【歴史SF】関ヶ原、千の結末
慶長五年九月十五日、関ヶ原。
歴史上最大の合戦が行われようとしていた。東軍徳川家康と西軍石田三成、天下の命運を賭けた戦い。
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十文字隼人は、東軍の一兵卒だった。二十三歳。百姓の出だが、戦の才があり、徳川家の軍に加わっていた。
夜明け前、隼人は陣営で目を覚ました。
霧が深かった。視界が悪い。だが、それは関ヶ原ではよくあることだった。
隼人は鎧を身につけ、槍を手に取った。今日、全てが決まる。
その時、奇妙なことに気づいた。
空が、二つに割れていた。
いや、割れているわけではない。だが、空の色が半分ずつ違っている。東側は赤く染まり、西側は青い。
不吉だ。
隼人は、そう感じた。
そして、次の瞬間、世界が揺れた。
地震ではない。空間そのものが揺れた。視界が歪み、音が途切れる。
隼人は地面に膝をついた。
揺れが止むと、周りの様子が変わっていた。
いや、変わっていないようにも見える。だが、何かが違う。
陣営の配置が微妙にずれている。旗の位置が違う。隣にいたはずの仲間が、別の場所にいる。
「どうした、隼人」
声をかけられて振り向くと、見知らぬ顔があった。
「お前は誰だ」
「何を言っている。俺だ、源三郎だ」
男は不思議そうな顔をした。だが、隼人は源三郎という仲間を知らなかった。
混乱していると、遠くで鬨の声が上がった。
戦が始まった。
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隼人は槍を構えて戦場に向かった。
だが、戦の様子がおかしかった。
敵軍の旗が、時折別の家紋に変わる。一瞬、石田家の旗が見えたかと思うと、次の瞬間には小早川家の旗になっている。
そして、味方のはずの兵が突然敵として襲いかかってくる。
「何が起きている」
隼人は混乱した。
周りの兵たちも同様だった。誰が味方で、誰が敵なのか、わからなくなっていた。
その時、再び空間が揺れた。
隼人の視界が分裂した。
自分が二つの場所に同時にいる。一つは東軍の陣営、もう一つは西軍の陣営。
両方が同時に見える。両方が同じように現実だった。
隼人は理解した。
時間が分岐している。
関ヶ原の戦いが、無数の可能性に分かれて同時に起きている。
ある可能性では東軍が勝つ。ある可能性では西軍が勝つ。ある可能性では小早川秀秋が裏切る。ある可能性では裏切らない。
全ての可能性が、同時に存在している。
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隼人は、複数の自分を感じた。
ある自分は東軍として戦っている。ある自分は西軍として戦っている。ある自分は既に死んでいる。ある自分は生き残っている。
全てが同時に起きていた。
戦場は、混沌と化していた。
兵たちは、複数の現実の中で戦っていた。敵だったはずの相手が味方になり、味方だったはずの相手が敵になる。
死んだはずの兵が蘇り、生きているはずの兵が消える。
関ヶ原は、無数の戦場が重なり合った、狂気の空間になっていた。
そして、隼人は見た。
徳川家康が、無数にいた。
一人の家康は采配を振るい、一人の家康は討ち取られ、一人の家康は逃走している。
石田三成も同じだった。無数の三成が、それぞれ異なる運命を辿っている。
歴史が、砕け散っていた。
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隼人は、ある可能性の中で、一人の武将と対峙した。
相手は五十代の男だった。立派な鎧を身につけ、刀を構えている。
「お前は」
男が口を開いた。
「俺だ、隼人」
隼人は驚いた。その声は、自分の声だった。
目の前の武将は、未来の自分だった。
「ありえない」
「ありえることだ。俺はお前が生き延びた先の姿だ。関ヶ原で手柄を立て、武将になった」
未来の隼人は言った。
「だが、それは一つの可能性に過ぎない。今、無数の可能性が同時に存在している」
「なぜこんなことに」
「わからない。だが、関ヶ原のこの日、この場所で、時間が壊れた。過去と未来、あらゆる選択が一度に起きている」
未来の隼人は刀を下ろした。
「お前に警告する。このまま戦えば、全ての可能性が消滅する」
「どういうことだ」
