【青春群像劇】青春の奏
春、桜が咲く四月。
一ノ瀬律は、新しい制服に袖を通した。十五歳。今日から高校生だ。
入学式を終え、律はパンフレットを眺めていた。部活動紹介のページ。
だが、探していた部活がなかった。
吹奏楽部。
律は中学時代、吹奏楽部でトランペットを吹いていた。高校でも続けるつもりだった。
だが、この高校には吹奏楽部がない。
「困ったな」
律は溜息をついた。
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その時、後ろから声がかけられた。
「ねえ、あなたも吹奏楽部探してる?」
振り返ると、明るい笑顔の女の子がいた。ショートカットの髪、大きな瞳。
「五条葵。よろしく」
「一ノ瀬律。よろしく」
葵は、律の隣に座った。
「私もね、吹奏楽部がないから困ってたの。中学でクラリネット吹いてて」
「俺はトランペット」
「じゃあ、同じ吹奏楽経験者だね」
葵は嬉しそうに笑った。
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昼休み、律と葵は校内を歩いていた。
すると、音楽室から音が聞こえてきた。
フルートの音。
二人は、そっとドアを開けた。
そこには、一人の女の子がフルートを吹いていた。長い黒髪、整った顔立ち。
曲が終わると、女の子は二人に気づいた。
「あ、ごめんなさい。勝手に使っちゃって」
「いや、いいよ。すごく上手だった」
律が言うと、女の子は照れくさそうに笑った。
「二宮栞。一年です」
「一ノ瀬律」
「五条葵」
栞も、吹奏楽部を探していた。だが、ないことを知ってがっかりしていたという。
「だったら、作ろうよ」
葵が言った。
「え」
「吹奏楽部、私たちで作ろう」
律と栞は顔を見合わせた。
「でも、三人じゃ部として認められないよ」
律が言った。
「五人必要なんだよね、確か」
「じゃあ、あと二人見つければいい」
葵は楽観的だった。
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次の日、三人は部員募集のポスターを作った。
だが、反応は薄かった。
一週間経っても、誰も来なかった。
「やっぱり、無理かな」
栞が不安そうに言った。
その時、音楽室のドアが開いた。
入ってきたのは、大柄な男子生徒だった。坊主頭、厳つい顔。
「あの、ここが吹奏楽部ですか」
「まだ正式な部じゃないけど、作ろうとしてる」
律が答えた。
「俺、六波羅奏。一年。サックス吹きたいです」
奏は、意外にも優しい声だった。
「よろしく」
三人は、思わず笑顔になった。
これで、四人。
「あと一人だね」
葵が言った。
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それから三日後、またドアが開いた。
入ってきたのは、小柄な女の子だった。眼鏡をかけ、おどおどした様子。
「あの、吹奏楽部、まだ募集してますか」
「してる、してる」
葵が嬉しそうに答えた。
「私、三条楓。一年です。楽器は、パーカッションやってました」
「パーカッション、いいね。ぜひ来てほしい」
律が言った。
楓は、照れくさそうに笑った。
「よろしくお願いします」
これで、五人。
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五人が揃ったところで、音楽の先生が現れた。
「君たち、吹奏楽部作るんだって?」
「はい」
「私が顧問になるわ」
先生は、十条美波という若い女性教師だった。
「ありがとうございます」
五人は、喜んだ。
「でも、吹奏楽は詳しくないから、技術的なことは自分たちで勉強してね。私はサポートするから」
「わかりました」
これで、吹奏楽部が正式に発足した。
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だが、現実は厳しかった。
五人では、まともな演奏ができない。楽器も足りない。予算もない。
「とりあえず、できることからやろう」
律が提案した。
五人は、毎日練習した。
律のトランペット、葵のクラリネット、栞のフルート、奏のサックス、楓のパーカッション。
最初は、バラバラだった。音が合わない。リズムもずれる。
だが、少しずつ上手くなっていった。
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夏になった。
五人は、文化祭で演奏することを決めた。
曲は、「見上げてごらん夜の星を」。五重奏用にアレンジした。
練習は、毎日放課後。
時には、夜遅くまで。
だが、楽しかった。
五人で一つの曲を作り上げる喜び。音が重なり合う瞬間の感動。
「もっと上手くなりたい」
全員が、そう思っていた。
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文化祭当日。
体育館のステージに、五人が立った。
観客は、それほど多くなかった。
だが、五人は全力で演奏した。
トランペットの高音、クラリネットの柔らかい音色、フルートの透明な響き、サックスの温かい音、パーカッションの刻むリズム。
五つの音が、一つになった。
演奏が終わると、拍手が起きた。
五人は、やり遂げた達成感に満たされた。
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文化祭の後、部員が増えた。
一年生が四人、二年生が三人。
合計十二人になった。
吹奏楽部は、少しずつ形になっていった。
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冬、律たち一年生は、コンクールに出ることを決めた。
「無理だよ。まだ早い」
二年生の先輩が言った。
「でも、挑戦したい」
