【SF奇譚】代行サービス
「人生代行サービス」の広告を見つけたのは、会社を辞めた翌日だった。
三十五年間、真面目に働いてきた。でも何も残らなかった。結婚もせず、趣味もなく、友人もいない。ただ働いて、家に帰って寝るだけの人生。
広告にはこう書いてあった。
『疲れたあなたに代わって、私たちがあなたの人生を生きます』
最初は冗談だと思った。しかしサイトを開くと、詳細なサービス内容が並んでいた。
・日常生活代行:月額3万円
・仕事代行:月額10万円
・人間関係代行:月額5万円
・趣味・娯楽代行:月額8万円
・フルパッケージ:月額20万円(全ての代行込み)
レビュー欄には絶賛の声が並んでいる。
「代行を頼んでから人生が楽になった」
「面倒なことを全て任せられて最高」
「自分の時間が持てるようになった」
僕は「日常生活代行」を申し込んだ。
翌日、担当者が来た。三十代くらいの男性で、名前は高橋と言った。
「これから毎日、あなたの代わりに買い物、掃除、洗濯などを行います。あなたは何もしなくて大丈夫です」
「でも、僕の代わりにどうやって...」
高橋は不思議なベルトのようなデバイスを取り出した。
「これを装着すると、私があなたの外見と声を完全にコピーできます。周りの人には、私があなたにしか見えません」
「そんなことが可能なんですか?」
「最新の擬態技術です。ご安心ください」
その日から、高橋が僕の代わりに外出するようになった。スーパーでの買い物、銀行での手続き、役所への届け出。全て彼がやってくれた。
僕は家で寝ているだけでよかった。
楽だった。
一ヶ月後、僕は「仕事代行」も追加契約した。
再就職先が決まったのだが、面接も初出勤も高橋が代わりに行ってくれた。会社の人たちは、高橋のことを僕だと思って接している。
「今日も仕事お疲れ様でした」
と帰宅した高橋が報告する。
「上司の評価は上々ですよ」
給料も振り込まれる。僕は何もしていないのに。
「人間関係代行」も契約した。
合コンに行ってくれる。同窓会に出席してくれる。親戚の集まりにも顔を出してくれる。
「今日の合コン、いい感じの女性がいましたよ」と高橋が報告した。
「次のデートも約束しておきました」
「デート? でも、それ君が行くんでしょ?」
「ええ。でも周りからはあなたがモテていることになります」
確かに、SNSには僕が楽しそうに過ごしている写真が次々とアップされていた。全部高橋が撮ったものだ。友人たちから「最近充実してるね」とメッセージが来る。
僕は家でゲームをしているだけなのに。
半年後、僕は「フルパッケージ」にアップグレードした。
趣味も娯楽も、全て高橋に任せた。彼がジムに通い、僕の体を鍛える。彼が楽器を習い、僕のスキルを上げる。彼が旅行に行き、僕の経験値を増やす。
家には高橋が撮った写真が飾られている。山登り、海外旅行、ライブハウス。全て「僕」が体験したことになっている。
でも実際に体験したのは高橋だ。
僕は何も感じていない。
ある日、高橋が嬉しそうに報告してきた。
「彼女ができました。いえ、あなたに、です」
「え?」
「三ヶ月前の合コンで出会った女性と、正式に付き合うことになりました」
画面には、綺麗な女性と腕を組む「僕」の写真が映っていた。いや、高橋だ。
「彼女、とてもいい人ですよ。来週、両親に紹介することになりました」
「ちょっと待って。それは...」
「大丈夫です。私が全て対応します」
一年後、結婚式が行われた。
僕は二階の自室にいた。画面越しに、式の様子を見ていた。
新郎の席には「僕」がいた。いや、高橋だ。花嫁は幸せそうに微笑んでいる。友人たちが祝福している。両親が涙を流している。
「おめでとうございます」
と部屋に残っていた別のスタッフが言った。
「本日からは『家族生活代行』も含まれます。追加料金なしで対応させていただきます」
新婚旅行も、高橋が行った。新居への引っ越しも、高橋がやった。
妻と暮らし始めたのも、高橋だ。
僕は元のアパートで、一人で過ごしている。
月一回、高橋から報告が来る。
「奥様は料理が上手です」
「今度親戚の集まりがあります」
「子供ができるかもしれません」
子供?