「矛盾が積み重なれば、時間そのものが崩壊する。そうなれば、関ヶ原だけでなく、過去も未来も全て消える」
隼人は息を呑んだ。
「では、どうすればいい」
「一つの可能性を選べ。そして、他の全てを捨てろ」
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隼人は、無数の自分と出会った。
農民として生きる自分。武将として名を成す自分。戦で死ぬ自分。関ヶ原から逃げ出す自分。
全ての可能性が、目の前にあった。
そして、隼人は選択を迫られた。
どの可能性を選ぶのか。
だが、隼人にはわからなかった。どれが正しい選択なのか。どれが本当の自分なのか。
その時、一人の老人が現れた。
白髪の老人。だが、その目は鋭く、隼人を見据えていた。
「お前が選ばなくても、時は選ぶ」
老人が言った。
「時間は、最も強い意志を持つ者を選ぶ。お前が何を望むのか、それが全てだ」
「俺は」
隼人は、自分の心を見つめた。
何を望んでいるのか。
生き延びたいのか。名を成したいのか。平穏に暮らしたいのか。
そして、隼人は気づいた。
自分が本当に望んでいたのは、ただ一つだった。
家に帰ること。
隼人には、故郷に残してきた家族がいた。年老いた母と、幼い妹。戦が終わったら、必ず帰ると約束していた。
それ以外のことは、どうでもよかった。
武将になることも、手柄を立てることも、歴史に名を残すことも。
ただ、家に帰りたい。
それだけだった。
「決まったか」
老人が微笑んだ。
「ならば、行け」
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空間が再び揺れた。
だが、今度は違った。揺れが収束していく。無数の可能性が一つに絞られていく。
隼人の視界から、他の自分たちが消えていった。
武将になった自分。戦死した自分。逃走した自分。
全てが消え、一つの隼人だけが残った。
気がつくと、隼人は戦場の端にいた。
戦はまだ続いていた。だが、もう混沌ではなかった。明確な東軍と西軍に分かれ、正常な戦が行われていた。
隼人は、静かにその場を離れた。
誰も気づかなかった。一人の兵卒が戦場を去っても、歴史は変わらない。
隼人は、故郷へ向かって歩き始めた。
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その後、歴史書が記録する通り、関ヶ原の戦いは東軍の勝利に終わった。
小早川秀秋の裏切りにより、西軍は崩壊した。石田三成は捕らえられ、処刑された。徳川家康は天下を手中に収めた。
だが、その日関ヶ原で何が起きたのか、真実を知る者はいなかった。
時間が分裂し、無数の可能性が同時に存在した、あの異常な一日。
それは、歴史から消された。
いや、消えたのではない。
無数の可能性の中から、一つだけが選ばれた。それが、今の歴史だった。
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隼人が故郷に辿り着いたのは、それから三カ月後だった。
母は生きていた。妹も元気だった。
「隼人、よく帰ってきた」
母は涙を流して隼人を抱きしめた。
隼人は、戦のことを話さなかった。関ヶ原で何が起きたのか、誰にも言わなかった。
ただ、平穏な日々を過ごした。
畑を耕し、米を育て、家族と共に暮らした。
それで十分だった。
だが、時折、隼人は夢を見た。
別の可能性の自分たちの夢。
武将になった自分。戦死した自分。逃走した自分。
彼らは、今どこにいるのか。
消えたのか。それとも、別の世界で生きているのか。
答えはわからなかった。
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それから数十年後、隼人は老人になっていた。
母は既に亡くなり、妹は嫁いでいた。隼人は一人、小さな家で暮らしていた。
ある日、隼人の前に、あの老人が現れた。
関ヶ原で会った、白髪の老人。
「久しぶりだな、隼人」
老人は変わっていなかった。歳を取った様子もない。
「お前は、一体」
「時の番人だ」
老人は答えた。
「時間が壊れそうになった時、俺が修復する。関ヶ原のあの日も、そうだった」
「では、あの分裂は」
「自然に起きたことだ。歴史の転換点では、時折こういうことが起きる。無数の可能性が一度に顕在化する」
老人は続けた。
