【コズミックホラー】彼らが食べ尽くした星
宇宙研究船「アルゴス」は、地球から三光年離れた宙域を航行していた。
乗組員は五名。船長の神名蒼太、副官の七海遥斗、科学官の久遠琴音、機関士の御子柴響、通信士の百瀬柚希。
彼らの任務は、居住可能な惑星の探査だった。
そして今、彼らは奇妙な信号を受信していた。
「これは、何のデータだ」
蒼太が尋ねた。
柚希はモニターを確認した。
「近くの恒星系から発信されています。ですが、内容が」
柚希は言葉を濁した。
「何だ、言え」
「生体信号です。それも、膨大な数の」
蒼太は眉をひそめた。
「座標を特定しろ」
「了解しました」
アルゴスは針路を変更した。
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三日後、彼らは目的の恒星系に到着した。
そこには、一つの惑星があった。
地球とよく似た惑星。青い海、緑の大陸。大気組成も地球に近い。
「理想的な居住惑星だ」
琴音が興奮した声を上げた。
だが、何かがおかしかった。
惑星の表面が、白く覆われている。雲ではない。何か別のものだ。
「拡大してくれ」
蒼太が命じた。
モニターに惑星の表面が映し出された。
そして、全員が息を呑んだ。
惑星全体が、白い毛玉のようなもので覆われていた。
無数の、フワフワした白い生物。
「これは」
琴音が震える声で言った。
「生物です。未知の生命体が、惑星全体を覆っています」
蒼太は決断した。
「着陸する。調査班を編成しろ」
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アルゴスは惑星に降下した。
着陸地点は、かつて都市だったと思われる場所だった。
だが、今は廃墟だった。建物は崩れ、道路は草木に覆われている。
そして、至る所に白い毛玉がいた。
蒼太、琴音、響の三名が船外に出た。
毛玉は彼らを見ても、逃げなかった。むしろ近寄ってきた。
「ピュイピュイ」
可愛らしい声で鳴く。
「何だ、これは」
響が一匹を拾い上げた。
軽くて、フワフワしていた。温かい。
「可愛いな」
響は思わず笑った。
だが、琴音は警戒していた。
「触らないで。何をされるかわからない」
「大丈夫だろう。こんなに可愛いのに」
響は毛玉を撫でた。毛玉は嬉しそうに鳴いた。
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彼らは都市の中を探索した。
だが、住民の姿はなかった。人間も、動物も、何もいない。
ただ、毛玉だけが無数にいた。
そして、ある建物の中で、彼らは発見した。
白骨化した死体。
人間のものだった。いや、この惑星の知的生命体のものだった。
死体は、毛玉に囲まれていた。
「これは」
琴音が死体を調べた。
「栄養失調で死んでいます。何も食べなかったようです」
「なぜだ」
「わかりません。ですが」
琴音は周りを見回した。
「この惑星には、食料がありません。植物も、動物も、全て消えています」
蒼太は気づいた。
「毛玉が食べたのか」
「いいえ、違います」
琴音は首を振った。
「毛玉は何も食べていません。私たちが持ち込んだ食料にも興味を示しません」
「では、なぜ」
その時、柚希から通信が入った。
「船長、大変です。衛星画像を解析しました。この惑星、五年前までは地球と同じような文明がありました」
「五年前」
「はい。ですが、五年前を境に、急速に文明が崩壊しています。そして、白い生物が爆発的に増殖しています」
蒼太は理解した。
「毛玉の侵略か」
「ですが、毛玉は攻撃していません。ただ、そこにいるだけです」
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その夜、アルゴス船内で会議が開かれた。
「毛玉は、直接的には何もしていない」
琴音が報告した。
「ですが、この惑星の住民は全滅しています。原因は、毛玉による精神的な影響だと考えられます」
「精神的な影響」
「はい。毛玉は、何らかの方法で知的生命体に幸福感を与えます。その結果、住民は労働意欲を失い、社会が崩壊した」
琴音は続けた。
「そして、食料生産が止まり、流通が途絶え、最終的に全員が餓死した。毛玉は、ただそこにいるだけで、文明を滅ぼしたんです」
沈黙が落ちた。
「では、毛玉は意図的に侵略したのか」
「わかりません。ですが」
琴音は一枚の写真を見せた。
それは、この惑星の住民が最期に撮ったと思われる写真だった。
住民たちは笑顔で、毛玉に囲まれていた。幸せそうな顔をしていた。
「彼らは、最期まで幸せだったんです」
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翌日、響が倒れた。
原因不明の高熱と幻覚。
「毛玉だ」
琴音が叫んだ。
「響が触った毛玉が原因です。毛玉は何らかの物質を分泌して、脳に作用します」
響は隔離された。だが、症状は悪化していった。
響は笑い続けていた。
「可愛い、こんなに可愛い生き物は見たことない。もっと、もっと撫でたい」
響の部屋には、いつの間にか毛玉が侵入していた。
壁を透過したのか、それとも別の方法で入ったのか。
毛玉は響のそばにいて、響は幸せそうに笑っていた。
「船を出すぞ」
蒼太が命じた。
だが、遅かった。
船内に、既に毛玉が侵入していた。
数十匹の毛玉が、船内を漂っていた。
「どこから入った」
遥斗が叫んだ。
だが、答えはなかった。
毛玉は、物理的な障壁を無視できるようだった。
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一週間後、アルゴスは漂流していた。
乗組員は全員、毛玉に囲まれて笑っていた。
誰も操縦していない。誰も任務を遂行していない。
ただ、毛玉と一緒にいるだけで幸せだった。
蒼太は、かすかに残った理性で理解した。
これは、侵略なのだ。
だが、誰も抵抗できない侵略。
