表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界は静かに壊れている【ショートショート集・短編集】  作者: 御影のたぬき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/83

【ディストピア】五つ星の呪縛

 朝九時、桜庭美羽は自分のレーティングをチェックした。


 スマートフォンの画面には、大きく「4.87」という数字が表示されている。その下には、過去二十四時間の変動グラフと、詳細な評価項目が並んでいた。


 外見:4.92

 性格:4.85

 知性:4.81

 社交性:4.90

 総合評価:4.87


 美羽は小さく溜息をついた。また下がった。昨日は4.89だったのに。


「おはよう、美羽」


 同僚の声に顔を上げると、営業部の藤崎奈美が笑顔で手を振っていた。美羽は反射的にスマートフォンで奈美のレーティングを確認する。


 4.62。


 美羽より低い。安心感が広がる。


「おはよう、奈美さん」


 美羽は完璧な笑顔を作った。この笑顔は鏡の前で何百回も練習したものだ。口角の上げ方、目の細め方、全てが計算されている。


 この社会では、全ての人間にレーティングが付けられていた。


 それが始まったのは十年前だった。SNSの普及により、人々は互いを評価し合うようになった。最初は単純な「いいね」だった。やがてそれは星の数になり、コメントになり、詳細なカテゴリー評価へと進化した。


 そして五年前、政府はレーティングシステムを正式に社会制度として導入した。


 理由は治安の向上だった。評価の高い人間は信頼でき、評価の低い人間は注意が必要だ。シンプルで、わかりやすい。


 だが、現実はそう単純ではなかった。


 レーティングは人生を左右するようになった。就職、結婚、住宅ローン、子供の進学。全てが評価点で決まる。4.5以上なければ大手企業には就職できない。4.0以下は賃貸契約すら結べない。


 そして、3.0を下回ると、「制限市民」に指定される。


 美羽は現在二十八歳。大手商社に勤めて五年になる。入社時のレーティングは4.65だった。それから毎日、一秒一秒を評価のために生きてきた。


---


 昼休み、美羽は同僚たちとランチに出かけた。


 レストランに入ると、店員が全員のレーティングをスキャンした。4.5以上の客には特別なサービスがある。美羽たちは窓際の良い席に案内された。


「美羽さんって本当にすごいよね。4.8台をキープしてるなんて」


 後輩の松永詩織が目を輝かせて言った。彼女のレーティングは4.32だった。


「そんなことないわ。まだまだよ」


 美羽は謙遜した。だが、内心では優越感を感じていた。


「どうやって維持してるんですか。秘訣とか」


「特別なことはしてないけど」


 美羽は微笑んだ。


「ただ、常に周りの人を不快にさせないように気をつけてるだけよ」


 それは嘘だった。


 美羽は毎朝五時に起床し、メイクに一時間をかける。服は必ず前日に選び、コーディネートアプリで評価をチェックする。通勤電車では常に笑顔を保ち、誰かとぶつかればすぐに謝罪する。


 会社では上司に気を遣い、同僚には優しく接し、後輩の相談には真摯に答える。飲み会は全て出席し、二次会も断らない。休日はボランティア活動に参加し、その様子をSNSに投稿する。