「だが、最終的には一つに収束する。誰かが選択を下し、一つの歴史が確定する」
「俺が選んだのか」
「そうだ。お前が家に帰ることを選んだ。それが、この歴史を確定させた」
隼人は沈黙した。
「他の可能性は、どうなった」
「消えた。いや、正確には別の次元に分岐した。並行世界として存在している」
老人は空を見上げた。
「無数の関ヶ原が、無数の世界で起きている。ある世界では西軍が勝ち、ある世界では戦そのものが起きなかった。全ての可能性が、どこかで現実になっている」
「では、俺は」
「お前はこの世界を選んだ。それだけだ」
老人は微笑んだ。
「後悔しているか」
隼人は首を振った。
「いいや。俺はこの選択で満足している」
「ならば、それでいい」
老人は消えようとした。
「待て、教えてくれ。なぜ関ヶ原だったんだ。なぜあの日、時間が壊れた」
老人は振り返った。
「関ヶ原は、日本の歴史が大きく変わる瞬間だった。無数の選択が集まり、一つの結果を生み出す。そういう場所では、時間の流れが不安定になる」
「また起きるのか」
「いつかはな。歴史の転換点では、必ず起きる」
老人は完全に姿を消した。
隼人は、一人残された。
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その夜、隼人は再び夢を見た。
無数の自分たちが、無数の世界で生きている。
武将になった自分は、大名として領地を治めている。
戦死した自分は、英霊として祀られている。
逃走した自分は、別の土地で新しい人生を始めている。
全ての可能性が、どこかで実現している。
そして、隼人は理解した。
人生とは、選択の連続だ。
一つを選べば、他の全てを捨てることになる。だが、捨てた可能性は消えない。どこかで、別の自分が別の選択をしている。
それが、時間の本質だった。
隼人は、安らかに眠った。
自分の選択に、後悔はなかった。
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現代、関ヶ原古戦場。
観光客で賑わう史跡に、一人の男が立っていた。
氷見颯真、二十八歳。歴史研究者だった。
颯真は、関ヶ原の戦いについて研究していた。だが、どうしても説明できない矛盾があった。
当日の記録が、微妙に食い違っている。複数の資料で、同じ出来事が全く違う形で記録されている。
まるで、複数の戦が同時に起きていたかのように。
颯真は、その謎を解明しようとしていた。
その時、颯真の視界が揺れた。
一瞬、戦場の光景が見えた。霧の中、無数の兵が戦っている。そして、その兵たちが分裂している。
幻覚だ。
颯真はそう思った。だが、妙にリアルだった。
そして、颯真の耳に声が聞こえた。
「歴史は、一つではない」
振り返ると、白髪の老人が立っていた。
「お前は誰だ」
老人は微笑んだ。
「関ヶ原では、無数の可能性が同時に存在した。その痕跡が、今も残っている」
「何を言っている」
「いつか、お前も理解する。時間とは、選択の積み重ねだ。そして、選ばれなかった可能性も、どこかで生きている」
老人は消えた。
颯真は、呆然と立ち尽くした。
だが、不思議と、何かが腑に落ちた気がした。
関ヶ原の矛盾。それは、矛盾ではなかったのかもしれない。
無数の可能性が、一つに収束する過程で、その痕跡が歴史に刻まれた。
それが、真実なのかもしれない。
颯真は、研究を続けることにした。
歴史の裏に隠された、もう一つの真実を探すために。
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関ヶ原の地下深く、時間の裂け目が眠っている。
それは、かつて無数の可能性が衝突した痕跡だった。
今も、その裂け目から、別の世界の声が聞こえる。
別の選択をした人々の、別の人生の記憶。
それは、消えることなく、永遠に残り続ける。
歴史とは、そういうものだった。
一つの結果の裏に、無数の可能性が隠されている。
そして、いつの日か、その可能性が再び顕在化するかもしれない。
時間が、再び分裂する日が来るかもしれない。
その時、人々は選択を迫られる。
どの可能性を選ぶのか。
それは、誰にもわからない。
だが、一つだけ確かなことがある。
選択は、常に自分自身が下す。
他の誰でもない、自分が。
それが、時間を生きるということだった。