なぜなら、侵略される側が幸せだから。
蒼太の意識は、ゆっくりと溶けていった。
そして、完全に毛玉の虜になった。
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それから百年後。
別の探査船が、この宙域を訪れた。
彼らは、アルゴスの残骸を発見した。
船内には、白骨化した乗組員と、無数の毛玉がいた。
「これは」
新しい探査船の船長が驚いた。
そして、毛玉の一匹が、新しい船に飛び移った。
「可愛い」
船長は思わず笑った。
毛玉を抱きしめた。
そして、侵略が始まった。
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地球では、誰も気づいていなかった。
毛玉が、侵略者だということに。
人々は、毛玉を愛していた。
癒されていた。
幸せだった。
だが、それは錯覚だった。
毛玉は、脳に作用する物質を分泌していた。その物質は、強烈な幸福感を与え、同時に生存本能を麻痺させる。
人々は、食事をすることも、働くことも、繁殖することも忘れていった。
ただ、毛玉と一緒にいるだけで満足していた。
そして、ゆっくりと死んでいった。
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御園生凪は、もう何も考えていなかった。
食事も取らなくなって一カ月。体重は激減し、顔色は悪くなっていた。
だが、本人は気づいていなかった。
ただ、幸せだった。
毛玉に囲まれて、笑っていた。
「ピュイピュイ」
毛玉が鳴く。
凪は、その声を聞きながら眠った。
そして、二度と目を覚まさなかった。
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三年後、地球の人口は半分になった。
五年後、十分の一になった。
十年後、人類は絶滅した。
だが、誰も苦しまなかった。
みんな、幸せだった。
最期まで、笑顔だった。
毛玉に囲まれて、幸福の中で死んでいった。
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それから千年後。
地球は、完全に毛玉の惑星になっていた。
人類の文明は跡形もなく消えていた。建物は崩壊し、道路は自然に還り、全てが緑に覆われていた。
そして、その上を無数の毛玉が漂っていた。
毛玉は、次の獲物を待っていた。
いつか、別の知的生命体がこの星を訪れることを。
そして、また侵略を始めることを。
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銀河の彼方、ある惑星の研究所。
科学者たちが、毛玉の生態を研究していた。
「これは、完璧な侵略兵器だ」
研究者の一人が言った。
「毛玉は、宿主を幸福にする。そして、宿主は自ら滅びる。抵抗されることなく、惑星を乗っ取れる」
「だが、誰が作ったんだ」
「わからない。だが、銀河中に広がっている。既に百以上の惑星が、毛玉に侵略されている」
研究者たちは、毛玉の起源を追った。
だが、わからなかった。
毛玉は、まるで自然に発生したかのように、銀河中に存在していた。
そして、ある研究者が、恐るべき仮説を立てた。
「もしかしたら、毛玉は兵器ではないのかもしれない」
「どういうことだ」
「毛玉は、宇宙の浄化システムなのかもしれない。知的生命体が一定以上発展すると、毛玉が現れる。そして、その文明を終わらせる」
「なぜそんなことを」
「宇宙のバランスを保つため。知的生命体が増えすぎないように」
その仮説が正しいかどうか、誰にもわからなかった。
だが、一つだけ確かなことがあった。
毛玉は、止められない。
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地球から三光年離れた宙域。
あの惑星には、まだ無数の毛玉が存在していた。
そして、新たな宇宙船が近づいてきていた。
別の文明の探査船。
乗組員たちは、惑星を発見して喜んでいた。
「居住可能な惑星を発見した」
「着陸しよう」
そして、彼らは降り立った。
白い毛玉が、彼らを出迎えた。
「なんて可愛い生き物だ」
乗組員の一人が、毛玉を抱き上げた。
毛玉は、嬉しそうに鳴いた。
「ピュイピュイ」
そして、また侵略が始まった。
新しい文明が、毛玉の虜になっていく。
彼らは気づかない。
自分たちが、幸福という名の死に向かって歩いていることに。
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宇宙は広い。
無数の星があり、無数の文明がある。
そして、無数の毛玉がいる。
毛玉は、今日も銀河のどこかで、新しい獲物を待っている。
可愛い姿で。
幸せを約束する笑顔で。
だが、その先にあるのは、滅亡だけだった。
知的生命体が、自らの幸福に溺れて滅びる。
それが、毛玉の侵略だった。
誰も抵抗できない。
なぜなら、抵抗する理由がないから。
幸せなのだから。
それ以上、何を望むのか。
毛玉は、そう囁く。
そして、文明は終わる。
笑顔のまま。
幸福のまま。
それが、彼らが食べ尽くした星の運命だった。
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遠い未来。
宇宙には、毛玉だけが残るかもしれない。
全ての知的生命体が滅び、全ての文明が崩壊した後。
毛玉だけが、永遠に漂い続ける。
次の獲物を待ちながら。
可愛い姿で。
無邪気な笑顔で。
だが、その本質は、宇宙で最も恐ろしい捕食者だった。
幸福という毒で、文明を滅ぼす存在。
それが、毛玉の真実だった。
そして、誰もそれに気づかない。
気づいた時には、既に手遅れだから。
毛玉は、今日も銀河のどこかで、フワフワと漂っている。
次の星を探して。
次の文明を見つけて。
そして、また幸せをもたらすために。
終わりという名の、幸せを。