 全ては評価のため。


 美羽には恋人がいた。というより、いることになっていた。


 相手は同じ会社の営業部長、西園寺拓馬。三十五歳。レーティング4.91。エリート中のエリートだった。


 だが、美羽は拓馬を愛していなかった。


 これは取引だった。互いのレーティングを上げるための、戦略的パートナーシップ。高評価同士のカップルは、さらに評価が上がる。システムがそう設計されていた。


---


 その日の夜、美羽は拓馬とディナーデートをした。


 高級レストラン。周りの客は全員、4.8以上のレーティング保持者だった。ここは「セレブレート・ゾーン」と呼ばれる特別区画にあり、評価の低い人間は入店すらできない。


「美羽、綺麗だよ」


 拓馬が言った。美羽は微笑んで頷いた。


「ありがとう」


 会話は滞りなく進んだ。互いに相手を褒め、笑い、楽しい時間を過ごしているふりをする。


 食事が終わり、拓馬が提案した。


「そろそろ、結婚を考えないか」


 美羽は予想していた。タイミングとしては完璧だった。二人が交際を始めて一年。互いのレーティングは安定している。結婚すれば、さらに評価は上がる。


「考えてみるわ」


 美羽は慎重に答えた。即答は避ける。少し悩むふりをすることで、相手の評価も自分の評価も上がる。


 帰り道、美羽は自分のレーティングをチェックした。


 4.88。


 上がった。プロポーズのシーンを偶然近くにいた誰かが目撃し、高評価をつけたのだろう。


 美羽は安堵した。そして、同時に吐き気を感じた。


---


 異変が起きたのは、その一週間後だった。


 朝、スマートフォンを見ると、レーティングが急落していた。


 4.52。


 美羽は目を疑った。一晩で0.35も下がるなんて、ありえない。詳細を確認すると、大量の低評価が付けられていた。


 コメント欄を見て、美羽は凍りついた。


「桜庭美羽は偽善者」

「全部演技」

「本性は最悪」

「こんな女に騙されるな」


 誰かが美羽の秘密を暴露していた。拓馬との関係が偽装であること。ボランティア活動が評価稼ぎのためだけであること。友人関係が全て計算されたものであること。


 投稿者は「匿名」となっていた。だが、美羽には心当たりがあった。


 藤崎奈美。


 同僚で、美羽が密かにライバル視していた女性。最近、彼女のレーティングが急上昇していることに、美羽は焦りを感じていた。


 会社に出勤すると、周りの目が変わっていた。


 誰も美羽に声をかけない。すれ違う時、明らかに距離を取る。エレベーターに乗ろうとすると、中にいた人々が降りていった。


 美羽は震えながら自分の席に座った。


 午前中、三件の商談がキャンセルされた。理由は「担当者のレーティングが基準を満たしていない」だった。


 昼休み、部長に呼ばれた。


「桜庭君、少し話がある」


 部長の部屋に入ると、人事部長も同席していた。


「単刀直入に言う。君のレーティングが規定値を下回った。うちの会社は4.5以上を維持することが雇用条件になっている。現在の君の評価は4.48だ」


 美羽は言葉を失った。さらに下がっている。


「一週間の猶予を与える。4.5まで回復できなければ、退職してもらう」


---


 美羽は必死だった。


 SNSで謝罪文を投稿した。ボランティア活動を増やした。道端で困っている人を見つけては助けた。全てを動画に撮影し、投稿した。


 だが、評価は上がらなかった。むしろ下がり続けた。


「必死すぎて気持ち悪い」

「もう終わりだね」

「4.5以下の人間は社会に不要」


 コメントは容赦なかった。


 拓馬から連絡が来た。


「美羽、悪いけど別れよう。君といると僕の評価まで下がる」


 婚約は破談になった。それがさらに評価を下げた。


 一週間後、美羽のレーティングは4.12まで落ちた。


 会社は退職を命じた。美羽は抵抗する気力もなく、辞表を提出した。


 それから一カ月、美羽は仕事を探した。だが、どこも雇ってくれなかった。評価が低すぎた。コンビニのアルバイトすら断られた。


 貯金は底をつき始めた。マンションは追い出され、安いアパートに引っ越した。だが、そこも長くは居られなかった。家賃を滞納し、大家から退去を命じられた。


 美羽のレーティングは3.87になった。


 そして、ある日、ついに3.0を下回った。


---


 2.94。


 スマートフォンの画面が赤く点滅した。警告音が鳴り響く。


「あなたは制限市民に指定されました」


 機械的な音声が告げた。


「公共交通機関の使用、医療機関の利用、金融機関の取引が制限されます。詳細は最寄りの市役所でご確認ください」


 美羽は膝から崩れ落ちた。


 制限市民。社会の最底辺。人間としての権利を剥奪された存在。


