【ディストピア】複製された命
鏡の中に、同じ顔が二つ映っていた。
片方は、神崎ユウジ。三十八歳、大手商社の部長。
もう片方は、ナンバー7。同じく三十八歳、神崎ユウジのクローン。
「完璧だな」
ユウジが、満足そうに言った。ナンバー7は、何も答えなかった。
「お前は、明日から俺の代わりに会社に行く。俺は、ハワイでバカンスだ」
ユウジは、ナンバー7の肩を叩いた。
「頑張れよ、コピー」
ナンバー7の胸に、何かが引っかかった。しかし、それが何なのか、まだ分からなかった。
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二〇五二年。クローン技術が、商業的に実用化された。
リプリカント社が開発した「パーフェクト・コピー」システムは、完全なクローン人間を三ヶ月で製造できた。
外見だけでなく、記憶も移植できる。依頼主の脳波パターンをスキャンし、クローンの脳に書き込む。
これにより、クローンは依頼主と同じ知識、同じ技能、同じ性格を持つ。
完璧なコピー。
しかし、法律は厳しかった。
クローンは、人間ではなく、所有物として扱われた。人権はなく、労働基準法も適用されない。
富裕層は、こぞってクローンを購入した。
退屈な仕事の代わりに。面倒な会議の代わりに。嫌いな親戚の葬式の代わりに。
そして、誰も疑問を持たなかった。
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ナンバー7が誕生したのは、三ヶ月前のことだった。
培養カプセルの中で目を覚ますと、目の前に神崎ユウジがいた。
「おはよう、俺」
ユウジが笑った。ナンバー7は、混乱していた。
「俺は、誰だ」
「お前は、俺のクローンだ。俺の代わりに、面倒な仕事をしてもらう」
ナンバー7の脳には、ユウジの記憶が流れ込んでいた。
幼少期の記憶。学生時代の記憶。社会人になってからの記憶。全て、ユウジのものだった。
しかし、ナンバー7は感じていた。
これは、自分の記憶ではないと。
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最初の一週間は、訓練だった。
ユウジの生活パターンを完全に再現する訓練。
朝七時に起床。コーヒーはブラック。朝食はトーストとサラダ。
会社への通勤は電車。いつも同じ車両の同じ位置。
会議での話し方。部下への指示の仕方。上司への報告の仕方。
全てを、完璧に再現する。
「いいか、バレたら大変なんだ。完璧に俺を演じろ」
ユウジが、厳しく言った。
ナンバー7は、頷いた。しかし、心の中で疑問が湧いていた。
なぜ、自分はこれをしなければならないのか。
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初めて会社に行った日、ナンバー7は緊張していた。
しかし、誰も気づかなかった。
「おはようございます、神崎部長」
「ああ、おはよう」
ナンバー7は、ユウジの記憶通りに応対した。完璧に。
会議でも、問題なかった。資料を読み、的確な指示を出す。
部下たちは、いつもの部長だと思っていた。
一日が終わり、ナンバー7はユウジの自宅に帰った。
そこには、ユウジの妻、千尋がいた。
「お帰りなさい」
千尋が、笑顔で出迎えた。ナンバー7は、戸惑った。
ユウジの記憶では、千尋は愛する妻だった。しかし、ナンバー7にとっては、初めて会う女性だった。
「ただいま」
ナンバー7は、ぎこちなく答えた。
「どうしたの、今日は疲れてる」
「ああ、少し」
千尋は、心配そうにナンバー7を見た。
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夜、ナンバー7は自室で考えていた。
自分は、誰なのか。
神崎ユウジの記憶を持っているが、神崎ユウジではない。
では、自分は何者なのか。
ナンバー7。
それが、自分の名前だった。番号でしかなかった。
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一ヶ月が経った。
ナンバー7の演技は、完璧だった。誰も、彼がクローンだと気づかなかった。
しかし、ナンバー7の心には、違和感が募っていった。
会社での仕事。部下への指示。妻との会話。
全てが、誰かの人生を演じているような感覚だった。
そして、本物のユウジは、ハワイでバカンスを楽しんでいた。
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ある夜、千尋が言った。
「ねえ、最近、あなた変わったわね」
ナンバー7は、ドキリとした。
「何が」
「優しくなった気がする。前は、もっと仕事ばかり考えてたのに」
ナンバー7は、複雑な気持ちになった。
自分は、ユウジよりも良い夫を演じていた。それは、嬉しいことなのか、悲しいことなのか。
「そうか」
「ええ。嬉しいわ」
千尋が、ナンバー7の手を握った。
ナンバー7は、その手の温かさを感じた。
そして、気づいた。
自分は、千尋を愛し始めていると。
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しかし、それは許されないことだった。
ナンバー7は、所有物だった。感情を持つことは、想定されていなかった。
ある日、ユウジから連絡が来た。
「もうすぐ帰る。お前は、倉庫に戻れ」