一年半後、本当に子供が生まれた。男の子だ。
画面越しに、高橋が赤ん坊を抱いている姿を見た。妻が隣で幸せそうに笑っている。
「いい子ですよ」
と高橋が言った。
「目があなたに似てます」
「俺に?」
「ええ、私があなたの姿をしていた時の、です」
おかしな話だった。高橋と妻の間に生まれた子なのに、僕の子として育てられる。
「会いたいですか?」
と高橋が聞いた。
僕は首を振った。
「いや...もういい」
何がもういいのか、自分でも分からなかった。
それから三年。
高橋からの報告は続いている。
子供が保育園に入った。家を買った。昇進した。幸せな家族の写真が送られてくる。
僕の両親は、高橋のことを息子だと思っている。妻は、高橋のことを夫だと思っている。子供は、高橋のことを父親だと思っている。
友人たちも、会社の同僚も、皆そうだ。
「僕」の人生は充実している。
でも、それを生きているのは僕じゃない。
ある日、高橋から連絡があった。
「お話があります」
久しぶりに直接会った。高橋は前より老けていた。いや、僕と同じように年を取っていた。
「実は、契約の更新についてご相談があります」
「更新?」
「ええ。私もそろそろ引退の時期でして。後任を紹介したいのですが」
「後任...」
「それとも」
高橋は真剣な顔で言った。
「逆のサービスはいかがですか?」
「逆?」
「私があなたの人生を完全に引き継ぎます。そして、あなたが私の人生を生きるんです」
「それは...」
「私の人生は寂しいですよ。独身で、友人もいなくて、ただ人の代わりを演じるだけ。でも、少なくとも人と関わっています」
高橋は微笑んだ。
「あなたの今の人生より、マシかもしれません」
僕は言葉を失った。
「冗談です」
高橋は立ち上がった。
「でも、考えてみてください。あなたの人生を生きているのは誰なのか」
その夜、僕は鏡を見た。
そこに映っているのは誰だ?
僕か? それとも、僕のふりをした誰かか?
翌朝、決心した。契約を解除しよう。自分の人生を取り戻そう。
電話をかけた。しかし、出たのは知らない女性の声だった。
「『人生代行サービス』です」
「契約を解除したいんですが」
「お名前をお願いします」
「山本です。山本大介」
キーボードを叩く音がして、女性が言った。
「申し訳ございません。その名前のお客様は登録されておりません」
「いや、確かに契約してます!」
「少々お待ちください...ああ、山本様でしたら、代行者側でご登録がございますが」
「代行者?」
「はい。あなたが誰かの代わりを務めている、という記録です」
電話を落とした。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
ドアを開けると、自分とそっくりな男が立っていた。
「はじめまして」
と男は言った。
「僕が本物の山本大介です」
「何を...」
「あなたは五年前から、僕の代わりをしてくれていたんです。でも、もう十分休んだので、人生を返してもらいに来ました」
男が携帯を見せた。画面には契約書が映っていた。
確かに僕の署名がある。しかし日付は五年前だ。
「思い出してください」
と男が言った。
「あなたは元々、代行サービスのスタッフだったんです」
頭が混乱した。
でも、ふと思い出した。
研修を受けたこと。デバイスの使い方を教わったこと。初めての依頼主が、山本大介という男だったこと。
「じゃあ、俺は...」
「代行者です。そして今日で、契約は終了です」
男がベルトのようなデバイスを取り出した。
「これを外してください」
僕は腰のベルトに手をやった。いつからつけていたのか覚えていないベルト。
外した瞬間、鏡の中の自分の顔が変わった。
知らない男の顔。
これが、本当の僕?
「お疲れ様でした」
と山本大介が言った。
「よく演じてくれましたね」
彼は部屋に入り、荷物をまとめ始めた。僕の荷物を。いや、彼の荷物を。
「あなたはこれからどうするんですか?」
と僕は聞いた。
「僕の人生を生きますよ。妻と子供が待ってますから」
「それは...高橋が作った家族じゃ...」
「高橋?」
山本が笑った。
「高橋なんて人、いませんよ。全部あなたがやったんです」
脳が理解を拒否した。
「次の仕事、紹介しましょうか?」
と山本が言った。
「人生代行、悪くないでしょう? 他人の人生を生きるのは楽しいですよ。自分の人生より、ずっと」
僕は何も答えられなかった。
山本が出て行った後、空っぽの部屋に一人残された。
ポケットにスマホが入っていた。見知らぬ機種だ。
画面には通知が来ていた。
『新しい依頼が入りました。依頼主:佐藤健太。期間:5年。報酬:月額20万円』
指が震えた。
受諾ボタンに向かった。
だって、自分の人生なんて、何もないから。
他人の人生を生きる方が、ずっと楽だから。
評価いただけると嬉しいです。