律は譲らなかった。
十条先生も、背中を押してくれた。
「やってみなさい。失敗しても、それが経験になるから」
律たちは、コンクールに向けて猛練習を始めた。
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一年目の夏、地区大会。
曲は、「春の猟犬」。
十二人での演奏。まだまだ小編成だった。
何度も失敗した。何度も挫けそうになった。
だが、全員が諦めなかった。
葵は、明るさで場を和ませた。
栞は、細かい部分を丁寧に指摘した。
奏は、黙々と練習を続けた。
楓は、リズムを正確に刻んだ。
律は、全体をまとめた。
五人は、それぞれの役割を果たしていた。
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地区大会当日。
会場は、中規模のホールだった。
他の学校は、三十人、四十人という大編成だった。
律たちの学校は、十二人。圧倒的に少ない。
「緊張する」
葵が言った。
「大丈夫。俺たちらしくやろう」
律が答えた。
ステージに上がる。
指揮は、律が取った。
演奏が始まった。
だが、途中でミスが出た。葵が音を外した。
それでも、演奏は続いた。
最後まで、全員が必死に吹いた。
演奏が終わった。
拍手。
だが、結果は銅賞だった。府県大会には進めなかった。
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帰りのバスで、みんな落ち込んでいた。
「ごめん、私がミスして」
葵が謝った。
「誰のせいでもないよ。みんな頑張った」
栞が慰めた。
「次は、もっと上手くなろう」
律が前を向いた。
奏は、黙って頷いた。
楓は、小さく「来年、頑張ろうね」と呟いた。
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二年生になった。
部員はさらに増えた。二十人。
後輩たちも、熱心に練習していた。
律たちは、去年の悔しさを胸に、さらに練習に打ち込んだ。
夏のコンクール。地区大会。
今度は、「アルメニアン・ダンス」の一部に挑戦した。
練習は、厳しかった。
だが、部員全員が一丸となっていた。
地区大会当日、律たちは精一杯の演奏を披露した。
結果は、金賞。そして、府県大会進出。
去年よりも、一歩前進した。
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府県大会。
より大きなホール。より強豪の学校。
律たちは緊張していたが、練習してきたことを信じて演奏した。
結果は、銅賞。支部大会には進めなかった。
だが、全員が満足していた。
「府県大会まで来られた」
葵が言った。
「うん、すごいよね」
栞も笑った。
「次は、もっと、もっと」
律が言った。
全員が、頷いた。
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三年生。
律たちの最後の年。
部員は三十人を超えていた。
もう、小さな吹奏楽部ではなくなっていた。
「今年こそ、全国を目指そう」
全員が、同じ目標を持っていた。
曲は、「交響詩『ローマの祭り』から チルチェンセス」。
難曲。
だが、律たちには自信があった。
三年間の積み重ねがあった。
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夏休みは、毎日朝から夕方まで練習した。
厳しい練習。
だが、誰も文句を言わなかった。
全員が、全国を目指していた。
葵は、三年間でクラリネットの腕を大きく上げた。
栞は、フルートのソロパートを完璧にこなせるようになった。
奏は、サックスの重厚な音で全体を支えていた。
楓は、パーカッションで曲全体に彩りを加えていた。
律は、トランペットで曲を導いていた。
五人は、もう完璧なチームだった。
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地区大会。
三年目の地区大会。
律たちは、自信を持って演奏した。
結果は、金賞。そして、府県大会進出。
全員が喜んだ。
「やった」
葵が飛び跳ねた。
「次は府県大会だ」
律が言った。
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府県大会。
今年は違った。
律たちは、完璧な演奏をした。
結果は、金賞。そして、支部大会進出。
初めての支部大会。
全員が、興奮していた。
「ついに支部まで来た」
栞が感激していた。
「でも、ここからが本当の勝負だ」
律が引き締めた。
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支部大会までの二週間。
さらに練習を重ねた。
細かい部分を磨き上げた。
全員が、全国を目指していた。
支部大会前日。
律たちは、最後の練習をしていた。
その時、十条先生が言った。
「みんな、よく頑張ったわ。結果がどうであれ、私は誇りに思う」
先生の言葉に、全員が胸を熱くした。
「明日、全力でやろう」
律が言った。
全員が、頷いた。
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支部大会当日。
会場は、大ホール。満員だった。
律たちは、緊張していた。
だが、同時に、ワクワクもしていた。
三年間の集大成。
ステージに上がる。
指揮台に立つ律。
全員と目を合わせる。
そして、演奏が始まった。
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最初の音が響いた瞬間、全員が一つになった。
トランペットの鋭い音、クラリネットの滑らかな音色、フルートの澄んだ響き、サックスの力強い音、パーカッションの正確なリズム。
