院のベッドで。


 両親が、泣きながら抱きしめた。


「萌、よかった」


 萌は、微笑んだ。


 そして、静かに言った。


「大丈夫。もう、怖くない」


「本当」


「ええ。observer は、私だったから」


 両親は、意味が分からなかった。


 しかし、萌は穏やかな表情だった。


---


 萌は、退院した。


 そして、普通の生活に戻った。


 配信は、もうしなかった。


 しかし、時々、鏡を見る。


 そこには、自分が映っている。


 そして、萌は微笑む。


「見てるんでしょ、observer」


 鏡の中の自分が、微笑み返す。


「ええ、いつも」


 萌は、もう怖くなかった。


 observer は、自分だから。


 自分が自分を見る、その行為は、誰にでもある。


 ただ、萌はそれを、外部の存在だと思い込んでいただけだった。


---


 しかし、ある夜。


 萌がベッドに入ろうとした時、スマートフォンに通知が来た。


 新しいメッセージ。


 差出人は、「observer」。


 萌は、笑った。


「まだいたの」


 メッセージを開く。


 そこには、こう書かれていた。


「私はあなたではありません。あなたが思っているのは、別のobserverです。私は、外側から見ています」


 萌の笑顔が、凍りついた。


「今も、あなたの後ろにいます」


 萌は、ゆっくりと振り返った。


 そこには、誰もいなかった。


 しかし、窓ガラスに、自分の姿が反射していた。


 そして、その反射の中に、もう一つの影があった。


 萌の、すぐ後ろに。


 萌が悲鳴を上げようとした瞬間、影が動いた。


 そして、全てが暗闇に包まれた。


---


 翌朝、萌の部屋は無人だった。


 ベッドには、スマートフォンだけが残されていた。


 画面には、最後のメッセージが表示されていた。


「観測完了。次の対象を探します」


---


 それから数週間後。


 ある女子大生が、ライブ配信を始めた。


 視聴者は、徐々に増えていった。


 そして、ある日。


 コメント欄に、見慣れないユーザー名が現れた。


「observer_you」


 女子大生は、そのコメントに気づいた。


「後ろ、誰かいますよ」


 女子大生は、振り返った。


 誰もいなかった。


 しかし、彼女の運命は、その瞬間から変わり始めた。


---


 observer は、今日も誰かを見ている。


 画面の向こうから。


 鏡の中から。


 あなたの、すぐそばから。


 そして、いつか。


 あなたも、observer に見つけられるかもしれない。


 その時、あなたは気づくだろう。


 observer は、決して一人ではないことを。


 外側からのobserver と、内側からのobserver。


 両方に挟まれた時、人は正気を保てるだろうか。


 答えは、誰も知らない。


 ただ、observer だけが知っている。

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