 美羽は街を彷徨った。


 レーティング3.0以下の人間が集まる地区があった。通称「レッドゾーン」。そこでは、評価など関係なく人々が生きていた。


 だが、それは地獄だった。


 仕事はない。医療は受けられない。食料は配給制で、最低限の栄養しか与えられない。人々は互いを信用せず、盗みや暴力が日常だった。


 美羽は廃墟となったビルの一室で夜を過ごした。


 そこで、一人の老人と出会った。


 七十代の男性。レーティングは2.31だった。


「あんたも堕ちてきたクチか」


 老人が声をかけてきた。美羽は頷いた。


「俺は十年前からここにいる。最初は辛かったが、今は慣れた」


「慣れる、ですか」


「ああ。評価なんてものがどれだけ馬鹿馬鹿しいか、ここに来ればわかる」


 老人は笑った。


「俺は昔、大学教授だった。レーティングは4.6もあった。だが、ある日、政府を批判する論文を発表した。それだけで一気に評価が落ちた。あっという間に2.0台だ」


 老人は遠くを見つめた。


「評価なんてのは、結局、支配のための道具なんだよ。従順な人間には高い点数を与え、反抗する人間は排除する。それだけのシステムだ」


 美羽は何も言えなかった。


「あんたは何で堕ちた」


「偽善者だと言われました」


「そうか」


 老人は頷いた。


「なら、今度は本物になればいい」


---


 それから三カ月、美羽はレッドゾーンで生きた。


 配給所でボランティアをした。今度は評価のためではなく、本当に困っている人を助けるために。


 病気の子供を看病した。怪我をした老人を介抱した。食料を分け合った。


 評価は上がらなかった。だが、美羽は気にしなくなっていた。


 ある日、美羽は偶然、藤崎奈美を見かけた。


 高級ショッピングモールの前。奈美は相変わらず高価な服を着て、笑顔で友人と話していた。スマートフォンでレーティングを確認すると、4.89だった。


 美羽のレーティングを暴露したのは、やはり奈美だったのだろう。


 美羽は奈美に近づこうとした。だが、店の警備員に制止された。


「制限市民の方はお引き取りください」


 美羽はその場を離れた。


 怒りはなかった。憎しみもなかった。ただ、哀れだと思った。


 奈美は今、美羽がかつていた場所にいる。評価を維持するために必死に生きている。いつか、ちょっとしたきっかけで、奈美も堕ちるだろう。


 そして、同じことを繰り返す。


 美羽はレッドゾーンに戻った。


---


 半年後、転機が訪れた。


 政府のレーティングシステムに対する批判が高まっていた。制限市民の数は全人口の三割に達し、社会は崩壊寸前だった。


 そして、ついにシステムの廃止が決定された。


 ある政治家が言った。


「人間を数字で評価することは、人間性の否定だ。我々は間違っていた」


 美羽のスマートフォンに通知が届いた。


「レーティングシステムは終了しました。あなたの評価は削除されます」


 画面から数字が消えた。


 美羽は、何も感じなかった。


 喜びも、安堵も、何もなかった。


 ただ、空虚だった。


 レッドゾーンの人々は歓喜した。自由だと叫んだ。だが、美羽は知っていた。


 評価は消えても、差別は消えない。


 かつて制限市民だった人間を、社会は簡単には受け入れない。レーティングという可視化されたシステムがなくなっただけで、人々の心の中の評価は変わらない。


 美羽は廃墟の窓から外を見た。


 朝日が昇っていた。新しい時代の始まり。だが、美羽には何も新しくは見えなかった。


 人間は変わらない。


 システムが変わっても、人間の本質は変わらない。互いを評価し、序列をつけ、優劣を競う。それは人間の本能なのかもしれない。


 美羽は立ち上がった。


 レッドゾーンには、まだ助けを必要としている人がたくさんいた。評価がなくなっても、彼らの苦しみは消えない。


 美羽は配給所に向かった。


 そこには、あの老人がいた。


「おはよう」


「おはようございます」


 美羽は笑った。


 それは、かつての計算された笑顔ではなく、心からの笑顔だった。


 評価のための人生は終わった。


 これからは、自分のための人生を生きる。


 美羽は、ようやく自由になった。


 数字に縛られない、本当の自由を手に入れた。


 それは、全てを失った代償だった。だが、美羽は後悔していなかった。


 失ったものは多かった。だが、得たものもあった。


 本当の自分。


 それだけで十分だった。


 朝日を浴びながら、美羽は歩き続けた。


 評価のない世界で。


 ただ人間として。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