全ての楽器が、完璧に調和していた。
曲は進んでいく。
難しいパートも、全員がクリアした。
ソロパートも、完璧だった。
そして、クライマックス。
全員が、全力で演奏した。
音が、会場を満たした。
そして、最後の音。
静寂。
次の瞬間、拍手が鳴り響いた。
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演奏を終えた律たちは、達成感に包まれていた。
「やり切った」
葵が言った。
「うん」
全員が、笑顔だった。
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結果発表。
律たちは、息を呑んで待った。
「銀賞、○○高等学校吹奏楽部」
銀賞だった。
金賞ではなかった。全国大会には進めなかった。
一瞬、静まり返った。
だが、次の瞬間、全員が笑った。
「全国行けなかったね」
葵が言った。
「支部で銀賞だよ。十分すぎるよ」
栞は泣いていた。
奏は、静かに頷いた。
楓は、静かに涙を流していた。
律は、みんなを見回した。
「ありがとう。三年間、本当に楽しかった」
全員が、涙を流していた。
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引退式。
三年生が、後輩たちに楽器を渡す。
律は、一年生の後輩にトランペットを渡した。
「これから、よろしく頼むよ」
「はい」
後輩は、緊張した顔で受け取った。
葵、栞、奏、楓も、それぞれ後輩に楽器を渡した。
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引退後、五人は屋上に集まった。
「三年間、あっという間だったね」
葵が言った。
「でも、濃い三年間だった」
栞が答えた。
「またいつか、五人で演奏したいな」
律が言った。
「いいね。絶対やろう」
全員が賛成した。
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卒業式。
律たちは、それぞれの道に進むことになった。
律は、音楽大学に進学する。
葵は、教育大学に進む。将来、音楽教師になりたいという。
栞は、普通の大学に進むが、趣味で音楽を続けるつもりだ。
奏は、就職する。だが、社会人吹奏楽団に入る予定だ。
楓は、音楽の専門学校に進む。
五人は、離れ離れになる。
だが、音楽でつながっている。
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卒業式の後、五人は音楽室に行った。
そこには、後輩たちが練習していた。
もう、四十人を超える部員がいた。
「すごいね。こんなに大きくなって」
葵が嬉しそうに言った。
「私たちが作った部活が、ちゃんと続いてる」
栞も感慨深げだった。
奏は、黙って後輩たちを見守っていた。
楓は、後輩たちに手を振っていた。
律は、窓の外を見た。
春の青空。桜が咲いている。
三年前と同じ景色。
だが、何もかもが変わっていた。
「行こうか」
律が言った。
五人は、音楽室を後にした。
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校門を出る時、振り返った。
校舎から、音楽が聞こえてきた。
後輩たちの演奏。
まだ不完全だけど、一生懸命な音。
「頑張ってね」
葵が、小さく呟いた。
五人は、笑顔で校門を出た。
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十年後。
律は、プロの演奏家になっていた。
葵は、高校の音楽教師になっていた。
栞は、会社員をしながら、週末に趣味で演奏していた。
奏は、社会人吹奏楽団で活躍していた。
楓は、音楽スタジオで働いていた。
五人は、年に一度、集まっていた。
そして、五重奏を演奏する。
あの頃と同じように。
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ある日、律たちの母校から連絡が来た。
吹奏楽部が、全国大会で金賞を取ったという。
五人は、すぐに母校に駆けつけた。
音楽室には、後輩たちが集まっていた。
「おめでとう」
律が言った。
「ありがとうございます。先輩たちのおかげです」
後輩たちが答えた。
「私たちは、支部で銀賞までしか取れなかったけどね」
葵が笑った。
「でも、先輩たちが作ってくれたから、私たちがここにいるんです」
後輩の言葉に、五人は胸が熱くなった。
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その日、五人は体育館で演奏した。
後輩たちも一緒に。
四十人を超える大編成。
曲は、「春の猟犬」。
律たちが、一年生の時に地区大会で演奏した曲。
あの時は、十二人だった。
今は、四十人以上。
音の厚みが違う。
だが、あの時の熱い想いは、変わらない。
演奏が終わった。
全員が、笑顔だった。
「音楽って、いいね」
葵が言った。
「うん」
全員が頷いた。
五人で始めた吹奏楽部。
今では、学校の誇りになっていた。
そして、これからも続いていく。
新しい仲間たちと共に。
音楽を愛する心と共に。
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律は、夜空を見上げた。
星が、綺麗に輝いていた。
三年間の青春。
全国大会には行けなかった。
支部大会で銀賞止まりだった。
だが、得たものは、金賞以上に大きかった。
仲間。絆。音楽への愛。
それは、一生の宝物だった。
「ありがとう、みんな」
律は、心の中で呟いた。
そして、笑顔になった。
五人で奏でた青春は、永遠に心に残り続ける。
(完)