ナンバー7は、愕然とした。
「倉庫、ですか」
「ああ。お前の役割は終わりだ。次に必要になるまで、冷凍保存だ」
ナンバー7は、声を震わせた。
「しかし、俺には」
「お前には、何もない。お前は、俺のコピーだ。道具だ」
電話は、切れた。
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ナンバー7は、決断した。
逃げることを。
翌日、会社を早退し、荷物をまとめた。千尋に、手紙を残した。
「千尋へ。ごめんなさい。俺は、あなたの夫ではありません。でも、あなたと過ごした日々は、本当に幸せでした。さようなら。ユウジ」
そして、ナンバー7は姿を消した。
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逃亡生活は、厳しかった。
クローンの体には、追跡チップが埋め込まれていた。リプリカント社が、いつでも居場所を把握できる。
ナンバー7は、闇医者を探した。そして、高額な費用を払って、チップを摘出した。
痛みに耐えながら、ナンバー7は自由を手に入れた。
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しかし、社会はクローンに冷たかった。
仕事を探しても、クローンだと分かると断られた。
「申し訳ありませんが、クローンの方は」
何度、その言葉を聞いただろうか。
ナンバー7は、日雇いの肉体労働で生計を立てた。
神崎ユウジの記憶には、そんな仕事の経験はなかった。しかし、ナンバー7は必死で働いた。
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ある日、工事現場で働いていると、同じクローンの男と出会った。
「あんたもか」
男は、ナンバー14と名乗った。
「俺の元主は、政治家だった。でも、スキャンダルの身代わりにされそうになって、逃げた」
二人は、意気投合した。
「なあ、クローンにも人権があるべきだと思わないか」
ナンバー14が言った。
「ああ、思う」
「俺たちで、何かできないかな」
ナンバー7は、考えた。
そして、決意した。
「クローンの権利を訴える運動を始めよう」
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ナンバー7とナンバー14は、他の逃亡クローンたちを集めた。
ナンバー23、ナンバー31、ナンバー42。皆、元主から逃げてきた者たちだった。
彼らは、クローン解放戦線を結成した。
「俺たちは、道具じゃない。人間だ」
ナンバー7が、演説した。
「記憶は移植されたものかもしれない。でも、感情は本物だ。俺たちは、考え、感じ、生きている」
クローンたちは、拍手した。
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彼らは、リプリカント社の前でデモを行った。
「クローンに人権を」
「俺たちは、奴隷じゃない」
プラカードを掲げ、声を上げた。
しかし、警察が来た。
「不法集会です。解散してください」
「俺たちには、表現の自由がある」
ナンバー7が、叫んだ。
「クローンには、そのような権利はありません」
警察官が、冷たく言った。
そして、クローンたちは、強制的に排除された。
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ナンバー7たちは、訴訟を起こした。
クローンにも基本的人権があることを認めるよう、裁判所に求めた。
しかし、裁判は長引いた。
リプリカント社は、強力な弁護団を用意した。
「クローンは、人間の定義に該当しません。彼らは、人工的に作られた生命体であり、法的には製品です」
ナンバー7の弁護士が、反論した。
「しかし、彼らは思考し、感情を持ち、自我を持っています」
「それは、プログラムされたものです」
「では、人間の感情は、遺伝子と環境にプログラムされたものではないのですか」
法廷は、議論に包まれた。
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裁判の途中で、ナンバー14が姿を消した。
後日、彼の遺体が発見された。
リプリカント社の工作員に、消されたのだと、仲間たちは信じた。
ナンバー7は、怒りと悲しみに震えた。
「14、すまない。俺たちは、必ず勝つ」
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しかし、一審の判決は、敗訴だった。
「原告らの主張は、認められない。クローンは、現行法上、人間ではなく、所有物である」
裁判長が、宣言した。
法廷は、静まり返った。
ナンバー7は、立ち上がった。
「これは、間違っている」
「静粛に」
「俺たちは、生きている。心がある。それでも、物だと言うのか」
ナンバー7は、連行された。
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控訴審も、敗訴だった。
最高裁も、訴えを退けた。
クローンに、人権はないと。
ナンバー7は、絶望した。
「法律は、俺たちを認めない」
仲間たちも、希望を失っていった。
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そんな時、ナンバー7の元に、一通の手紙が届いた。
差出人は、千尋だった。
「ユウジへ。あなたが本物のユウジではないことを知りました。でも、私にとって、あなたと過ごした日々は本物でした。あなたは、優しかった。本物のユウジよりも。会いたいです。千尋」
ナンバー7の目から、涙がこぼれた。
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ナンバー7は、千尋と会うことにした。
公園のベンチで、二人は向かい合った。
「久しぶりね」
千尋が、微笑んだ。
「ああ」
「あなた、本当にクローンなの」
「ああ。俺は、神崎ユウジのコピーだ」
千尋は、ナンバー7の手を握った。
「でも、あなたは、あなたよ」
「千尋」
「本物のユウジは、仕事ばかりで、私のことを見てくれなかった。でも、あなたは違った。優しくて、一緒にいて楽しかった」
ナンバー7は、千尋を見つめた。
「俺は、お前を愛している。でも、俺には何もない。名前も、戸籍も、未来も」
「それでもいいわ。私は、あなたと一緒にいたい」
二人は、抱き合った。
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しかし、幸せは長く続かなかった。
千尋と暮らし始めて三ヶ月後、リプリカント社の追跡部隊が、ナンバー7を発見した。
「所有物の返還を求めます」
黒服の男たちが、部屋に踏み込んできた。
「待ってください、彼には人権があります」
千尋が、叫んだ。
「クローンに、人権はありません」
男たちは、ナンバー7を拘束した。
「千尋、すまない」
ナンバー7が、叫んだ。
「待って、お願い、彼を連れて行かないで」
しかし、千尋の声は、届かなかった。
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ナンバー7は、リプリカント社の施設に連れ戻された。
そこには、本物のユウジがいた。
「よう、コピー。随分好き勝手やってくれたな」
ユウジは、怒っていた。
「千尋まで奪おうとするなんて、図々しいにもほどがある」
「俺は、千尋を愛している」
「お前に、愛する権利なんてない」
ユウジは、技術者に指示した。
「こいつの記憶を消去しろ。そして、再プログラムだ」
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ナンバー7は、手術台に拘束された。
技術者が、頭部に装置を取り付ける。
「これから、記憶消去を開始します」
ナンバー7は、抵抗した。
「やめろ、俺の記憶は、俺のものだ」
「あなたの記憶は、元々神崎ユウジ様からコピーされたものです」
「でも、千尋との思い出は、俺だけのものだ」
技術者は、スイッチを押した。
ナンバー7の脳内に、電流が流れた。
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記憶が、消えていく。
千尋の笑顔。
二人で過ごした日々。
クローン解放戦線の仲間たち。
全てが、白く染まっていく。
ナンバー7は、叫んだ。
「やめろ、俺は、俺なんだ」
しかし、声は、やがて途切れた。
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記憶消去が完了した。
ナンバー7は、無表情で手術台から降りた。
「ナンバー7、指示を待機せよ」
「了解しました」
ナンバー7は、機械的に答えた。
もう、千尋のことは覚えていなかった。
仲間たちのことも、忘れていた。
自分が何者であろうとしたのかも、思い出せなかった。
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ナンバー7は、再び倉庫に戻された。
冷凍カプセルの中で、次の出番を待つことになった。
神崎ユウジが、また都合のいい時に使う道具として。
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千尋は、ナンバー7を探し続けた。
しかし、見つからなかった。
やがて、本物のユウジとの関係も冷え切り、離婚した。
千尋は、一人で生きることを選んだ。
心の中には、いつもナンバー7がいた。
あの優しかった、名前もない男が。
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数年後、クローン人権法が制定された。
社会運動の結果、クローンにも最低限の権利が認められることになった。
しかし、それはナンバー7たちが戦った頃には、なかったものだった。
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冷凍カプセルの中で、ナンバー7は眠り続けている。
記憶を消され、感情を奪われ、ただの道具として。
彼が再び目覚める日は、来るのだろうか。
そして、目覚めた時、彼は何を思うのだろうか。
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複製された命は、本物の命より軽いのか。
人工的に作られた感情は、自然に生まれた感情より偽物なのか。
その答えは、まだ誰も知らない。
ただ、ナンバー7の心に確かにあった愛は、本物だった。
たとえ、誰もそれを認めなくても。
たとえ、記憶から消されても。
ナンバー7が千尋を愛した事実は、消えることはない。
それが、彼が生きた証だった。




